青春の濁り
僕は聖女を見た。学校の中庭でベンチに腰掛けながら本を読んでいる彼女の傍らに立つ満開の桜と緑の中に生える白い花達はこの一瞬のために咲いたような気がして次の瞬間には全て枯れてしまうのではないかと危惧した。調和が少しでも崩れたならばたちまち連鎖的に消え去ってしまうのだろう。その脆弱性が僕の目を逃さなかった。その光景を僕は寸分狂わず頭に留めようとした。もう二度と見られないという思いから生じた途轍もない緊張による冷や汗が体をつたっていくのを必死に堪えた。唾を飲むのも駄目だ。ちょっとしたことで景色が壊れてしまいそうだったから。彼女がその場を離れるまで見続けていた。そして彼女が本を閉じて立ち上がった時僕は急いで部室へ向かった。白いキャンパスに向き合い一心不乱に手を動かし続けた。先程の景色がどこかに行ってしまわぬように、この世界に留めておくために、僕にできることは正確にそれを描写することだけだった。僕は昼食も夕食も摂らず、辺りが真っ暗になっていることにも気づかずに部室にこもって描き続けたところ、翌朝を過ぎて昼になっていた。疲労と空腹感そして眠気が同時にやってきた。どれから対処していくかを考える間もなく僕は椅子から転げ落ちて床の上で眠ってしまった。
空腹が起こしたのか、それとも腹鳴が起こしたのかはわからなかったが僕は目を覚ました。そして絵を見た時僕は驚き空腹を忘れた。僕が見た通りの景色がそこにあった。美しいと感じながらも僕は僕を疑った。本当に僕が書いたのだろうか。何かが僕に乗り移って描いたのではないだろうか。でも何かとは何だろう。その景色だろうか。いや僕が描いたとか描いていないとかそういうことはどうでもよい。こうしてこの絵が存在している。それだけで満足だ。
部室に鍵を掛けて僕は家に帰った。ふらふらになりながらも一歩一歩自分の足を動かしていた。初めてマリオネットに挑戦した時のようなぎこちなさだった。家には誰もいない。母は数年前に他界し父はさしずめ出張だろう。まあ詳しくはわからないが。やかんに水を入れてコンロに置きレジ袋の中から買いだめしておいたカップ麺を取り出した。お湯が沸くのを待っている間僕は彼女のことを考えていた。もちろんあの絵の出来は満足しているがやはり彼女に直接会ってみたい。一体どんな女性なんだろうか。名前は何と言うのだろう。学年は? クラスは? どこに住んでいるのだ? 家族構成も気になる。悩みはあるのだろうか。もしあるのなら僕が相談役になって解決してあげたい。趣味は? とそこでやかんがけたたましく鳴り出し僕は正気に戻った。
腹ごしらえをした後僕はシャワーを浴びて自分の部屋のベッドに腰掛けた。日は既に傾いていた。僕はふと今日が何曜日だったかを忘れていたことに気づきカレンダーに目をやった。木曜日だった。そういえば学校があるのを忘れていた。悪いことをした。いやもしかしたらいいことなのかもしれない。それは僕には決めることのできないことだからあまり気にする必要はないと思う。それよりも僕は彼女に会いたい。明日は金曜日だからきっと学校に来るだろう。彼女に会ったら何を聞こうかな。まずは名前。それから学年とクラス。後は何を聞けばいいのだろう。聞きたいことはたくさんあるけれど物事には順序があると言うから僕はそれに注意しなくてはならない。彼女にとって変なことを聞いてしまえばこの前の彼女と中庭の景色のように全てが崩れ去ってしまうからだ。でも彼女の価値観がわからないのに順序なんて決められるのだろうか。それにもしかしたら彼女の方から声をかけてくるかもしれない。結局その時になってみないと何もわからないんだ。ところで僕はどうしてこれほどまでに彼女のことを考えているのだろう。自分なりに納得のいく絵が描けたから? その絵の被写体だったから挨拶でもしたいということなのだろうか。不明瞭なことで一杯だから正確な答えを出せないけど、この原因は僕の中の根源的なところにあると思う。彼女に会えばそれがわかるかもしれない。
翌日の昼休み僕は学校を歩き回った。ちなみに朝には彼女を探すことができなかった。というのは昨晩は原因不明の緊張から寝付けなかったから寝坊してしまったのだ。この前彼女を見かけた中庭には彼女がいなかったのですぐに行き詰まってしまった。わかっていたことだけど僕は彼女について何も知らない。中庭で彼女が本を読んでいたという記憶から僕は駄目もとで学校の図書室に行くことにした。うろうろしていると椅子に座って本を読んでいる彼女を発見した。歓喜の声を口から漏らしそうになったがぎゅっと唇を結んでこらえた。中庭ではなくとも絵にしたいと思ったが今日やるべきことはそれではない。しかしこの私語厳禁の空間で僕に何ができるのかについて何も思いつかなかった。結局は何もできないまま彼女は立ち上がりどこかへ歩いていった。凛とした後ろ姿を見つめているだけの自分が惨めだったからせめて何か収穫を得ようと思い彼女を尾行することにした。彼女の着いた先は二年五組だった。彼女はそのまま教室に入ったきり出てこなかった。僕より一つ上の先輩だということだけがわかった僕は、彼女が図書室で読書していた姿を忘れないようにしながら部室に行き彼女の絵を描いた。いくら描いても描き足りなかった。以前と同じように満たされることはない。それを知りつつも僕は絵を描き続けた。それから無意識のうちに家に帰っていた。
昨晩も一人で気持ちが盛り上がり次こそは話しかけようと考え頭の中であれこれとシミュレーションを夜遅くまでしていたため今朝も寝坊しそうになったが強引に眠気を弾き飛ばしてこうして朝から図書室で待機している。本を探しているふりをしながら彼女を待っていると彼女は昨日と同じ席に座って本を横に置いて何かを書き始めた。学校の宿題でもやっているのだろうか彼女がいなくなった隙に僕は彼女の座っていた席に近づいて紙を手に取った。彼女の字を見た途端何を血迷ったのかその紙を持ったまま図書室から出ようとした。どうしても自分を止めることができなくて何かに操られるように部室に逃げ込んだ。自分が犯してしまったことに罪悪感を抱いたが彼女の文字によってそれは雲散霧消した。彼女の文字に僕はうっとりした。僕はじっとその字を見続けそれから頬の触覚を用いて彼女の文字を楽しんだ。何度も何度も擦りつけ肌で文字を味わった。そしてまた文字を眺める。彼女の文字は書道の教科書に載っているような文字の美しさを持っているわけではないが格別な愛おしさがある。彼女が書いた文字という事実こそが重要なのだ。彼女との繋がりを僕はついに手にしたのである。現実を帯びた彼女がここにある。確かに彼女は存在しているのだ。これは彼女の生を体現していると言ってもいいだろう。文字に気を取られていたので彼女の文章の意味を理解することができなかったがそんなことは僕にはどうでもよかった。それからどのくらい時間が経ったかわからないが僕はふとその紙が原稿用紙であることに気づいた。そしてやっと内容が頭に入ってきた。ツルゲーネフの「はつ恋」を読んで、という題と彼女の名前が書かれているだけで残りは消した跡があるのみだった。彼女は読書感想文を書こうとしていたのだろう。僕は新たに二つの情報を手に入れた。彼女の名前と彼女が読んでいた本についてである。これでまた彼女に近づいた。大きな一歩だ。僕は彼女の原稿用紙をファイルに挟んで鞄にしまい本屋へ向かった。
本屋でツルゲーネフの「はつ恋」を買い家で読むことにしたがなかなかページが進まなかった。比較的薄い本であるはずなのに読み終えることができないと思った。僕はやっぱり活字が苦手だ。目がチカチカして読む気がなくなってしまう。ただ彼女の書いた文字ならば読み切ることができるのではないだろうか。いや頬が真っ黒になるだけで内容はこれっぽっちもわからないような気がする。彼女の文字にはそれだけの魅力があるのだ。突然僕はもぞもぞとした感覚に陥った。体中の産毛だけが撫でられているようだ。神経が敏感になっているのだろうか。無性に絵を描きたくなった。
僕は部室で一心不乱に描き続けた。正面から見た彼女の顔、彼女の横顔、笑う彼女、泣く彼女、怒る彼女、知りもしない彼女の裸体、彼女の臓器などを僕は描いていた。やがて部室は彼女で埋め尽くされた。すうっと体から何かが抜けたように感じた。それから不思議と自己嫌悪や罪悪感で満たされた。善悪の判別をつけることは僕にとってとても難しいことなのだけれどもなぜか僕が今やったことは悪いことなのではないかと思った。時間の感覚も狂ってきているし僕は自分が怖くなった。今まで見たことのない自分を見ているのではないか。この先僕はどうなってしまうのだろう。でも止められないことだけはわかっているのだ。汚物のような欲求を昇華しなければ僕の体は穢れで壊死してしまうから。少しずつ自分を解放することで急激な爆発を避けようとしているのである。部室を出ると太陽は真上にあった。昼頃だとは思うけど僕が部室に入った日と同じ日であるかどうかはわからない。もしかしたら一日経っているかもしれない。やはり僕の体内時計はおかしくなっている。まあそれでもいいか。今となってはそれほど気にすることでもないと思う。そういえば彼女はどこにいるのだろう。また図書室だろうか。行ってみよう。
図書室にはいなかった。僕は焦燥感に駆られて学校中を探し回った。けれど彼女は見つからなかった。どこに隠れているのだろう。もう出てきてくれてもいいはずなのに。このままでは気が狂いそうだ。僕が何をしでかすかわからない。僕は部室に戻って絵を描くことにした。しかしとうとう絵を描くだけでは満足できなくなってきた。彼女の胸に耳を当てて心臓の鼓動を聞きたい。その状態で目を瞑れば彼女が生きているという事実だけが真っ暗闇の僕の中で響くのだ。どんな子守唄よりも心が安らぐだろう。そして頬を相手の腹に押し付けてその柔らかさを感じたい。彼女なら許してくれそうだ。そのような行為をしてもいいと彼女は言ってくれると思う。そうだ。僕は彼女のそういうところに惹かれたのだ。僕のような醜い人間も含めた全てを受け入れる寛大な母性を持った存在が彼女なのである。僕の中のどうしようもない行き場の失った獣性は彼女がいなければ暴走してしまう。なんて素晴らしい女性なのだろう!
僕は彼女を探すために部室を飛び出した。すると目の前を彼女は歩いていた。もう僕は決心がついていた。何の躊躇いもなく彼女に声をかけて部室に入ってもらった。僕の絵を見るや否や彼女は驚き動かなくなった。僕は彼女が感動しているのだと思った。そして僕は彼女に好きだと告げた。しかし彼女の返答は意外なものだった。
「君は私のことなんかこれっぽっちも好きじゃない」
と言った。僕は彼女の言っている意味がわからなかったから、
「どういうこと? 僕は君のことが好きだよ」
と再度告白した。
「君が好きなのは私自身ではなくて君が創り出した想像上の私よ」
彼女はそう言うと部室から出て行った。彼女の言葉を何度も反芻してやっと飲み込めた。僕は彼女を神格化していただけだったのだ。僕から切り離すことのできない獣性さえも受け入れてくれる母性に溢れた女性を求めて僕は偶像を創造した。現実から目を逸らして現実の彼女に偶像をあてがい告白した。きっと彼女なら僕を救ってくれると考えて。僕は自分の異常性に気づいていたが自分ではどうすることもできなかった。理性はあっさり降参したのだ。だから僕は誰かに助けを求めた。結局彼女は僕にとって僕を救うための手段に過ぎなかったのだ。女性ならば誰でもよかったということである。どうして僕はこれほど醜い獣性を持ちながら生まれてきたのだろう。他の誰一人として僕みたいな人間はいないじゃないか。僕は生まれてきてはいけなかったのだ。これでは動物と同じだ。時間を気にしなくなったのも時間に縛られている人間から遠ざかろうとしていたからなのだろうか。
理性と獣性の混濁による戸惑いの中僕は何とか帰宅した。鞄を投げ捨て自分の部屋のベッドに突っ伏した。ああ、消えたいし消えてほしい。もう僕は死ぬしかないのか。でも死にたくない。けど死ぬのも生きるのも嫌だ。不意に涙がこぼれた。どうして僕だけがこんな目に遭わなくてはいけないのだ。なぜ僕だけが不良品として生まれてきてしまったのだろう。その時涙で滲む視界に一冊の本が入った。そういえば読まずにベッドに置き去りにしたのだった。「はつ恋」なんてタイトルからしてどうせ僕のようなおかしな人間など出てこないのだろう。メルヘンチックな世界が広がっているだけさ。今の僕には何もやることがなかったので何となく読んでみようと思った。そして読み終わったら精一杯けちをつけてやろう。
しかし「はつ恋」は僕の期待を裏切った。もちろん小説には様々な見方があるだろうから正解というのはないと思うがそこには獣性が描かれていた。人間はこうもあっさりと狂ってしまうのか。皆獣性を撒き散らしているじゃないか。どうして皆も獣性を持っていることをずっと知らなかったのだろう。僕は彼女に対して罪悪感を抱く必要はないのではないか。やはり彼女のことが好きだし人間として仕方のないことなのだと思う。それに女性なら誰でも自分の獣性を目覚めさせるというわけではない。僕がそそられるのは極僅かの女性である。すなわち獣性を目覚めさせる以上それだけの理由があり自分の気持ちに正直だということになる。ならばあながち彼女に対して不誠実であるとも言い切れないのではないか。むしろ獣性を呼び起こすほどの魅力を相手から自分が感じ取ったのだからそれは自分にとって魅力的な女性に出会ったことであり奇跡的なことだと僕は思う。
翌日僕は部室で絵を眺めていた。獣性は人間として当たり前のことだ。獣性の現れ方が人によって異なるだけで誰にでも異常な要素はある。僕も含めてそうであるはずなんだ。そこへ彼女がやってきた。
「昨日はごめんなさい。突然の告白に驚いてしまったの。でも一日考えてあなたがとても真剣だってことに気づいたわ」
僕はその言葉を聞いて喜ぶべきだと思った。正体不明の何かが耳元で喜べと囁いていて僕はそれに首肯しなければ殺されるのではないかという強迫観念を抱いた。目の前に僕が求めていた女性がいる。彼女ならこのままの僕を受け止めてくれるに違いない。絵を描くことでは得られなかったものも得られるようになるだろう。原始的なやり取りも夢ではない。しかし僕は彼女の申し出を断った。僕にとっての彼女は絵と同じで、獣性を一時的に鎮めるためだけに彼女を利用することは単なる痛み止めに過ぎないと思ったからだ。いつの間にか僕は痛みを感じなくなっていた。いつ麻酔を投与されたのかわからないが痛覚が麻痺していた。だから僕は自分の中の異変にすら気づかなかったのだ。ずっと他人の異変には敏感だったのにも関わらず。僕はずっと何もわからない人間だった。それは僕が自分自身を彫ることがなかったからだ。苦痛を味わいながら身を削り落とすことで自分の中の真理を明らかにすることができる。僕は獣性を肯定したがそれは罪悪感、痛み、解消できない欲からやってくるもどかしさを消すためだ。でもそれを認めるのが辛いから何も見ないように自己欺瞞をしていた。本当は獣性が怖くて怖くてたまらないんだ。自分の獣性を見るのも他人の獣性を見るのも恐ろしい。恐怖は痛みと同じだ。身体の異変を伝える痛みのように身の危険を知らせるのが恐怖である。どちらも自分の命を守るという点では同じだ。自分のものではない獣性がもたらす恐怖とはその持ち主に危害を加えられるのではないかということを知らせるためにある。自分内部の獣性は自分を歪め失うことの示唆としての恐怖を生み出す。この二種類の恐怖を感じていながら僕は自分を騙して痛みを忘れようとしていた。彼女の母性に包まれれば、まるで赤子が徹底的に母親によって守られるようにして僕は最大限の安心を彼女から享受し恐怖はどこかに行ってしまうだろうと思ったのだ。しかしそれでは何の解決にもならない。一生僕は心にわだかまりを抱えたまま生きるのである。そしてやがてそのわだかまりをはっきりと認識した時、僕は僕が僕ではなくなっていることを知って発狂するだろう。僕の歩んできた人生は僕のものではなかったことを知らしめられるからだ。それが嫌だったから彼女の申し出を断った。意識していなかっただけで僕はわかっていたんだ。彼女に夢中になりながらも自分に対する気持ち悪さを感じていた。思えば僕はいつも怯えていた。僕の周囲には常に理性を失った人間ばかりがいた。夜中に帰ってきて意識があるのかないのかわからないような感じでトイレで吐く親。吐瀉物が便器に叩きつけられ流されていく獣性の汽笛を僕は布団の中で震えながら聞いていた。帰り道に見かけた大人同士の喧嘩。人間から発せられたとは思えない怒号。誘拐事件や殺人事件がニュースとして伝わる。全て共通するのは生存が目的となっていないことだ。僕らは理性を失った面を獣性としたがそれは人間の傲慢である。動物は無駄な行為をしない。あらゆる動物の行為は生存のためだけである。戦うのは縄張りを守るためや雌を得るためでありそれは生に直結する。対して人間は生存のためではなく見栄を張るためであったり怒りで自分を見失ってしまったなど浅ましい理由で喧嘩をする。人間は欲望を解消するために行動することがあるのだ。動物にはそれがない。彼らは生きることに必死だ。それなのに理性がないみっともない状態を獣性とするのはいかがなものか。動物にはない性質なのだから獣という語を使うのはよくない。獣性は生物の根源と言ったがそれは誤りだった。獣性は諸悪の根源であり人間だけが持つものである。理性のない人間は動物に遠く及ばない。そのような人間を指して獣と呼ぶのは傲慢である。動物に失礼だ。恥を知れ、人間。そして一度は惨めな自分を肯定した僕よ、罪を背負いながら生きたまえ。僕に恐怖を与えるこの性質を否定し続けよ。ただ生きることだけに集中せよ。それらが贖罪となるだろう。
気づけば僕は大学生になっていた。そして彼女もできていた。ある時彼女は僕に原始的なやり取りを求めた。彼女が原始的なやり取りをしようと考えたのはもちろん子孫繁栄のためではなく快楽のためだ。僕の目の前に僕が恐怖を抱く人間特有のあの性質が現れたのだ。彼女のその性質を見るまでは、月日が経つにつれて僕は少しずつその人間性を恐れることはなくなっていた。それは人間の順応性によるものだと思う。僕は彼女と付き合うまでに恐怖と戦いながら許容範囲を広げていったのである。僕が彼女との付き合いを始めたのは徐々に広がりつつある許容範囲に収まっている事柄であったからだ。しかし今その順応性によって獲得された許容範囲を大きく外れている強烈な人間性に出会ったため僕は再び人間を恐れた。久々にむき出しの人間性に直面したから僕はたじたじになってしまった。そして僕は彼女の要求を断った。しかし僕の拒否は彼女に潜む人間性を刺激してしまった。それは肥大化し彼女自身でさえ支配することができなかったのだろう。今度は他者の中にそれを見たのである。
その日僕は大学でたまたま意気投合した友人の家に遊びに行っていたのだがそこは彼女の家の近くだった。帰りがけに彼女のところへ寄って行こうと思い、特に何かを感じるということもなく無意識に彼女の家へ歩き出した。一人暮らしをしている彼女の家は二階建てのアパートにあった。そのアパートは新築で女性専用だった。彼女の父親は厳格で当初は新幹線を利用して自宅から登校という話だったそうだが、彼女の母親と姉が自立のために一人暮らしをさせるべきだという意見を主張し、あっけなく家父長制が崩れた。ただ条件として女性だけが住むアパートを借りることや交際をする場合は家族に紹介することなどが定められた。実際僕は彼女と付き合う際にその条件について話をされ、それに従って彼女の実家へ挨拶をしに行った。僕個人としてはこれは非常に好ましいことであった。彼女との関係において悪質な人間性を見ることがないだろうと思えたからだ。女性との間で僕の嫌いな醜さを排除できたのは彼女が初めてであったように思える。そういうこともあって僕は彼女の純潔を妄信していたのである。僕がインターホンを鳴らしてから彼女が反応するまでに時間があった。僕は彼女が居留守を使うか否かを考えたのではないかと思った。彼女はインターホンで返事をした後、扉を少しだけ開けて顔を覗かせた。その瞬間僕はあの人間性を感じ取った。彼女の身体からそれが滲み出て蒸発し空気に溶け込んでいたのを僕は無視することができなかったのだ。
「急にどうしたの?」
彼女の顔には全く動揺が見られなかった。それは彼女が表情を隠すのがうまいからだと考えたが、ふと男は馬鹿なのよという女友達の言葉を思い出しまさにこれのことかなと思った。確かに彼女のその表情はいつもの彼女と変わりない感じを喚起させたが僕は彼女の周囲に漂う空気によって確信していた。そういえば、僕が祭り上げていたいつぞやの彼女も、僕を纏う空気から例の人間性を感じたから君は私のことが好きではないと言ったのだろうか。しかしその後で僕のことが好きだと訂正したのは実に不可解なことである。
「いや近くを通ったから。邪魔したね。お客さんに彼女のことをよろしくと伝えてくれ。さようなら」
それ以来、僕は彼女と話すことはなくなった。いくつか彼女からメールが来ていたが軽く目を通した後、彼女の連絡先を消した。僕は何とも思わなかった。感情はどこからやってくるのだろうか。本当に自分が起源なのだろうか。例えば僕が怒る時どうして僕は怒っているのだろう。社会の規範に従って怒るべき時に怒っているだけなのではないだろうか。僕らは然るべき時に然るべき感情を持つように社会によって仕向けられているのではないか。もしそうであるならば僕らの感情は社会から生まれたものだ。僕が怒っている時僕は怒っているようで本当は怒っていないのだ。例えば一問一答のように一つの出来事に対して正解である感情を選び取っているだけなのかもしれない。そしてその一問一答の制作者は社会だ。全ての感情の起源は社会だ。事実を知ってしまった今、僕は馬鹿らしくて怒ることができない。怒るためにはまず怒る対象となる相手の前に行かなくてはならないし、僕の怒るという行為が正しい答えになっているのかを社会に知らしめるために僕の怒っている姿を第三者に判断してもらう必要がある。感情が社会からやってくる以上、その感情が社会的に正しいかどうかを判定してもらうには社会の一員に感情の発露の一部始終を見てもらわなくてはならないなんて面倒な社会だ。たまには何も感じないだとかどうでもいいとか思ってもいいような気がするが、そのようなことをすると社会はひねくれ者の烙印を押す。それもまた面倒だ。どうもこの社会は悪戯に個人の問題へ介入したがる。小さな親切とでも思っているのだろうか。だとしたらそれは大きなお世話だ。
僕の五感は機能しなくなり、思想という名のフィルターを通した世界はとても味気ないものであった。考え方によって世界の見え方ががらりと変わってしまったのである。彼女と別れてから一ヶ月ほど経って新年を迎えた。山に登って初日の出を見て本当に感動したという話を友人から聞いたが、僕にしてみればどうしてそんなことで感動できるのか甚だ疑問であった。
「一月一日の日の出であろうが一月二日の日の出であろうが太陽には変わらない。いくら日付が変わろうが僕らが見るのは太陽なのである。それなのに一月一日の日の出を特別視して持て囃すのはどうなのか」
と友人に話すと、その友人は、
「それは斜に構えているだけだよ。やっぱり初日の出はよいものじゃないか。ほら、こうぐっとくるでしょ?」
と言ったので、
「人々が初日の出に感動するのは初日の出に感動するように人々を形成していく社会で生まれ育ったからではないか? もし初日の出について何の感情も抱かず、さして賞賛することもない社会で生きていたならば、人々は初日の出を素通りしているだろう。つまり僕が言いたいのは初日の出を見ることによって現れる感情は決して自己を起源とするものではなく社会によって生み出されたものに過ぎないということだ」
と反論した。友人は、つまらなそうな人生、と呟いてどこかに行ってしまった。その言葉は痛みを伴いながら僕の身体を駆け巡った。
四月当初、僕は春休みを過ごしていた。何をするということもなく無為な日々を送っていた。何もやることがない毎日が続き、さすがに嫌気がさしたので僕は散歩をしようと考え外に出た。
暖かい風が吹く。それが春の匂いなのかどうかはわからないが、僕はその風の匂いを嗅いだ。そしてあの聖女を見た一瞬の画を僕は思い出した。
この匂いはあの時空の匂いだ。
それからあの人間性が湧き上がる。凝り固まっていた僕の五感はたちまちほぐれ、涙が止まらなくなってしまった。溢れ出る感情と涙を止めたくなったが抑え込むことができず垂れ流しにするしかなかった。僕は家に入って、助けを求めるかのように昔描いた聖女の絵を押し入れから引っ張り出しそれを眺めた。それだけでは足りなかったので再び彼女の絵を描き、題名と名前しか書かれていない彼女の直筆の読書感想文を弄んだ。どうして僕はこんな生き方しかできないのだろう。僕は自分を守るために思想で自分を覆った。だけど結局僕の力は及ばなかった。自分自身ではどうすることもできないことが僕の中に存在する。絶対的な母性を持った彼女を求めてもそのような彼女は現実にはいないんだ。それでもいるような気がして僕は追い求め虚像を創り出した。僕の苦悩は単に彼女が他の男性に奪われたことに対する怒りによるものではなく、自分の中にも彼女が見せた人間性が存在することを受け入れなければならない現状によるものである。人間である以上仕方がないという真実が僕を苦しめる。この人間性がどれほど醜くとも生きていてもいいことを認めてくれる絶対的な確証が欲しい。だから僕は未だに彼女を求めているのだ。彼女ならこの僕を受け入れてくれるだろうから。
僕は毎日絵の中の彼女に祈りを捧げた。いつの日か彼女は現実となって僕を救ってくれるだろう。そう信じて祈り続けた。大学が始まってからは彼女の小さい絵を持ち歩くようになった。それはいつでもどこでも祈るためであった。僕の生活は絵の中の彼女と切り離せなくなってしまったのである。
通学の途中、僕は偶然彼女を見かけた。駅のホームに一人で立っていた彼女は一際目立っていた。それは僕が毎日絵を見ていたからかもしれない。僕は無意識のうちに彼女の元へ向かっていた。彼女の乗る電車では帰宅できないのに。彼女の後ろに来たところで僕は立ち止まった。彼女は僕を見て少し考えた後、僕のことを思い出したようだった。
「あの時の……。えっと名前が思い出せないわ」
「まだ名前を教えていなかった」
「そうだったわね。まあ別に興味ないけど。ところで私に何か用?」
「僕はやっぱり君のことが好きだ」
僕の言葉を聞いて彼女は笑った。でもその笑い声は耳障りだった。明らかに嘲笑であった。
「どうして私が翌日告白したのか、教えてあげるわ。皆で話し合ってあんたと付き合ってみようってことになったのよ。あんた、気持ち悪いじゃない? だからどれだけ気持ち悪いことをしてくるかで盛り上がろうってことだったの。暇潰しにぴったりだと思ったわ」
彼女に対する興味もあの人間性も一気に鳴りを潜めた。そして僕は笑い出してしまった。それは自分に対する嘲笑であった。何と滑稽なのだろう。彼女のどこが聖女なのか。僕の笑いは止まらなかった。それは第二の笑いに移ったからだ。この笑いは喜びに対するものだ。僕はやっと彼女の呪縛から解放された。
「何を笑っているのかしら? 相変わらず気持ち悪いわね」
彼女は去って行った。その時彼女の肘が見えた。
ああ、そうか。嫌だなあ。彼女はいつも肘をついているんだ。だから黒いんだ。肌が白いからその黒さが尚更誇張される。ご飯の中の虫みたいだよ。その黒自体も僕は嫌いだし、それが意味する彼女の習慣性も気に入らない。習慣は無意識に行われることの集合、すなわち人間性の現れ。僕の身体が受けつけなくて、こればっかりは譲れないんだ。よく見てみれば彼女だって穴だらけじゃないか。やっぱり僕は彼女を神格化していただけだったんだ。彼女は僕のバイアスに包まれていたから聖女になっていたんだ。今完全にそれを認めることができた。僕はてっきり既に終わったことだと思っていたけれどついさっきまでそれは続いていたんだ。膨らんだ虚像は黒い穴によってあっという間にしぼんでしまったよ。
そして僕は鞄に入っていた彼女の絵を近くにあったゴミ箱に捨てた。帰宅してから家にあった彼女に関するものを全て処分した。
それからというもの、僕はすっきりしていた。久しぶりの爽快感。血液が滞ることなく全身を流れている。
僕は公園に行って一本の木を見た。何の変哲もない木。強いて言えば登りやすそうな木だと思った。そういえば木を登ったのはいいが降りられなくなったことがあった。その時は父の手に引き取られて事なきを得た。子供は馬鹿だ。自分で登っておいてちょっと高いところから辺りを見渡したら予想以上の高さに怖がって降りられなくなってしまうんだから。でも僕が感じてきた、そしてこれから感じるであろう恐怖はそれと同じなのだろう。僕らは生きていく過程で様々なものを目にする。その一つがあの人間性だった。それは僕の中にも他の皆の中にも存在する。受け入れ難いけど受け入れなければ生きられない。一度見てしまえば二度とその景色を知らない過去へは戻れないから。僕には莫大な情報を同時に知ることを強要される時期があった。僕は勝手に転換期と読んでいるがその時期に僕は僕の中の人間性に気づき恐怖を感じたのである。そもそも人間性は転換期以前から存在していた。僕が親の吐瀉物に対して恐怖を抱く前から親は家で吐いていた。映画で原始的なやり取りが放送されることがあるが、そういう時は親が僕の視界を手で塞いだ。でも微かに見えていたから視界を手で塞ぐ行為はあまり意味をなしていなかった。その上僕は親が隠す理由も、原始的なやり取りをやっているということさえも後にならなければわからなかったから、私の視界を塞ぐことは二重に意味のない行為だった。原始的なやり取りから何も感じ取れなかったのである。しかし今はこうして人間性の現れとして認識している。僕はこの先も転換期に立ち向かわなければならない。それが木を登るということであり大人になることではないかと思う。人生には父の手がない。木から振るい落とされないように精一杯しがみつこう。そうすれば恐怖は少しずつなくなっていくはずだ。実際神格化は完全に終結し人間性によって彼女を求めることはなくなった。彼女はもう必要ない。それは僕が人間性を僕の一部として受け入れることができたからだと思う。
風が吹き、僕に匂いを届けた。僕はその匂いに今とここを刻んだ。僕がまた転換期で挫けたら春の匂いに助けてもらえばいいさ。
ある晴れた冬の日、既に二十歳を過ぎていた僕の元に市議会議員選挙の投票所入場券が送られてきた。指定された投票所は僕の母校である小学校だった。僕には愛校心がないから卒業後に母校を訪れたことはなかった。久しぶりに母校の空気に触れてみるのもよいだろうと思って僕は投票しに行くことにした。
小学校の床にはシートが敷かれており土足で上がることができた。廊下は机によって塞がれていたので投票のために開放された教室以外には行けそうになかった。僕は並べられた机の前に立って奥まで続く廊下を眺めた。まず校長室があって、次に教職員室、階段、下駄箱、突き当たりには保健室、だったと思う。確か下駄箱の前の廊下からかつての担任がつくったちょっとした畑が見えたはずだ。嫌いな担任だった。小学六年生のか弱い信念を揺さぶってねじ曲げ挙げ句の果てに折ってしまったからだ。
小学六年生になって担任が変わった。あと数年で定年を迎える女性の先生だった。学校では何らかの委員会や係に配属させられるがその中に極めて異質で不可解なものがあった。それは誕生日係と言われるもので、ひと月毎にその月に誕生日を迎えたクラスメイトを祝う誕生日会を企画する係だった。基本的にその誕生日会では皆でレクリエーションをし、その後で皆が書いた手紙を誕生日を迎えた者達に渡して終わるという形式をとっていた。僕はその係をやりたいとは露程思わなかったが、ジャンケンに負けたため誕生日係になってしまった。しかし一度仕事を引き受けた以上をそれを全うするのが義務であると考えていたので僕は何も不平をこぼすことなくこなしていった。それから毎月僕ら誕生日係は手紙をクラスの皆から受け取って一つの冊子にまとめ誕生日会を企画し続けた。誰もが楽しそうに遊んでいるように見えたし、好んで誕生日を祝っているのだと僕は思うようになった。だからさぞかし手紙も心の底から湧いた嘘偽りのない素晴らしい称賛の数々で埋め尽くされているのだろうと期待した。そして僕は次の月に誕生日を迎える者達に送られた手紙を読んだ。確かに好意的な言葉が多かったが中身が何もないと感じた。なぜなら皆同じ言葉を繰り返しているだけだからだ。彼らは器用にも自分の中で手紙のスタイルを確立しそれに従って書いているだけなのである。同じ人が書いた手紙を見比べてみれば誰に対しても似たような言葉を使っているのが明白だ。表面上では喜びを繕っておきながら実際にはくだらないことだと考えているのだろう。僕も同意だ。祝われているその人のことをよく知らないし特別めでたいという感情を抱くこともできないのに、形式に沿って外から圧力をかけられるようにしてその人を祝うことは本当に祝っていることになるのか。これほどまでに欺瞞に満ちた行為をする愚かさ、醜さが憎い。僕の憎悪は諸悪の根源である誕生日会、そして担任へと移った。僕は担任に直談判した。
「何てことを言うの? せっかく皆が楽しそうにしているのに水を差すつもりなの?」
「僕は事実を述べただけだ」
「あなただって誕生日を祝われたら嬉しいでしょう?」
「それは欺瞞の余地がない場合に限る。誕生日会は嘘ばかりで茶番だ」
担任は僕から目を逸らし遠くを見て軽く溜め息をつくと僕に視線を戻した。
「あなたはまだ子供だからわからないんでしょうけど、世の中で生きていくには嘘も必要なのよ?」
「本音と建前か」
「あら、知っているのね」
「言葉は知っているが実践するつもりはない」
「それじゃ一人になっちゃうわよ。人間は一人では生きていけないんだから皆と仲良くしなさい」
「先生は自分の利益のために嘘をつくのか?」
「そうよ。死にたくないから皆と仲良くする。自分を守るために嘘をつく。何かを守るためには嘘をつかなくてはならないこともあるということを知りなさい」
躊躇うことなくそう言い放った。その時点で僕の敗北は決まっていたようなものであったが後に引くこともできずにそのまま続けた。
「そんなの、僕は気に入らない。それじゃあまるで変わり身の術みたいじゃないか。僕は誰と話しているのか? 先生? それとも変わり身の術によく使われる丸太?」
一つ一つの言葉、そのアクセント、周囲に蠅が飛んでいるくらいに鬱陶しい身振り手振り、顔全体とその部分である眉から目、鼻、口、歯、顎、耳、髪、化粧ののり具合など、細部に至るまで僕をイライラさせるために精密につくられたと思わざるを得ないと感じさせるほどの天賦の才能を持った担任は嘲笑を交えながらそっと、しかし巨大な槍と化した言葉で僕を貫いた。
「両方ね」
打ち寄せては弾ける波のように、思い出し、忘れ、そしてまた思い出す、忌々しい記憶だ。この記憶が僕の元へ帰ってくる度に僕は敗北による恥ずかしさで紅潮する。僕にだって担任の言っていることはわかっているつもりだ。しかしどうしてもそのような生き方がいいのかどうかわからず答えを出せないのである。
投票を済ませ帰宅すると、誰もいないはずの家に気配を感じた。彼女だった。肘は黒くなかった。彼女は何も言わなかったが、僕は彼女が僕を許容しているように思えた。ふらふらと歩きながら僕はゆっくり耳を彼女の胸に当て目を瞑った。鼓動が聞こえる。彼女は僕をその繊細な手で優しく包み込んだ。彼女の匂いが僕の鼻孔を通って身体に入り浸透する。
たった今、僕は彼女と一体化した。僕と彼女が融解して混ざり合う。
時間的にも空間的にも切り離され僕は俗世間から飛び立った。生きているのか死んでいるのかがわからなくなった。でもどうでもいいことだ。
超越。
一人であって一人でない。不思議と違和感がない。他者といる煩わしさも、孤独感もない。究極の安心をもたらす。完全無欠な在り方。
しかしけたたましい着信音が僕と彼女を引き離した。知らない電話番号であった。
父が死んだ。交通事故で即死だった。
強烈な生の実感と死への恐怖が蘇る。彼女は既に消えていた。生死の狭間とは彼女と同化することであった。ただそれは欺瞞以外の何者でもない。自分を騙して遊離させていただけのこと。何の解決にもならない。
だが僕はジレンマに耐えられないのだ。生きれば欺瞞と矛盾に陥るから生きたくないが死ぬのは怖いから死にたくない。だから僕は生死の狭間に飛び込んだ。
一体僕はどうすればいいのだろう? 生存と種の繁栄が目的である本能、生きることとは無関係な、そしてまた無意識的な行為をもたらす人間性、生きることと関係しているか否かに関わらず意識的な行為を生み出す理性。この三つが僕の中にあるから常に矛盾を孕んでいる。生きることの辛さや死への恐怖からの救済、そして矛盾だらけの自分を認めてもらうために僕はこれまでに母親以外の「彼女」と称する女性に母性を求めたことがあるが僕自身それが人間性から生じたことのように感じて気持ちが悪い。この場合、女性に母性を求めることは無意識下で芽生えた衝動的な欲求であるからその原因は人間性にある。しかし見方を変えて、将来子供が生まれた時に母親が育児放棄しないためであると母性を求める理由として熟考の上説明されたならば、これは本能と理性に反することはなくなる。が、人間性に反することになってしまう。三つの統合が不可能であるから僕は矛盾するのだ。僕の限界は矛盾そのものではないのか。人間性はそのように囁いている。しかしそれを信じたくないという気持ちが理性から湧いてくる。また矛盾だ。よさという言葉を、それに従っていれば全てが自分にとって満足のいく結果となりあらゆる選択における指針、いわば哲学のような一つの思想体系であって更に生きる希望を与えてくれるものと定義した時、僕は欺瞞のないよさを求めて考えあぐねてきたが欺瞞のないよさを普遍的なよさと同値であると考えていることがあった。しかし人間にとって、いや人間を超えた全てのものにおいて普遍的によいこと、それは存在するのだろうか? 存在していたとしても見つけられるものなのだろうか? もし仮にそれが存在しないのだとしたら僕らは各々がよいと感じるもの、つまり欺瞞のない相対的なよさを探し出すことに躍起になればよい。ただそれでいいのかという疑問が残る。そのよさは社会や環境、文化によって影響された自分、純粋ではない自分が見つけたものである。それは真のよさと言えるのか? 一方で社会・環境・文化を自分の構成要素と考えるならば純粋な自分が見つけたよさとも言えるかもしれないが、やはり僕は先の誕生日会のような欺瞞に満ちた形式を重んじる形式主義が嫌いである。しかしこの考えもまた僕の環境から発せられるものなのかもしれない。
わからないことばかりだ。何もわからない。無知である。
ここが終着点。
僕は動物が羨ましい。彼らは本能しか持ち合わせていないから矛盾することがない。彼らは動物世界におけるよさを知っているし確信できる。僕は人間世界のよさすらよくわかっていないし、まして人間を超えた全世界で成立し得るよさなどわかるはずもない。
そうか、それだ。僕も本能だけを持った生物になればいいんだ。全世界の普遍的なよさはわからないにしても、せめて動物世界で欺瞞のないよさを見つけられれば大変結構なことである。人間でいるよりはマシだ。
僕はガラス窓の前にあぐらをかき、頭を冬の太陽へ向けた。窓がフィルターのように働き外の冷たい空気を取り除いて新鮮な太陽光だけを通す。そしてそれによって僕の頭に巣食う蛆虫を焼き殺す。事が済めば僕は大いなる無関心を手に入れ本能だけの生物になっているだろう。
彼は顔を洗い朝食を食べ歯を磨いて着替えてから最寄り駅まで歩いて電車に乗り大学に行き授業を受け時には友人と会話し昼食を済ませ午後の授業を受けたならまた電車に乗り家に帰りお風呂に入り夕飯を食べ暇を持て余して何となくゲームをし眠いから眠る。
その日も彼は大学に行った。とある学生と一緒にエレベーターに乗った。その学生は英語で書かれた本を三冊持っていた。数階上がった後、今度は外国人が乗ってきた。その外国人と学生は知り合いだったようで、目を合わせるなり微笑した。外国人は学生の持つ本のタイトルに目を通した後、親指を突き立てた。そして二人は再び笑う。彼のことを気にしていたからなのか、終始無言であったが二人はしっかりと意思疎通を取っていた。
駅で電車を待つ彼。右手首から右肘までにかけて黒い刺青の入った外国人。がたいがいい。外国人は駅でおそらくちょうど居合わせた女性に、自分の行きたい駅を伝えてその駅に行くためにはどの電車に乗ればいいのかと尋ねた。女性は英語で答えた。その後近くにいた男の子と女の子に携帯電話を向けて写真を撮っていた。もちろんその子らの母親に許可を取ってからだ。子供達はノリノリだった。男の子の方が年上だと思われるが、男の子が女の子に後ろから抱きつく形で撮ったりと、様々な構図の写真を撮っていた。写真を撮り終えた後その三人の親子と外国人は離れたが、すぐに男の子が外国人にバイバイと手を振った。しかし外国人は気付かなかったので、男の子は走って外国人に近付き、再びバイバイと手を振った。それに気付いた外国人は嬉しそうに対応して手をタッチしていた。近くにいたおばさん二人はお互いに顔を知らなかっただろうが、可愛らしいわね、と笑顔で話していた。繋がりのない無機質なその空間をその外国人はあっという間に人間味の溢れるものへと変えたのである。電車が来ると外国人は電車を教えてくれた女性と会話をしながら電車に乗った。この時外国人は一度先に乗るように女性に勧めたが、女性はそれを断ったため先に外国人が乗った。電車に乗ってから外国人は席に座るように促したが女性はそれを断った。女性は隣駅で降りるまで外国人と会話をしていた。女性が電車を降りると外国人は空いていた席に座り隣に座っていた人にすぐ話しかけていた。
僕、OL、大学生と思われる女性、定年間近のサラリーマン。たまたま同じ電車に乗り合わせた四人が電車の窓から同じ景色を見る。奇妙だと笑ってしまうが決して嘲笑ではない。
物事を考えるのに適切な日がある。それは生暖かい南風の吹く曇りの日である。雨の日は気分が普段よりも落ち込みよくない。晴れの日は気分が高揚してしまいよくない。寒い日は無性に寂しさに追われたり、物思いに耽りがちであるからよくない。暑い日はそもそも考える気が起きない。最もニュートラルな気持ちでいられる、生暖かい南風の吹く曇りの日がよい。もう少しこの曇りの日について細かく書いておく。曇りと言っても様々であるが、思考に適切な曇りは積乱雲の真下にいる時のような、見上げれば墨をこぼした空模様ではない。もっと薄い雲に覆われて、微かに空の青さが見えるか見えないかの判別がとても難しいくらいの天気で、日光によって周囲の雲に比べより白く照らされていることから太陽の位置が何となくわかり、夕方になれば西の空に赤い雲が浮かぶような天気のことだ。より厳密に言えば、外から窓を通して見た蛍光灯がさほど明るく感じず、点ける意味があるのかと問いたくなるほど蛍光灯が蛍光灯としての仕事を果たさないで、より暗い曇りの日または雨の日ならではの明かりが持つぼんやりとした明るさと温かみが感じられてはならない。
そう簡単に蛆虫は死なないよ。殺そうと思っても殺せないのさ。僕は分散と統合を繰り返しながら蛆虫を育てる。そして蠅になった時僕には何が見えているだろう? いや蠅になるとは言い切れない。予想できないことなんだ。蛆虫が蝶になってもおかしくはない。僕はこうして変容する。そして僕の目に映る世界も変わっていく。だからもう少し生きよう。
「砂漠の太陽」
奴が全身を抉る。どれくらい歩いたことだろう。いや問題はそのことよりも奴との距離が開いているのか狭まっているのかだ。心配だ。しかし確認する術がない。私はただ歩くしかない。
砂漠では奴から逃れることはできない。奴は私を追い続ける。隠れる場所もない。ここは奴の縄張りだ。奴の眼下を通り過ぎることは不可能である。それは私が生物だから。
砂に足を取られてその場に倒れてしまった。もう立てない。覚悟した。
突然、眼前に広がる砂漠が奴の光を受けて今まで以上の輝きを放った。砂は舞い上がり一本の木のようなシルエットを成した。そして本物の木になった。青々とした葉がたくさん生えており、木の幹は砂と似た色をしているにも関わらず瑞々しい。
それから再び木は奴の光によって姿を変えた。一人の女性だ。彼女は砂漠に似合わず、裸で涼しげな顔をしている。
また奴が光る。砂が渦巻く。私の身体は渦の中心の方へ流される。もう女性は見えない。渦は回転を増し、中心は砂が落ちていく穴となっていた。そのまま私は穴から落ちた。
奴が頭上に浮かんでいた。暗闇の中でぽつんと。奴が光ったところで、ここには光を受ける対象がいないから無駄だと思った。しかしそれは勘違いだった。
理性、人間性、本能、生、死、私、他者、理想、現実、意味、過去、未来、現在。それらの言葉が馬に跨ってぐるぐると私の周りを走り続ける。だんだんと速くなり、次第に言葉と馬は判別できないほどかすれ始め、一つの輪となった。
私は輪とともに落下した。下の方には小さな青い点があった。それは少しずつ大きくなり、やがて円となり、それからもっと膨れ上がって私を包み込んだ。
水しぶきが上がった。私は沈むことなく浮かんでいた。さっきの輪が浮き輪代わりになっているようだ。お尻がすっぽりと輪の穴にはまっている。私がやってきた場所は見えない。奴が私のように青の上を漂っている。水平線の上に入道雲がぷかぷかと浮いていた。波が僕を揺する。ハンモックに寝そべっているような心地だ。
これから私はどこに向かうのだろう。それはこの浮き輪が知っているのかもしれない。私は身を委ねた。浮き輪に。波に。海の流れに。穏やかな雰囲気に。世界に。そして、奴に。大丈夫だ。何も心配はいらない。
私は私の行きたい方向へ進んでいる。このまま行けばやがて全てがつながる日が訪れるだろう。なぜなら世界はそのようにできているからである。世界の全てが関連し合っている。そこに断絶は全くないのだ。したがって必然的に全てがつながる。
本棚を整理していたら見つかった昔書いた小説。僕は僕を救うために小説を書いていた。この小説によって全てがつながることを証明できたならば、全てがつながる日が全ての要素に意味を与えると言えるのだ、と当時の僕は考えていた。でも全てに意味があるなんてそんなことあるわけがない。牧歌的すぎるよ。例えば僕が石と石の間を見ている時、それにはどういう意味があるだろう。何もない。無駄なことさ。
僕はその小説をゴミ箱に投げ捨てた。
幾多の変遷を経て今ここにいる。なぜ今ここにいるのか。海を見るために、と答えれば正解であろうか。ではなぜ海を見ようと思ったのか。問い続ければきりがない。でも僕は問う。そして自分なりの答えを探し出す。しかしその答えは間違いだらけだ。僕は何度も訂正し続ける。それなのになぜ僕は問うのか。理由はわからない。問うことをやめればもっと気楽に生きることができると僕自身考えたことがある。だが僕は問うことをやめない。僕の問いはどこかで役に立つわけではない。まして人間が絶滅した後にも意味や価値が残り続けるような絶対的な問いでもない。この世において未来永劫、あらゆる空間で意味のある絶対性は存在しないと考えている僕にとって、問うことも同じく絶対的な意味を持たない。それは僕の生についても同じことが言える。僕がどれほど苦しんで悩み考え一所懸命生きたところで、それがどうした? の一言で何の意味もないことが明白になる。
万物は虚無に還元される。
意識的であるにせよ無意識的であるにせよ僕はこれを知っていた。僕が彼女を求めたのも問い続けるのも誤った答えを出してきたのも自分でもよくわからないものに対して強引に意味を見い出そうとしたのも、虚無に至るのが怖かったからではないかと思う。どうにかして虚無を忘れたかった。不安だから何かに縋ろうとする。人間ならば仕方のないことである。たまたま僕にとってのその対象がそれらであっただけで、人によっては家族であったり、宗教であったり、と様々だ。しかし最期は皆同じ。虚無が待っている。
何をしたって僕は虚無から逃れられない。赤子の肌が傷つかないように撫でるほどの慎重さで僕を含めた誰もが綺麗事を紡ぎ出してきた。もううんざりだ。騙されるのは嫌だ。結局誰も答えを出せないのだろう。なぜそう言わないのか? はっきりと言ってくれ。
「どいつもこいつもふざけやがって! どうしてどこにも答えがないんだよ!」
衣服を着たまま靴も脱がずに僕は海に入り、海を蹴り殴り叩いた。全身で攻撃した。精一杯暴れた。
「どうして何もわからないんだ! 神様がいるんだったら少しくらいヒントをくれよ! お前なんか僕らの信仰で成り立ってんだからな! 少しは感謝してもいいだろ!」
僕はその後も反抗を試みたが気づけば浜から流されており冬の海の冷たさに驚いていた。衣服が水を吸って重くなっていた。それにも関わらず暴れ続けたせいで僕の体力はほとんど残っていなかった。
どんどん海の底に引きずり込まれていく。たくさんの腕に掴まれているようだ。僕は必死に抵抗した。しかし抵抗すればするほど身体は沈んでいく。そして僕の視界は海の中だけになった。磯の海だから真っ暗。海水をがぶ飲みした。カライ! 死ぬかもしれない。でも死にたくない。決して死にたくない。お願いだから僕を助けてください。その時僕は閃いた。
真っ白な視界の中からぼやけた何かが見える。それはマス目だとわかった。次第に白い霧のようなものは周囲に逃げて行き、僕は天井を見ていた。
「目を覚ましたわ」
この声はおばあちゃんのものだ。
「すぐに医者を呼ぼう」
靴と床が擦り合う音とともに低い男性の声、しかし弱々しいそれが聞こえた。おじいちゃんは僕の頭上にあったボタンを押した。
右側におばあちゃんとおじいちゃんがいた。二人は立って僕を覗き込んでいた。二人の目には涙があった。不思議と涙が僕の顔に落ちることはなかった。それは地球の重力が弱いからではなく皺だらけの渇いた肌に吸い込まれてしまうからだ。よく見ると二人は似ていた。
「おじいちゃんだぞ。わかるか?」
それは生まれたばかりの孫に言う言葉ではないのかと思ったがわざわざ指摘するのは野暮であるから何も言わずに頷いた。
「息子の葬式をやったばかりだと言うのに孫まで死んでしまったら」
とおばあちゃんが話している途中で医者がやってきた。医者の話ではとりあえず一日様子を見て問題がなければ退院ということであった。
僕はどうやって助かったのか全く覚えていないが一つだけ頭に残っていることがある。気を失う直前僕は死にたくないと強く願った。あの時僕は自分が人生に意味を見出しているとわかった。意識的であろうが無意識的であろうが、死にたくないと思った以上僕は自らの生に意味を見出しているのだ。それが具体的にどのような意味であるかはわからない。しかし意味を見出しているという事実だけで僕は嬉しかった。
春が過ぎて夏休みに入った頃、僕は本を借りに近所の図書館に自転車で向かっていた。熱気が僕に纏わりつき身体から汗を搾り取る。僕は絞っても絞っても水が出続ける雑巾であった。加えて蝉の鳴き声が僕を余計不快にした。蝉の全盛期だ。僕は疲れ果てバス停の日陰に入った。自転車から降りて休憩することにした。直射日光を避けるだけでだいぶ体感温度が変わったが当然蝉の鳴き声の音量は変わらない。バス停には防音設備もつけるべきだと思った。日陰で蝉がひっくり返って死んでいた。綺麗に六本の足を畳んでいる。気のせいでなければ蝉の死骸は皆足を畳んでいるように思う。どういう気持ちで畳んでいるのだろうか。今まさに死に至る時、足を畳もう、と蝉は考えるのだろうか。だとしたらなかなかの強者である。冬の海で溺れかけた僕は必死に死なないようにもがいた。しかし蝉は最期がやってきた時甘んじてそれを受け入れる。とても潔い。いや死んだと思っていたらいきなり動き出す蝉もたくさんいる。あれは全く潔くない。しかしそれこそが本来の蝉の在り方か。生きようとするが結局力尽きて死んでしまった時にたまたま僕が通りがかって観察すれば潔く死んでいるように見えるだけで本当はそこに至るまでに死との闘いがあった。そのように考える方が自然であろうか。ならば蝉は生きる意味を見出していると言える。なぜなら死にたくないと思っているからだ。
まあ蝉がそこまで深く考えているわけがないだろう。少なくとも僕にとっては雑音を撒き散らす害虫でしかなく、その生きる意味と言ってもせいぜい鳥に食われたり、あるいは蟻に運ばれていくか、微生物のエネルギーになるか、つまり食物連鎖の一要素として役割を果たすことくらいだ。
体力が回復したので僕は自転車に乗ってまた走り始めた。ダラダラ走りながら進んで行くと図書館が見えてきた。やっとだ。そう思った時、ジジジという音とともに僕の額に蝉が直撃した。僕は驚いて倒れた。虫が苦手なのだ。進行方向右側に倒れた。何とか手のひらをついたが右膝もアスファルトで擦ってしまった。思ったよりも血が出た。痛くて歩きにくく自転車を立て直すことでさえ手間取った。
まさかとは思うが蝉の生きる意味は大したことないと僕が考えたことに蝉が怒ったのか。蝉も蝉なりに生きる意味を見出しているということか。もちろんそれは意識的にではないだろうが自分でも気づかないところで悟っているのだ。僕らが近づけば蝉は逃げる。それは死なないためだ。蝉もまた僕と同じように死にたくないと思っている。命ある限り生き続けようとする。蝉達は各々自分の生に意味を無意識的ではあるにせよ見出している。そしてその意味は蝉によって異なるのではないかと思う。僕ら人間も同じだ。自分の生きる意味と他人の生きる意味は違う。僕はどこかの全く素性の知らない人間が病気か何かで死んだところでその人には生きる意味があったのだろうか、もしかしたらなかったのでは? と思うことがあるが、それは僕が蝉に対してどうせこいつらには生きる意味がないのだろうと思うことと同じであり、それは蝉や他人にとって大きなお世話なのである。他人が勝手に別の他人の生きる意味を推し量ることは誤りであり、具体的に説明できなくともその他人が死にたくないと考えて生きようとする以上本人は生きる意味を見出しているのである。そこに他人が介入するのは失礼極まりない。だから私は蝉に一矢報いられた。
手のひらと足の痛みが引いてきたので図書館の帰りに僕は海に寄った。冬に溺れたその海は僕の家のすぐ近くにある。図書館からもそれほど遠くはなかった。
海が見えてきた。水平線が入道雲を支えていた。今日は前回の磯浜ではなく高い岩場の方へ行くことにした。その岩場の端に誰かが立っている。高くて危険であるから柵を乗り越えなければその人はそこに行くことができないはずだ。もしかして自殺ではないかと思った。僕は急いだ。
それは僕と同じくらいの女子であった。遠くを見ているその女子に潮風に掻き消されないほどの大きな声で言った。
「そこは危ないぞ!」
すると彼女はこちらを向いた。僕は駆け寄って柵の前まで来た。
「まさか自殺する気なのか?」
「ええ」
即答した。顔はぼやけてよく見えなかった。
「私を止めるつもり?」
僕は彼女を止めたいのだろうか? 説明はできないが死んでほしくない。仮に止めるとしても理由はあるのか? もし仮に彼女が死にたくないと思うのなら僕の考えが通用すると思うがもしそうでなければ彼女は生きる意味を見出していないことになりどうぞ死んでくださいとしか言えない。でも死んでほしくないと思っているなら今やれることをやろう。
「そうだ。少し僕の話を聞いて考え直してくれないか」
「いいわよ」
「ありがとう。僕はもちろん死にたくないから自殺をしない。ただ君についてはわからない。どうしても自殺をしたいのなら止めない。あくまでも君の命は君のものだと僕は考えているからだ。でももし君に少しでも死にたくないという気持ちがあるのなら考え直した方がいいと思う。僕は冬にこの海で溺れ意識を失ったがそのことをきっかけに、僕が死にたくないと思っている以上人生の意味を見出しているとわかった。だから君が今下を見てその高さから恐怖を感じ死にたくないと思ったのなら君は意味を見出していることになる。そうであるなら生きるべきだと僕は思う。ただ最後は君が決めなければならない。君にも君なりの哲学があるから僕の哲学を押しつけるようなことは決してあってはならないからもし君が自殺を決心したのなら僕は君の死を黙って受け入れるしかない。それが君の哲学だから」
僕の話を聞いて彼女の無表情が若干崩れたように感じた。
「あなたは自分の哲学を押しつけるようなことはするべきではないと言っているけれど、それに近い形のことをしていると思う」
「僕の言う押しつけるとは暴力や拘束などの物理的圧力によって僕の哲学に従わせるという意味合いだったのだ」
「どうも詭弁に聞こえてならないのだけど」
「申し訳ない。やはり他人には生きていてほしいというのが本音だ。しかしそれを君に言ったところで単なるエゴの表明にしかならないように思えた。君の命は君のものだと僕は考えているから」
「私にしてみれば、あなたが本音をぶつけるのもやんわりと哲学を述べるのもあなたのエゴを露呈していることには変わりないと思う。しかし時にエゴを見せるのは効果的であったりする。それが素の気持ちであるとわかるからだ。相手に気持ちが伝わりやすい。もちろんその気持ちに対して相手が嫌悪感を示すようであれば問題であるが。今回はそのエゴのおかげで、純粋に自分が肯定されたと感じた。だから私は自殺を踏み止まった。ありがとう」
彼女は柵を乗り越えてこちらにやってきた。彼女の黒い髪は潮風に流されていた。白い肌の中に僕を見据えた目、すらっとした鼻筋、細い唇があった。精悍な顔立ちでとても自殺しそうには見えなかった。
「さて、いかに生きる?」
彼女の質問はあまりにも唐突であった。しかしいかに生きるかを考えるのは順序として正しい。
「そこまでは考えていなかった」
僕は正直に言った。彼女は僕の考えを見透かしていると思ったからだ。
「それなのにあなたは私を助けたのね」
不満そうになることもなく変わらない表情で言うから僕には冗談なのか本気なのかわからなかったが真剣に答えることにした。
「でも僕達は何も知らないまま生まれてくるじゃないか。しかもよくわからないまま生きることを選ぶ」
「まあ、確かにね」
「じゃあ散歩しよう」
「どうしてよ?」
「今散歩しようと思ったから」
「行き当たりばったりね」
「仕方ない。僕は無知だから思ったことに従うしかないんだ。さっき僕の哲学を述べたけどあれだって正しいという保証はない。でも現状僕はあのように思うからそれに従って生き方を決めた」
「それが君の人生なのね。わかったわ。散歩しましょう」
僕は自転車を押しながら目に止まった道を進んだ。彼女は僕の横を歩いていた。しばらくすると見慣れない道を発見した。
「この道の先を知っているかい?」
「いや知らないわ」
「じゃあ行ってみよう」
近所にあった二人が知らない道。両側に竹藪があり道のほとんどが日陰になっており、時々日光が射していた。道の途中には祠があった。僕と彼女は終始無言であったが苦痛ではなかった。出会ってまだ三十分も経っていないのに何の気まずさもなく、僕らは黙々と歩き続けた。ようやく竹藪が終わり真夏の太陽の下に出た。
目の前には昔よく遊んだ公園があった。暑い中二人の男の子がサッカーをして遊んでいる。その親と見られる女性は日陰にあるベンチで遠くから子供達の様子を見ている。
「こんなところに繋がっているとはね。ちょっと驚いたわ」
「僕も驚いた。新しい発見だ」
自動販売機が見えた。彼女に公園のベンチで待っているように言って飲み物を買った。
ベンチに行き僕はオレンジジュースを彼女に手渡した。
「これは高くつくのかしら?」
「いやいや奢りだよ」
「冗談よ。ありがとう。ところで、どうしてオレンジジュースにしたの?」
「そういえば何でだろうね?」
彼女の好みも知らないのに数ある選択肢の中から僕は選んでいた。選択する能力が備わっていたのである。
「急にニヤニヤして気味が悪いわね」
「え?」
彼女の言葉を聞いて自分の顔の筋肉がだらしなく緩んでいることに気づいた。
「まあいいわ。頂きます」
缶の蓋を開けるとオレンジの香りがした。冷えたオレンジジュースは夏にぴったりでおいしかった。彼女も飲んでいた。
「ところで君はなぜ自殺しようと思ったの?」
「世の中暗いことばかりだから。その上私にはその暗いことを解決できる力がない。それで嫌気がさしたのよ」
「そうか……。僕も打ちのめされることがあるよ。でもこうして生きてこられたのは僕にとってのよさに出会ったからなんだ。嫌なことばかりだけど時々気分がよくなる出来事がある。それは他人にとってはどうでもよいことかもしれないし、普遍的なよさでもないかもしれない。でも普遍的なよさでも自分にとってのよさでも、それは自分にとってのよさには変わらない。だから自分がいいと思ったら他に気にすることはないと考えるようになった」
「そういう生き方もありかもしれないわね」
彼女は僕の前に立ってその真っ直ぐな目で僕を捉えた。
「私はそろそろ帰るわ。今日はありがとう。私も自分の生き方を考えてみる」
「もしまた死にたくなったり、辛くなったりしたら連絡して。その時の僕の哲学を話すから」
「それは私のためではなくてあなたのエゴね」
「全部お見通しか」
「次は私がエゴを見せる番だから」
そう言って彼女は僕の前に立ち初めて笑った。ごく自然な笑顔であった。彼女は公園を出て行き道を曲がったので姿が見えなくなった。
これもまた僕にとってのこの世界のよさだ。僕はまだ死にたくない。
それ以来僕はよく彼女と会うようになった。散歩したり、お茶したりと楽しい時を過ごした。居心地がよいから一緒にいることの苦痛はなかった。無言でも違和感のない不思議な関係だと思う。
彼女の笑う回数が日々増えることが嬉しい。人の手を借りずに独りで生きることを決めていたように僕は感じていたから当初彼女から微妙な緊張感が伝わってきていた。しかし今ではその緊張感も消えている。僕は幸せだ。こうして相性のいい人に出会えたこと、そして何よりも彼女の前では僕の人間性が出てこないのだ。僕は理性によって人間性に打ち勝った。これは己に勝ったと言っても過言ではない。僕は内に潜む凶悪な怪物を退治した。自分の哲学を構築することによって悩みに対し一応の決着を試み実際に成功したと僕は思っている。しかしなぜかスカッとしない。重大な不満ではないが若干のわだかまりがある。ただやはり僕は既に悩みは解決したと考えていたのでそれ以上は深く追求しなかった。
数日後僕の身に微妙な異変が起きた。まず哲学書が読めなくなった。何度読み返しても文章が通り過ぎるだけであった。それから小説が読めなくなった。哲学書の場合と同様理解できなくなったのである。しかしこの時新聞やインターネットの文章は読むことができた。だから僕は単に疲れていて文章に対するモチベーションが低下しているだけであると思った。そのうちまた理解できる日が来ると楽観視していた。だが状況は悪化する一方である。
ますます文章が読めなくなる。あらゆる文字媒体を遠ざけた。やがて音からも逃げるようになった。そして部屋に引きこもり始めた。
部屋からありとあらゆるものを追い出し最終的に衣類だけになった。全ての衣類から首元と脇腹辺りに縫いつけられたラベルを切断しておいた。
僕は理解できないのではない。理解したくないのだ。情報が入れば僕の哲学の脆弱性が明らかになり一気に崩壊するであろう。僕はそれを予感していた。だから全ての情報をシャットダウンした。哲学を築いた時に自己欺瞞が始まっていたので僕はわだかまりを抱えたままであったのである。僕の哲学など完璧ではない。綻びばかりで目も当てられない。でも僕は生きたかった。生きようとする意志を尊重したかった。しかしそれには確固たる理由が必要なのだ。なぜなら僕は臆病だから。以前普遍的ではなくとも自分にとってという条件を満たせばよいと言ったが、そんなことはない。普遍的である方がよいに決まっている。臆病な僕でもそれを信じてよいのだと確信できるからだ。でも現実では普遍的なものは見つからなかった。結局自分で考えるしかない。自分にとってのものを見つけなくてはならない。僕にはそれがあまりにも難しすぎた。それでも今まで脱落しなかったのは死に対する恐怖のおかげだ。
もう僕は後戻りできない。今自殺を選べば彼女を死に引きずり込む。僕が彼女を殺すことになるのだ。彼女を自殺させないためには僕の哲学が拠り所となることを僕の人生でもって証明、体現しなければならない。
いっそのこともっと早く脱落しておくべきであった。ずるずると自分の命を引き伸ばしたからこのような誤ちを犯してしまった。僕は罪深い。しかしその罪は自殺以外の死に自分の生を捧げるという罰によって贖われるであろう。僕が生を全うすることによって、僕が抱いていた哲学は一人の人生に耐えうる強度を備えた哲学であることが示されれば一応の成功を収めたとしても間違いではない。仮にそれが絶対的な正しさを持っていなくとも一つの解として認められる。その成果は彼女に僕の哲学を信じるに値するものとして認識させる。僕の使命はこれだ。
それ以来僕は情報を受け入れられるようになった。僕が贖罪を果たすことで哲学が真実となるのならばいくら否定されようと関係ないからである。僕の生という犠牲に勝るものはなかった。問題はいかにして死までの時間を潰すかということである。退屈だ。だが自分で打破することはできなかった。
毎日がくだらなかった。ベッドの上で転がっては寝て、時々生きるための作業と化した食事を済ませ再びベッドに戻った。おもしろくはないが虚無感もなかった。これほど素晴らしい生き甲斐があったであろうか。いやこれは死に甲斐と言うべきであろうか。とにかくあとは死ぬだけなのだ。それさえ遂行すれば僕の使命は果たされる。僕の死は無駄ではない。だが僕は早く哲学を完成させたかった。哲学が完成するのが早ければ早いほど彼女は哲学をより早く信じるようになり、そうすればその分だけ有意義な人生が増えるからだ。そこで僕は他殺を思いついた。自殺が駄目なら他人に殺されればよいだけだ。
そして僕はある日一つのニュースを見る。これが僕の最後の戦いだ。
たくさんのパトカーと機動隊を乗せた車数台が学校の校門の前に停まっていた。僕は校門から入るのを諦めて別の場所からフェンスを乗り越えて侵入した。犯人が立てこもっていると言われている教室へ向かった。
教室に入ると一人の男が刃物を持って窓際に立っていた。その近くに怯えた男子小学生が一人座っており、恐怖のあまり涙を流した跡が見られたが既に涙は止まっていた。恐らく水分がないのだろう。
「誰だ!?」
男は驚いて僕に刃物を向けた。黒いウインドブレーカーを着たその男は少々老けていた。白髪混じりで顔は憔悴しているように見えた。
「安心してくれ。僕は殺されに来ただけさ。さあ早く殺してくれよ」
「こ、こいつ! 気でも狂ってるんじゃないのか!? 病気だ!」
「僕が病気だって? そんな価値観を押しつけるな! 僕は極めて理性的だよ。何たって人間性が嫌いだからね」
笑ってしまった。気持ちが高ぶる。もうそこに理想があるからなんだ。
「さあ! 早く! その包丁で僕の胸を刺してくれ!」
僕は男に向かって歩き続けた。ゆっくりと怖がらせないように。
「お、俺に近寄るな!」
刺さった。見事だ。血が刃物を滴る。心臓も僕の死を応援している。ありがとう。その調子で体外に血を送り出せ。立つ力がなくなって僕は仰向けに倒れた。
これで僕の哲学は完成した。彼女は自殺せずに生きる。しかも僕は理性によって人間性を倒したんだよ! 口から血が溢れ出る。笑ったらもっと出た。笑ったら? 僕は意図的に笑おうとしたのか? おもしろければ自然と笑いがこぼれるのではないか? この笑いは作為的だ。結局僕は最期の最期まで自己欺瞞をしていたということか。どれほど理性的であろうとも人間性はやってくる。常に敗北していた。
僕はずっと迷い続けた。何も決められない臆病な自分に惑わされてきた。優柔不断な僕が嫌でおかしな決断をしてしまった。何をやっているのだろう。溜め息さえつけない情けなさに落ち込む。
彼女は僕の死後生き続けてくれるだろうか? そんなこともわからないんだ。
何も知らないまま生まれ何も知らないまま死ぬ。僕の人生は何だったのだろう。その答えは自分で見つけなければならないと誰かに言われそうだ。でも僕は誰かに教えられないと駄目な人間なんだよ。臆病だから何を信じていいのかわからない。自己欺瞞三昧。彼女なら信じることができたんじゃないか? ごめんなさい、悲しいことにそれもわからないのです。もし嘘をついていたらと思うと誰も彼も、そして自分も信じられなかった。振り返れば僕の推論は間違いばかりであることがわかるからだ。例えば死にたくないと思った以上生きることに意味を見出していると考えたことがある。しかし死にたくないという意志はあくまでも生を持続させるための原因の一つに過ぎない。僕が知りたいのは生きてどうするのか、この問いに対する答えなのである。生きる意味という言葉が意味するものを取り違えたためこのような誤りが起きた。ただ僕は誤り続けた自分を責めることができないと思うこともある。これらの誤りは必死に闘った証でもあるからだ。答えが出ない苦しさゆえの欺瞞もあった。仕方のないことだと自分を慰めてやりたい。一方でこうした前科があるせいで僕は僕を信じることができない。欺瞞や誤りだらけの人間がどうして信用に値すると言えようか。しかし先程述べたように慰めたい気持ちもあった。だから僕は相反する感情を両立させ、自分を信じながらも信じなかった。皮肉なことにどちらの感情も、もたらす結果は同じであった。信じるとはわからない部分を棚上げにしてそうであると考えること。ならば何もわからない僕が僕を信じようとしても信じられる対象である僕は僕を棚上げされた僕でありそれはもはや僕ではない。ゆえに僕は虚無を信じることになる。反対に自分を信じなければ、他に信じることのできるものがない僕は何も信じずに生きることになり、ただただ僕は虚無の中に佇むだけでありました。どちらに進んでも虚無。僕の宿命があるとしたならば、果てなき虚無を漂うことだったのでしょう。怒りと悔しさを覚えます。しかし同時に諦めてもいるのです。
今ではもう自分の生きたいという気持ちも信用なりません。死んで虚無となる、いや僕は最初から虚無だったのかもしれない。虚無になることを恐れていたのに、実は根っからの虚無だったんだ。
僕が献身し僕を導く素敵で眩しくて輝かしい圧倒的な何か、それを探し求める旅もこれでおしまい。最期まで虚無につきまとわれた哀れな人生でした。