第2話
学生服のまま繁華街を歩いていた俺は、それと気付かずに大通りから少し離れたコンビニの前に腰を下ろした。
隣を過ぎていくのは、これから出勤に出るんじゃないかと思われる、華やかな姿をした女性たちや、飲んでいるサラリーマンをターゲットにした引き込みをするらしい軽薄そうな男達……。
それらを呆然と見つめ続けていると、婦警のような格好をした中年の女性に声を掛けられた。
「ちょっと、君。学生服着てるけど、どこの学生さん?ここは未成年のいるところじゃないよ」
補導員だったその女性は、矢継ぎ早に俺にあれこれと質問をはじめる。
けれど、何を言っているのかよく分からないし、答える隙も与えないほど次から次ぎに質問攻めにするせいで、俺は答える気も早々に手放して再びすぐ前の通りに目をやった。
「ちょっと!!きいてるの?!」
俺の態度に業を煮やしたのか、ヒステリックな声を上げた補導員は、俺の手を締め上げるように背中に回して押え込んだ。
「…っ」
「あまり聞き分けが無いと、警察に通報するわよ!ん?あなた、家はどこなの?!番号は?」
興味を失ってしまえばその剣幕もどこか遠くの出来事のようで、関節を極める痛みだけを身近に感じ、俺はそのまま無言を通した。
「……」
「ほら!早く答えなさい!!」
「ちょっと待てよ」
その時だった。不意に男の声がして、俺は固められていた腕を開放された。
思わず振り向くと、俺を締め上げていた補導員より、2まわりも大きそうなスーツ姿の男が、補導員の腕を持ち上げていたのが目に入る。
「いたたっ!なにするの!!放しなさい!!」
「こんなとこで、なにもしてねぇ若いのを責める時間があるんなら、あっちのワルイコトに慣れちまってるような集団をどうにかした方がいいんじゃないのか?」
飄々とその補導員に顎をしゃくるその男が示す先を見ると、確かにあの雰囲気にすっかり酔ってしまっているような中学生か高校生の若い集まりがあった。
しかし、補導員の方も簡単には見逃してくれないらしい。
「私たちは、子どもが悪い方に足を踏み込ませないようにするのも仕事なのよ!あなたは、この子が繁華街に寄らないと言いきれるの?」
少し逆上している風な補導員の言い分に、俺もさすがに頷きかけたが、男はその台詞を鼻で笑って蹴散らした。
「言えるさ。こいつは俺を待っていたんだからな」
「は?」
思わず補導員とハモってしまったその台詞を吐いた張本人は、そのまま肩を押して俺を促す。
「まったく、待ってるのも良いが、場所はわきまえろよな。…母さんは元気か?」
などと気安いことを言われながらそのままコンビニの前から連れ出され、大通りに出るとすぐの角を曲がらされた。と同時に、俺は男の手を叩き落とす。
「…で、誰と誰が知り合いだと?俺はあんたなぞ見知った覚えはない」
びしっと音がするほど叩いたのに、飄々としている男にさすがに腹が立ち、そう言い放つ。
男は手を叩いた俺を面白そうに見てから、にやりと笑ってみせる。
…その瞬間、俺は思わず上げそうになった声を無理矢理押し殺した。
その男は、どことなく…いや、雰囲気が似ているのだ。……弟に。
「いや、あんたが困ってるように見えたしよ。それに、そのガクランは俺が通ってた高校のモンだからな。ま、知らぬもんじゃなし、たまにゃいいだろうと思ってよ。お前、名前は?」
「……………上杉、珪哉」
「うえすぎ けいや、か。なぁ、珪哉」
「……なれなれしく呼ぶな」
「なにつっぱってんだよ。やけになってるからここまで来たんだろうがよ」
いきなり胸の奥を鷲掴みにするような核心を付いて、男は驚きに思わず顔を上げた俺の目を楽しげに見下ろした。
「な、……」
「なんで分かったかって?お前、見るからに遊んでねぇじゃねーか。そんな奴が、こんなとこで死んだ魚みてーな目ぇして人通りぼ〜っと見てりゃぁ、分かりもするさ。
なぁ珪哉、めちゃくちゃになりてぇんなら、俺がしてやるぜ?」
ん?と覗き込んでくる顔を見返す余裕も無く、俺は胸に浮かぶ弟と彼女のツーショットに再び苦しみながら、差し出されたその手を取ったのである。
そして、誘われるままあいつのアパートに行き、そこで少し飲んで…気付くと服を脱いであいつの胸に縋っていた。
似ていなければ、こんなあっさりとついては行かなかっただろう。しかし行為の中、さらに似ていると知った。雰囲気、大きな体と豪快な性格。それと、少しくだけた話し方。
闇に浮かぶシルエットが、さらによく似てて…。
「匡…匡…っ」
自分を貫き、突き上げる男の抱きしめてくる腕に噛み付きながら、今は影が持つその名を夢中で呼び続けた。
「それが、お前を追いつめた相手ってワケか。…いいぜ、いくらでも呼べよ。その男の名をよっ!」
「あっ、あっ…あああ…っ!!」
腰を嫌というほど叩き付けられ、プライドを根こそぎ引き抜かれて、俺は激痛と時々訪れる快感とに翻弄されるうちに、その初めての経験に意識を手放した。
…あの時は、さすがに無断外泊になるかと思った。
痛む腰を気にしながら起き上がれたのが、すでに11時をすぎた時間で。
俺は慌てて帰り支度をし、送ると言ってくれた男……その時はもう名前を知っていたな、阿久津の言葉に甘えさせてもらうことにして、ひとつ前の駅で下ろしてもらうと、反対口に出ると見せかけて車を見送り、電車に乗りこんだ。
やっと一息つけたのは座席に座ってから。
とんでもないことをしたという後悔の中、俺は阿久津から受け取った電話番号を、しっかりとカバンの横ポケットにしまい込んでいる自分を自覚していた。
そして、実際…3日後にそれを使ったな。
4日と空けず会っていたその頻繁さは、匡が彼女と別れる時まで続いた。
つまり、俺がどれほど参っていたかをしめす。精神的にも、匡への思いに苦しむ、自分にも。
この想いを、自覚したのはいつだったか。もう、凄く昔のことのような気がする。
小学生のときには、匡が誇れる、自慢できる兄貴になろうと決意していたから、ひょっとするとその前かもしれない。
気付いたら、匡のことしか見えなかったというのが正しいところだ。
だから、今更…このままで他の人を好きにはなれないだろう。
失恋も出来ないこの片想いに終止符を打つことは、自分からは出来ないから。
「…まだ高校生だからな。大学は遠いところを選んで、一人暮らしにするか。会う時間が無くなれば、きっと諦められる……」
ぼそりと呟けばそれだけで胸は痛むけれど、それも来年までの辛抱だ。
そうしたら、阿久津とも縁が切れ、変に想いだけを募らせることも無くなるだろう…。