賽はないけど幸いと信じて
「君がアポロ君か。初めてお目にかかる、このミシェロの町の領主をやっているヨルダだ」
「冒険者のアポロです。本日はお招きいただきありがとうございます」
ヨルダさんは開口一番そう言って、俺に握手を求めた。手を握ると力強く握り返される。
このミシェロの町の領主はどんな人物かと思っていた俺にとって、その握手は福音だった。
このミシェロの町の領主、ミランダ・ヨルダ。
領主という地位は特別だ。王意に背くことがないかぎり自由に統治をする権利を有している。言ってみれば、この町の王様だ。
この町の法律を決め、税を定め、法を犯した者を裁き、モンスターといった外敵を駆除し治安を維持する。
ミシェロの町は王都まで繋がる中継地でもある。ゆえに人の流れがあり、活気がある町。商人は自由に商売をすることができ、治安も良い。住みやすい町と評判だ。
俺は今のミシェロしか知らないが、二世代か三世代前の領主は重税を課して町の人は苦しんでいたそうだ。何もしなくても中継地ということで人は入っている。税を多少高くしようとも、人は逃げなかった。いや逃さなかったか。逃げる人を許さず、その領主は限界まで税を高め私腹を肥やしたらしい。
その時代を知っている、または教えられている人達からはヨルダさんは神の様に崇められている。
領民が安心して暮らせるように努力し、驕り高ぶらず、清く生きている人物。
それがこの町、ミシェロのヨルダさんの評判。他にも、愛妻家でもあり娘を大変可愛がっており、食通なのに食えない人物とかいう冗談のような話もあるが、それは置いておく。なんにせよ、善人である以外の評価はなかった。
今の握手にしてもそうだ。
俺を冒険者、それも若造と侮っていない。いや、それどころか、町での俺の噂を信じず、自分の目で俺を判断しようとしている。力強さは感謝の証。俺の目を見て、どんな人物か見定めようとしている。
「さぁ、座りたまえ」
ヨルダさんは俺達にソファーに座るようにすすめる。
テーブルを挟んだ対面に俺達が座る。流れるように紅茶とお菓子が振る舞われる。目線で飲んでもと尋ねると、ヨルダさんはにっこりと笑い、頷いた。
では、と俺は紅茶を一口飲む。
「ふぅ……いい茶葉ですね、これは。カテラ地方の一番摘みですか?」
俺の問いにヨルダさんは目を大きくする。
「わかるのかね?」
「はい、若輩者ではありますがこれでも飲食店を経営をしているもので」
香りを楽しみながら紅茶をもう一口飲む。
淡いオレンジ色はまるでオレンジサファイアかのよう。澄んだ橙色は新鮮で若々しく、力強い香味を持っている。
砂糖やミルクも置いてはあるが、一番摘みは香りを楽しむためにもストレートでいただくのが一番かと思う。誰だったかな、コーヒーに砂糖やミルクを使うことを不純物を入れると言った人は。今ならその人の気持ちも少しわかる。ストレート原理主義ではないが、美味しい紅茶はその味だけを楽しみたいという欲求がある。
「そう言えば、アポロ君は冒険者でもあるが、迷える羊のオーナーでもあると聞いている。美食家なわけだ」
「数奇な縁で経営を任されているというだけで、料理については基本ノータッチですけどね。美食家と呼ぶにはおこがましい存在です。ただ……」
「ただ……?」
一拍、溜めを作る。
ヨルダさんが俺を見る。注目が集まるのがわかる。
その視線を受け止め、
「良し悪しがわかるというだけです」
にこやかに笑って、紅茶をもう一口飲む。
「うん、美味しい」
「ははっ、喜んでくれて嬉しいよ。ついでに、このお菓子は知っているかな?」
試すように、ヨルダさんは聞く。
瞳には好奇心があり、まるで悪戯っ子のようだ。
紅茶の横にある焼き菓子。鮮やかなキツネ色で楕円形のそれは触るとふわふわとした感触がある。
「……初めて見る焼き菓子ですね」
口に含むと、バターの芳醇な香りが包み込んでくる。濃厚な卵の味と砂糖の甘さが素晴らしい。しっとりとしたふわふわな生地が口の中で溶け合う様は甘さの津波だ。飲み込むのが惜しくなる。
「あ、美味しい」
「うむ、美味じゃ」
リンもベクトラも口元に手を当てて、目を見開いた。
「アポロさん……?」
何かに気がついたアルが目線をこちらに向ける。俺は頷いて応えた。
アルの言いたいことはわかる。
俺は何食わぬ顔で紅茶を飲み、ふぅと感嘆の息を吐く。
「いや、素晴らしいですね。洗練された菓子の境地を味わった気がします。この菓子の名前を聞いても?」
「マドレーヌと言うらしい。王都発祥の焼き菓子でね。貴族の中で一大ブームになっているお菓子さ」
マドレーヌは知っている。よく食べたお菓子だ。
地球ではふっくら、しっとりした食感が愛されている貝殻の形をしたフランス発祥の焼き菓子。貝殻の形は巡礼者がホタテガイの殻を食器として持ち歩いたことが由来とされている。
日本人にも馴染みがあるお菓子。焼き菓子と言えば、フィナンシェかマドレーヌが一番の定番に名乗りでると思う。
だが、馴染みのあるお菓子であるマドレーヌであるが、アルハザールの世界において俺は見たことはない。迷える羊を経営している立場でもあるから、この世界の食材・料理について目端が利いている。
そんな俺でも名前すら聞いたことがないお菓子。貝殻の形はしてないが、紛れもなくマドレーヌであるそれが、目の前にあった。
「そんな珍しいお菓子を私達に……ありがとうございます」
「えっ、そんな珍しいお菓子なの!?」
小声でリンが尋ねてきた。
よく見れば、リンの皿のマドレーヌは綺麗サッパリとなくなっていた。どうやら、美味しくてついパクリと食べたようだ。
味わって食べれば良かったという後悔が顔にありありと描いてある。
あと、ベクトラはそのリンの表情を見て、守るようにササッと自分の皿を動かしていた。抜け目がないと褒めるべきか、今ここで警戒しなくてもと呆れればいいのかわからない。あとアル、リンに見せびらかすように食べるのはやめたまえ。リンが泣いたらどうする。
「ミシェロではまだ見たことがないお菓子だからなぁ。王都、それも貴族だけで話題になっているお菓子だと思う……思います」
つい仲間に話す気安さで言ってしまった。領主の心象を下げないため、慌てて言葉を直す。
ヨルダさんは気にすることはないよとにこやかに笑った。嫌味のない笑みはヨルダさんの人柄だろう。善人という噂は本当のようだ。
「うん。でも、レシピは公開されていてね。物珍しいのも今のうちだ。すぐにミシェロ、いや世界中に広がるだろう」
優雅に紅茶を飲みながらヨルダさんは言う。
「ですが、逆を言えば今は価値が高いということでしょう」
こちらも優雅に紅茶を味わいながら頭をフル回転させる。
レシピは公開されているのか。地球での歴史ではマドレーヌのレシピは非公開だった。門外不出の品とされ、貴族の権威づけに利用されていた。
意外かもしれないが、料理というのは外交において多大な力を持つ。その地域で取れる品、鮮度の有無、素材を活かす技術、そしてそれを盛り付ける皿に、貴人をもてなすのに相応しい食卓の装飾。
その国の力を見るのには、食事を一緒にすればわかると言われてきた。古来から現代にいたるまで晩餐会というのは重要な催し物なのである。
また、食は三大欲求の一つでもある。美味なものであれば莫大な金を費やすのも惜しまない人も多くいる。
そして、甘味となれば、女性陣の声も強くなる。
いかに男社会といえど、奥さんに強く言われたら人間弱いのである。また女性へのアプローチにも使え、美味なる菓子を求める人は限りなくいる。
レシピが非公開ならば、手に入るのは一部の者だけになりその価値は計り知れなくなる。
ゆえにレシピは黄金の価値を持っていたと言っても過言ではない。そのレシピが公開されている。
勿体ない、知りたいと思う他に、どうやってという気持ちが湧いてくる。
実はマドレーヌは迷える羊でも開発できないか極秘裏に研究していたものである。
マドレーヌの材料はシンプルで小麦粉、砂糖、バター、卵、ふくらし粉だけでいい。
必要な物は少なく、菓子の中では作るのはさほど難しくないものだったが、マドレーヌを作るのは難航していた。
マドレーヌを作るための正確な分量やレシピもそうだが、ふくらし粉の入手が一番の問題だった。ベーキングパウダーとも呼ばれるふくらし粉は炭酸ガスを発生させて、生地を膨らせるものである。現代のお菓子では欠かせないもの。
そのふくらし粉がアルハザールでは存在しなかった。いや、どこかにあるのかもしれないけどミシェロの町には見当たらなかった。代用する物はないかと探している途中だった。
俺が作れなかったもの。完成品が目の前にある。黄金の価値をもたらすものだったものが。
「ふふっ、それだけ感謝しているってことさ。なんせ君達は娘の命を救っていただいた恩人だからね」
食べたら一瞬でなくなるもの。俺達のような冒険者に食べさせても見返りはほとんどないだろう。でも、それでもヨルダさんはマドレーヌを俺達に振る舞った。ヨルダさんが本当に感謝している証ということでもある。
「ははっ、そう面と向かって言われると照れますね。私達はたまたまカルネキの根を手に入れただけですから」
会話を続けながら考える。
なぜ、ここにマドレーヌの完成品がここにあるか。
十中八九、転生者の仕業だろう。故意かそうでないかはわからないが、マドレーヌの開発に成功。そのまま、レシピを王都で公開。貴族中心で話は広まり、ヨルダさんが持ってきたと。恐らく、ヨルダさんがカルネキの根の調合のために王都に向かった際、娘のために手に入れたのだろう。
他の転生者が異世界に何か影響を起こすと思っていたが、予想より早い。マドレーヌが開発された時期を逆算して考えても、転生直後とは言わないが、初期の可能性が高い。どういう意図でマドレーヌを開発したか知りたいが……。
「それより、ミステリカ様の容態は?」
ヨルダさんの娘、ミステリカ。
御年八歳という少女である。彼女が難病に冒され、命の危機に陥っていた。
その彼女を心配もせず、マドレーヌのことについて聞くのは悪手だろう。
「うん。お陰で命の危機は脱したよ。眠ってばかりいたからね。筋力が衰えて日常生活を送るにはもうすこし時間がいるみたいだけどね」
「喜ばしいことです。ミステリカ様も若いですから、すぐに元気になるでしょう」
「ははっ、本人は退屈だ、ベッドで寝てばっかりで退屈だとうるさいけどね」
「この後、ミステリカ様に会っても? こちらのアルやカルネキの根を手に入れる立役者のリン、神聖魔法の使い手でもあるベクトラならばミステリカ様も安心してお話しできると思いますが」
いくら命の恩人といえども、男が会いに来たらミステリカ様も驚くだろう。なにせ相手は小学校低学年なのだから。
その点、アルは妖精で愛くるしい。リンもベクトラも女性で威圧感はない。それに両方共冒険者であり、ベクトラは神聖魔法の使い手だ。ミステリカ様の興味の引く話も数多にあるだろう。
「うん。こちらからも娘に会って欲しいとお願いしたいぐらいだ。娘は外にでることができないからね。外の話に飢えているんだ」
「ふふっ、遊びたい盛りの年頃ですかね。外にでられないとわかっていても、不満は溜まるものです。ヨルダ様も手を焼かされていると思います。
……そこで、見舞いの品ではないですが、ミステリカ様の興味を抱く品や暇を潰せる道具を持参しました」
「ッッ!?」
俺は黒い渦を空中に出現させ、その中から平たい正方形の板と小袋を取り出した。
小袋の中には白と黒で塗られた木製のコイン。表面は白一色だが、ひっくり返せば黒になる。
「名前はまぁ……あとで決めるとして、今はリバーシと呼びましょうか」
コトンと机にリバーシを置く。
ヨルダさんは目を限界まで見開き、俺の動きにつられて机に置かれたリバーシに視線に移そうとしたが、すぐに視線を俺へと戻し止まった。
驚愕の表情でじっと俺を見続ける。
俺はヨルダさんが何に驚いているのかわかっていながら、それをまるでわからないと誤魔化し、笑顔を作る。
「きっとヨルダ様もミステリカ様も気に入ると思いますよ」
さぁ、賽は投げられた。
楓と出会うために、俺は勝負にでる。