表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

1話「猫柳翼」

 戦争で互いの国力を削る行為は、まさに愚の骨頂である。このままでは、人類が同族ではない脅威――“別種族”との敵対に直面した際に、敗北に帰することは明白である。

 そのため私は、ここに新たな次世代型戦争の形として、仮想空間〈アナザーワールド〉での戦闘を提案する。

 これは〈アナザーワールド〉の発案者である、某国の大統領の言葉である。

 この提案と、夢物語のような仮想空間の実現に、世界中の人々が驚愕し、そして歓喜した。戦争は仮想空間に押し込められ、現実世界には平和が戻ったのだ、と。

 戦争という重荷を一手に背負った仮想空間〈アナザーワールド〉には、背負ったものの危険性から、厳しいルールが定められた。


 ・独立を認められていることを条件に、いかなる国でもアナザーワールドへの参加権を有する。

 ・アナザーワールドのシステムへの不正介入は重罪である。発見次第、全ての核所有国から該当国に向けてミサイルを発射する。

 ・一度にアナザーワールドへのダイブを許可する人数は、各国それぞれ三百人である。

 ・アナザーワールドにおいての死は、すなわち現実世界の死を意味する。

 ・アナザーワールド内に犯罪の概念はないものとする。

 ・〈異形〉を戦闘員として登録することを許可する。

 ・三百六十四日二十四時間、いかなる場所での戦闘行為の一切を許可する。

 ・十二月二十五日はクリスマス休戦として、戦闘行為の一切を禁止する。

 ・〈トリックスター〉は発見次第、速やかに処分せよ。


 これは俺自身、中学校の社会科で全て暗記させられたものだ。

 よし、大丈夫。完璧に覚えてる。

 ……だが、今の俺とって、このルールは全く関係ないものだ。何故ならこれは、入学テスト用の模擬戦闘。戦争ではない。戦争ではないが、俺はこの対人テストで負ける気は毛頭ない。


「にしても、眩しいな」


 ふと歩みを止めて、空を仰いだ。雲一つない、目に痛いほどの晴天だ。そしてその蒼穹の下には、瑞々しい緑の草原がただただ広がっている。俺が転送されてきたテストフィールドは、蒼と緑の二色で構成された大草原だった。草と土の匂いが風に乗ってふわりふわりと鼻腔を擽る。

 先程からずっと歩き続けているのだが、風景は何一つ変わらない上に、自分以外に人間の存在を感じない。

 ここ、高将院の入学テストは、対人形式である。一対一で対戦し、勝者は入学でき、敗者はその場で不合格。この学校の受験資格を永久に失う。

 ところがテストフィールドを探索すること約十分。もう一人の受験者に遭遇する気配は皆無である。満ち溢れていたテスト開始時の高揚感も、今ではすっかり落ち着いてしまった。

 思わず草の絨毯の上に背中からダイブし、寝転がる。リアリティのある感触は気持ちが良い。


『テスト中に寝転がるなんて、兄さん気を抜きすぎだよ。万が一何かあったらどうするの?』


 昔から成績優秀な優等生だった弟の淳が脳内にぴょこんと現れて、真剣な顔で忠告する。

 うん、わかってるんだけど……風景変わらないし誰もいないし、暇すぎて。


『翔ってば肝心なときにいつもぼーっとしちゃって……もう、これだから放っとけないのよね』


 実家の隣の家に住んでいる幼馴染も現れて、苦笑まじりに小突いてきた。

 ああ、こんな妄想劇場を繰り広げるなんて、俺は相当この空間に飽きてしまっているらしい。


「あー、疲れた。いい加減現実世界に戻りた……!?」


 刹那、草と土以外の何かの匂いが鼻腔を掠った。

 条件反射で横に転がり、反動で起き上がった。背後でザクリ、と草に何かが突き刺さる音がする。

 距離を取りつつ振り返ると、地面にぐっさりと刺さる刀を引き抜いていた彼女は、にやりと笑んだ。そこに立っていたのは、都内の私立中学の女子制服を纏う受験者。俺の対戦相手だった。

 人工物の太陽光を浴びて、少女の小太刀は鋭く光っている。


「あれ、避けられちゃった。テスト中にお昼寝するような注意力散漫くんなんて、すぐに仕留められると思ったのになあ」


 十五分ぶりに聞いた自分以外の声は、アニメ声とでも形容するような、特徴的な声だった。だが、アニメに声を吹き込むには、いささか好戦的すぎると言えるだろう。


「それともあれかな。貴方、自分が強いって奢り高ぶってる人種? あはっ、いいねえ。そういう勘違いさんのプライドを踏み躙るのって、あたしだーいすきっ」


 言葉の端々から感じて取れる敵意が、俺の身体中を苛む。釣り気味の大きな目が俺を捉え、まるで獲物を定めるかのようにロックオンした。

 そうかと思えば俊敏な動きで斬りかかってくる。独特の間合いに危うく呑まれそうになったが、ギリギリのところで身体を反らしてそれを躱した。

 どうやら俺の対戦相手は、とんでもない化け物らしかった。


「っ、あっぶな……」

「あーあ、また逃げるわけ?」


 今のは危なかったと冷や汗を拭う。あと一瞬遅かった俺の身体はざっくりといっていただろう。いくら仮想空間内で身体の損傷はないとはいえ、痛覚はある。どれほどの痛みかは考えたくもない。

 一方、彼女はというと戦意こそ失ってはいないのだが、これ見よがしにつまらなそうな溜息をついた。


「話になんないなあ。なんでちょろちょろ逃げるわけ? これだったらネズミの方がまだ利口だよ」

「……手厳しいね」

「貴方がつまらないのがいけないんだよ。あーあ、高将院の入学テストだから、もっとマシな相手と戦えると思ったのに。……まあいいや。入学すればもうちょっと手応えある奴と戦えるよね。ほら、さっさ殺してあげるからそこに突っ立ってなよ」


 言いたい放題された挙句、小太刀を向けられる。

 “入学すれば”。自分の勝利を決定事項として疑わないその言葉。……俺は完全に、舐められている。

 俺の中で、カチッと音を立ててスイッチが起動する。キタ。

 勝利を信じきって小太刀を構える少女に、俺の高揚感は再び舞い戻ってきた。

 もう一人の俺が言う――もう時間だ、入れ替われ。俺がやってやる。

 少女の双眸と視線が交わった。快感とすら言える緊張感。ビリビリとスパークを起こしたかのように全身が痺れて熱くなる。

 自分が強いと奢り高ぶっている人間?それは他の誰でもない、目の前にいるこの少女のことだ。俺が尊厳も何もかも、跡形なくぐちゃぐちゃにしてやるよ。


「殺されるのは、どっちだろうな」

「……あれ?」


 ぼそりと呟くと、彼女は俺の変化に目敏く気付いたらしい。一定の距離を保ちつつ注意深く俺を観察し、首を傾げた。


「雰囲気が、変わった?」


 雰囲気どころか別人格だ。俺が表に出ている間は、女子供であろうと容赦はしない。もう一人の俺は肝心なところでいつも詰めがなっていなくて、不要な甘さばかりを持ち合わせている。俺は同情も憐憫も持たない。

 そんな意味を含めて、少女に初めて俺の方から仕掛けた。一気に間合いを詰め、剣を弾き飛ばすつもりで少女の右手に重い蹴りを入れる。


「いっ……たいなあ、もうっ!」


 蹴りはヒットしたものの、得物を奪うまでは及ばない。彼女は手を握ったり開いたりして感覚を確かめていた。

 痛みを感じているようだが……彼女の目は、まるで幼い少女が人形を与えられた時のように、輝き始めていた。


「あはっ……貴方、強いんだね」


 浮かんでいる表情は、恍惚。


「いいねえ、すっごくいい。久々に楽しい相手に会えて嬉しいなあ」

「楽しいなんて随分と余裕だな」

「そりゃそうだよ。戦うのは楽しむため。楽しくない戦いなんて、価値がないよ」

「負けたら永久に入学権を失うっていうこの状況でもか?」

「うん。だってあたし、負けないし。ねえ、あたしは猫柳ねこやなぎつばさっていうんだ。貴方は?」

「……随分と突然な自己紹介だな」

「貴方だって、自分を負かした相手の名前ぐらい、知っておきたいでしょう? それにほら。名乗っておいて名乗らせないのもどうかと思って。ね?」


 当然とばかりに言い放つ少女に、俺は笑った。自分でも相当、悪どい顔をしていると思う。彼女は俺の前に膝をつくことになったとき、一体どんな表情で俺を見上げるのだろう。


「雪村翔だ」

「ユキムラカケルね。ねえ翔、あたしの話聞いてよ」


 戦闘態勢で殺気を垂れ流したまま、自分語りを始めようとする少女はまさに異様だ。その異様さに、俺はぞくぞくさせられっぱなしだった。


「あたしは知恵の輪、好きなんだよね。だって綺麗でしょ? はっきりとした答えを持ってる。それに比べて人間は、曖昧ではっきりしなくて不明瞭で! しかも簡単に行動が予測できてしまう。だから人間はつまらない。情だの絆だの愛だのって、馬っ鹿みたい! そんな不自由になるだけで面白くもないものに、何の意味と価値があるっていうの!?」


 まるで誰かに話しかけるかのように、虚空に向かって激昂するその姿は、一言で言い表すなら異常だった。

 怒鳴り散らしてだいぶ落ち着いたのか、彼女は笑顔を取り戻して首を傾げる。


「……その点、知恵の輪はいいよ。やってて飽きないし、脳を使うのも楽しいからね。貴方もそんな風に思ったこと、あるでしょ?」


 本気で同意を求めている問いだった。だから俺も適当な応酬ではなく、本気の回答で返した。


「予想が容易いのは、知恵の輪の方だろう。数パターンしかない無機物の玩具と人間は違う。時に予想を遥かに飛び越えていくのが人間だとは思わないか」


 彼女は同意を得られなかったことに不満げに眉を顰めた。彼女の心の中で、俺はその、醜い人間というカテゴリに追加しているのだろうか。子供のような無邪気な反応が、手に握られた青光りする刃に似合わず、アンバラスで奇妙だ。


「あーあ、結局貴方もあたしを否定するんだ」


 不貞腐れた少女が、何故だろう。一瞬だけ迷子の子供のように見えた。


「逆に聞くけどさ、じゃあ翔は何が好きなわけ?」

「別に答えてもいいけど、意味はないだろう。お前は忘れる」

「どうして?」

「忘れるからだ」

「忘れないって!」


 むっとする少女に、不敵な笑みで答えてやった。


「いいや、忘れる。何故なら、記憶が飛ぶくらい完膚なきまでにお前を叩きのめして、俺が勝つからだ」


 断言すると少女はきょとんと目を丸くさせ、それからにぃ、と口角を吊り上げた。


「なるほど……いいねえ、すっごくいい。あたし貴方と対戦できて超ラッキー」

「アンラッキーの間違いだ。残念だったな、俺と当たったばかりにお前はこの学校を去ることになる」

「はっ。言うじゃない翔」


 少女の刀の切っ先の直線上には俺の喉仏がある。少女の二つに結わえられた髪を、吹き抜いけてきた一際強い風が、ばさばさと乱した。


「もう一回言ってあげるよ、あたしの名前は猫柳翼。これが貴方を負かす人間の名前ね」

「お前の記憶が飛ぶ前にもう一度言っておく。俺は雪村翔だ。数時間後には忘れてるだろうがな」


 どちらからともなく駆け出し、俺と猫柳はゼロ距離でぶつかり合った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ