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第105話 トルロスの女神と猫と鋼メンタル聖女



 ――《魔女の庵》と《設計魔図》。


 読めば読むほど、理解の出来ない魔法陣だ。やっと一つの構文を解いたかと思えば、その影響で別の魔法が狂い始め、まるで螺旋のように終わりが見えなくなる。


 だが、エスティはそれを楽しんでいた。

 解けない謎こそが研究の醍醐味だ。



 しかし、こうして分析ばかりに時間を使う訳にもいかない。今日はこれからトルロスへと向かい、ハルシウルに相談を持ち掛けるのだ。



「また随分と大荷物ですね……」


 ハルシウルに会う予定だけのはずだが、ミアは今回も慌ただしい。つい最近も同じ光景を見た気がする。ゴシップに惑わされないという言葉を体現しているかのようだ。



「文房具よ。漫画好きの嗜みでしょ」

「それ全部売るんですか?」

「当然よ!」


 ミアは腰に手を当てて言い放った。

 もはや隠そうともしない。


 いつの間に購入したのか、大量の文房具が詰まった木箱がどんどんと出てくる。ミアは興奮しているのか悪役の顔だ。文房具は確かに便利ではあるが、これにもミア価格の人件費が設定されているはず。


「(おいエス、奴はおかしいぞ)」

「(黙って見ていましょう。口を出すと、また巻き添えを食らいますよ)」

「聞こえてるわよ」


 ミアはようやくすべての木箱を【弁当箱】に収納し終え、出発の準備が整った。



「よーし。次こそは億万長者よ!」

「……では、行きますよ」


 エスティは面を被り、転移門を開いた。



◆ ◆ ◆



 ハルシウルの考え方はシンプルだ。


 ネクロマリア大陸で何があっても、ハルシウルは我関せずを貫く。それは過去、海洋国家トルロスが2度の滅びで味わった島の環境崩壊が原因だ。


 しかし、その意志はあくまで漁業組合代表ハルシウルのものでしかない。それがトルロスの総意という訳では無いのだ。



 エスティは安易にそう考えていが、どうやら少し違ったようだ。



 ここはお昼時のトルロスの港、食器の当たる音と喧騒が飛び交う漁師達の食堂。しれっと休憩に混ぜてもらったエスティは、トルロスの情報収集をしていた。



「――議員達も弱ぇから。トルロスは漁業を取ったら何も残らんから仕方ねぇ」


 漁師の一人がそう話す。


 トルロス政府は王政ではなく、代議制民主主義の形式をとっていた。その議席は、群島国家らしく各島々の人口比で割り当てられている。そして、最も大きなトルロス島の議席は過半数を占めていた。


 そのトルロス島の議員全員に、ハルシウルの息がかかっているらしい。



「王様はいないんですか?」

「議長が王様みたいなもんだけど、ありゃ意見をまとめるだけの飾りだよ。ハルシウルさんの方が行動的だし立派だ」

「……失礼ながら、ハルシウルさんは漁業組合の長というお立場ですよね。意思決定に関して、他の議員さん達からの反対などは無いのでしょうか?」

「反対も何も、逆に皆があの人に融通されてる立場だからねぇ。あの人がトルロスという国を一番大事に思ってる。自分の利益を度外視して、全ての島がちゃんと生活できるようにバランスをとってくれてんのさぁ!」

「違ぇねぇ、はっはっは!」



 漁師たちの口からは、ハルシウルへの称賛の言葉しか聞こえない。

 民衆の指示も得ている。


(どうしましょうかね……)


 ハルシウルは、美しいトルロスの環境が魔法によって破壊される事を恐れている。その想いは、ネクロマリアの人々の命よりも天秤が重い。



「エス、これは幸運と取るべきだ。解決の糸口が、すでに目の前に現れていた」

「……随分と解き辛い糸です」

「酔っ払うと、ただのベヘェバァなのにね」

「うわ、よく覚えてましたねその名前」

「無駄な事は覚えてるの」



 情報収集を終えたエスティ達は、漁業組合本部へと向かう。



 景色が美しいからか、海風が心地良いからか、エスティの気分は晴れ晴れとしていた。行き交う人々の顔も明るく、見ていて気持ちが良い。


 人の笑顔が多いのも、自然がそうさせるのかもしれない。もし蓼科の自然が過去のトルロスと同じように破壊されていたらと考えると、エスティは複雑な気持ちになった。



 エスティ達は漁業組合本部に到着した。

 そして、会議室に案内された。窓から波音が漏れ聞こえる、風情のある部屋だ。


「ミア、今日は別行動しないんですか?」

「まるで別行動して欲しそうな質問ね。仕方ないわ……意地でもしないわよ」

「……では、私がまずハルシウルさんと話をしますので、私がヨシと言うまで大人しく待っていて下さい」

「分かったわ。犬でも待てるもの。ヨシ」


 少し待つと、ハルシウルが現れた。



「お待たせして申し訳ありません。お久しぶりですね、エスティ様」

「手土産ですわ!! ハルシウル様!!」

「…………ロゼ」

「いや、我もフリかと思った」


 ミアはハルシウルの手を両手で握り、ぶんぶんと握手した。


 そして突如、机の上に文房具を並べ始めた。ボールペン、ノート、ハサミ、鉛筆に消しゴム……。



「うふふ。こちらは神の世界タテシナの文房具です。トルロスで流行らせて、一山当てようと思いまして。買いませんか?」

「手土産じゃなくて商談ですね」

「――ミア様、ご要望は?」

「私、砂浜のある家が欲しいのです! 朝は海鳥の鳴き声と生臭い魚の匂いで目覚め、昼は砂浜でナマコを投げて遊んで、夜はイケメンのナマコで……ぐぅ……」


 ミアが、会話の途中で寝た。


「まったく、とんでもない聖女ですよ……! 失礼しました、ハルシウルさん。この変態は薬で眠らせました」

「エス、見事に巻き込まれたな」

「もう何か……言葉が出ませんね。この人のメンタルはどうなってんですかね?」

「エスティ様。ナマコ云々は別にして、聖女ミアの商談は非常に興味深いご提案だと思います。何せ、使い勝手が良さそうだ」


 ハルシウルは早速、鉛筆で紙に文字を書いていた。表情はずっと穏やかな笑顔のままだ。言葉の真意は読み取れない。



「……本題が済んでからでもいいですか?」

「本題とは、滅びの事で?」

「えぇ。私はこれから、事実を包み隠さずにお伝えします。どうか気を悪くしないで下さい」

「願っても無い。もちろんです」

「では――」


 エスティはオリヴィエントと魔族の状況を中心に、ここ最近の出来事を説明した。時折ロゼの補足も交えつつ、特に危機感と時間的リスクを強調して。


 一通り話し終えたが、ハルシウルの表情は変わらない。そして静かに聞いていた漁業組合の長は、ゆっくりと口を開いた。



「――事情は理解しました。まず契約とは、お互いが納得する事で初めて結ばれます。一方的なものは契約とは呼べません」


 遠回しな言い方だ。しかし、こちらの意図は読み取ったのだとエスティは判断した。何を言いたいかを瞬時に理解し、その上で拒絶してきた。


 だが、エスティは話を続ける。



「私はガラング様や魔族の意向を無視して、私の考えだけで勝手に動いています。私の理想はただ一つ。犠牲を伴わずにネクロマリア本土の緑が回復し、心置きなく遊ぶ事です」

「変化には犠牲が必要ですよ、エスティ様」

「やれるだけやってみようと思います」


 エスティはそう告げ、お面の下で微笑んだ。

 ハルシウルからは見えてないだろう。



「ハルシウルさん、ガラング様からは何と?」

「…………」


 ハルシウルは口をつぐんだ。


 それが答えだ。


 ガラングはトルロスに揺さぶりをかけている。

 それに対して、トルロスは武器を持つ。



「エスティ様は聡い方だ」

「いえ、無力ですよ……ままならない事だらけです」


 エスティは溜息を吐いた。


 ハルシウルの立場も複雑だろう。彼を支持している全員が、ネクロマリア本土の人を追い返したい訳では無いはずだ。



「……我々トルロスは魔法に拒否反応を示します。それは、トルロスへやって来た観光客に課す制限項目からもお分かりでしょう?」

「重々承知しています」


 『トルロスでの魔法の使用を禁ずる』それが、トルロスがかつてフラクトルロスだった頃から残っている入国条件だ。



「まぁ、こうなると予想はしていました。ですがハルシウルさん。私はハルシウルさん、ガラング様、そして魔族の王ルカンの4者でどうにか協力し、強硬派を討伐する方向に持って行きたい……そのために、今日はなんと商談をお持ちしました」

「ん。エス、お前も商談か?」



 エスティは白いカーディガンを羽織り、ホワイトボードとマジックを空間から取り出した。


 そしてホワイトボードに『♡電気について♡』と書き、ハルシウルを見た。



「私の住んでいる蓼科という神域では、誰も魔法を使用しません。その代わりに、『電気』という優れたエネルギーを使った機械が数多く存在します」


 突然始まったエスティのプレゼンに、ハルシウルもロゼも呆気にとられていた。



「今日は実験大好きな私が、そこの死んでいる聖女を使って電気についてご説明したいと思います。そのために、かなり特殊な魔道具を作りました」


 エスティは白衣のポケットから、コードの伸びた魔道具を取り出した。



「名付けて【恋愛人間♡発電機】です。ほら起きてくださいミア、出番ですよ」

「……んが?」


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