2話「盲聾戦」
猫柳翼と名乗った少女は、とにかく俊敏だった。
一撃一撃の斬撃に重みはないものの、とにかく速い。鎌鼬が実在するならば、これを指すのではないかと思う。
猫柳の小太刀は縦横無尽に襲いかかってくる。おまけにスピードは徐々に上がっていく。それに応戦する俺の方も、スピードアップせざるを得ない。
「また逃げんのっ?ほらっ、早くっ、楽しませてよ!」
基本的な能力値を鑑みると、恐らく速さという一点では、俺は彼女に負けている。このまま逃げの一手を続けていれば、追い詰められることは目に見えている。
反撃の時だ。ーー走れ。
今まで最小限の動きで小太刀を避けてきたのを、バックステップで一気に距離を取る。
三年間着込んでだいぶ縒れている制服のジャケットの中に手を突っ込み、ショルダーホルスターから素早く銃を抜き取った。
頼む、シロエ。
安全装置を解除し、愛銃の名前を心の中で呟く。拳銃を水平に保ったまま初弾を放った。
唐突に得物を見せた俺に、猫柳は虚を突かれたようだった。しかし、それでも彼女の反応速度は凄まじい。一瞬で身を翻され、俺の弾丸は彼女のツインテールを少し掠っただけだった。
「へえ、貴方の得物は拳銃なんだ。フィールド的にはあたしが不利か」
彼女は白銀に輝く銃身をしげしげと眺めながら、冷静に判断を下す。
この大草原のフィールドに死角はほぼないに等しい。あるとすれば、彼女が最初に斬りかかってきた時に彼女が気配を消して潜んでいたなだらかな丘の影くらいだ。しかしそれも、お互いの姿を認知した今となっては無意味なものである。
俺が使うのは拳銃。対して彼女は小太刀一本。弾丸を避けるための物陰がないことフィールドにおいて、俺の圧倒的有利は揺らがない。
しかし、彼女の瞳もまた、揺らぐことはなかった。
「まあ、フィールドなんて関係ないけどね。……勝つのはあたしだしっ!」
にやりと笑んだかと思ったいなや、俺の手に拳銃が握られているのを忘れているかと思うほど大胆に、俺の懐に飛び込んでくる。咄嗟に応戦しようとするが、いかんせん彼女は速い。あっという間に距離を詰められてしまう。
いくらフィールド面で有利とはいえ、接近戦に持ち込まれれば、刀相手では分が悪い。
それでもなんとか距離を取り、捌ききった……と思った時に、不意打ちでそれは現れた。
同時に放たれる二つの斬撃。
「ちっ……!そういうことか」
思わず舌打ちが零れた。
目の前にはしてやったりとばかりに得意げな、二振りの小太刀を両手に携えている猫柳の姿。
「神速の上に両利きとは、天は二物を与えずなんて信じられなくなりそうだ」
「驚いた?でも、あたしだって驚いたんだから。この不意打ちを防ぎきられるなんて久しぶりだし」
猫柳翼は、両利きの二刀流使いだった。
なるほど。確かに、懐に飛び込まれた途端、予想しなかった方向からもう一振り小太刀が出てきたら、普通の反応速度では間に合わないだろう。
……だが、“普通”という常識の範囲内で物事を判断されては困りものだな。
「普通なんて価値観は捨てろ、猫柳翼」
相棒である白銀のハンドガンのグリップを握り、真っ直ぐに猫柳を見据える。シロエの銃口は、勝気な彼女の眼を射抜く。
「この俺と。雪村翔と戦うのなら、今までの価値観は溝にでも捨ててしまえ。さもなくば、俺のシロエがお前の心臓を貫くことになる」
ーー俺の名前を騙って大口叩かないでよね。
俺の中に引っ込んでいる表の人格者の方が口を尖らせた。
何を言うかと思えば。俺は真実を述べたまでだ。それに、“雪村翔”はお前じゃない。俺の方が本物だ。何もできない役立たずは引っ込んでろ。
強く意志を持って念じると、俺ではない俺の気配がふっと奥に引っ込んだ。また然る時になれば出てきて、俺と交代するのだろう。
「あは、言うねえ。シロエってその銃の愛称?よっぽど大切にしてるんだ」
「武器は恋人だと昔の偉人が言っただろう」
「そうなの?しーらないっ。それにね、あたしの価値観はあたしが決める。貴方のためにねじ曲げてなんてやらないから!」
再び繰り出される斬撃の雨。接近のタイミングが掴めない独特の間合いは、ダンスのステップにも似通っていて、まるで舞うように次々と斬りかかってくる。
遠目から見たら彼女のこの攻撃はさぞかし洗練された美しいものに見えることだろう。だが、間近でその攻撃を浴びているこちらからしてみたら、冗談じゃない。美しいなどと一瞬でも余計な思考を挟めば、その小太刀で頭から真っ二つにされてしまう。
先程の二倍になった神速の斬りを息つく間もなく避けつつも、ギリギリでシロエのトリガーを引く。立て続けに三発、二発、三発。しかし、見事なまでに当たらない。初弾のように髪に掠ったりもしなくなった。
俺は彼女の斬撃を避け続け、彼女は俺の銃弾を避け続ける。回避合戦の堂々巡りだ。
この展開は良くないと、神経を彼女の動きに集中させながらも思考を加速させる。このまま長期戦になれば、弾切れがある俺より、永遠と攻撃を続けられる彼女の方が有利になる。
仮に弾切れになって弾を再装填しなければならなくなったとして、彼女はその時間を与えてくれるだろうか?答えはNOだ。猫柳翼のスピードに追いつきつつ器用に再装填だなんて真似は不可能だ。そんなことをしていたら、気づいた瞬間には斬り刻まれていることだろう。
だから再装填は不可能。よって俺の残りは、十一発。
これで勝負を決めなければ、勝利はない。そう思うと、勝手に手が動いた。
彼女のような両利きではないが、内ポケットからあれを出すくらいなら事足りる。
俺が取り出したそれを見て、鼻と鼻がくっつくほど距離を詰めてきた彼女は、顔色を豹変させた。
「なっ……それってっ」
「避けろよ、吹っ飛ぶぞ」
ニヤと笑いながら手榴弾のピンを引き抜く。彼女が顔を引き攣らせて飛び退いた瞬間、俺はそれを地面に叩きつけた。
彼女は持ち前のスピードを利用して、爆撃を避けるためにかなり後退した。俺の“吹っ飛ぶ”という発言と突如現れた手榴弾の存在に踊らされている彼女はーー俺の嘘に気づかない。
次の瞬間には、衝撃波を撒き散らす攻撃型手榴弾が爆発する。彼女はそう身構えていたのだろう。だからこれが、攻撃型の手榴弾ではないということに気づかなかった。
刹那、閃光手榴弾が発動し、強烈な光と音が大草原に響いた。俺は咄嗟に手を瞑る。
光が引いた頃合いを見計らって顔を上げると、砂埃が立ち込める向こう側で、彼女はよろめきながらもしっかり地面に足をついて立っていた。
しかし、かなりのダメージは与えられた。その証拠に、彼女の目は微妙に焦点が合っていない。
攻撃型に見せかけて俺が投げた閃光手榴弾は、相手の動きを封じることを目的とする手榴弾だ。撒き散らされる強い閃光と衝撃音は、彼女の視力と聴覚を一定時間奪う。
だが、そのために生じた問題もある。
「……聞こえないな」
自分ではそう呟いたつもりだったが、自分の声は聞こえない。彼女の方も、俺が呟いたことにすら気づいていない
やはりと言うべきか、俺の耳もまた、聴力を失っていた。
目を瞑ることは咄嗟にできても、耳を塞ぐことはできなかった。それをすれば、彼女がこれが閃光手榴弾だということに気づき、防がれてしまっていただろう。
彼女の視覚と聴覚を奪うための代償。それが、俺自身の聴覚だったのだ。
お陰で吹き抜ける風塵の音もすっかり聞こえなくなってしまった。
しかし、それを鑑みても猫柳翼に負わせたダメージは大きい。
この上ない好機。畳み掛けるなら今だ。
シロエをしっかりと両手で握り直し、標的を定める。二本の小太刀を持ったまま、覚束ない足取りでふらついている彼女に向かって、再びトリガーを引いた。音がしないので、心の中で弾丸を数える。一、二、三、四。
無音の世界で、カチリとも言わずにシロエが弾丸を放つ。ーーが、
「…………なんだと」
予想外の動きに俺の眉根が顰められる。
呆気なく当たるかと思われた弾丸を、彼女はすれすれのところで身体を傾けて回避したのだ。唯一、一発はなんとか当たったが、それも命中とは程遠く、彼女の右頬に掠った跡が一筋走ったのみだ。
何故、避けられる?盲目のままで弾丸を避けることが果たして可能なのか。
逡巡の後、俺はすぐにひとつの可能性に辿り着いた。
だが、その答え合わせをする前に、彼女は全速力で襲いかかってきた。俺の位置が特定できていないため、我武者羅に小太刀を振り回すだけの単調な攻撃だが、彼女のスピードを持ってすれば、それも舐めてはかかれない。
再び距離を取り、発砲。ーーするとまた、彼女は避けて迫ってきた。
やはり、俺の推測は正しかったらしい。
猫柳翼は、弾丸の微かな風圧を肌で感じて瞬時に回避し、更に風圧の向きから俺の大まかな位置を割り出している。
最早、銃で彼女の心臓を貫いて仕留めるのは不可能だ。
ならば、次の行動は一択しかない。
シロエの残り弾数は六発。二で割ると三発。……いける。
シロエを構えて狙いを定める。今度の標的は彼女自身ではなく、彼女の両手にある小太刀。先程の蹴りでは弾き飛ばせなかったあの得物を、次こそ奪ってやる。
彼女が風圧を感じ辛い、小太刀の柄と右の掌の境ーーそこを目掛けて一気に三発発砲した。息つく間もなく左手の武器にも発砲する。
もし聴覚が正常であれば、カキンッ!という金属音が聞こえただろう。そう思えるほど正確な位置に、シロエの弾は着弾した。
彼女が顔を歪めた。狙い通り、彼女の手は武器を取り落とす。完璧だ。
五感のうち二つを失った彼女が敵であれば、ここで弾倉を交換することもできるが、俺は敢えてシロエをホルスターに戻した。何度撃っても避けられ、風圧で位置を特定されるのならば無意味だ。
これで俺も彼女も素手同士。肉弾戦の始まりだ。
「やっと追い詰めたな、猫柳」
聞こえていないとはわかっていながらも、そう語りかけずにはいられなかった。
貧弱な“雪村翔”の身体での肉弾戦は少々心許ないが、操縦するのがこの俺なら、敗北の文字はない。
奮い立った本能が、俺の中で獣のように咆哮していた。