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第8話

通学にも使っている慣れたホームに2人並んで電車を待つ。

途切れがちな会話をポツポツ交わしつつ、待ち焦がれた電車に乗り込んだ。


休日の早い時間だというのに電車は予想外なくらいの混み具合で、俺たちはドア近くの手すり前に肩が触れ合う距離で並んだ。


「結構、混んでんな」


1人ごちるような匡の台詞に、これ以上機嫌を害して欲しくなくて、曖昧に笑みを浮かべて

「仕方ないさ」と小さく呟く。


少し大きな本屋は一番近くても学校の最寄り駅より数駅分遠く、ただでさえ長いこの時間が、倍になっているような気がする。


一向に減らない込み具合のまま何駅かを過ごしたころ、俺はちょっとした異変を感じた。


…腰にあたっている手が変に動いてないか?


痴漢か?と思ったが、まさか男がそんな滅多やたらに痴漢になど遭うはずが…という思いで、


俺はその手から離れるように僅かに腰を引いた。


これで、不快な手から逃げられる…と思った矢先、また同じ手が今度は尻の方に伸びてきた。


その意図的な動きで、俺はそのまさかが本当である事に気付き、思わず身体が強ばる。


そんな状態が分かったのか、後ろに立っている中年の男は勢いづいたようにあちこち撫で回しはじめた。


「……っ」


ただでさえ見知らぬ人間に触られて気持ち悪いのと、どうやら下手に撫で回すのが好きらしいその指の動きがさらに気色悪く、嫌悪感に体が微かに揺れる。しかし、それをどう取ったのか、痴漢は撫でる手を前に移動させようとして来た。


『う、わ…っ!!』


慌てて身体の横に下げていた腕をぐっと身体に近づけてその手を防ぐと、痴漢は諦めたように同じ所に戻っていく。


このしつこい男をどうやって撃退しよう……。


…この場合、やはり直接

「止めろ」と言うのが基本だが、そうなると俺が男のくせに男から痴漢されたなんてことが周りに知れてしまう。


…もし、今が平日で、周りが皆知らない人間だったら、出来たかもしれない。

けれど今は…そんなこと出来ない。


だって、匡がいる。


すぐ隣りにいるのに、そんな、痴漢に遭っているなんて知られたくない。


ただでさえ、後ろめたい事があるのに、冗談でも「男に触られて…」なんて言われてしまったら、このうすっぺらい仮面までが剥がれ落ちて、逃げ帰ってしまうだろう。


そんな事までが容易く想像できるから、俺は降りる駅までの我慢だと自分に言い聞かせて、ぐっと身体に力を込めた。


と、その瞬間。いきなり痴漢の手が離れた。

ほっとして知らず俯いていた顔を上げると、匡がこれ以上無いほど不機嫌な顔で俺を…俺の後ろを睨み付けていて。


「兄貴、いつもこんなのに会うのかよ」


じっとそのまま視線を動かさないままそう問い掛けられ、俺はやっと匡がその痴漢を跳ね除けてくれた事に気がつく。


途端に、消えてしまいたい程の恥ずかしさが押し寄せてきて、俺はまた顔を下に向けた。


「あ、や。その…別に…」


消え入るような小さい声で答えると、匡は少しむっとしたように眉を顰め、俺の二の腕をつかんで引っ張る。そのあまりの強い力に耐え切れずよろけると、匡の胸が俺の身体を難なく受け止めて庇うように包み込んだ。


「な…っ!」


慌ててその胸に手をついて逃れようとした俺を片腕だけで縫い付けると、匡は耳元に来ていた唇で、強く囁いた。


「大人しくしてろよ。混んできてんだから、あんまり暴れんな」


腕にも更に力が込められ、掌が当てられた肩が鈍く痛んだけれど、俺は直接胸に感じる匡の体温と心音の熱さに、抵抗する事も逃げる事も…取り繕う事すら、出来なかった。


触れる胸から伝わる、微かに上下する匡の心臓の音に、耳まで集中する。


時折電車が大きく揺れるたびに、後ろから押された匡がさらに押し付けられる。


苦しげに吐く匡の息が直接耳に届いて……死にそうだった。


ゾクゾクする。いつもなら言葉でしか触れる事の出来ない匡に、こんなに…身体で触れるのは、意識するようになってから考えると初めての事だったから。


意識しすぎて触れられなくなった身体に、存在に、こんなに……近づいている。


それだけで、頭に血が上って倒れてしまいそうなくらいに。


実際、かなり密着しているこの状態では立っているというより寄りかかりあっている方が大きくて、自分を支える力が一瞬尽きてしまった。


と、その瞬間、反対側のカーブに入ってしまったせいで、自分の周りが僅かに空白となる。


「あ…ぅわっ」


そのまま膝から落ちそうになってしまった俺は、ガクンと衝撃を伴って立ち直した。…自分の意志でなく。


「…………え?」


そして、電車がカーブを終え、慣性の法則により反対に押し付けられていた人たちがこちらに押し寄せてきた時には、俺は匡に庇われるようにドアに押さえつけられていた。


「え?た、匡…?」


恐る恐る目を向けると、匡は窓の外から目を外さないまま、口を開く。


「ホントにこんなんで電車通学できてんのかよ。隣でぐらぐらされてると気になんだよ」


ぼそっと、低く抑えた声音でそう言われ、俺はさっきまでの浮ついていた気持ちがきゅっと引き絞られた気がした。


…そうだ、こんな事で浮かれてどうするんだよ。


匡は、俺の事を疎んでいるはずなのに。今は、より強く。


俺のせいで彼女にふられ、匡が俺の事を庇おうなんて思う訳が無い。


気に入らない俺が隣で動くから、無視していられないから押さえただけで…。


勘違いするな。好意じゃない。特別じゃない。


意識せず忘れてしまっていたそのことを、戒めのように胸の内で呟き、それを認識する胸の痛みに、俺は密かに唇を噛み締めた。


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