7章プロローグ―走れダンス―
この話は、プロローグ的なものなので時系列がちょっと違います。
「なんだってんですっ!」
ちくしょう!
ダンスは吐き捨てるように呟いた。
ダンスはミシェロの町で昼食後の散歩をしていた。大通りからちょっと外れた小路地。
喧騒から一歩離れたその場所は腹ごなしに歩くにはちょうどよかった。
雲一つない青空、時折吹く涼しい風。
安らぎのひととき。
ダンスのお気に入りの時間である。
だが、それも一瞬で終わった。
「見つけた!」
遠く、正面から放たれた言葉。
耳が長い種族、エルフの少女が叫んだ。
最初、ダンスは自分に言われたのかわからなかった。
後ろを向いても、誰もいない。また、エルフの少女はこちらをじっと見つめていた。
もしや、オレに言っているのか。
理解するのも一瞬であれば、逃走するのも一瞬だった。
ダンスは身を翻し、石畳を強く蹴った。
「何で逃げるのよっ!」
(あんたが走ってくるからでしょうがっ!)
見つけたの言葉と共に、エルフの少女は小走りでこちらにやってきた。
嫌な予感がした。
ダンスは直感を信じ、全速力で逃げ出した。
あのエルフの少女は話したことはないがよく知っている。
残念エルフ、借金エルフと呼ばれることもあるが、しかし、こうも呼ばれる――アンタッチャブル。
愛嬌のある顔立ちといじられキャラであるが、それを甘く見た者は地獄を見る。
この町をよく知っている者はたとえ、彼女が借金を背負っていていじられていても馬鹿にはしない。
ダンスは馬鹿にできない理由を知っていった。
「貧乏神が移るからですよっ!」
「なによ、それっ! ちょっと、待ちなさいよっ!」
ダンスは激走した。必ず、かの邪智暴虐なエルフから逃げねばならぬと決意した。ダンスにはあのエルフが何を望んでいるかわからぬ。
ダンスは情報屋である。
ミシェロの町に根を張り、表と裏の情報を扱って暮らしてきた。だから、厄介事には人一番敏感であった。
今まで培ってきた直感が逃げろと訴えるのだ。
「あっ! こらっ! 待ちなさいってば!」
「ハッ! 断りますよっと」
いかに冒険者といえども、ここはミシェロの町。ダンスの庭である。
網の目のような路地を右へ左へ、空き家に入って違う路地へ。
ダンスは簡単にエルフの少女を撒くことができた。
冒険者には力では敵わないが、逃げるだけなら簡単だ。
ダンスは落ち着きを取り戻す。
「はぁ……はぁ……」
息を整えながら天を向くダンス。
青空は気持ちのよいぐらい晴れやかだった。
あのエルフと面識はない。
恨みを買った覚えもない。いや、これから買うかもしれない。
ダンスはある情報を得た。
それを元に金儲けをしようかと思っていた。その矢先エルフが目の前にやってきたのだ。
「しかし、なんだってんでしょうね……」
なんという不運。
こんな偶然あるのだろうか。日頃の行いのせいだろうか。もし、そうなら教会に懺悔でもしに行こうかとダンスは現実逃避しながら、息を整え、前を見た。
「え?」
目の前の道。
大通りに出るそこに、着物を着た褐色のエルフがいた。光の加減でわからないが、口角を上げているようにも見えなくはない。
コツコツと靴音が鳴る。
ゆっくりと近づいてくる。
ダークエルフが微笑みながらやって来る。
その優雅な足取りはまるでダンスのこれからの未来を知ってるかのようで――
「くそっ!」
ダンスは脱兎のごとく逃げ出した。
路地裏を西へ東へ、北に南に。
縦横無尽にダンスは走る。
一見無秩序に動いているように見えるが、ダンスは計算の元に移動している。
もし見つかっても逃げ道のある場所、協力者のいる場所、そして安全地帯の場所。
全てを考慮しながら、計算づくで動いている。
追手が迫るという危機的な状況であったが、ダンスは冷静だった。
体力を温存しながら、逃げ回る。
周囲に人影はない。
いや、いるにはいるが存在するのは路地裏で商いを行っている露店の主人だけだ。
ダンスは露店の亭主に銅貨を渡し、果物を手に取る。
ダンスは果実に齧りつく。瑞々しい果汁が乾いた喉を潤す。
「ふぅ……エルフだけじゃなくダークエルフもオレを探す……一体どういうことですかねぇ……」
人心地ついたと、ダンスは逃走経路以外のことについて考え始める。
果汁で汚れた口元を袖で拭き、目を細める。
エルフ達は何が目的でダンスを追ってきたのか。
ダンスに彼女達との面識はない。ないからこそ、気になる。
自分が彼女達のパーティーに敵対したこともなければ、味方をしたこともない。
追われる理由もないが、逃げる理由も同じくなかった。
だが、ダンスを生かしてきた直感に促されただけだ。
だからこそ、なぜ直感が走ったかという問題になる。
正直、あのパーティーは話題に事欠かない。
ダンスを追ってきた白いエルフ、精霊魔法の使い手であり、槍の名手。
精霊魔法は精霊を行使し、様々な事象に働きかける。索敵や援護、魔法で相手を殲滅することもできる。ヒューマンが使う魔法より自由度が高く、属性の幅が広い。
後衛として是非欲しい人材なのだが、彼女はそれだけではない。彼女が持つ槍。Aランクでも持てないような強力な槍を所有している。
投げ槍が本来の姿だと言うが、近接戦闘においてもそこらの槍を凌駕している。そして、投げれば魔法を使うように相手を凍りつかせる。呼びかければ主人の手元に戻るというおまけつきだ。
前衛にもなれれば、後衛にもなれる。言うなればマルチプレイヤー。歴戦の猛者と思えば、華奢な体つきで、どこかあどけない。パーティー内でよくいじられており、親しみやすいエルフ。ひっきりなしに他のパーティーに誘われていると聞く。
そして、二番目に出会ったダークエルフ。
侍に憧れ、口調も服装も侍の真似事をしている変わり者。
彼女は神聖魔法の使い手である。
神聖魔法は回復魔法であり、怪我を治す。利便性ではポーションのほうが分があるが、ポーションは瓶に入っているため壊れやすく、なにより高い。等級が高くなればなるほど高価になる。
そして、神聖魔法は怪我の治療だけではない。毒などの状態異常や、モンスターを寄せつけない結界を張ることもできる。野営において、この結界は非常に役に立つ。
神聖魔法の使い手は普通、教会に属しており野良にいることすら稀だ。
だからこそ、希少価値があり、どのパーティーも喉から手が出るほどの存在だ。ギルドにおいて簡易治療所を開くダークエルフにも勧誘の声は多い。
だが、これほど人気のある二人は勧誘の声に首を縦に振ることはない。一時的なパーティーなら参加するのだが、恒久的なものには一切応じないのだ。
なぜとの声があがる。
それほど今のパーティーが高待遇なのかと思えば、そんなことはない。白いエルフは、借金が、借金がと虚ろな目でクエストを漁っている姿を目撃されている。
更に言えば、彼女のパーティー自体が最近活動しているという話を聞いていない。休止状態に近い。
彼女達のパーティーリーダーが一角の人物かと思えば、それも違う。
平凡な男というのが冒険者達の見解だ。武芸が光るとかパーティーのリーダーとして求心力があるといったことも聞いたことがない。
だからこそ、彼は他の冒険者に睨まれ、やっかみを受けている。
だが直接的な被害を受けたことはない。陰口を叩かれることはあるが、正面切って絡まれることはない。
それは、なぜか。
彼のテイムする妖精にその理由がある。
体長は二十cm程度なのだが、可愛らしい顔立ちで愛嬌がある。天真爛漫を体現するかのように明るく、パーティーを冒険者ギルドを華やかにする。
目まぐるしく変わる喜怒哀楽の表情と健気に主人に尽くす姿。心にするりと入り込み、警戒心を抱かせないのは妖精だからか。そして、男性目線に立った発言は発言力の弱い男の代弁者と言われている。
信者も多ければ、隠れ信者も多い。
ギルド職員の耳をマッサージする現場では、微かに漏れる艷声を耳をダンボにする冒険者多数。また、妖精がバランスを崩し彼女の服の襟そでを掴んだ際に胸の谷間を露出させてしまった事件があった。その事件を目撃した冒険者は妖精に惜しみない賞賛を贈り、感謝の意を示したという。
これは余談だが、この被害にあった職員は後に妖精の主人から謝罪の品を贈られた。ギルド職員は「み、見えてないからだ、大丈夫です。え、でも正面にいたアポロさんの角度でも大丈夫か……えっ、見えてないですよね!? なんで目をそらすんですかっ! えっ!? えっ!?」とのコメントを残している。
この発言を聞いた他の冒険者は本気ととり、妖精の主人を恨んだのは言うまでもない。
正直、彼より妖精のほうが有名だ。
影響力も計り知れない。冒険者ギルドだけではなく、町の人や露店、果ては領主まで影響を持つとも言われている。
眉唾ものの話であるが、嘘であると情報屋であるダンスですら一蹴できないのが怖い。
その妖精が主人である彼を慕っているのだ。悪意を持って彼を非難すれば、妖精が牙をむく。妖精自体に戦闘力はないが、言葉の力は絶大だ。社会的信用を落とすなんて朝飯前。そして、どこから知っていたのか敵対者の弱みを手に入れている。弱みをチラつかせ、改心させるばかりか、敵対したはずの人物に恩を売り、信者としてしまうのは傍から見れば魔法の類いだ。
パーティーリーダだけが目立たないパーティー。
そのパーティーリーダーであるが、調べていくうちに面白いことがわかった。
ダンスはその情報を元に儲けようと――
「見つけた!」
突然の声。
見れば、白いエルフが自分の行先の通路の出口にいた。
その声を聞いた瞬間、ダンスは己の不運を恨んだ。今日は絶対に厄日だと確信した。なんで遭ってしまうのか。進行ルートは人一倍気にしたはずなのに。ダンスはこんな偶然あるのかと言いたくなってきた。
ダンスは声が聞こえた瞬間、踵を返す。靴音が滑る音が石畳に響く。
「待ちなさい! あと、貧乏神ってどういうことか説明しなさい!」
「お断りしますっ!」
冒険者の体力は異常だ。
対してダンスは一般人。多少は鍛えているといっても、冒険者ほどではない。
逃げだそうとするが、リンの速度に敵わない。
みるみるうちに彼我の距離は狭まる。
先程果物を買った露店の前でリンに捕まりそうになる。あと数メートル。視界の端にあったエルフの姿がもう目前と来ていた。
「ちっ!」
「なっ!」
だが、ダンスは露店の商品を掴み、路上へと撒き落とした。
籠に入った果物は路上に散らばり、路地は足の踏み場もない。ダンスはリンが怯んだ隙に悠々と逃げだそうとする。
「待ちなさいっ!」
「待つのはあんただよ!」
果物を踏まないように注意しながらリンが進もうとすると、露店の店主がリンの服を掴む。
「えっ!?」
「えっじゃないよ、うちの売り物が落ちてんだろ! 拾うの手伝いなさい!」
「で、でも!?」
「でももヘチマもないよ! それともあんたが買い取るの!? 嫌だったら拾いな!」
「ううっ、わかったわよ……」
有無を言わせない口調でリンを働かせる店主。
実はこの店主はダンスの協力者である。こういった追手の足止めをする役目を担っている。だからこそ、ダンスの行動には異議を唱えず、リンだけを捕まえた。
「ふぅぅぅぅ」
追手がこないことを確信して、ダンスは大きく息を吐いた。
エルフを撒いたはいいが、思わぬ出費がでたのも事実。あの店主にはいくらか金を払わないといけない。
直感に任せて逃げてきたが、これでよかっただろうかとダンスは考える。
話だけでも聞いておけば良かったかなという思いもでてくる。出費がでたのだ。話を聞くだけなら無料である。
だが、話を聞けば何かとてつもないことに巻き込まれそうな予感がする。
エルフ達が何を目的にダンスに接触しようとしたのかを調べないといけない。
「はぁ……はぁ……だが、はぁ……その前、に……はぁ……」
自身の身を安全な場所に移すのが先だ。
ダンスは流れ出る汗を拭いながら、自身の隠れ家に急ぐ。
ダンスの喉はカラカラだ。果物で喉を潤したが、それは一時的。逃げたせいで、また乾きが喉を支配する。
さっさとセーフティーゾーンに逃げこんで水を飲みたい。
今日は厄日と確信した。そのまま隠れ家でじっとするつもりだ。
あと一息で目的地に着く。
ダンスは疲れて動きたくないという躰にムチを打って、隠れ家に急ぐ。
「なにやらお疲れですね。水でもどうです?」
その途中、隠れ家まであと数歩という場所。
突然声をかけられ、目の前にグラスを差し出された。
「おお! 実は喉がカラカラでしてね。嬉しいですよ、これは! ありがたい」
もう急ぐ必要もない。隠れ家はもう目の前だ。
気を張りつめた瞬間が終わり、緩む。
差し出されたグラスを何も考えず受取り、水を飲んだ。
喉に冷たい水の感触が伝わり、五臓六腑に染み渡る。
気が緩み、喉の乾きも癒され、ダンスはやっと疑問に思った。
はて、この水を差しだしたのは誰だと。
ゴクゴクと水を飲みながら、横目でグラスを渡してきた人物を見る。
「ぶっ!! ……ゴホッ! ゴホッ!」
ダンスは思わず水を噴きだした。
「あっ! 勿体ない! せっかくお疲れのダンスさんのために冷やしたのに!?」
そこには体長二十cmくらいの妖精と――
「ダンスさん、どうしました? まるで幽霊を見たかのように驚いてますけど」
朗らかに笑う――なんで驚いているのか承知している顔で笑う、アポロの姿がそこにあった。