ヒデちゃん番外篇 おはこびさん
ヒデちゃん番外篇その一です。
わたしの名前はあやめ。
ヒデさま支配の青い妖精。もともとわたしたちの御主人は西王母様なのだが、西王母様は、自分のお気に入りの侍女や友人にわたしたちを貸し与える事がある。ヒデさまは昔、西王母様の侍女筆頭をやっていた事があって、その時以来、わたしたちはお側にいる。昔はヒデさまも奔放なところがあって、キヨミ娘娘様とあちこち旅をしていたが、最近はすっかり落ち着かれて、わたしたちは安心している。
わたしたち?
そう、わたしには相棒がいる。
名前はカキツバタ。でも、今はここにいない。きょう彼女は、恋人の高見沢くんとデートに行ってしまったから。
何故って、きょうは二夜月の日で奇漫亭はお休みだからだ。だから、わたしたちには仕事がない。
奇漫亭というのは東市幻商店街にあって、食堂と喫茶を合わせたような場所だ。ヒデさまはそこの雇われマダムをしている。わたしたちはそこのアシスタントという役柄だった。大儲けという訳にはいかないが、そこそこ儲かっているので、まっいいかなと思っている。
今、わたしがいるのは奇漫亭にあるわたしたちの部屋だった。お休みはいいけど、することがないのでちょっと退屈。
「よおっ」
扉が開いて声がした。
「あなた、またその格好で来たのね」
わたしは、彼女の姿を見て言った。
「固い事言うんじゃないの」
すその短い下着をひらひらさせて、彼女は答えた。
彼女の名前は、カティサークのナニー。
わたしたちのように由緒正しい妖精と違い、主人を持たずに彷徨う、スコットランド生まれの野良妖精だ。こまるのは、カティサークのまま、あっちこっちをうろつく事。あっ、カティサークというのはシミューズの事だ。風紀が悪くなっていけない。カキツバタちゃんが、まねっこしたいと言い出したら困る
じゃない。
「なあ、きょうは休みなんだろう」
「そうよ」
「じゃあ、ちょっと一緒に行かないか」
はっ?
ナニーちゃんから、お誘いを受けるのは初めてだった。
「おい、入って来な」
にゃあと声がして、のそりとチックタックが顔を出した。口に、何かをくわえていた。チックタックは、ヒデさまのおともだち、キヨミ娘娘様が連れて来た猫。ちょっと変った姿をしていて、耳が前に折れている。この種の猫は一種類しかなく、スコッティシュホールドと呼ばれていた。もっともキヨミ娘娘さ
まの話によれば、この猫は雑種だという事だが、わたしはちょっとばかり疑っている。もしかすると純血種のスコッティシュホールドじゃないかと思うのだ。
「見せてやりな、チックタック」
チックタックは口にくわえていたものを、わたしの前に置いた。カードね。
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|急募 おはこびさん │
| 高給優遇 |
| 誰にでも出来る簡単な仕事です |
| 希望のかたは奇漫亭フロントまで |
| 秘密厳守 |
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妙な事が書かれていた。わたしは思わずナニーちゃんの顔を見た。
「なによ、これ?」
カティサークのナニーは、両肩をすくめて見せた。
「わかんねぇけど、おもしろそうだろ」
「でも、これあっち側に行かなきゃいけないのよ、危険だわ」
「ふーん、そうかい。じゃあ、チックタック、あたいたちだけで行ってみようぜ」
どうしてもう一回誘わないの、思わずわたしは言ってしまった。
「待ってよ」
ナニーちゃんがにやりと笑った。釣れたぜ、と言った顔だった。
奇漫亭の秘密その一、奇漫亭はホテルである。
わたしたちが働くのは、そのホテルの食堂で、ホテルに泊まる人以外でも自由に出入りできる入り口が正面にあった。食堂に向かって左奥にカウンタがあり、そこにいつもヒデさまがいる。わたしたちの定位置は入り口左のミニテーブル。扉を開けると真っ先にわたしたちの姿が目に入る筈だ。カウンタのちょっと右の位置に、目立たない扉がある。それがホテルのフロントに行く扉だ。お泊まりのお客様は、この扉を使って、わたしたちのいる食堂にやっている。扉を開くと左手側に上下に伸びる小さな階段があり、下は食料倉庫、上はわたしたち従業員の部屋に通じていた。話を戻して、その扉を開いて真っ直ぐ行くと、ちょっと広い、食堂の半分くらいの空間に出る。ここがフロント。フロントマネージャはミスター・モー。わたしも会った事がなかった。フロントカウンタはその右手にあり、その横には上へ向かう大きな階段がある。あちらはブロウ夫人の支配なので行ってはいけませんと言うのが、ヒデさまの言いつけだった。ブロウ夫人は、小柄で赤いターバンを頭に巻いた女の人で、怒ると目がつり上がってすっごく怖いのだ。メイド頭のブロウ夫人と、三月兎のメイドたち、別名三月兎軍団が、奇漫亭のホテルサービスの全てを仕切っていた。
わたしがあっち側と言うのは、そのことだった。つまり、フロントへ行くと言う事は、ブロウ夫人のテレトリーに入るという事なのだ。わたしがそのことを心配すると、ナニーはけろりとした顔で、それがどうしたと言った。
フロントは、ちょっとひんやりした空気に包まれていた。
「ねぇ、やっぱり帰ろ。誰も来てやしないよ」
わたしが言うと、ナニーは呆れたような顔をして言った。
「莫迦言うんじゃないよ、ここまで来て帰れる訳がないじゃない」
わたしは怖い、あんたはブロウ夫人の怒った顔を見てないからそんな事が言えるのよ。
ぐずぐず言ううちに、フロントのカウンタが目の前にあった。やっぱり、誰もいないじゃない。
「いえい、お嬢さん、もしかしてカードを見て来たのかい」
フロントカウンタの上から、急に大きな声がしたのでわたしは飛び上がった。
「きゃあああ」
思わず叫ぶ。その後にナニーの声が追って来た。
「なんでぇ、小小人じゃねぇか」
えっ、小小人?
わたしはカウンタの上を睨み付けた。なるほど、カウンタの中央に、全長十ミリぐらいの小さな人間が立っている。コートはバーバリのトレンチ、サングラスはレーバン、被っている中折れはクリスティだ。五センチ四方の箱の側に、小小人は立っていた。
「ちっ、ナニーとあやめかよ」
小小人はぼやいた。
「昨日の夜からここで待ってるのに、やって来たのはおめえらだけだ」
なにしてるのよ小小人?
「おはこびさんを探してるんだよ」
おはこびさん?
「まあ、おめえらでもいいか、向こうも待ってるからな」
小小人は側の箱をわたしたちの前に押しやった。
「中身を四〇三号室へ、頼んだぜ」
あんた莫迦あっ。
「知ってる奇漫亭って三階までしか無いのよ、四〇三号室なんて行ける訳ないじゃない」
わたしは言った。
小小人はにやりと笑うと、右手の人差し指を立てた。ちっちっちっと左右に振る。
「これだから素人はいけない、階段昇っていきな、ちゃんと四階に行けるからよ」
うそー。
「じゃあな」
あっと言う間に、小小人の姿は消えてしまった。
「開けてみようぜ」
ナニーちゃんがそう言うので、小小人が残していった箱を開けてみる事にした。
「なぁんだあ、これは」
箱の中は、小さなくるみが一つあった。
本当に四階があった。奇漫亭で起きる出来事はまるでヒデさまのせいみたいな印象を受けるが、奇漫亭自体が充分へんな場所なのである。ヒデさまは、どちらかと言えば、それを押さえる為にいる様なものだ。お守りか重石のようなものだと思えばいい。チックタックを先頭に、ナニーちゃん、わたしと後を続く。でも、どうして、わたしがくるみを持つのか、よく解らない。
「そりゃ、あんたが『おはこびさん』だからよ」
ナニーが訳の解らない理屈を言った。
四〇三号室の前でわたしたちは止まった。チックタックがにゃーと鳴いた。ナニーがわたしを見て言った。
「ほれ、早く扉を開けな」
「両手が塞がっているのよ、ナニーちゃん開けてよ」
わたしは答えた。しゃあねぇなぁ。ナニーちゃんはぼやくと、扉に向かって大声で叫んだ。
「こんにちわ、おはこびさんです!」
素早く扉が開いて、中から人が姿を現した。
わおー。
プラチナ色の髪を持つ女の人が、わたしたちの前に立っていた。しかも全裸よ。プロポーションは、はっきり言って、わたしなんかよりずっといい。ナニーなんか眼じゃないもんね。北欧系の青い眼だった。
いけない、こんなところをブロウ夫人に見られたら、どんなに怒り出すか。ブロウ夫人はわたしより風紀に厳しいんだ。いそいでわたしたちは、部屋の中に入らせてもらう。
部屋の中に入って、扉を閉めると、ほっとため息が出た。
「あれを、あれを返してください」
いまにも消えそうな小さな声で、その女の人は言った。返せって、もしかしてこれのことかなぁ。
わたしは彼女に、くるみを見せた。彼女は嬉しそうに、くるみを手に取ると、両手で二つに割った。すると……
なかから、白い毛皮が現れた。
どこかで見た事がある顔の白い毛皮。
「あんた、シルキーね」
突然ナニーが言い出した。
ナニーの言葉なぞ無視して、シルキーちゃんは毛皮に頬ずりをしている。
わたしは、ナニーの背中を指でつついた。
「シルキーってなに?」
「あざらしの妖精よ。ほら、あの毛皮あざらしじゃない」
なるほど見たことがある顔だと思ったけど、あれはあざらしか。
「シルキーって言うのはね、あざらしの皮を被って海にいるのよ。時折ね、満月の晩に小島や岩礁に上がって皮を脱ぐの」
なるほど、昼間あの格好はちょっと恥ずかしいかもしれない。あのプラチナの髪は、月の光が写ったものなのか。
「海に海に帰りたい」
あざらしの皮を持ったまま、シルキーちゃんは泣き出した。
「あんたさ、どうやってここへ来たのよ」
ナニーちゃんが尋ねる。シルキーは首を左右に振った。
「どうやって来たかも解らないの」
呆れたようにナニーは言った。小さくシルキーちゃんは肯いた。
「まったく、奇漫亭に海なんか無いわよ」
そうよね、わたしも聞いた事ないわね。突然、自信ありげにチックタックが鳴いた。
意味ありげ鳴くチックタック。
わたしは思わず尋ねていた。
「あんた知ってるの?」
チックタックは、扉の前に立つと、振り向いてわたしたちを見た。ついて来いと言いたいらしい。
シルキーが飛び上がった。すぐさま猫について行こうとする。駄目よ、その格好じゃ。
皮を置いて、シルキーは窓に近づいた。右側のカーテンを思いっきり引っ張った。ほろりとカーテンが取れる。それを体にぐるぐると巻き付けると、再び、毛皮を手に取った。
あっー、ブロウ夫人が知ったらすっごく怒るだろうなぁ。
そっと扉を開けて、わたしたちは部屋を出た。案内役はチックタック。ブロウ夫人に見つからないように、わたしはすっごく祈った。でも、それは逆効果だったみたい。
「オマチナサイ」
後ろから声を掛けられた。赤いターバンをつけた小柄な女性がこちらに近づいていた。
「ソレハウチノかーてんデスネ」
まずい、ブロウ夫人の目がつり上がっている。
「走れチックタック」
ナニーちゃんが叫んだ。みんなが走った。わたしも負けずに走った。
「オマチナサイ、ユルシマセンヨ」
ちらりと後ろを向いた。ブロウ夫人が追いかけて来ていた。ブロウ夫人はターバンを抜いた。彼女の髪が逆立った。そして、その髪があたし達を追いかけていた。まるで無数の蛇に見える、ブロウ夫人の赤い髪の毛。
あーん、あーん、ブロウ夫人ごめんなさい。
「カエシナサイ」
シルキーちゃんが巻き付けていたカーテンをほどいた。走りながらカーテンを後ろへ放り投げる。髪の毛を巻き込んで、カーテンはブロウ夫人に絡みついた。ブロウ夫人がこけた。
九死に一生、すっぽんぽんのシルキーちゃんを連れて、わたしたちは、階段を走り下った。
チックタックが案内してくれたのは、食料倉庫だった。こんなところに何があるのだろう。
食料倉庫の入り口は二つあった。ひとつはさっき言ったフロントへ向かう左手にある小さな階段。もう一つは奇漫亭のカウンタの後にある、厨房室から降りる大きな階段だった。二つの階段のちょうど中間点に、人の半分ぐらいの隠し扉が床にあった。わたしも何度か食料倉庫に来た事はあるが、この隠し扉は
初めて見た。扉をあけるとひんやりした感じの風が流れて来る。チックタックが一番に飛び下りた。シルキーちゃんは取り付けてある梯子を利用して降りた。わたしとナニーはいつものように、ふわふわと飛んで、その暗い穴に降りて行った。
なんだろう、あれは。
木の根っこがそこにあった。二股の大きな根っこが、小さな泉を守るかのようにうずくまっていた。この泉も謎だった。
いったい、これは……。
泉の大きさは、十メートル程の円形をしていた。泉の前でチックタックは立ち止まると、にゃあと鳴いた。
「なんなのこれ、これも奇漫亭が秘密なの」
「そうよ」
思わずチックタックが喋ったのかと思った。いつの間にか、チックタックの横に小小人がいた。
「これが、奇漫亭の秘密のひとつよ。奇漫亭の土台を支える世界樹の根。そしてあの泉こそノルンの泉。人の運命を司る不思議な泉」
小小人、あんたちょっと真面目じゃない。なんかへんよ。
泉に波紋が広がった。何かが泉の中から飛び出そうとしていた。
人魚だ。シルキーちゃんが嬉しそうに歓声を上げた。
「迎えに来たのよ、シルキーを」
ナニーが言った。シルキーは手にした毛皮を身にまとった。一瞬にして彼女はあざらしの姿に変身していた。そのまま泉に飛び込むと、ふたりで戯れるかのように泉の中を泳ぎ回った。そして、わたしたちにお辞儀をすると、そのまま深く沈んで言った。
「行っちゃったわね」
泉を見ながら、わたしは誰にともなく呟いた。でもさ、結局おはこびさんってなんだったの?
わたしはそのことを小小人に聞こうとした。あれっ?
気がつくと小小人もナニーも、チックタックの姿も見えなかった。みんなどこへ行ったの?
「ミツケマシタヨ」
ぎくり、その声は。
おそるおそるわたしは後ろを振り返った。目をつり上げたブロウ夫人の姿が見えた。ブロウ夫人の手がのびて、わたしの後ろ衿をつまみ上げた。恐怖で全身の力が抜けた。
あーん、あーん、ブロウ夫人ごめんなさい。
「おしおきデスネ」
おはこびさんなんて……
大嫌いよ!
番外篇はすべて短編としてアップすることにしました。