『バレンタイン動乱』
「久々の出番だ!!」
ガバッと起き上がりながら唐突に叫んだ怜斗。この出番というのが何のことかは定かではない。定かではないことにツッコむのはやめにして、現在の時刻を確認しよう。
現在朝の五時。彼の横で寝ているのは白羽。いきなり一緒に寝ていた男が叫びながら飛び起きた彼女の身になってみると、ここでの怜斗は彼女の安眠を破壊するルシファーであり、幸せな時間を壊すアスタロトであった。悪霊退散というやつだ。
白羽がゆっくりと目を開き、ジロッと起き上がってガッツポーズをしている怜斗を睨みつける。
「怜斗君…?」
その冷たい声音に乗っていた感情は恋人に向けるそれではなく、怒り以外のなにものでもない。怜斗は冷汗をダラダラと流しながら白羽の方を見る。彼女の眼は半眼で、殺意のようなものまで乗ったすさまじいものだ。怜斗から見た彼女は、自分に地獄逝きの判断を下す閻魔であり、裁きの雷を打ち落とさんとするゼウスであった。怖い。
「白羽サン……?ちょっと落ち着いて……」
怜斗の必死の懇願も虚しく、白羽が大きく息を吸って叫ぶ。
「何時だと思ってんだオラアアアアア!!!!」
声に乗せられた霊圧によって怜斗は白羽の部屋から転げ出る。白羽が完全に怒った表情で扉をバタンと閉めるのを見て、怜斗は絶望の表情を浮かべていた。
白羽の久しぶりのセリフがこんなことになって誠に遺憾であるため、罰として怜斗の出番を奪うこととする。
「……白羽以外にも誰かが俺に怒ってる?」
ところで、彼はどうして白羽の部屋で一緒に寝ていたのだろうか?そんなことを考えると爆発させたくなるため、やはり彼の出番は減らそうと思う。
そんな出来事があった朝、白羽が目覚めるとふと横に愛しの人がいないことに気がつく。
「ん……。あれ、怜斗君……?」
徐々に意識が覚醒するにつれ、早朝の出来事がよみがえって白羽の顔が真っ青になってゆく。
「あ……。あああ……。あああああああああああああ!!!」
今日二回目の彼女の叫び声が上がる。しかし、今度の叫び声は怒りではなく過去の自分への『なにやっちゃってんの!?』という叫びであろう。
青い顔になった白羽は、身支度もそこそこに部屋を飛び出してバタバタと廊下を駆けていった。
今日は、2月13日。
「ふーんふーんふーんふーふふーんふーふふーん♪」
鼻歌を歌いながらシャワーを浴びていた少女がふと何かに気がついた様に顔を上げ、決意に満ちた強い瞳とともに一回転し、左手を腰に当て右手で目のそばに横ピース。
可憐なポーズをキメて言い放つ。
「呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃーん!みんなを助ける幽霊少女、アイちゃんだよっ☆」
だよーだよーだよー。
風呂場特有のエコーの後に、出しっぱなしのシャワーの水音だけが残ったお風呂場で、アイはどこに向けてかはわからないがポーズをキメて名乗りを上げた。
しかし、紛うことなき全裸(湯気先輩が仕事をしている)であるためどこか締まらない。
と、そんな彼女の部屋をノックもせずに開けて飛び込んでくるのは、先ほど彼女のお母さんに似た叫びを上げた白羽である。
「アイちゃあああああん!!」
アイは慌てて体を拭き、服を着て部屋に出る。
「白羽お姉ちゃんどうしたの!?」
部屋を出たアイの目の前には、アイの部屋の地面に座り込んでホロホロと涙を流す白羽であり、アイは状況に混乱しつつも年齢離れした包容力を発揮し、白羽から何があったのかを聞き出すのであった。
「つまり、怒っちゃって会って謝りにくいってこと?」
「うん……。それで、明日バレンタインでしょ?だから、そこでチョコを渡しがてら謝りたいなって思ったんだけど……。」
その白羽の言葉を聞き、アイの顔が曇る。
「あ、あのね…。言いにくいんだけど…チョコは簡単には手に入らないの…。」
「……え?」
白羽の頭の中がホワイトチョコのように真っ白になる。
謝ったあとの甘いやり取りまで想像していた白羽にとってはビターチョコの如く苦々しい知らせであり、ちょこっと目の前が暗くなってめまいがしてふらつき、ちょこちょこと歩いて踏みとどまる。
「ちょこっとでいいのよ…?ちょこっとも手に入らないの……?」
白羽の目からはチョコレートファウンテンのように涙が流れそうになっている。流れてはいない。
「実は……。スサノオ様がチョコが嫌いで、黄泉の国からチョコというチョコを排除――」
「スサノオォォォォォォォッ!!!」
アイの言葉を全て聞き切る前に白羽はアイの部屋を高速で離脱、走り去っていた。
アイはちょこっと驚いた様子ながら、ちょこっと舌を出し、自分の頭にちょこっとげんこつをする。
「ごめんね、スサノオ様☆」
微塵も謝る気がなさそうなトーンでそう言うと、アイは湿った髪を乾かす作業に移行した。
チョコチョコうるさい文はここまでにしよう。
スサノオは、自室でイライラとしていた。
地上の方からチョコの匂いがプンプンするのだ。
「ああ、クソ。バレンタインだかなんだか知らねえがチョコ臭ぇんだよ。」
イライラとした様子で貧乏揺すりをしていると、何者かのドロップキックでスサノオの部屋の扉が突き破られる。
「スゥゥゥサァァァァノォォォオォォォォ!!!」
それは怒り狂った白羽であり、その様子はスサノオに恐怖すら覚えさせた。
髪を振り乱し、俯いた白羽がユラッと立ち上がり、腕をだらんと垂らして静止する。
「お前…。ど、どうした…?」
白羽が死んだ日の出来事を思い出しヒヤヒヤとした様子でスサノオが問いかけると、彼女の顔がグンッと上がり、爛々と光る目でスサノオに急速接近。その胸ぐらを掴み上げ、怒鳴る。
「テメェ、チョコが嫌いだからってこの世界からチョコを無くすってのはどうなんだ?アァん?」
もはやヒロインであることも忘れたかの様な剣幕で叫ぶ白羽に、スサノオは恐々とする。
「私と怜斗君のバレンタインの為に今すぐチョコを用意しやがれっ!」
その勢いに押されたスサノオは恐怖の色すらも顔に浮かべ、語り始める。
――この世界の隠されたチョコの在り処を。
「べ、別にこの世界から追放したわけじゃねえ!ちょっと針山地獄と血の池地獄を越えた先にチョコの泉がある!そこに黄泉のチョコは集まってる!!」
それを聞いた白羽は、スサノオをがっしりと掴んでいた手を離し、手櫛で髪を整え直すと打って変わってキラキラした目を彼に向ける。
「ほんと!? 行ってくる!!」
反転し、すぐにでもそこに向かおうとする白羽。
「待て待て待て!」
それを慌てて静止するスサノオ。
なぜ止めるのかという非難の目を受けながらも、彼は白羽を諌めようとする。
「あそこは、いくつもの試練を超えた先にある。さっき行った地獄ふたつはもちろん、番人も配置してある。やすやすと行ける場所じゃ――」
「それでも…」
白羽はまたもセリフを奪うかのように言葉を被せ、決意に満ちた目でスサノオを見つめる。
「私は行かなきゃ。怜斗君のために。怜斗君に謝るために…。」
スサノオでさえ見惚れるような笑顔を浮かべてから、白羽は彼の部屋を飛び出してチョコの泉があるという方角へ飛び立つ。
タイムリミットは1日。
飛べ、白羽。己が目的のために……。
白羽は空を駆けた。怜斗のことをただ思って。その先に試練があることを知りながら。
白羽は進んだ。そして、針山地獄の主と相対する。
「私を通して」
「ヒッヒッヒ……。通りたくばこの山を登って――」
「は?」
「だからこの山を…」
「私を通すか、この山を壊されるかどっちがいい?」
白羽の言葉に困惑する針山地獄の主は当然首を振った。
その数刻後に彼は涙を流して地にその頭をつけることになる。
白羽は進む。針山を均し、平になった土地を悠々と。泣きわめく針山地獄の主を背にして。
そしてたどり着いたのは血の池地獄。進もうとする白羽を静止しようと叫ぶ主。しかし、それを無視して白羽は進む。血の池を飛び越えて。
泣きわめく血の池地獄の主を背に。
そしてたどり着いたのは大きな門の前。立ちはだかるは剣を持った巨人。
彼女の前に立ちはだかる巨人は白羽の横にに警告のように剣を振り下ろす。
地面に走る亀裂を見て白羽は悪魔のような笑みを浮かべる。
数十分後、巨人は涙を流して震えながら白羽の前で土下座をしていた。
巨人は屈したのだ。白羽のあまりに苛烈な言葉責めの前に。
白羽は門を蹴破り、チョコの泉の前に立つ。
甘い香りが解き放たれる泉を組み上げ、白羽はすぐさま来た道を引き返す。
怜斗にチョコを渡すために。その一心で。
彼女は知らない。スサノオの元にチョコレート防衛隊から「あの悪魔は誰だ!」という涙ながらの打電が立て続けに入ったことを。
時は少し流れ、運命の14日。
白羽は怜斗の部屋の前に立っていた。
背中に隠した手の中にあるのは幾多の涙を礎に出来上がったハート型のチョコレート。
彼女は深呼吸をして、意を決したように怜斗の部屋をノックする。
「誰だ?」
白羽の気持ちも知らずに、怜斗はのんびりと扉を開く。
「あ…白羽…。どうした?まあ入れよ。」
何も気にしてないような素振りの怜斗の様子に少しむくれつつも、白羽は怜斗の部屋に入る。
「あっ、あのっ!怜斗きゅん!」
緊張して変な呼び方をした白羽に怪訝な顔を向けるものの、怜斗は次の言葉を待つ。
「き、昨日は怒鳴ってごめん!それと、これ、チョコレート。バレンタインの……」
謝られたことに苦笑いをした直後、チョコレートと言う言葉を聞き、怜斗は驚愕を隠せないような声音で彼女に問いかける。
「はっ!?チョコレートなんて黄泉でどうして…。スサノオ様が嫌いだから持ち込みも出来ないはずなのに…。」
「えへへ、怜斗君のために、黄泉の果てからとってきちゃった。」
それを聞いて、怜斗は照れくさそうな、心底嬉しそうな顔をする。
「そっか…。食べていいか?」
「もちろん!」
丁寧な包みを解いて、中からチョコレートを取り出し齧る。
怜斗にとっては久しぶりの口いっぱいに広がるチョコの味。
「うまい!!」
ほぼ反射のように出てしまった言葉を聞き、白羽は嬉しそうに笑う。
その顔は、怜斗にとって世界で1番可憐なものであった。そのまま飾っておきたいほどに。
「ありがとな、白羽。俺のために。」
怜斗は白羽の頭を撫でる。
気持ちよさそうに目を細めたあとに、何かを求めるように白羽は目を瞑る。
「怜斗君………。」
「白羽……。」
それに応えるように怜斗は彼女の肩に手を置き、そして――――
ここから先はそれはもう末永くお幸せに爆発しろという展開であるので、想像にお任せすることとする。