ミシェロの町で名声を求めるのは間違っているだろうか
6月9日-サブタイトル変更しました。
「ふぅ……」
ソファーに座りながら、果実酒に入ったグラスを揺らす。
波を作ることで、果実の芳醇な香りが鼻孔に届く。
「優雅ですねぇ……」
アルも俺の膝に座りながら、俺と同じ果実酒の入ったグラスを揺らす。
……どうでもいいけど、そのミニチュアなグラスはどこから手に入れてきたのだろうか。普通のグラスのミニマム版なのだが、精巧に出来たそれは売れば金になりそうだ。
「だなぁ……」
だが、心の中で思うだけで、表には出さない。
外に目をやればさんさんと太陽は輝き、時折吹く優しいそよ風がカーテンを揺らす。
気候的にも涼しくなったばかりで過ごしやすい。
「二人とも! そこでボーっとするなら掃除手伝ってよ!」
チラリと声のする方向へ視線を向ければ、エプロンとバンダナをつけたリンの姿がそこにあった。手には箒と雑巾が。
「リンさん、ホコリが飛び散るので掃除するなら外でやってくれませんか?」
うんざりとした表情でアルは首を振る。
言われてみると確かにと思う。果実酒を味わっている最中なのだ。ホコリが飲み物や食べ物に入ってしまったら、捨てたくなる。この果実酒は安いものではなかったので味わって飲みたい。
勿論、果実酒といってもアルコール度数は低く子どもでも飲めるくらいもので、昼間っから酒をかっ食らっているわけではない。
「アポロさん、あーんです。あーん」
「ほいっと、あーん」
アルは視線をリンから俺に向ける。
そして、可愛らしい小さな口が開いた。
俺はそこにサラミを入れる。もきゅもきゅと音を立てながらアルはサラミを咀嚼する。塩辛いサラミを飲み込み、果実酒を一口飲む。ぷはぁっとの声。渇いた喉が潤った満足感がありありと窺える。
ちょっと行儀が悪いように見えるが、アルを見ていたら俺もサラミが食べたくなってきた。
皿からサラミを取り、口に入れる。
ちょっと固い肉の感触が、唾液と混じり合い柔らかくなっていく。噛めば噛むほど旨味がでてくる。乾き物はこれだからやめられない。もきゅもきゅと音を立てながらサラミを味わっていく。
肉の旨味と塩辛さ。喉が乾くが、そこで冷えた果実酒で喉を潤せば、もう最高という言葉しかでてこない。キンキンに冷えた果実酒がなんと美味いことなのか!
「美味しいですねぇ」
「だなぁ……。そして、風景を見ているだけで……何もしてないのに最高に楽しいわ」
「アポロさん、何もしてないのにじゃなくて、何もしてないからこそ楽しいのですよ!」
「なるほどなぁ。深いわぁ……」
思えば、この世界に来てゆっくりできたのはいつぐらいだろうか。
やることばかりで振り回されてばかりの日常だった気がする。
平穏な一日とはなんてかけがえのないものか。
できればこの平穏な日々が続きますように……。
「だから、掃除の邪魔って言ってるでしょう!」
だが、ここにその至高な時間を崩そうとする者が一人。
せっかくの美人なのに、怒っていたら台無しだ。
いや、怒っていても可愛い。あどけない顔立ちのせいで、怒っていても怖くない。
「言ったっけ?」
「言ってませんでしたね。手伝ってとかなんとかは言ってましたけど」
ねー、とアルと一緒に頷いてリンを見る。
「………………」
ギシリとリンが持つ箒の柄から音が鳴った。あと、こめかみがピクピク動いている気がする。
もしかして怒ったのだろうか。掃除を一旦中止して仲間になればいいのに。
「それに私は掃除するなら外でとお願いしましたよ。私達は優雅なアフターヌーンティーを楽しんでいますからね。女中の方は主人の楽しみを壊してはいけません」
「アフターヌーンティーって言っても、紅茶じゃなく果実酒だけどな」
「だってしょうがないじゃないですか。サラミは紅茶に合いませんもん。サラミが尽きたら、クッキーを出しましょう。そしたら紅茶が飲めます」
「ハハッ、いいなそれ。最高に贅沢だ。掃除は後にしてリンもどうだ?」
「リンもどうだ……じゃないでしょ!」
うがーとリンが怒りだした。
「うわっ! どうしたっ!?」
「どうしたもこうしたもないわよ! ミシェロの町に帰って来てから、怠けっぱなしじゃない!」
「怠けるとは人聞きが悪いですね、リンさん。英気を養っていると言ってください」
ねぇ、アポロさんとアルが目線を向けてくるが、俺はアルほどふてぶてしくはない。
自分でも怠けているとわかっているのだ。
「冒険者達もアポロは最近怠けてるとか死ねとか遊び呆けているとか陰口を叩いてるのよ」
「とりあえず二番目に言った奴を教えてくれ」
最初と最後は事実なのでいいが、二番目だけは許しちゃおけねぇ。
「で、でも、領主と会うには時間がかかるからな。待てと言われたら待つしかないし、他にクエストを受注するわけにもいかないだろ」
頬をポリポリと掻きながら、リンに言う。
俺達の旅の目的はカルネキの根の入手。
領主の娘が重病で、それを治すにはカルネキの根が必要だ、取ってこいと特別クエストを出された。
貴重な品で手に入る見込みは薄いと思われたが、幸運なことにリンの故郷にカルネキの根が保管されていた。紆余曲折はあったが無事にカルネキの根を手に入れた。
で、カルネキの根を手に入れて領主に渡せば完了、褒美を渡すというわけではなかった。
俺達が持ってきた物がちゃんと本物か調べ、本物とわかったらそれを調合できる人を呼ばなければいけない。
当然、俺達に調合の技術なんてないから待機を言い渡された。報酬も娘さんの回復を待ってからという話だ。
領主に会うのもその時だろう。なにせ領主の娘の命がかかっている。こちらから無理を言って、領主の心象を悪くするわけにはいかない。
呼ばれるとしてもいきなりだろうから、小遣い稼ぎにクエストしてまして行けませんでした、では領主の評価が低くなる恐れがある。
ちょっと待てと言われたからには、俺はいついかなるときにも出動できるように待機しなければいけなかった。うん、数日どころか数週間ぐらい待機している気がするが、誤差の範囲だろう。
「そ、そうだけど……」
リンの語気が弱まる。
チャンスとばかりにアルが畳み掛けようとする。
「それに私は金に物を言わせて、掃除をしてくれる人を雇おうって言ったんですよ。それを金に目が眩んだリンさんが「無駄なお金を使うんだった私がやる!」って言ったんですよ」
「事実だけど、言い方が悪いな」
「うぐぐぐぐ……」
「それをただの女中が主人に意見を言うとは頭が高いとしか言い様がないですね! お里が知れるって言葉知ってます?」
そのお里にこの前皆で行っただろうが。
それに、いつからリンは仲間から女中にクラスチェンジしたのか。ツッコミたいことばっかりだ。
とりあえず、未だにグラスを揺らしてセレブごっこしているアルの頭を掴み、リンに渡す。うおおとの声と共にリンの手元にアルが。俺はにっこりと笑って言う。
「引きちぎりたかったら、どうぞ」
「ちょっ!?」
「い、いいの……?」
俺からアルを手渡されたリンは、まるでバレインタインデーに同級生からチョコを貰った青少年みたいに、信じられないと、淡い喜びと衝撃に包まれていた。
「そこ、リンさん! 口を開けて呆然としない! なんでそんなに嬉しそうなんですか!?」
「最近、片方くらいなら羽をちぎっても良い気がしてきた。この前ベクトラと相談したときも、ちぎれた羽ならすぐに治せるかもって言ってた」
「何相談してるんですか!? え? それに治せるかも? 絶対じゃないのですか!?」
「そこは実際にやってみないと……」
「やらないでいいですよ! というか、私は仲間ですよ! 酷いことしないでください!」
「リンも仲間だからな。酷いこと言うな」
「ぐっ……」
痛いところをつかれたとアルが唸る。
「さ、さてと、掃除するか」
怠けていても駄目だ。外部に云々言われるのはいいが、仲間から言われるのは良くない。
自分の暮らすところぐらいちゃんとしよう。
「ありがとう、アポロ。広いから一人だと大変で」
「あれ? ベクトラは?」
最初二人で掃除するとか聞いていたのだが、どうしたのだろうか。
「ベクトラはギルドに呼ばれて出ていっちゃったの」
しょんぼりと肩を落とし、はぁと溜息をついたリン。
「ギルドに? ベクトラさん、どの悪事がバレたのですか?」
「ベクトラが悪いことをしてたと前提に話すのはやめような」
なぁ、とリンに目線を送る。
実は内心ドキドキしていたのは秘密だ。ベクトラがやっていなくても、俺が原因で呼び出されたというのも考えられる。
「ギルドに怪我人がでたらしいわよ」
「あぁ……ベクトラさんはヒーラーですものね。お医者さんですからね」
ふぅーと安堵の溜息が漏れでる。
そうだよな。領主の件ならパーティーリーダーの俺が呼ばれるはずだし、ギルドマスターは知り合いだからギルドからわざわざ怒られることはないはずだ。
「ベクトラも大変だな」
ベクトラはパーティー活動がないときはギルドで簡易治療場を開いている。ちょっとした怪我や状態異常を格安で治したりするからかなり好評だ。
ただ、便利屋のような扱いのため、たまにこうしてギルドから呼ばれることもあるという。お医者さんはどの世の中でも大変だなと思った。
「裏ではアポロが働かせてるって陰口を叩かれてるわよ」
「ぐっ……俺が強制しているのではないがな」
確かに、ギルドや冒険者に恩を売っておくことは何気に重要だ。何事も公平にという平等性はこの世界、アルハザールには薄い。区別があるのは当たり前。強き者は生き、弱い者は死ぬ。冒険者にとって死は常に隣同士のもの。だからこそ、自分に利益を提供してくれる者には優遇する。
ギルドからも特別な待遇を受け、冒険者からも様々な情報が手に入ってくる。
ベクトラが行う治療はお金を稼ぐという意味ではあまり実入りの良い仕事ではないが、目で見えない報酬は膨大なのである。
「最近、ギルドでアポロさんの評判が地に落ちてますよね」
素知らぬ顔でアルは言う。
リンはウンウンと腕を組みながら頷く。
「最近、しょっちゅう他のパーティーから勧誘受けるから面倒なのよねぇ。嫌になるわ」
「借金あるから逃げられないのにね」
「ねー」
と、アルと微笑み合うリン。
会話の内容は笑えないのだけど。槍の値段とか、下手な城を買えそうなほどの値段で返すの無理じゃないかと内心思っている。それでも律儀に俺にお金を貢ぐ(かえす)姿は涙なしに見れないと冒険者から評判だ。あと、借金を課している原因は俺のせいだとされていて、一部の冒険者から俺は悪鬼のように恐れられている。
「でも、借金の金額言えば引き下がるのではないでしょうか? 普通のパーティーには背負えない金額ですよ」
「うん。大体はそれで引き下がるけど、中にはこの町を捨てて逃げようと言ってくる人達もいて困るのよ」
はぁ、とリンは片方の手を肘に、もう片方の手を頬に手を当てて悩ましげな溜息をつく。本当にそういう勧誘が多いみたいだ。善意で言ってくれる分、断るのが難しいとか。
「正義感をこじらせた奴らはこれだから困りますね。理想だけを見て現実を見てない偽善者め。現状を見てないで、ただ耳障りの良い事をやるだけで物事が解決できると思ってるんですよ、きゃつらは。借金はそう簡単に捨てられねぇってんですよ」
ペッとツバを吐くフリをしながらアルが文句を言う。
というか、よく考えたらあちらの方が正しいと思うのは俺だけだろうか。
リンに槍の正規の値段の二倍で押し売りして、働かせている。そして、リンは女性だ。これ、外から見たら、借金を盾にリンを好き勝手に使っていると思われても仕方がない。
それと、俺の最近の評判を合わせて考えると……俺がリンを手ごめ(古風な表現)にして、更に金を稼がせていることになるわけだ。
「さ、さーて掃除を頑張ろうか!」
辿り着いてはいけない真実から目を逸らすため、わざと明るい声をだしながらリンに言う。
真実は俺達だけが知っていればいいんだ。仲間から軽蔑されなければ大丈夫。うん、俺は強い。何度も、自分に言い聞かせる。
「ん……そうね。お喋りばっかりしてたら掃除が進まないもんね。うん、頑張らなきゃ」
むんずと手を握りやる気をだすリン。
それから俺達は掃除を開始する。アルは空を飛べるので天井や壁、照明のホコリを落とし、リンが落としたホコリを集め、俺が最後に床を拭く。
大まかな掃除はもう終わっているので、細かな掃除をすればいいだけだ。トスカリーさんのお陰でリンの使う精霊魔法のレベルが上がった。ホコリがまるで俺達を避けるように動き、外へと向かっていく。快適な環境の中、掃除は進んでいく。
「しかし、一国一城の主って良いものですね」
「ね。でも、冒険者なのに家を買っちゃっていいのかしら?」
「長期不在の間は掃除してくれるサービスもあるから大丈夫だ。貴重品ならアイテムボックスに入れとけばいいし」
「本当にアイテムボックスって便利ね。盗られる心配もないし、なんでも入れられるもの」
「だな。これがなかったらどうなっていたかと思うよ」
ミシェロの町に帰ってきてから俺達は家というか屋敷を買った。
2階建ての地下室付きという贅沢な建物だ。
購入資金はリゼットの村とトスカリーさんからの報酬からである。屋敷を買ってもお釣りがあったりする。報酬の金額も大きかったのもあるが、この屋敷を格安で手に入れたのも大きい。
町の中心部から遠い場所にあるという欠点もあるが、その分土地代は安いし、長年買い手がつかなかったので値下がりしていた。
それを、コネという絶大な武器を全面に押しだして購入した。こちらはギルマスや商業ギルドの偉い人の知り合いでもあり、領主が喉から手が出るほど欲しがっていたカルネキの根を手に入れた新進気鋭の若者。商売を生業にする人ならば無碍には出来ないお客様だ。
忖度万歳としか言い様がない。屋敷が欲しいと相談すれば、あれよあれよという間に話は進み、候補地が出され、値切らずとも格安価格が提示される。
お金があると言っても、冒険者だから物入りでしょうと、相手が勝手に値を下げてくれた。
ある意味、この世の闇かもしれない。
普通の人物では辿り着けないルートを新幹線よろしくばかりに快速で進んでいった。
この事態を傍から見ていたリンは「え、なに、怖い……」と震え、アルは「ハハハ、相手の気持ちを推し測ってくれる和の心みたいですね。気遣い嬉しいです。もうちょっと安くなら嬉しいですが。え、無理? なら何かサービスとかつけれません?」と更に要求し、ベクトラは「主殿が言っておった情けはひとのためならずの意味が少し理解できたのじゃ。こういう風に利用すればいいのじゃな」と感慨深げに頷いていた。
別に何も悪いことはしていないですけどね! あと、なぜか冒険者間からの俺の評判は更に下がった。この屋敷の蔑称すらある始末。爛れた生活なんて送ってねぇよ!
「ふぅ……やっと終わった」
「お疲れ様じゃ」
掃除の後半、ベクトラが戻ってきてそのまま掃除に参加。
人数も三人と一匹となり、掃除のスピードもあがった。
「途中アポロさんの手が不規則に遅くなったりもしましたが、今日中で終わりましたね」
「それは言うな」
女性と掃除をするというのは危険が一杯なのだと悟った一日だった。
無防備な姿というか、リンはリンで動きやすい服装ということで腕や太ももを露出した服装だし、床を拭くのを手伝ってくれたときはお尻をこちらに向けて掃除するし。冒険者として大殿筋が鍛えられているので、肉づきが良くつい視線がそちらに向いてしまう。誘うように左右に揺れ、視線が釘付けになってしまう男の性が憎い。途中アルのせいで、俺が見ていることがバレたが、リンは「見ないでよ」と言っただけでまるで気にしてないと掃除に戻るし。耳は赤くなっているので恥ずかしいようだが、お尻が左右に動くのは止まらなかった。
ベクトラは前かがみになって掃除をしたりすると、豊かな胸が動くし。普段の着物姿じゃ掃除のとき汚れるとシャツとスカート姿で掃除するから新鮮だし、着物よりガードがかなり緩くてドキドキした。目が合うとわかっていると微笑むし! あと、何気に下着を着ていないような気がするのは俺だけだろうか。聞くに聞けない。
「私には見とれなかったのがちょっとムカつきました」
「フッ、アルだけが俺の癒やしだった。見ていると落ち着く」
「ムカーッです! 全然、褒めてないですよね!」
「見られても恥ずかしいのだけどね」
「カカッ、女として魅力があるということじゃ、リン殿。嫌がるより素直に受け取って置くほうがいい」
「ぐっ、大人っぽい意見ね。流石、年をとってるだけ……」
「そいっ!」
「目がぁぁぁ! 目がぁぁぁ! ベクトラ、何するのぉぉぉ!」
「ぷい、じゃ! 拙者は何も悪いことはしておらぬ。リン殿のせいじゃ」
「なぁ、アル。つまりベクトラの言葉を受け取るとな、アルには女性的な魅力ってもんがな」
「やめて! 何、傷を抉ろうととしているんですかっ! 普通、放置する話題ですよね! 掘り起こす話題じゃないですよ! それに私が色気がないのは妖精の姿だからですっ! 元の姿ならきっとナイスバディですよ!」
掃除の開放感からか、騒ぎに騒ぐ俺達だった。
その騒がしさの中、屋敷をノックする音が聞こえた。
「あの、アポロ様の家だと伺っておりますが、アポロ様はご在宅でしょうか? 領主の使いです!」
単語説明。
忖度……他人の気持をおしはかること。