転生の終結に向けて
時間がゆっくりと過ぎていく中、奈緒は木製の床を走り、男たちをかき分けて真登香を抱きかかえ、銃の射線から外した。これで真登香に弾が当たることはない。そう奈緒が思った瞬間、奈緒の中の時間は普段と同じように流れ始めた。それと同時に、数発の銃声が狭いコテージの中にとどろいた。
「はあ、はあ、はあ……」
『奈緒!? 何やってるの!?』
無我夢中だっただけだよ。
驚いているのはなにもクリアだけではない。男たちも、杖を持った少年も、真登香もが驚いていた。
「な、奈緒。助けてくれて、ありがと……」
「大丈夫だよ。早く逃げよ。殺されちゃう……」
奈緒は真登香に言いながら、周囲を見回す。このコテージにある窓は三つ。その全ては、人が通れるような大きさをしていなかった。逃げれる場所は、出入り口ただ一つ。だが、そこには冷笑を絶やさない少年が立っている。彼を倒さなければ出られない。奈緒はそう思った。
「……あなたは、誰?」
奈緒は少年に話しかけた。
「僕はグラウベン」
「……あなたが?」
奈緒は目を見開いた。魔法学園を襲撃するように指示し、武器を調達した魔法使いが、自分たちと年が変わらないような少年だったなんて。
「僕のことはどうでもいいじゃないか。どこから武器を手に入れたかとか、なんで学園を襲ったのか、とか」
「どうでもよくなんかない……!」
うめくような声を、真登香は上げた。
「……答えないけどね」
「ぶち殺す」
奈緒が初めて聞いた、真登香の殺意だった。真登香の体は殺意を晴らす敵を求めるかのようにぴくぴくと脈動するが、身体を起こすことすらできない。血を流しすぎたんだ。奈緒は真登香の銃創と出血をみてそう判断した。
「元気な人だ。もう死に体だけど。で、不思議な術を使ったキミ。名前は?」
「神崎」
下の名前を、奈緒は名乗らなかった。それなりに気に入っている自分の名前を、目の前にいる少年に呼ばれたくなかったからである。
「そう。神崎は、どうやってあんなことを?」
「あなたが学園を襲った理由と武器をどこから調達したのかを答えるほうが先です」
奈緒は気丈にふるまった。男たちは奈緒のほうに向けてはいるが、撃っていいのか判断できないらしく、始終グラウベンのほうを見ていた。この状況が怖くないわけはない。だが、強く見せなければ。奈緒はいざとなれば魔法がある、という楽観から、そんなふうに思考していた。狐は虎の威を借らねば威張れなかったように。奈緒という個人だけでは、目の前にいる少年は恐ろしすぎた。
「学園を襲った理由? 復讐を手伝ったってだけ」
「……そうなんですか」
「信じるの?」
「……嘘なのですか?」
奈緒は強く出ようと思った矢先、その疑心のなさが災いしていた。先ほどは強く強く思っていたから疑うことができた。しかし、今はいろいろなことに気を配りすぎて、普段やっていない『人を疑う』ということにまで気を回す余裕はないのである。
「嘘に決まってるじゃん。面白いね、キミ」
「私はちっとも面白くありません」
クリア。攻撃呪文お願いできる?
『わかった』
話をしながら、奈緒はクリアに頼む。ここで不意打ちで魔法を唱えれれば、勝機はあるかもしれない。
『『万能』なる魔力を持って、敵の『幸福』を『転化』し、『苦痛』によって『終焉』となれ!』
奈緒の頭の中で、心地のよい詠唱が響く。クリアが叫び終わった時点で、奈緒は手をグラウベンの方へと向けた。
「理由を言わないなら言わないでいいです。とにかく……私の平穏を奪わないで!」
『ユースフルテットペイン!』
奈緒の手から不可視の力場が発生し、グラウベンに向って行く。効果も、威力も奈緒は知らない。
「イヤ」
けれど、頼り切っていた魔法がなんなく無力化されて、奈緒は信じられないくらいに焦っていた。動悸が激しくなり、どうすればいいのかを必死の思いで考える。
『……なんで。嘘。私の魔法が……』
魔法を構築した本人も自信があったらしく、いたくショックを受けていた。焦る奈緒は、できるだけ早くに別のことを考えていた。
「さて、武器をどこから入手したか、だったか。これは教えても構わないかな」
余裕の様子でグラウベンは語り始める。急に言を翻した彼に、奈緒はいぶかしげな表情を作る。
「異世界の人間と交渉したのさ。簡単だったよ。連中、『バイヤー』とか『ヤクザ』って呼ばれてる職業でさ、銃とか横流ししてくれたんだ。女の子で楽しんだ後だったから、気分よく売ってくれたよ。もちろんお金は魔法で作ったんだけどね、あははは!」
彼は心底可笑しそうに笑いだす。心底気分の悪そうな顔をしていう奈緒と真登香を無視してひとしきり笑った後、彼はそういえば、と不思議そうな表情になって奈緒に言った。
「その女の子なんだけどね、僕もさせてもらったよ。運よく最初のほうからできてね。奈緒って名前の子でね、キミたちみたいにめちゃくちゃかわいい顔してるんだけど、最終的に首から下は赤い塊になるの。顔も真っ赤だったけどね~。『助けてくれたらなんでもします』とか、ほかにも面白いこと言っちゃってさ。めちゃめちゃ笑えるでしょ!? あはは!」
ぞくり、と奈緒の背筋が凍った。真登香も、目を見開いて奈緒を見ている。真登香は知らないのだ。奈緒がなぜここにいるのかを。
「うん? その顔はなにさ? あ、そうそう、せっかくだから魔法器具にその子の映像とってきたんだ。見る? いろんな人に見せてるんだけど、誰も理解してくれなくて。キミたちならもしかしたら、ってね」
いかにも寂しそうな声だったが、グラウベンの表情は、理解されなくてさびしい、というようなモノではなかった。理解されないのは百も承知。そんなことよりも醜悪な映像を見た時の、気持ちが悪そうな表情のほうが愉しい。そんな、嗜虐に満ちた表情だった。
「……あ、あなた、は……」
グラウベンは杖の先で床を叩いた。すると、奈緒たちの目の前に映像が現れた。そこは、どこかの廃工場。そこに映る色は赤と肌。それに映っているのは、綺麗なままの奈緒から、死ぬ寸前の奈緒の姿になるまでのダイジェストだった。最後のそれは、真登香が倉庫で殺した四人よりもさらに醜悪な物体になったただの『赤』だった。
「……」
奈緒は一筋涙を流した。いろんなことを感じすぎて、詳しい感情に大別するのは不可能に近かった。
「ひ、酷い……! あんたら何考えてんの!?」
あまりに残酷な映像に、真登香は思わず叫んだ。
「最低だなんて。別に、僕はただ死体を……いや、この時点じゃまだ生きてるのか。人間ってすごいよね。心臓と肺、脳さえ無事なら数秒ぐらいは生きていけるんだから。こんな状態でも痛みを感じ続けるなんて、ほんとこの子には同情するよ」
うそつき。奈緒は心の中で叫んだ。嘘つきめ。心の底から愉しんだ癖に。奈緒は心の中で絶叫した。
「い……生きてるの、この子」
「死んだよ。これ撮ってもうしばらく遊んだら、死んだよ。最後は顔をハンマーで潰してね。そうしたらホント、あとに残ってるのは赤い塊だけでさ、人間ここまでぐちゃぐちゃになるのかって」
「黙って」
奈緒は真登香はやさしく地面に横たえると、静かに立ち上がる。
「どうしたの? 気持ち悪すぎて吐きそうになった? それとも、まったく見ず知らずの他人が殺されただけで、怒ったのかな? それなら魔法使いやめたら? 損するよ?」
「黙って」
奈緒は静かに言う。もう奈緒にとっては、魔法使いだとか普通の人間だとかそういうことはもう頭の中から抜けていた。杖を左手で持ち、右手を空ける。
「うん? ま、いいや。そうそう、僕が学園を襲撃した理由だけど……。正直ね、魔法使いとか僕さえいればそれでいいんだよ。ヒエラルキーの頂点にいる種族は少なければ少ないほどいいんだ。食物連鎖の頂点にいる人間のトップに、僕は立つ。そのためにはキミたちその他大勢の魔法使いが邪魔なんだ」
「黙れ」
奈緒は今、自分がどんなものなのかわからなかった。クリアの体を乗っ取った『奈緒』なのか、殺された奈緒を悲しむ『人間』なのか、怒りと殺意を身に宿らせ、自身を殺した敵に復讐することしか考えていない『化物』なのか。
奈緒は、そのどれでもあるだろうし、どれも違うような気がした。
「どうしてキミはそんなに怒っているの? わけを聞かせてよ」
「私は、神崎」
右手に、力が宿るのがわかった。その力が魔力だということは、感覚でわかった。
「知ってるよ」
「神崎、奈緒」
「……」
グラウベンの顔が歓喜の表情に変わるのを奈緒は見た。より一層、右手に宿る魔力は増えていく。
「へえ、キミが! キミが神崎奈緒! つまりあれか? 転生したのか!? その宿主の体を乗っ取って! あははは! 僕も大概だがキミも悪人だな! あはははは!」
「……」
奈緒は反論しなかった。彼女は身を燃え上がらせる激情に身を任せ、グラウベンに突っ込んでいく。集中しているからなのか、何かの魔法をクリアが使っているからなのか、奈緒の中の時間はどんどんゆっくりになっていく。奈緒はすべてがスローモーションで動くその中で、悠々と普段通りに動き、グラウベンの後ろについた。
膨大な魔力を宿した右手を振りかぶる。
「あなたが、私を……」
その手を振り下ろそうとしたとき、奈緒の体に痛みが走った。
「!」
グラウベンの方を見れば、彼の背中から何本もの半透明の槍が生じ、奈緒の体の数か所に穿孔痕を作っていた。そこから、堰を切ったように血が流れてくる。あわてて後ろに跳ぶと、奈緒の中の時間がもとに戻る。
「うーん。話の途中で攻撃してこないでよ。てか、その不思議な力、別に万能ってわけじゃなさそうだね。護身用の魔法が効くんだから、きっと普通の魔法も効くだろうね」
そう言ってグラウベンは手を奈緒のほうへと向けてきた。それだけで、奈緒の体に痛みが走り、身体に穿孔痕ができる。魔法の知識のない彼女にとって、何をされているのか理解することは難しかった。いや、魔法に精通しているクリアでさえ、その魔法が何なのかわからなかった。あまりに魔法の速度が速すぎて、見ることはおろか魔力を感じ取ることすらできない。
『クリア、さっきから何やってるの!? 早く何か魔法を構築しないと……!』
いい。私一人でやる。
奈緒はもっと右手に魔力を宿らせる。さっきは感情と共に宿っていたものが、今では彼女の意思で宿るようになっている。その変化がどれほどのものか、奈緒自身は気づいていない。
「なんで、なんであんなことしたの?」
魔力を宿らせながら、奈緒は涙声で聞く。今の奈緒は、理性のすべてをかなぐり捨て、感情のみで行動している。
「なんで? いや、もとは銀行強盗の目撃者を消すのが目的だったらしんだけどさ、その子、いや、キミか。キミが銃突きつけただけであんまりにもいい声で啼くもんだから、みんな熱入っちゃったみたい」
奈緒は右手に宿る魔力が一層強くなるのを感じた。奈緒は涙を流し、グラウベンを鬼のような形相で睨みつける。
「そんな、そんな理由で! そんな理由で私を!」
「どんな理由だったらお好みだった? ずっと前からキミが好きで、好きすぎてあんな行動に出ちゃったんだ。とでも言われるのが好きなの?」
「黙れ! 私は、まだまだしたいことがいっぱいあったのに!」
奈緒はグラウベンに突っ込んでいく。右手を振りかぶり、その右手は体でかばいながら。
「ふうん」
彼が杖を一振りすると、奈緒の左手や左わき腹、左足などに穴が空く。いくら奈緒でも、見えない力で攻撃されているというのは十分理解できた。激痛が襲い、血が流れ、今にも全身から力が抜けそうになるが、奈緒は無理やり体を動かす。
「私は……あなたを許さない。あなただけは、絶対にっ!」
「赦しを乞うつもりはないよ。……で、覚悟はできた? 捕まったらまた死ぬよ?」
「それが……脅しになると思うなああああああああああ!」
奈緒はがむしゃらに、グラウベンに突撃する。一瞬彼は驚いたような表情を見せたあと、杖を一振りする。
「あああああああ!」
不思議な力が放出される。奈緒は大声で叫んで、右手の形を握りこぶしにする。たった一つだけ『覚悟』を決めると、再び足で地面をける。不思議な力の攻撃を食らいながら、時間の流れはゆっくりになる。グラウベンはおろか、すべての物が止まったように動きを鈍らせる。
奈緒はその中で、一直線にグラウベンに向かった。血だらけになりながら、一つの意思だけを行動原理にして。
「……!」
心の奥底からの叫び声は、声にならなかった。自動で発動する不思議な力で全身貫かれ、息すらも困難になったのだ。それでも奈緒は、さらに痛みが増すのを承知で前に進む。目がかすみ、もう目の前にいる少年の姿さえもぼやけるほどに視力が落ちる。
あと一歩……! あと一歩で、届く……!
「う……ぐぅあぁッ!」
奈緒は今まで蓄積した魔力を乗せた、右こぶしをグラウベンのみぞおちに叩き込んだ。めりめりと体の中に奈緒のこぶしが入り込み、一気に魔力が解放される。
グラウベンはその場で一度震えた。
「……はあ、はあ、はあ……」
時間がもとに戻っても、彼は動かなかった。ふらりとバランスを崩すと、受け身も取らず、木の床にあおむけに倒れる。そのみぞおちには、巨大な穴が空いていた。
「はあ、はあ、はは、はは……ははははは……」
奈緒は自身の右手を見た。血に染まっているが、これは誰のものか。奈緒にはわからなかった。生暖かい感触が、奈緒の右手ずっと残る。
「ひ、ひい、あ、あいつ、やられたぞ?」
「ど、どうする?」
カタカタと怯え始めた男たちに、奈緒は一にらみして手をかざす。
「!」
それだけで、男たちは銃を捨てて逃げてしまったのだ。
「は……はは、真登香、終わったよ……終わったのに……」
一歩、奈緒は歩く。それと同時に床に膝をついてしまう。
「奈緒!?」
「終わったのに、私は……」
真登香は這って奈緒のそばまでくる。その途中にあるグラウベンの死体は、力づくでどける。
「……真登香……」
『奈緒、さっきから何をやってるの!? 呪文なしで魔力を垂れ流しなんてしたら、どんどん魔力が……!』
クリアのおろおろするような声を聞いて、奈緒は少しだけ微笑んだ。
あとどれくらい、寿命残ってる?
『もう一か月も残ってない! 何考えてるの奈緒! 今だって体の傷を治そうと自動で魔力が勝手に……』
私の傷全部治したら、どれくらい魔力残る?
『それからさらに三日は減る!』
じゃあ、真登香の傷を治したら?
『三週間! お願いだからやめてよ。こんなに短い期間でお別れなんて……そんなの奈緒だっていやでしょ?』
クリアは最後のほうには声が震えていたのがわかった。
「な、奈緒、大丈夫!? き、傷が! 早く治しにいかないと……!」
「いいよ。私は、ここで自力で治すから」
奈緒はやさしく微笑んで、真登香の提案を断った。
「な、なんでよ! ちょ、ちょっと待っててね、すぐ学園の人呼んでくるから……」
「聞いて、真登香」
奈緒は、無理にでも立ち上がろうとする真登香を引き留めた。
「なによ? 言いたいことあるならあとで……」
「私ね、本当はクリアじゃないの」
「そんなの」
「演技じゃなくて、本当に」
奈緒は真登香の手を握った。血に汚れた右手ではなく、きれいなはずの左手で。
「少しだけ、話、聞いてほしいんだ。いい?」
「……でも」
「私は大丈夫だから。ね?」
左手に魔力をためながら、奈緒は願う。真登香の傷がよくなりますように……。
『奈緒、やめて、やめて! 真登香は大丈夫だから! 奈緒の寿命が……!』
奈緒は自身のいきさつを真登香に語りながら、クリアに向って思った。
私……今度死ぬんなら、意味のある死がいいから。
奈緒のほほえみは、いっそう深くなる。




