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第1話

「…ただいま」


「おかえり、遅かったのね。今日は匡も遅いのよ」


うちに帰ると、ソファーに座りニュースを見ていた母親が立ち上がって、そう声をかけてきた。


「そうなんだ。遅くなってごめん、かあさん。…夕飯は?」


まったく支度のされていないテーブルにちらりと目をやってから聞くと、母さんはそのまま台所へ行き、大きな鍋に火をかける。


「出来てるわよ。いつ帰ってくるか分からないから、火を消しておいただけ。すぐ温めるから座ってなさい。…今日は図書館?」


さり気なく聞かれ、思わずどきりと鼓動のテンポがずれた。今日の事、思い出すのは自分より大きな男の肌と熱さ……。


「――いや、今日は本を探しに足を伸ばしてきた」


しかし、動揺は全て体の中で押し殺して、顔には癖になった薄い笑みを顔に張り付けそう応えていた。


そんな俺に、母さんは何も感じないんだろう。安心したような、少し残念そうな顔をして肩をすくめている。


「ほんと、珪哉はどうして、そんなに勉強命になっちゃったのかしらね?珪哉にはそんなうるさく勉強しなさいとは言わなかったのに」


彼女の1人でも連れてきなさいよね、とぶつぶつ呟きながら、母さんは食事の支度を整えはじめた。


母さんが背中を向けてすぐ、俺は学生服の上からワイシャツの胸ポケットを探りかけて、そこに何も無かった事を思い出す。


…この話題持ち出されると、タバコが欲しくなるんだよな…まったく。


阿久津のところに置いていて本当に良かった。



―――あれから本当にもう1ラウンドこなして、風呂に入り証拠隠滅をしてから帰った俺は、いつもより3時間も帰りが遅くなってしまった。


それでもあまり勘ぐられないのは、俺の素行の良さと信用によるものだろう。……ま、それを逆手に取っている時点で阿久津いわく「タチの悪い」優等生って事になるんだろうな。


しかし、俺だってはじめから逆手に取るために優等生をしていたんじゃない。


あれさえなければ、俺だってこんな細心の注意を払わなければならない気分転換などはじめなかっただろう。


いや。その前に、あいつが………。




「ただいまー」


扉を閉じる音とともに、家中に渡りそうな声が玄関から響いてきた。


俺にとっては元凶のお帰りだ。


「遅かったのね、匡。まったく、いったいこんな時間までどこほっつき歩いてたの!」


母さんが台所からわざわざ手を拭きつつ出てくると、匡は俺の方を向いてこれ見よがしに嫌そうな顔をする。


『またかよ』とでも言いたげな顔で俺を見る匡に、『諦めろ』と苦笑で返すと、大袈裟にため息を吐いて、母さんに向き直った。


「どこって、金曜日だから買物行ってただけだって。…なに?今から夕飯?俺もまだ食ってなかったから丁度良いな。でも、遅いんじゃねー?」


食って掛かる母さんに、匡はさりげなく話を変えて追及を逃れようとしている。


ったく、いつのまにこんな誤魔化しかた覚えたんだか。


「珪哉も今日は遅かったのよ。まったく、お兄ちゃんはこんなに真面目なのに、あんたはいつまでもふらふらしてて!」


傍で聞こえる会話を楽しんでいて…不意に話題に出され、俺は人知れず身体を強ばらせる。

と、匡の視線が俺の方に向いたのが横目にみえた。


「なに、兄貴も遅かったの?彼女?」


「…お前とは違うよ」


目を輝かしてでかい図体でのしかかってくる弟を好きにさせようとして……寸前でよけた。そのまま、俺はかばんを手に持つと座っていたソファーから立ち上がった。


「母さん、できたら呼んで。2階に上がってる」


そのまま、母さんの返事も聞かずに廊下に出る。


これ以上、あそこにいたくなかった。


…擦り寄ってきた匡の服から香る、女物の整髪料と化粧品の匂いに気が付いたから。


部屋に入ると机にカバンを乱暴に置き、学生服のままベッドに寝転んだ。


「…分かっていたじゃないか。あいつに…彼女がいるなんて……」


腕で顔を覆い、寝返るように壁と向き合う。



初めて匡が彼女を作ったのは、もう1年も前。


単なる優等生だった俺が今日くらいの時間に図書館から帰ると、家の前で匡と…匡の通う高校の制服を着た女の子が楽しそうに話していた。


180cmを超える身長の匡と並べると隠れてしまうほど小さく華奢な彼女を、ただの友達だと思い込もうとした俺の精神は、ずいぶんと自己中で耐久力がなかったらしい。


それでも、さすがに重くなった足取りを自覚しつつ近づく俺に、門に肘を掛けてくだけた調子で話し込んでいた匡は、ずいぶんと近づいてから気付いた。照れ笑いをしながら彼女の肩に手を置いて……。


「付き合いはじめたんだ」


そう、一言だけ俺に紹介した。


近づいて初めて顔の見えた彼女は、清純そうな、男なら守ってあげたくなるような、そんな儚げな美少女で。


「あ、あぁ。そうなのか。良かったな、匡…。……悪いが、忘れ物をしたから取りに戻るんだ。母さんに遅くなると伝えておいてくれ」


照れた顔を空いた手で掻きながら彼女と視線を合わす匡に、俺はおざなりにならないように声を掛け、何を言ったか答えたか分からないまま、その場からさりげなく逃げ出した。


そうして、乗り換えに使う駅に降り、夜の街に逃げ出して―――。



そうだ、阿久津に会ったんだな。あのとき…


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