魔石の配布と新たな魔物の予感
生活を脅かしていた海の魔物クラーケンが討たれた知らせは、住人を大いに喜ばせた。
さらに住人を沸かせたのは、魔物を討った男がそのクラーケンを皆で食べようと言ってきたことである。
大急ぎで家族を呼びに行く者や、近くの店から包丁を買ってくる者、また料理屋の店主達も、この大物をどう料理しようか考え始めていた。
「料理を始める前に、ちょっとだけ良いかな? 表面の薄皮だけ処理したい」
カイがそう言いながらクラーケンに手をかざした瞬間、クラーケン全体がピキピキと音を立てて凍り始める。
そして軽く手を触れた途端、薄皮だけが砕け散った。
「お、おい! お前さん一体何者だ!?」
「まあ、そこら辺は気にするな。 イカの身体の表面には寄生虫がいるが、凍らせるだけで大丈夫だからコレで新鮮なイカの刺身が食えるぞ」
「イカの刺身?」
住人は刺身という料理を初めて聞いたのか、首を傾げている。
港町では新鮮な生の魚料理が出てきて当たり前だと考えていたカイは、食文化の違いにちょっとしたショックを受けた。
「こっちじゃ魚とかは、生で食べたりしないのか?」
カイからの問いかけに、住人は驚いた顔で答える。
「馬鹿を言うな、魚を生で食う奴なんて居ないよ。 港に付いた時点で半分傷んでいるのに、更にそれを生で食ったりしたら命にも関わっちまう」
どうやら獲れた魚を、冷蔵や冷凍して保存する事はしていないらしい。
折角の海の幸がそれでは勿体無い、カイは住人に生の美味しさを広める事にした。
「そうだ。 これを機会に新鮮な魚料理をこの町の名物にしよう、住人の中で簡単な冷却魔法を覚えている奴は居ないか? コールドかフリーズで構わない」
「カイ、魔法を使えるだけでも珍しいのよ。 流石に無理だと思うわ」
リアは軽く忠告してみたが、カイの導き出した答えは力で押し切る方法である。
「わかった。 それなら親指位の大きさの石を、1人2個拾って来る事は出来ないか? ここに住む人の生活もガラッと変わるぞ」
「?」
何をしようとしているのか理解出来ない大人の住人達は、胡乱な目で見るばかりで協力する素振りを見せない。
しかし子供の方は何か面白そうな遊びだと思い、目の前に落ちていた石を拾うとカイの前に差し出した。
「これで良いの? おじちゃん」
「……おじちゃんって、これでもまだお兄ちゃんだぞ。 まあいいか、それじゃ今ボウズが拾ったこの石が、便利な魔石に変わる様子を良く見ておくんだぞ」
『魔石!?』
魔石という言葉に住人達は耳を疑う、魔石とは魔法の力を内部に秘めた石のことで溶岩地帯では、発火の魔法ファイアや灯火の魔法トーチなどが発見されている。
しかしこの石がどうやって誕生するのか未だに不明で、しかも見つかる場所もランクの高い冒険者でも命からがら持ち帰る代物だけあって、とても高価な物でもあった。
石ころ1つが城に化ける。
そんな眉唾な噂まで出る魔石を、本当にこの男が作れるのか?
住人達の視線は、カイの手元に集まった。
【コールド】
【フリーズ】
カイが言葉を発すると道ばたに落ちていた石ころが、蒼い輝きを放つ透明な宝石に姿を変える。
出来上がった石を子供の手に置くと、カイは使い方を説明した。
「こっちの石は使う時に『コールド』と言うんだ、そうすれば大体半径50cm以内の物を冷やして保存が出来る。 そしてこちらの石は『フリーズ』だ、同じ様に物を凍らせる事が出来る。 ……さてとそこで盗み聞きをしている諸君、今すぐ石を拾い集めてくれば魔石に変えてやるがどうだ? そうすれば生では食えないと言った魚達も、食えるようになるぞ」
そう言いながらカイは、クラーケンの身の一部を手に持ったナイフで器用に切る。
そして捌いたばかりのイカの刺身を、住人に差し出した。
「試しに食ってみな、そうすれば俺の話が本当かどうか分かる。 生の魚も美味いって」
住人は恐る恐るそれを受け取ると、刺身を口に運ぶ。
そしてその美味さに驚いて歓声をあげると、他の住人もカイの周囲に群がりイカの刺身を試食し始めた。
そこからはとにかく早かった、生の魚介類の美味さを知った住人達が一斉に町中の石を拾い始める。
そしてカイに持ってきた石を、魔石に変換してもらい始めた。
「いいか、鮮度が落ちにくい魚介類はコールドで冷やすだけで良い。 すぐに傷みやすい魚はフリーズで凍らせるんだ、そうして港に戻ってから海水で解凍すれば、鮮度の良い魚の料理が毎日食えるようになるぞ」
ここでアニスはある事に気付いた。
カイは誰にも魔石を転売するなとは言っていないのである。
「あの……魔石を転売してはいけないって、言わなくて良いのですか?」
「ああ、言うつもりは無いよ。 欲に目が眩んだ奴は町を出てゆくかもしれないが、売りに行った先でそいつらは命を落とすだろうな……」
カイが住人に転売を禁じないのを、リアも不思議に感じていた。
だが今のカイの言葉で、なんとなく理解が出来たのである。
平民1人が急に姿を消したところで、道中で野盗にでも襲われたと判断して本気で捜索をしようとする者は現れない。
また伝手も持たずに売りに行く相手など、裏社会に通じている事は明らかだ。
ならば持ち込んだ相手を殺して品物だけ奪うことを、彼らなら平然と行えるだろう。
「カイ、あなた結構悪辣なことをするのね」
「楽して大金を手に入れようとするから、命を落とす危険を冒す。 美味しいイカや魚の刺身を毎日でも食いたいと思えれば、そんな危ない真似はしないと思うがね」
一見のほほんとしているが、簡単に手の平を返した住人達を冷めた目で見るカイをリアは少しだけ怖いと思った。
おそらく前の世界で裏切られた事で、それほど人を信じてはいないのだろう。
だがそんな彼も、こうして自分には普通に話をしてくれている。
(彼を裏切るような真似は絶対にしない)
リアは心の中でそう誓いながら、彼の虜になり始めている自分に苦笑した。
魔石の配布を終えたカイ達が本格的な朝食を始めた時、クラーケンは既に半分近くを町の住人達によって食べられていた。
残った部位でカイが最初に作ったのは、イカの刺身とイカステーキ。
イカリングは巨大になってしまうので、イカの天ぷらで妥協する。
皿を置いた途端に箸を伸ばしているリアとアニスを見て、カイは呆れながら今回の料理の採点を聞いてみた。
「どうだ、今回の料理は何点だ?」
「こんな美味しいものを採点する方が失礼よ、カイ刺身と天ぷらをもう3皿お願い」
「こちらにはイカステーキを5皿お願いします」
やれやれと頭を掻きながら次はイカのゲソでも揚げようかと、足を切り分けようとした時カイはある事に気が付いた。
急に動きを止め考え事を始めたカイを不思議に思ったリアは、彼に声を掛ける。
「どうしたの、急に手を止めちゃって。 何か問題でも有った?」
「問題といえば問題かもな」
彼の遠まわしな言い方に何故か拗ねたリアは、頬を膨らませながら答えを促した。
「何か問題が有るのなら、私にも相談して。 私はあなたの主人でもあるのよ」
年頃の少女らしい可愛らしい仕草に、カイは思わず吹き出してしまう。
それを見て顔を真っ赤にしながら怒り出すリアの頭に手を伸ばすと、カイは優しく髪を撫でた。
「ど、どうしたの急に!?」
恥ずかしそうにしながらも、もっと撫でて欲しそうにカイを上目遣いで見るリア。
一瞬ドキッとさせられたが、それを気付かせないようにしてカイはさっき気付いた事を打ち明けた。
「なあ、リア。 残っているクラーケンの足は何本だ?」
「3本だけど、それがどうかしたの?」
「住人達の胃の中に納まったのは、何本だったか覚えているか?」
リアは思い返しながら指を折って数える。
「たしか6本じゃなかった?」
「そう、6本だ。 残っている3本を足しても合計で9本、1本足りない。 こいつの足を丸々1本誰が食ってしまったんだろうな?」
食べるのに夢中で、リアも言われて初めて気が付いた。
その一方でアニスが会話にも参加せず、リアがテーブルに残していたイカの刺身を盗み食いしている。
それを見たリアはカイの手元に置かれていたイカの軟骨を掴むと、思い切りアニスの頭に投げつけた!
「あなたも会話に参加しなさい! 食い意地ばかり張って、恥ずかしくないの!?」
「ふぇ~ん、それはリア様だって一緒じゃないですか~!」
パンパンッ!
また口論が始まりそうだったので、カイは手を叩いて2人の注意を引く。
「とにかくだ! まだ海にはもう1体、クラーケンをエサにするような奴が居るってことだ。 このまま何事も無く、王都の港まで着ければ良いんだがな……」
『それでも陸路に変更する気は無いのね!?』
2人は心の中でカイにツッコミを入れた。
しかしカイのストッパー役など出来そうにない2人は、ため息を吐きながら諦めるしかなかったのである……。




