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転生した、その先は?

 「アークっ!」


 奈緒――クリア・スターライトとなった少女はどこにも存在しない青年の名前を叫んで飛び起きた。


 「えっ」


 彼女はあわてて自分の喉を押さえた。つい昨日までの自分と、あまりにも声が違ったからだった。

 そして、同時に思い出す。殺され、アークと出会い、そして、異世界に転生したことを。

 

 「わ、私……」


 自身の身体を見て、奈緒だった少女は驚いた。ピンク色の花柄パジャマから見える両手は、白く、ほんのりピンク色で、指が長く、ほっそりとしている。ふと興味がわいてきて、少しパジャマをめくってみた。別段細いというわけではないが、腕は脂肪がほとんどなく、筋肉でひきしめられていた。今度はおなかをまくりあげる。この辺は生前とあまり変わらないが、ふと、彼女は違和感を覚えた。


 「……」


 ついきのうまであった双丘が、ない。まっ平らである。少し体のポテンシャルが下がった様な気がして奈緒だった少女は悲しくなった。事実から逃避するように周りを見渡し……そして、気づく。


 「……ここ、どこ?」


 朝日が差し込む部屋を彼女は見回す。ぱっと見た印象は生前の部屋と変わらない。ベッドで眠り、本棚があり、机があり、押入れがあり、クローゼットがあり……。アークが異世界どうこう言っていた割に、ごく普通の日本家屋だった。てっきり木と藁でできた家に、魔法や超能力が使える世界を思い描いていたのだが、この部屋の様子を見る限り、そうではないようだ。


 「……とにかく、外に……」


 すぐには慣れない自分の声に戸惑いながらも、奈緒はベッドを降りた。何か超常現象が起きるのではと奈緒が心配していた割には、何事もなく扉までたどり着いた。しかし、奈緒の手はなかなか扉に伸びなかった。新しい世界で全く見知らぬところへ出るのだから、ためらうのも無理はない。

 もし、外に出て、今までとあまりに違う世界だったら? 

 その疑念が、奈緒の脳裏から消えることはなかった。素晴らしい世界だったならまだいい。だが、そうでなかったら? 思わず吐き気を催してしまうようなほど醜悪な世界だったら?

 その時は、死ねばいい。


 ……え。


 奈緒は思わず自身の胸を押さえた。今、自分が思ったことが信じられなかった。


 「……死ねば、って……」


 何よりも恐ろしかったのが、『この世界が自分にとって都合が悪ければ死ねばいい』という考えが忌避できない、ということだった。生前は自分の命を自分で断つなどやってはならないことだ、と思っていたというのに、今は自殺に関して忌避や拒否の想いは全くといっていいほどなかった。奈緒はそれに戸惑う。


 「……大丈夫、きっと、きっといい世界だから……」


 その戸惑いを黙殺し、なんの根拠もなしにそう自身に思い込ませ、奈緒は一気に扉を開いた。

 

 「……」


 予想していたような醜悪な世界はそこにはなく、かといって美しい世界があるわけでもない。リビングに続く廊下があり、そのさらに先には玄関が見える、どこにでもある一般家屋だった。


 「……ほ」


 彼女は胸をなでおろした。きっと神様が、混乱しないように元の世界に近い世界を選らんでくれたんだ、と今となっては異世界の神に彼女は感謝した。もしかして、元の世界なのかも、などという他愛もない想像も同時にした。

 すっかり安心した奈緒はリビングへと入った。キッチンがあり、ちゃぶ台があり、テレビがあり、ソファがあり。一人暮らしにしては広い部屋だったが、ものが多いので彼女一人で暮らすにもぴったりだ。


 「……あれ、用意いいな」


 奈緒はちゃぶ台の上を見て、少し驚いた。朝食の準備がすでにできていたのである。これも神様の計らいだろう、と彼女は思うと、食器棚から箸を探して取り出し、座布団のようなソファに腰掛け朝食を採り始める。ちゃぶ台にはご丁寧に『転生後について』という小冊子まで置いてあった。行儀が悪いと思いながら、彼女はそれを見ながら食事をする。


 「……ふむふむ、ほうほう」


 小冊子の内容は以下の通り。

 一、異世界から来たことを誰にも話さぬこと。信用に足るとあなたが判断した場合は除く。

 一、この世界の掟に従うこと。信念に背くとあなたが思ったなら守る必要なし。自己責任。

 一、自己の能力を過信しないこと。調子に乗って好き勝手するなど言語道断。

 一、恋人を作る時はよく考えること。後悔しないように。

 一、この世界から逃げたくなった場合、生徒会長を頼ること。楽に殺してくれるはず。

 一、あなたが通う学校は『公立魔法・超能力総合学園』高等部二年三組。多少の齟齬は感じるだろうが、気を強く持って。私服だからそのままで行ってもかまわない。八時までに登校厳守。七時半に出て、何も考えずに感覚で進めば、後は体が教えてくれる。

 一、敵はためらわずに殺すこと。情けをかけても意味はない。


 「……」


 最初こそ神様らしい忠告文だな、とほほえましい表情を作っていた奈緒だったが、後半になるにつれ、その表情はいぶかしげになっていく。

 楽に殺してくれる? ためらわずに殺す?

 何を言っているのだろう。まさか、と彼女は思った。

 まさか、この世界は人を殺すことを容認するような世界なのだろうか。

 何度小冊子を見返しても、その答えは書いていなかった。書いているのは上記の七条のみだった。


 「……わかんないなぁ……」


 とりあえず奈緒は、小冊子に言われたとおり、学校に行くことにした。食事を終えた奈緒は寝ていた部屋に入って服を着替える。パジャマを全て脱ぎ、下着姿になる。無地の白色下着で、色気もなにもあったものではない。さらに怪訝な表情を深める彼女だったが、クローゼットの中を見ると、その表情は明るくなった。


 「うわぁ……」


 色とりどりの、きれいな服がたくさん敷き詰められていた。そのどれもが新品同様で、まるで買ってきてそのままたたんでクローゼットに入れたような感覚さえしてくる。


 「どれがいいかな……」


 神様はなんて優しいんだろう! 彼女は好みの洋服を選びながら、神に再び感謝した。


 「ええと、鏡、鏡……」


 姿鏡はクローゼットのちょうど反対側にあった。どうしてこんな不便なところに、と思った奈緒だったが、多彩なおしゃれができることに比べれば、些細な問題だった。言われた七時半にはまだ時間がある。うんと綺麗にして行こう! 気に入った服を持って、彼女は姿見の前に立ち……硬直した。


 「……え」


 自分はまだ、『クリア』のちゃんとした容姿を一度として見ていなかった。しかし、ある程度の想像はしていた。綺麗な細い手に、なだらかな胸。けれど体は健康的。容姿も体に見合っていて……そう思っていた。

 けれど。

 たしかに、表情は活発的で、『奈緒』そのものの快活さがよく出ていた。しかし、それだけである。高校生、そう名乗るにはあまりにも大きさが足りない。そんな印象を受けた。『奈緒』の快活さが、より『クリア』の子供っぽさを強調しているとさえ思えてくる。髪の毛の色もおかしく、白髪頭に黒髪が少しまじっている。瞳の色も生気がまるで感じられない闇のような漆黒。


 「……」


 想像と大きく違った『クリア』の容姿だが、『奈緒』は驚く程度にとどめて服を着替え始める。少し蒸し暑いので、緑のタンクトップに青のジーパンというラフな格好になってしまったが、幼い体型をしている『クリア』にはぴったりだと彼女は思った。


 「よし、行こう!」


 たしかに、ちょっと『クリア』の体を見て驚きはした。が、それがなんだというのだ。『奈緒』はベッドのそばにたてかけてあったカバンを持ち、部屋を出ると靴を履いて一気に外に出た。多少恥ずかしいと自覚しながらも、感覚に全てをゆだねて走る。

 これからは私はこの世界で暮らしていくんだ。もう、前の世界には……戻れない。

 そんな想いが、走っていると生まれてくる。陸上部だった彼女は毎日『奈緒』の身体を使って走っていた。だから、体の調子が悪ければすぐにわかった。逆に、体が今どんな能力を発揮できるかも、だいたい走ればわかる。

 『クリア』の身体はとても優秀だった。早く走れて、そして疲れない。筋肉が多いのか、軽いからか。どちらにせよ、『クリア』の身体は『奈緒』にはよくなじんだ。運動音痴なわけでも、太っているわけでもない。元の世界に対する未練、悲しみ、それらがなくなったわけではないが、この世界に対する不安は消えた。だから、彼女はこう思った。


 きっとこの世界で、私はうまくやっていける!


 ……まだ、この世界の住人に誰一人として会っていないというのに。

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