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第109話 ようこそ蓼科へ②



 ハルシウルは、現実を疑っていた。


「――ウォシュレットという。肛門がとても気持ちが良いらしいが、どうだ?」

「そ、そうですね。不思議なああぁ~⤴……」


 このウォシュレットもそうだが、建築技術や鉄の加工技術、なぜか物が冷える冷蔵庫と呼ばれる機械や、箱の中で人が動くテレビという機械。何度説明を聞いても、まるで現実とは思えないものばかりだった。


 そして蓼科を覆う植物と膨大な魔力が、ここが神域だという事を裏付けているかのように思わせた。一体、自分たちの世界とはどれほど文明の差があるのか。



「……こんな事が、あり得るのでしょうか」

「そんなに気持ちいいのか?」

「いえ……はい」


 最初はこの《魔女の庵》のように、全てが魔力で動いているのかと思った。だが違う。以前エスティからも教えられたように、電線から引かれた電気という動力によってのみ動いている。そこに魔力の流動性は感じられないのだ。



「……ロゼ様。なぜ蓼科では、魔法が使われないのですか?」


 ハルシウルはトイレから出て、ロゼに尋ねた。


「この世界の住人は魔力の扱い方どころか、その存在にすら気付いていない。エスと交流のある一部の者だけがその存在を知っている程度だ」

「……信じられない」

「ここには魔族がいない平和な世界なのだ」


 それを言うと、トルロスだって長い間平和だった。自分たちは一体、どれだけ無駄な時間を過ごしていたのか。ハルシウルは内心で落胆していた。



 しかし、それでも興奮は治まらない。


 目の前に転がっている千載一遇の機会。

 何としてもこの技術を持ち帰りたい。


 気が付けば、手が震えていた。



「それに魔力が無限にも見えるだろうが、恐らく有限だろう。この世界中で魔法が扱われると、ネクロマリア本土と同じ状況になると我は思っている」

「……魔法の使い方だけは、絶対に教えてはなりませんね」

「その通りだ。次は外に向かおう」


 ハルシウルは震える手を握りしめて、広場へと向かうロゼの後に続いた。



◆ ◆ ◆



「――人間の心って、光と闇の両方が混在してると思うんです。だから、光のようにいっつも眩しい人を見ると、実は内心ドス黒い事を考えてるのかなぁと疑っちゃうんですよ」


 エスティはベッドに横になり、投げやりにそう言い放った。


「分かるわそれ。そんな人いるわ。逆に、私はエスティみたいに心の荒んだポンコツの方が何だか安心するのよね、うふふ」

「分かります。私もミアみたいに人を騙しても全く悪びれない、腐ったゲロのような心の持ち主の方が安心します、ふふふ」


 また罵り合いだ。

 何度目のくだりかも分からない。


「……ねぇ、僕は帰ってもいいかい?」

「だめよ」

「駄目です」 



 バックスがやって来て、かれこれ2時間以上が経過している。エスティとミアは、飽きもせずに取り留めのない話を続けていた。


「はぁ……もうガラング様が来ちゃうよ」

「何を怯えてるんですか、兄弟子?」

「いやね、僕あの人に排泄物を投げ続けた事があってね。相当恨まれてるんだよ」

「気が狂ったんですか兄弟子……!」

「原因は妹弟子が作った魔道具なんだけどね」


 その言葉にエスティは固まり、目を泳がせた。



「さぞ嫌っているでしょうね……兄弟子を」

「ミア様分かりますか。これですよ、これ」

「分かるわ。これぞエスティね」



「――エスティ、ミア! いるかぁ!?」


 マチコデの声が、庵に響いた。


「……ミア、愛しの王子様が呼んでますよ?」

「馬鹿ね。もう私の心の羅針盤はハルシウルに向いているのよ」

「ハルシウルさんは既婚者らしいですが」

「嘘でしょ……」



「――おぉい! エスティ、いるかぁ!?」



「仕方ない、行きましょうか」


 エスティはのっそりと起き上がった。



◆ ◆ ◆



 エスティ達がマチコデとガラングを出迎えた後、2人はエスティの指示で、魔法耐性のある装備を全て外すために客間へと向かった。


 そしてエスティとミアとバックスの3人は、先に会議室で参加者達を待っていた。



 会議室は8人用になっている。中央に置かれた机はくり抜かれた正方形で、各辺に2つずつ椅子が並ぶ。バックスはその入口側に座り、エスティとミアはその向かい側に並んで座った。



 エスティは、静かに考えていた。


 ハルシウルは、ガラングとマチコデに会うのは初対面らしい。今まで書面にてのらりくらりと要望を避け続け、今日を迎えていた。ネクロマリアの状況や立場は当然理解した上でだ。


 ガラングは時間が無いため、今日決着を付けに来るだろう。


 これから実質的な支配者同士が、非公式の場でそんな交渉を執り行う。腹の探り合いも含めて、簡単にはいかないはずだ。



 しかし、幸いな事にこちらにはミアがいる。ミアが真面目に見抜いてくれれば、誰が出し抜こうとしているかなど簡単に見通せる。



「……緊張しますね」

「そうね……いよいよ始まるのよ、私の恋愛リアリティーショーが……!」

「そっちですか。というか全員が既婚者のリアリティーショーとか泥沼すぎますよ。ちゃんとエロ目で見ておいて下さいね」

「もちろんよ。凝視するわ」



 そして、扉が開かれた。

 先にやって来たのはハルシウルとロゼだ。


「悪いなエス、待たせたか」

「いえ。ありがとうございますロゼ。ハルシウルさんも、お疲れの所すみません」

「とんでもない。これからが本番です」


 エスティの案内で、ハルシウルはエスティから見て右側に着席した。ロゼはバックスの隣に座る。


「ん。まだいたのか、バックス?」

「まだいたよ。妹弟子が帰してくれなくて」

「ふ、相変わらずエスには甘い」

「君にだけ言われたくはないね、ロゼ」



 そんなやり取りをするバックス達をよそに、ハルシウルは薄目で静かに佇んでいた。


 エスティはハルシウルに声を掛けた。


「蓼科、いい所でしょう?」

「えぇ、申し分ない。体が震えましたよ」

「ウォシュレットをいたく気に入っていたぞ」

「そ、それは良かったですね……」


 ロゼの誤解を生む言葉に、ハルシウルは少し俯いて照れた。それを見たミアは、嬉しそうにニタァっと笑った。心を覗いているらしい。



 そして再び、扉が開かれた。

 ガラングとマチコデだ。



 全員が椅子から立ち上がる。


「待たせてすまぬ」

「いえ。お久しぶりです、ガラング様」

「非公式の場だ、儂は無礼講を希望する。ガラングさんとでも呼んでくれ、ラクスの魔女エスティよ」


 ガラングはそう言って、ニヤリと笑った。


(この人は……)


「ではガラングさんにマチコデ様、こちらへ」

「おいエス」

「構わんよ、灰猫」


 エスティはまるでマチコデの方が格上かのように呼んだのだ。だが、ガラングは言い返した事が逆に嬉しかった。



「ガラングさん、こちらはトルロス漁業組合代表、ハルシウルさんです」

「初めまして、ガラング・リ・オリヴィエント陛下。ハルシウルと申します。トルロスを裏から操っております。文面でのやり取りでは失礼を」


 まるで悪の親玉のような自己紹介をしたハルシウルは、ガラングに深い礼をした。


「ネクロマリアの全てを表で操っているガラングだ。トルロスは良き隣国だと思っておる。宜しく頼む」


 こちらも悪の様相だ。


 2人は不敵な顔で微笑み合い、着座した。



 早くも腹の探り合いをしたいのかとエスティは思い、ミアの方に目をやろうとした。


 その時だった――。



「――エスティ、ルカンを連れて来たぞ!!」


 ムラカの声が、庵に響き渡った。


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