第10話 《魔女の庵》
翌日。
真夏の太陽が照りつける、暑い日だ。
エスティは日向と共に、《魔女の庵》の建設現場にやって来ていた。
「これで家が建つなんてねぇ」
日向が興味深そうに魔法陣を覗き込んだ。見た事の無い文字や模様が記されており、まったく理解が出来ない。共に作業をしていたおかげで、かろうじて数字だけは分かる。
「杭は打ち終わりました」
合計10本の杭が、広場を囲うように打ち込まれた。その中央付近に緑色の空の魔石と《魔女の庵》を設置し、建設予定地には《設計魔図》と建築素材を置く。
これでひとまず、準備は完了だ。
「心臓を盗られるというのは比喩だろうが、少し緊張するな」
「ふふ、大丈夫ですよロゼ。あなたのニャーレムを見て笑うまで死にません。では、始めます。日向も杭の外側に出ていてください」
エスティは羽ペンとインクを取り出した。日向達が外に出たのを確認し、エスティは魔法陣の前に座る。
《魔女の庵》の効果範囲は、杭から上下の円柱状に渡る。今回の杭の最大距離は14mのため、地下7m、高さ7mがエスティの魔力範囲となる。かなりの大きさだが、発動のための魔力は周囲から補える。
自分の魔力と周囲の魔力をペン先に集中させる。
ペンが仄かに光り始めた。
「――魔法は気分が上がります。やはり、私は魔女ですね」
――《魔女の庵》発動――
その瞬間、広場の空間を覆いつくすほどの魔法陣が姿を現した。
同時に――――心臓が破裂する程の痛みが、エスティに襲い掛かった。
――――種。
――種――――――種を――!!!
「っああああああああぁあぁあ!!!」
「エス!?」
何重もの複雑な魔法陣がエスティを包み込む。絡み合う文字列が、眩い光を放ちながら次々とエスティに吸い込まれていく。
エスティは四つん這いになったまま、悲痛の声を上げた。
「うあああぁ……ああぁ……!」
「おいエス! すぐにとめろ!!」
バックスから聞いていたものとは規模が違う。たった数枚の魔法陣から、こんな複雑な魔法陣が生まれるはずが無い。
バックスのミスか、《魔女の庵》の暴走だ。もし暴走なら、使用者が死ぬかもしれない。
「っぐ……! エス!!」
ロゼが突入しようとしたが、《魔女の庵》の見えない壁に弾かれた。
「何だこれは、どうなっている!?」
光に包まれたエスティが、眩しくてよく見えない。
まるで世界が暗転しているようだ。
ロゼが目を凝らすと、魔法陣の文字列が次々とエスティの左目に向かって吸い込まれていくようにも見えた。その度に、エスティは悶え苦しむ。
「が……っぐ……!」
そして今度は《設計魔図》が発動し始めた。
丸太が丸太らしくない動きでうねり、描いた図面通りの建物がニュルニュルと出来上がっていく。それは一瞬の出来事だった。
あまりにも非現実的な出来事に、日向は言葉を失っていた。
そして最後の魔法陣がエスティに吸い込まれ、光の収束と共に『魔女の庵』が停止する。
《魔女の庵》発動からここまで、数十秒。
エスティの体が、地面に崩れ落ちた。
「エスティちゃん!!?」
ロゼと日向が駆け寄り、エスティを抱きかかえた。汗だくだが呼吸はある。光の残滓が残っているのか、肌や髪が以前よりもうっすらと輝いている。それを見た日向は、その美しさに一瞬動揺した。
意識は――。
「はぁ……はぁ……」
「無事か。どこかで寝かせるぞ、庵の中へ!」
「……ふふ……き、気軽にやるものでは……無かったですね……」
「まったくだ」
膨大だったエスティの魔力の器は、ほぼ空っぽになっていた。
◆ ◆ ◆
森に現れたのは、真新しいログハウス。
小部屋が2室とリビングの、小さな平屋だ。
家を解体した時の朽ちた丸太や元あったボロボロの小屋も、まるで見る影がない。綺麗でお洒落なログハウスの窓からは、美しい白樺の森を眺める事ができる。
「御覧ください。床が抜けてぼろぼろだった小屋が、匠の手でこの通り!」
「おおおおぉおぉ!!」
エスティがどや顔で自宅を自慢し、日向がそれを拍手で持ち上げている。その姿を、ロゼは不思議なようすで眺めていた。
「……エス、なぜ元気なのだ?」
日向に背負われたエスティは、家に入った瞬間「あっ」と言って、急に立ち上がった。いつもの温泉上がりのようなポワポワしたエスティになったのだ。
そのまま「何だか気持ちいいです」と言って、日向と家の中を探索し始めた。
「わけが分からん」
「まぁまぁ、今を楽しみましょう」
そういって微笑むエスティの左目は、本来の青色ではなく、魔石のような緑色に変化していた。
「おい、エスその目――」
「エスティちゃーん、これは何ー?」
「あぁ、それはこの庵の心臓ですよ」
「心臓?」
日向が指を差した場所、リビングの壁面に焼き付けられている《魔女の庵》の魔方陣の中央に、手のひらサイズの緑色の魔石が埋め込まれている。
「この魔石で、庵の改築や魔方陣の管理が出来るそうです」
「へー!」
そして、日向はエスティの顔を見た。
「その左目も関係あるの?」
「はい。私が管理者である証ですね。これが私の魔力を吸い続けています」
「吸い続けるって、大丈夫なの?」
「えぇ。とても微弱ですから」
まるで宝石のようなエスティの瞳に、日向は吸い込まれそうになる。無意識に見てしまい、そして目が離せない。じーっと見ているとエスティが「ふふっ」と笑った。
庵が出来る前とは違い、日向はエスティの美貌が更に増した気がしていた。きめ細やかな白い肌は薄らと光っているようにも見え、もはや神々しい。天使や女神と言われても違和感は無かった。
日向は慌てて庵の散策を続ける。
「こ、こっちの部屋は!?」
「そっちは私とロゼの寝室……あ、ロゼは行為用の部屋が欲しいんでしたっけ?」
「おいエス」
「冗談ですよ」
◆ ◆ ◆
日向を早めに家へと送り返し、エスティは庵に戻って来た。
今日からは、この家で眠るのだ。
笠島家から借りた布団を寝室に敷く。
まだベッドどころか、明かりになるものすら無い。それに周囲は真っ暗な森。外からは虫の大合唱が聞こえてくる。
ロウソクに火を灯し、ログハウスにゆらゆらと幻想的な光が漂う。
「魔法って本当に便利だったんですね。ミアの光魔法が恋しいですよ。さて、新築祝いの祝杯を頂きましょうか」
エスティは成典に貰ったチューハイを取り出す。飲んだことはないが、美味しいはずだ。
「ごくごく……ぷはー! 至福ですねぇ!」
「……エス、我に隠している事はないか?」
ロゼはエスティを真っ直ぐ見つめている。
「そうですね。この左目は私の魔力だけでなく、蓼科の魔力も吸い続けています。この庵に付いている魔石も同じですよ。そして何故か、私の魔力の器がぐんぐんと広がり始めています」
「……そんな事が」
どちらもあり得ない話だった。
左目に集まっている魔力の一部が、エスティの器を広げている。エスティは、自分の体に蓼科の魔力が押し込まれているような感覚だった。
そもそも、本来なら魔力の器も広がる年齢では無いのだ。
「仕組みがさっぱり理解出来ませんが、このお酒が美味しい事は理解出来ます」
「エス」
「何でしょうか?」
ロゼは変わらず、真剣な眼差しだ。
「――その左目、見えていないな?」
その問いに対して、エスティは微笑んだまま、何も言わずにロウソクの火を見つめていた。
ゆらゆらとした火が、エスティの左目に反射して輝いている。
「それが庵の代償か。聞いたことがない」
魔女の心臓というのは、魔力の事で間違い無い。ネクロマリアでも魔女の庵はたまに行われる術式なので、バックスはその実績も教えてくれていた。
だが今回エスティが行った《魔女の庵》は、魔方陣が多すぎた。何かがおかしいが、ロゼもエスティも原因は分からなかった。
「日向には内緒にしておいてくださいね」
「……まったく」




