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転生と、杖と

 世界が変わった。奈緒はそう感じた。

 杖を握りしめた瞬間から、奈緒はこの世界で生きていけると確信した。今まで感じていた罪悪感も、驚くほど綺麗に消えていく。


 『……はじめまして』


 それは、声が聞こえたから。奈緒の頭の中に響く声。さきほど学校に入った時に聞こえた声と、ほとんど同質の、心地いい声。


 『はじめまして、名も知らぬ異世界の少女。私の名前はクリア。クリムネア・スターライト』


 その声が、自分が殺したと思っていた人間の名を、名乗ったのだから。

 

 「は、はじめまして……?」


 答えてしまってから、はっとなる。この声は誰にも聞こえていないのだから、奈緒が独り言を言っていることになってしまうのだ。彼女はあわてて自身の口をふさいだ。


 『大丈夫。この世界は頭の中に魔人を飼うくらい普通だから。この世界では、独り言を呟いても、誰も訝しがらないから』

 そ、そうなの?

 

 それでも、彼女は頭の中で思うにとどめた。


 『とにかく、授業を終わらせないと。礼を言って自分の席に戻って』

 「あ、はい。ありがとうございました」


 言われたとおり、奈緒は一礼をして、さっき座っていた席に戻る。


 「はい、よくできました。インテリジェンスロッドを作るとは、さすがクリアさんですね。『初めて』にしては上出来ですよ」

 

 つとめて冷静に担任は言ったが、その声はわずかに震えていた。

 

 『彼女、なんでもないことのように言ってるけど、実は私みたいなしゃべる杖、滅多に作れないの。……まあ、あなたのは少し勝手が違うけど。ようするに、私の、違った。あなたの魔法に驚愕しているの』

 そ、そうなの?


 さきほどまでとは比べられないほど落ち着いて彼女は声に返事をする。

 前の教卓では担任がすでに授業を進めていた。さきほどの魔法の添削も説明もしない。さっきのは何度も行われた儀式のようだと奈緒には感じた。何度も行って、そのせいで感動も感慨もなくなって、形骸化してしまった礼節……そんな風に感じた。


 『……ま、その辺の説明は全部後回し。あなたも、今は大変でしょうから』

 ……あなたは、本当に『クリア』なの?


 奈緒はずっと気になっていたことを聞いた。


 『まあね。でも、詳しい説明は家に帰ってから。今は、この世界についての説明をするわ。魔法の説明もね』

 それは、前でしてくれてるよ?


 ある程度落ち着いた奈緒は、担任が述べる魔法理論に耳を傾けていた。ほとんど話半分で、内容は頭に入ってこないが。

 

 『あんなの、私に言わせれば下の下。もっとわかりやすい説明がある。だから、私がする。これから、あなたの教師は私。あなたの親は私。あなたの師匠は私。……わかった?』

 わ、わかっ……た?


 奈緒は首をかしげながらもうなずいた。心地いい声だったが、少し棘があるように感じたのだ。


 『この世界は魔法と超能力が主なエネルギー。この国の名前は日本と言って、魔法・超能力教育にかけては世界一。魔法技術も世界最高水準を常にキープしてるし、私がいるしで実質の世界トップ。……政治力は皆無だけど』

 どうして? 


 不思議な話だ、と奈緒は思った。主なエネルギー資源にかけての技術、教育が世界一で、世界トップであるのにも関わらず、政治力がない、というのはおかしな話だ。


 『いい言い方をするなら職人気質。悪い言い方をするなら『魔法バカ』。ようするに、魔法と超能力の研究と教育ができたら後はなんでもいいの。……気に入らなかったら、戦争仕掛けりゃいいだけだし』

 いい加減すぎない?

 『でも、本格的に政治に乗り出して、全世界から敵視されても困る』

 あー。絶妙なバランスで保たれているんだ。


 奈緒はこの世界にも抜けたところがあると知って、うれしかった。


 『基本的に、魔法は私が使う。最初は私の指示に従って、慣れたら自分で使ってみて』

 え、でも……。

 『大丈夫。ずっと一緒だから』


 ずっと一緒。クリアの言葉に、奈緒は救われたような気がした。自分のことを誰も知らないこの世界。ようやく、神崎 奈緒として接してくれる人間が見つかったのだ。……人ではないが。


 『とりあえず、私のスペックを言っておくわ』

 あ、うん……。


 スペックだなんて。奈緒は悲しくなった。クリアが自分の身体を機械か何かのように扱っているように思えてならなかったからだ。


 『魔法使いとしては世界トップ。超能力の方も世界で五番以内。運動能力は高く、記憶力も高い』

 す、すごい……。

 『でも、そのどれもあなたは使いこなせない』

 

 驚いた奈緒に釘をさすように、クリアが言った。


 『あなたはまだこちらへ来たばかり。私のスペックだけに目がいって、有頂天になられても困る』

 わ、私、有頂天になんか……。

 『……まあ、いい。とにかく、魔法を使うのも、超能力を使うのも、高い運動能力を発揮するのにも、記憶力を維持するのにも何もかも慣れが必要。すぐに百パーセントの力は使えない。心しておいて』

 あ、うん……。


 奈緒は神妙にうなずいた。クリアの言うことはもっともだと思ったからだ。


 「……と、いうことで、おさらいは終了! 十分休憩の後、いつもの授業に戻ります」

 

 教卓の担任がそう宣言すると、クラスメイトは短く返事をして、各々休憩に入った。隣のクラスメイトと話す者、魔法研究を始める者、グループで集まって遊ぶ者、早い昼食を摂るもの。そして。


 「怯えていた割には、ずいぶんすごいの作ったじゃない」


 そして、『クリア』に話しかける者。どこか儚い印象を持つ、転生した奈緒に一番最初に話しかけてきた人物……祟 真登香だった。


 「ま、真登香ちゃん」

 『……真登香』


 この時の声は、どこか寂しそうだった。どこか、悲しそうだった。


 『……っ。この子は祟 真登香。クリア……あなたの友達よ』

 私の、友達?

 『そうよ。最初から友達がいないのでは心細いでしょう? 他の友達は自分でみつけなさいな』

 

 まるで本当に親のような口ぶりのクリアだった。


 「……真登香ちゃん? あなた、まだ演技続けるの?」

 「え、あ……」

 『自己紹介もしたら?』

 そんな。


 奈緒は戸惑った。どうしてそんなことを言うのだろう。すっかりクリアを信じ切っている奈緒は、疑問に思いながらも従った。


 「わ、私、クリアじゃ、ないです」

 「……へえ?」

 「わ、私の、名前は……神埼……神埼、奈緒です」


 もう、これでおしまいだ。奈緒は早々にあきらめ、これからどうなるかを想像し始めた。

 

 「へえ。奈緒ちゃん、ね。ずいぶん珍しい趣向じゃない、クリア、じゃなかった、奈緒」


 ところが、奈緒が想像し始めた未来はどれも外れることとなった。 


 「……え?」


 奈緒はポカンとした。なぜ、全然別の人の名前を名乗られても、目の前にいる『クリアの友人』は何も驚かないのだろう?


 「じゃ、これからよろしくね、奈緒」

 「え、あ、はい、よろしく……」


 真登香はうっすら微笑みを浮かべて手を差し伸べてきた。奈緒はゆっくりとだがその手を握りった。


 「はい、これで私と奈緒はお友達。……ね?」

 「あ、う、うん……」


 奈緒は一つの想像をする。この世界は超能力者もたくさんいるのだろう。きっと、真登香は心を見透かす能力を持っているのだ、と。


 『真登香はそんな能力持ってないわ。……本人は、欲しがってるけど』

 え、じゃあなんで……。

 『それも、帰ったら説明してあげる』


 なんだか先送りにされているようで、釈然としない奈緒だった。


 「それで、あなた魔法の知識はどれくらいあるの? 皆無? それとも、基本レベルなら押さえてる? それとももしかして、全く違う魔法体系?」

 「え、えっと」

 『あなたの言葉答えて』

 

 奈緒は生前オカルトに興味は全くなかった。ファンタジーモノはよく読んでいたが、それが魔法を知っていることにはならないだろう。だから、魔法知識は皆無ということになる。


 「……全く、知らない」

 「そう。じゃあ、私が教えてあげる」

 「え?」

 「私、魔法は使えないけど知識ならあるから」


 なぜ、ここまで真登香が奈緒に優しいのか。その理由を奈緒が知るのはもう少し先のことである。


 「次は多分演習だと思うから……。魔法科、超能力科、魔法・超能力科で別れると思う」

 「真登香は、超能力科……だよね?」

 「そうよ。それは覚えてるのね?」

 「いや、そうじゃなくて、その、さっきの、会話で……」


 ああ、と真登香は得心したようにうなずいた。


 「なるほど。うまいわね~」


 くすくすと真登香は笑った。奈緒はだんだん何を言ってもばれないんじゃないかという気さえしてきた。


 「とにかく、魔法のことは教えてあげられるけど……それだけ。実習は他の人にやってもらってね」

 「あ、うん。……そ、それと、真登香」

 「なに?」


 恐る恐る、奈緒は真登香に聞いた。自分なりの、この世界での友達に対するアプローチだった。


 「真登香の、超能力って、何かな?」


 この世界は魔法と超能力が科学の代わりを成している世界なのだ。超能力を聞くというのは得意な教科は何かを聞く……そのくらいの意味だろうと奈緒は推理した。


 「私の能力? 『暴力』よ」

 「ぼ、暴力?」

 「……私、能力の説明はしたくないの。……せっかくインテリジェンスロッド持ってるんだし、聞いてみたら?」


 真登香は奈緒の手にある杖を見ていった。奈緒は言われたまま、クリアに聞く。


 暴力って、何?

 『それは真登香が勝手に呼んでいるだけで、正体はただの身体能力を底上げするだけの能力』

 え? 

 『……といっても、真登香の場合この街を拳一発で割るぐらいの力が出るから、ただのっていい方には語弊があるけど』

 そ、そんな……。

 『ちなみにこの世界で自分の能力を言うってことは、そのまま自慢みたいに聞こえるから。特に、真登香や私レベルになると特にね』

 「何かわかった?」


 にっこり笑って、真登香は奈緒に聞いた。

 

 『言ってあげてもいいわよ。他人に言われるのなら、別に自慢じゃないし』

 「そ、その、すごく力を強くできる能力……だそうで」

 「……ま、だいたいあってる」


 ちょっと不満げな顔で、真登香はうなずいた。


 『それから……』

 

 頼まれてもいないのに、クリアは真登香の説明に注釈を付ける。その口ぶりは大切な友達を自慢するかのような口調だった。


 『真登香の能力は、戦闘最強。本気を出した真登香には、多分、魔法使いでも勝てない』

 そ、そんなに!?

 

 ただ力を強くするだけの能力なのに、と奈緒は思った。


 『そう。真登香の力は戦闘にうってつけの能力。魔法を唱える速度より早く近づいて、地を割るほどの膂力で敵を倒す。ついたあだ名が……』

 「あら、どうしたの、奈緒? その杖に何か言われた? 驚いたような顔しちゃって」


 奈緒は怯えない。真登香が自分に危害を加えるような人間ではないことを、理解しているからだ。けれど、驚きはする。こんな、へたすれば『クリア』よりも線の細い女の子が、戦闘で最強。奈緒はいまさらながらに、生前の世界での常識が通用しないことを実感させられた。


 『ついたあだ名が、『鬼神』。ちなみに私は『知神』。あなたはなんて呼ばれるんでしょうね?』

 

 そんな偉そうなあだ名で呼ばれたくない。ごく普通の少女だった奈緒は、こめかみに汗を流しながらそう思った。

  

 

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