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『きみがため、』

きみがため

作者: 本宮愁

 ――みつけた。


 御伽草子から飛びだしてきたような御子に、差しだされた手。

 あの日、世界は始まった。



*****



 エドゥは、奇妙な国だ。生まれし命は等しく、主とその従者に区別される。兄弟よりも近く、恋人よりも親密なその絆は、片割れが死したのちも絶えることがない。


 両者が沈黙に抱かれてはじめて、主従の絆はかなたへと運ばれる。消えさるのではなく、強固なつながりを抱いたまま天へ昇るのだと――そう、根強く信仰されている土地だ。


 近隣の国々において、このような習慣は他にない。主と従は一対一の不可変な存在であり、かならず同時に生をうける。



 そして、探し求めるのだ。互いに、生涯を越えて連れそう唯一無二のパートナーを――。



 珠光ジュコウは、二分されたうちの後者の民――主に絶対の忠誠を誓う従者のひとりである。


 主従は異性であるとは限らない。そのため、エドゥにおいて、婚姻は形だけのものとなることも多い。


 伴侶よりも、片割れを優先する。主においてはその限りでないが、従者として生を受けたものにとって、それは常識とも呼べる共通認識であった。



梏杜コクトさま」



 大理石に囲まれた重厚な扉を叩き、珠光は膝を折った。片足を立てた騎士の礼を保ったまま、主の執務室が開かれるときを待つ。


 輝かんばかりに磨かれた床面にうつる黄玉の瞳が、珠光を無感動に見つめ返していた。


 望む応答はなかなか得られない。ちいさく息を吐きだして頭を垂れると、芯に光をいだいたような金髪が、艶やかな光沢をまとって流れおちた。くせのない長髪は、まさに天虫の紡ぎだした生糸そのものだ、と讃えられることも多い。



 身にまとうふたつの光色。名の由来ともなった忌み色に、珠光は頓着していない。幼い時分はやっかまれることも多かったが、くだらない言いがかりを投げつける者共は、己が才覚で黙らせた。


 いまでは最上級の賛美でもって飾られる柔髪になど、興味はない。


 ただ、梏杜が美しいというから。なめらかな指どおりを気にいって、折に触れては髪を撫で、満足げにほほ笑むものだから。とうとう一度も鋏を入れることのないまま、結わえてなおも腰に届くほど長く、伸びてしまっただけだ。



 山と重ねられた、くだらないおべっかには反吐が出る。


 数年ぶりに旧知の学友と再開したときなど、あまりの手のひらの返しように嘲笑を隠しえなかった。清廉な輝きを放つ国家の宝玉とは、よくぞいったものだ。かつて魔の使いだと罵ったその口で。


 しかし、梏杜から与えられる称賛ならば別だ。彼の口から紡がれる言葉であれば、それがなんであれ、珠光にとって輝石にもまさる価値がある。



 国の宝剣と名高い第七師団。その頂点に立つ主に、珠光は心酔している。高貴な生まれながら剣を握り、先陣を切って飛びこんでいく背中を護ることこそが、おのれの存在意義だと信じてやまない。


 珠光が侮られることが、梏杜の立場にまで影響すると知ってからは、邪魔な鈍物を蹴落とすことに躍起になった。


 耳を塞いでしまいたいような欲にまみれた甘言も、梏杜の側に並びたつ足がかりとなるのなら、甘んじて受け入れた。ほほ笑みひとつで歓心が買えるのなら、なんて安いものだろう。


 年端もゆかぬうちに主とあいまみえた珠光は、ただひとりの主君にすべてを捧げて生きてきた。



 梏杜は、世界だ。珠光にとって、まごうことなく世界そのものだ。



 梏杜に害なすものは排除する。可能性が一ミリたりともあるのなら、容赦はしない。逆に、わずかでも益があるのなら、どんな手段を使ってでも味方に引きいれた。


 なかには、一度もまみえることのないまま眠りにつく主従もいるのだから、梏杜と早期にめぐり逢えたことは、珠光にとってこの上ない僥倖であった。



 ……ただ。


 はたして、梏杜にとってもそうであるのかまでは、わからなかった。



 ギッと歯を食いしばった珠光は、顔をあげ、いまいちど複雑な意匠が彫り込まれた聖銅の扉を叩く。


 衝撃に強いが触り心地は優しく、加工が容易で腐食もしない。さらには磨きあげることで、玉鋼にも劣らぬ輝きをまとう聖銅は、王家にだけ使用を許された特別な材質である。


 この扉ひとつで、奥に座する者の貴さが知れる。ようするに梏杜は、王族の末席に属しているのである。



「お時間です。梏杜さま」



 聖銅には、特異な性質がある。一定の『声音』だけをよく通すのだ。原理はいまだ解明されていないが、精錬を経た聖銅は、ごく一部の者の波長だけを認識し、その他にはおそるべき遮音性を示すという。


 珠光の声は、まちがいなく届いているはずだった。届くからこそ、珠光がここにいることに意味がある。


 気難しい梏杜が独断で取りつけたこの扉は、珠光以外の声をことごとく遮蔽する。そのため、どんなささいな案件であれ、珠光を介さずして執務室へたどり着くことはなくなった。



「……梏杜さま!」



 耐えかねた珠光が声を張り上げると、ようやく扉の向こうに人の動く気配がした。


 梏杜の執務室へ続く扉は、ときに天の岩戸と呼ばれている。渡り人が語った物語に由来しているといえば聞こえはいいが、つまりはひきこもりと揶揄されているのだ。


 ひとたび戦とあれば、勇ましく群衆を鼓舞してみせるのに、平生にあってはまるで世捨て人。他者を寄せつけないその生き様に憧れる騎士もいるが、実情は極端にえり好みが激しい偏屈者だ。



 気に入った者以外には見向きもしない。

 それが珠光の主、梏杜という男であった。



 さらにすこしの間があいて、コトリ、と微かな音がした。

 聞き慣れた珠光には、それが入室を許す合図であると知れた。しかし、身を起こすことはせずに、そのままじっと待ち続ける。つまらない意地の張りあいだが、譲ろうとは思わない。


 やがて、深々とした嘆息とともに、聖銅の扉は内に開かれた。光の軌跡をたどって、半分ほど開いたところでようやく、珠光は視線を動かした。



 毛足の短い織物は、梏杜の趣味に合わせた一級品。簡素ながら質の高さを垣間見せる精巧な織り。その上に、優美な柔毛に引けをとらない、上等な革靴が座している。


 黒々とした長衣を、下から眺めあげていく。機能性を重視したなかにも細やかな意匠が凝らされた隊服は、第七師団独自のものだ。軍部全体でも隊長格のみに許される闇色をまとった肢体には、実践で鍛えあげられたしなやかさがある。


 ものものしい隊服を、これほど違和感なく着こなせる王弟は他にいない。他国との争いが起こりえないこの国で、王侯貴族のほとんどは平和にあぐらをかいている。ときに、屍のうえに築かれたまやかしであることさえ、忘れて。



 首もとまでしっかりとおおった詰襟を確認して、珠光はそっと息を吐いた。梏杜は正装が嫌いだ。てっきりまた、面倒だと言って着崩しているに違いないと思っていた。


 肩に触れるか触れないかという長さの黒髪は、後頭部で一括りにまとめられている。正面からではわかりづらいが、赤い飾り紐で無造作に束ねられているのだろう。


 無頓着な梏杜へ、下のものに示しがつかないと言ってそれを押しつけたのは、他でもない珠光だ。それでなければ、この男は公の場にすら伸びっぱなしの髪でふらりと出ていく。



「まもなく刻限がまいります。本日の議会には、梏杜さまもご臨席なされるようにと」

「……聞いている」



 精悍な顔だちに浮かぶ蒼黒の瞳が、苦笑する珠光を淡々と映していた。


 獣のようにしなやかで美しい男。梏杜は、忌み色とは正反対の崇高なる黒を生まれ持ち、類稀な武術の才と聡明な頭脳をも与えられた『天の寵児』だ。


 その容姿はさることながら、変わり者の鬼才として名高い彼の従者であることは、珠光にとってなににもまさる誇りであった。



「珠光」



 低く艶やかに響く主の声に、珠光は従順に応じる。



「はい」

「いつまでそうしている。立て」



 王族に対する最上の礼として、戸外に膝をつき続けていた珠光へ、冷え冷えとしたまなざしが降りそそいだ。


 梏杜は、必要以上に敬われることを嫌う。

 はっきりと口にされたことはないが、その態度から自然と知れた。


 口数は少ない主であるものの、感情は素直に表に出す。しかし、隠すべき場では完全に隠しとおしてみせるのだから、珠光へ向けた限定のものと考えるべきかもしれない。


 梏杜は気難しい。そして自惚れでないのなら、ただ一人の従者には、一定の執着心を示している。珠光が、裏で手をひき、細やかにたち回るのも、あまり好ましく思ってはいないようだった。



 長年ともに歩んできた。背中を追うばかりの日々は終わりを告げ、近年ようやく、名目ともに彼の片腕へと登りつめた。

 そのために支払ってきた代償を、珠光はなにひとつとして惜しんでいない。



 しかし、もとより唯我独尊のきらいがある梏杜は、自分のものに手を出されることをなにより嫌う。そして珠光は、『梏杜のもの』に数えられる筆頭だ。


 ほほ笑みやリップサービスは許容範囲内。身体的接触はギリギリライン。身体を許した暁には、一日とあかず相手の首が飛ぶだろう。それが、身体的になのか、組織的になのか、あるいはその両方か。珠光にもわからない。


 だが、梏杜は、やる。その秀麗な眉目を、彫像のように固めたまま、可能な限りの迅速さで裁きをくだすだろう。



 子どもじみた独占欲は、完璧に近い主の悪癖だった。



 珠光は、いい。幼少期から刻みこまれた従属の精神は、度を越えた梏杜の束縛さえも快感に変える。それは、まるで麻薬のように、甘やかな痺れをもたらす。

 ……しかし、いつか娶られる伴侶を思うなら、あの悪癖は矯正されるべきだろう。


 ゆっくりと身を起こした珠光は、退屈そうな表情で黒手袋を咥える梏杜を見上げた。潔癖とまでは言わないが、梏杜は筋金入りの人嫌いだ。『外』の人間と接触するときは必ず、両の手を布地でおおう。


 魔物を斬り捨てるときでさえ、梏杜はそれを外さない。彼が素手で触ろうとするのは、この閉ざされた箱庭に運びこまれる書類、あるいは珠光の髪くらいのものだった。



「――では、私はこれで」

「珠光」

「なんでしょう」



 役目は果たした。短い挨拶を残して退席しようとした珠光を、有無を言わさない口調で梏杜は呼びとめた。


 蒼みがかった光沢をまとう黒珠が、まっすぐに珠光を見つめている。梏杜の眼光は鋭く、慣れていない者ならば、それだけで腰を抜かしてしまいそうな威圧感があった。


 しかし、珠光にとっては、慣れたものだ。

 月のような黄玉は凪いだまま。頭半分ほどの身長差を埋めるように、やや上目で主をうかがっている。


 そらされることのないまま、濃密に絡みあう視線に、梏杜の口もとがわずかに緩んだ。薄い唇が開き、重低音が大気を揺らす。



「お前のソレはどうにもならないのか」

「おそれながら。梏杜さまは、英雄エドゥアルドの血族に連なるお方。卑しき生まれの私には、こうして御前に立つことさえおこがましいことです」



 『エドゥアルドの血族』――王家を指す決まり文句を掲げると、梏杜の機嫌がわずかに降下したのがわかる。


 なかば神格化された建国の祖。国名にもなった伝説の英雄は、闇ほども濃い髪と蒼黒の瞳をもった美丈夫であったという。――まさに、梏杜のような。


 ゆえにエドゥでは、暗い色素がもてはやされた。一方で、淡い色彩は光色と呼ばれ、忌避されている。それは闇色との比較とは別に、もう一点。この地を支配する、忌わしくも偉大な獣を思い起こさせるためだ。



 遠い日。肉親に放りだされた珠光を拾いあげ、梏杜は傍仕えとして認めさせた。



 いまでこそ実感を伴って分かるが、当時の城下を駆けめぐった激震は、はかりしれないものであっただろう。


 先王は、末っ子の梏杜に甘かった。王位からもっとも遠く生をうけた王子は、見目の麗しさも手伝って城中を魅了していた。そうであればこそ、まかり通ったわがままでもあった。


 梏杜を、ひとは愛し子と呼ぶ。世界に愛された者。国に愛された者。成長に伴って親愛が畏怖に変わってもなお、彼に集う信仰心は根強い。

 当然のごとく、比して、珠光への風当たりは厳しかった。ふさわしくない忌み子。従者として周知された後も、陰湿な嫌がらせは絶えずつづいた。いまでさえ、完全に消えたとは言い難い。



「くだらない」



 不機嫌に吐き捨てた梏杜は、手袋をつけ終えた右手で執務室の戸を閉めると、迷いなく靴先を議事堂へ向けた。



「こい。珠光」



 梏杜の言葉をうけて、反射的にその背を追う。

 斜め後ろに控えながら、珠光は彼の意図を察して顔をこわばらせた。


 梏杜は、議会への供を命じているのだ。各隊長と王侯貴族のみが顔をつきあわせる軍部の最高機関へ、珠光もまた参列しろと。


 いくら副官の地位を得たとはいえ、珠光の生まれは平民、その最下層である。まして忌み色を負う身で、そこまで登りつめたのは奇跡にも等しい。議会への参列など、冗談にしても笑えない。



「しかし、……」

「俺の命が聞けないのか?」

「梏杜さま!」



 逆らうなどという発想は、珠光にはない。考えるよりも早く、身体が従ってしまうほどなのだから。

 意地悪く喉を鳴らす梏杜は、わかった上で言っているのだ。



「珠光。お前は俺の従者ものだろう。誰にも文句は言わせない」



 不遜に語られる言葉に、珠光は、どうしようもなく……高揚した。


 議会に、珠光の席はない。梏杜の副官として参列することはできない。ただ、従者として――『梏杜の付属物』としてならば、側にひかえることもできようか。


 前例はない。だが、梏杜には、例外を認めさせてあまりあるだけの力がある。生まれに付属するものではない。名実ともに王都の守護者として立ち、民の憧憬を集める者として、梏杜は型破りな実権を持っている。



 十あまりの王弟のなかでもっとも王位から遠い身でありながら、梏杜には、圧倒的な支持率がついてまわる。



 さる理由により、他国と交戦することのないこの国では、形だけの軍人が溢れかえっている。しかし軍部のなかでも唯一、血を浴びることを使命とする群れがある。民の生活を脅かすモノを殲滅することを目的とした精鋭の独立部隊――それが、第七師団だ。


 先王の末子は、宮中の立場を捨て、地を這う蟻の王として君臨することを選んだ。降りかかる不浄を一刀のもとに斬り捨てるその背中に、兵は、民は、全幅の信頼を預ける。



 ――追いかけた背中は、まだ遠い。



 複雑な想いを噛みしめながら、珠光は視線を落とした。ついでとばかりに、主の腰もとで揺れる長剣を恨めしく睨む。


 あまたの血を吸い、敵を屠ってきた相棒を、梏杜が手放すことはない。どのような場であろうとも。そうと知りながら、あえて珠光は苦言を呈した。



「議会への帯剣は禁じられておりますが」

「抜かなければよいのだろう」

「お預かりしておりますゆえ、なかへは、おひとりで」

「許すとでも?」



 往生際悪く、口先だけの抵抗を示した珠光を、梏杜はすげなくあしらう。



「第七は俺の庭だ。咲き誇る最上の花を、見せつけずしてどうする?」

「……お心のままに」



 胸に手をあてて、珠光はこうべを垂れる。金糸の髪をすくい上げながら、梏杜はゆるりと口の端を上げた。



*****



「あのような台詞はどうぞ奥方さまに」

「俺に嫁ぎたがるモノ好きがいればな」

「あなたを拒絶できるご令嬢がいるのなら、見てみたいものですよ」



 ゆるゆると首をふる珠光に、梏杜は鼻をならした。



「縁談は山ほど持ちこまれております。頷いてさえいただければ、どのような縁組みでも取りまとめてみせましょう」

「聞こえなかったことにしよう」

「梏杜さま……」



 不遜な主に、珠光は重苦しいため息を吐いた。

next→「かざる言葉は」

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[一言]  そんなに時間が取れなかったので短編を読ませていただきました。 引用 主とその従者に区別される。兄弟よりも近く、恋人よりも親密なその絆 >>どれだけ濃い主従関係なのだろうと思ってしまいま…
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