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第104話 《魔女の庵》の深淵と数学



 ラクスから戻って数日後の朝。


 蓼科の森も、少しずつ暖かくなり始めた。

 だが、まだ春の芽生えは見られない。



 庵のリビングの炬燵の上には、2つの魔法陣が並べられていた。今朝届いたばかりの《魔女の庵》と《設計魔図》だ。エスティは教本を片手に、2つの魔法陣を分解しながら調べ始めていた。


「――面白いですね、これは」


 この2つ、それぞれ別々に見るとどこにも時空魔法らしき不規則な文字列は存在しない。だが重ねてみると話が違った。魔法陣の数が増えて、時空魔法の文字列だらけになるのだ。


 紐解くのには時間を要しそうだが、ここに魔力を根付かせるヒントがあるかもしれない。ようやく見つけたラクリマスの痕跡に、エスティはわくわくしていた。


「急に複雑な魔法陣がいくつも現れるのです。恐ろしい程によく出来ていますよ」

「私にはさっぱりね」


 ミアはコーンポタージュを飲みながら、タブレットを触っていた。

 その隣で、ロゼが新聞を読んでいる。



「『女神エスティ、ついに故郷ラクスに降臨』か。日は経っていないが、オリヴィエントにも情報が広まったようだ」

「あんたもすっかり有名人ね」

「ミアの醜態も小さく書いてあるぞ。『聖女ミア、いまだに無職独身。両親に仕事と結婚について叱られて反省』」

「おい!! おいぃ新聞記者!!」


 ミアが項垂れた。


「ミアも有名人ですからね」

「ちょっとは国に貢献したはずなのに、ことごとく梯子を蹴落としに来るわね!」

「お前はゴシップに惑わされない女ではなかったのか?」

「いくら鋼のメンタルを持っている私でも……まぁ、グリーンオークと書かれなかっただけマシよね。むしろ独身と知られて男が寄って来るかもしれないわ、ふへへ……!」

「強いですねぇ、ミアは。……お?」



 【時空郵便】が置いてある棚から、手紙が一通ポイッと吐き出された。


 この【時空郵便】は現在、3か所に設置されている。オリヴィエントのバックスの部屋、ラクスのカシエコルヌの研究室、そして魔族領ダークエルフの里、ルカンの城だ。


 そして今届いたのは、ムラカからの定時連絡だ。



「『強硬派で最も強大な集団の目途はたったが、潜入もできない。穏健派の魔族も動こうとしない。自分を透明化する魔法は無いのか?』むぅ……」

「あったらまず、男湯を覗くわ」

「流石、思考が穢れから入りますね」


 エスティはムラカへの返事を書いた。ガラングとマチコデが落ち着いたら蓼科に来て、マチコデはそちらに向かうという内容も添えて。


「ん? 何それ、聞いてないんだけど」

「言ってませんからね……お、早い。『楽しみが出来た、ありがとうミア』」

「けっ! どういたしまして!!」

「まぁ回復役は必要ですから、もし荒事になったらミアも行く事になりますよ」


 これは昨日バックスから知らされたばかりの内容だ。数日後、この蓼科にガラングとマチコデがやって来るという。



「しかし、移動効率が良いのは分かりますが、気分は良くないですね」

「これからは毎回そうなるわよ。便利だし時間無いもん。やっぱりここはハルシウルを……というかトルロスの偉い人に連絡して、全員を一堂に会するべきね」

「ま、それが手っ取り早いですよね」


 トップ同士の交渉事は勝手にやってもらって、自分は研究をしていたい。庵の日数だって有限なのだ。



 エスティは立ち上がり、庵の魔石に触れた。


 《魔女エスティの庵》


 【庵の主】 エスティ

 【家屋】  木造平屋

 【術式】  《魔女の庵》《設計魔図》《防水》《防腐》《防魔法の陣》《防火》《防虫》《防壁化《浮遊》《植物の生育速度調整》

 【追加機能】《改築》《整備》《解体》

       《高度な追加機能》

 【周辺環境】

  ・

  ・



 【高度な追加機能】

 《魔法陣変更》《動物の生育速度調整》《不可視化》《幻影化》《移築》《ゴーストを雇う》《持ち運ぶ》《時空間化》《時間転移》……



 【名前】 エスティ

 【身長】 149.6

 【体重】 40.5

 【魔力】 158,506/158,506

 【庵の崩壊】 79日

 【称号】『時空の女神』『蓼科の魔女』『種』

  ・

  ・


 変わっているのは日付だけ。


 あと79日。

 1日ずつ、着実に減っている。



 エスティは炬燵に目をやった。


 あの魔法陣のどこかに、この庵の術式の全てが眠っている。2つが重なった魔方陣は、まるで深い森のようだ。ラクリマスとは一体どれ程の天才だったのか。


 エスティは溜息を吐き、炬燵に戻る。そして魔方陣に目を落として分析を再開した。



「……そういえば、我が昨日見た動画で面白い話があった」

「ほう、どんな話ですか?」

「囚人のジレンマという」


 『お互い協力する方が協力しないよりも良い結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では、お互いに協力しなくなる』というものだ。



「難しいわね」

「では、思考実験だ。我もかじった程度なので正しいかは分からぬが……」


 ロゼは2本の後ろ足で立ち上がり、身振り手振りで説明を始める。



「――今回の魔族と人族のパターンは、両者とも犠牲者を出したくないが、強硬派の王は始末したい。そして、魔族と人族の共存は困難。更に、両者とも時間さえ稼げれば群島へと逃げれる可能性も残っている。それを当てはめるとこうなる」



【強硬派魔族という脅威に対して】


 人族だけ討伐に向かう……人族だけに犠牲が伴う

 穏健派だけ討伐に向かう……穏健派だけに犠牲が伴う

 人族と穏健派が協力する……討伐において、どちらにも犠牲が伴う

 人族も穏健派も協力しない……討伐において、どちらにも犠牲が出ない


「相手だけに強硬派討伐へと向かわせたいが、それは成立しない。お互いに犠牲を避けたいからだ。すると、協力するかしないかに選択肢が絞られる。そしてやはり、そこでもお互いに犠牲者は出したくない」


 そもそも、倒せるかどうかも分からない相手だ。ルカンは全兵力を持って強硬派の頭を倒す一点突破を目指すという、ハイリスクな戦法しか考えていなかった。



「つまり、お互いに協力せず、結果的に逃げる選択肢を選ぶってわけね?」

「その通りだ。本来であれば、ガラングは全兵力を北に向けて準備を進めねばならない段階に来ている。それをしないのは……恐らく、見捨てる気があるのだ。しかし、討伐の可能性と時間稼ぎの望みを残すために人助けの勇者を寄越した、という線が濃厚だろう」


 ロゼの推論を聞いて、エスティは考える。



 マチコデは分かっていても断らない。ガラングは後継者にしたがっていたはずなのにマチコデを送らざるを得ないのは、苦渋の選択だろう。他の勇者だって同じように、防衛に駆り出されるはずだ。


 そして、ハルシウルは統率者を選ぶと言っていた。ハルシウルと穏健派の意見は一致しており、強硬派が人族を襲っている間に、穏健派は群島へと逃げるための時間的余裕が生まれる。


 つまり、人族が最も悪い立場にいる。



「……どうにかして、両者を協力させたいですね」

「あぁ。もっと言えば、エスの研究が最後の砦だな。お前が魔力を植えることが出来れば解決する……かもしれない。これは我の予想だが、たとえそうなったとしても魔族は襲い掛かるだろうな」

「私もそんな気がするわ。だって生存本能でしょ。今後もエスティが助けてくれるって保証が無いと、同じ事が起きるわね」



 やるべき事は2つ。


 強硬派の王の討伐と、魔力を根付かせる事。どちらかが欠けると、人族の大量死は免れない。


「事態は切迫してたんですね……」

「ここにいると、何故かぐうたらしちゃうのよね。炬燵が悪なのかしら……それにしても、この世界の人族は何でも数学に置き換えるわね」

「まぁ面白いですしね、数学。魔法と似ていて勉強になりますよ」



 エスティは空間から一冊の本を取り出した。


「ここに、ミアが最も大切にしているエッチな薄い本があります」

「何で持ってんのよ!」


 ミアの手が伸びる前に、エスティは薄い本を【弁当箱】に収納した。



「さて、ミア……この薄い本の男性とエッチな事をしたいですか?」

「愚問ね。ヒデキは二次元の恋人よ」

「よ、よろしい。今収納した【弁当箱】には、ヒデキの薄い本と、好きな幻覚を見る事が出来る催眠の秘薬が入っています」

「うわ、何それ!?」


 ルカンから預かったダークエルフの秘薬だ。 

 ミアは笑顔で食い付いた。



「これは、とあるクイズ番組で行われた実験らしいのですが――」


 エスティは更に【弁当箱】を2つ取り出した。

 先ほどの【弁当箱】と全く同じ見た目だ。



「この3つの【弁当箱】のどれか1つがヒデキです。当たったら秘薬を差し上げましょう」

「じゃあこれ!」

「即決ですね。ではここで特別に、選ばれなかった2つのうちのハズレの方をお見せしましょう」


 そう言って、エスティはハズレの【弁当箱】の中身を出した。出てきたのは、ミアのかじりかけのおにぎりだ。ミアはそれを手に取り、口に運んだ。



「ほらね、私は運が良いのよ……もぐもぐ」

「では運の良いミアに、もう一度だけ選ばせる権利を差し上げましょう」

「は?」


 エスティは残りの一つの【弁当箱】と、ミアの持つ【弁当箱】を並べた。


「選んだ【弁当箱】を変えますか?」

「――私は真っ直ぐな女よ。一度決めたことは簡単には曲げないわ」

「ふふ、流石です。でも実は、ここで選択肢を変えたら当たる確率が2倍になるんですよ」

「……はぁ?」

「モンティホール問題と呼ぶそうです」


 エスティはそう言って、選ばれなかった方の【弁当箱】の中身を取り出した。


「本当は、もっと蓼科でぐうたらと遊びたいんですけどね。先に気になる事を処理しろという運命なんだと思います」



 そこには、小さな種が一粒。

 ミアの勝ちだ。


「私もミアに習って、真っ直ぐ行きますよ」


 エスティは、種をグッと握り締めた。



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