転生の終焉、その序曲
二人はそれから数人と戦闘を行い、目的地である三連コテージへとたどり着いた。木製のログハウスのようないでたちは、まるでただの別荘のようで、奈緒たち魔法使いを殺そうとする敵の本拠地だとは、どうしても思えなかった。大きさもそれなりにあって、誰かがしばらく生活するには苦労しない広さは確保されている。
「……行くよ、奈緒」
「うん」
二人は十分に経過しながら、三つあるうち、一番右のコテージに入る。昼間だというのに、カーテンなどで目張りされているのか薄暗い。二人がコテージの玄関を二歩進んだところで。
「そこまで」
奈緒の後頭部に銃口が突きつけられた。奈緒と真登香は振り返り、愕然とする。三人ほどの武装した男と、その後ろに若い少年が一人、杖を持って立っていたからである。どう考えても、多勢に無勢。震えながら奈緒はおとなしく両手を挙げた。
「キミは賢いようだね」
後ろの杖を持った少年が奈緒に向かっていった。奈緒は真登香のほうを見ると、驚く。真登香は両手を上げないばかりか、敵意に満ちた目を彼らに向けているからだった。
「真登香、何してるの!?」
「奈緒こそ! はやく戦わないと!」
「無茶だよ!」
銃口は三つ。そのうち一つは奈緒に。あとの二つは真登香に向けられていた。今の状態なら、いくら近距離だといえ引き金を引くのに一秒もかからない。さすがの真登香でも、攻撃できるわけがなかった。
「さて、キミたちは何をしに来たのかな?」
「言うもんか」
「……もし口を開かないのであれば、キミたちにそれ相応の苦痛を与えなければならないのだけど」
「わ、私たちは」
恐怖に突き動かされ、奈緒はすべてを話そうとした。
「奈緒、ダメ! 言っても絶対殺される! だから」
「痛いのはいやなの! 言って殺されるなら、それでもいい! 痛いのは、もう、あんなのをされるのなんて、嫌なの……」
「奈緒……」
怯える奈緒の様子を見て、真登香はそれ以上奈緒を責めることはできなかった。
「……キミから切り崩していったほうがいいかな」
「な、何を、するんですか」
「切り崩すんだよ。文字通り。少しずつ、身体を詰めていくんだ」
ゴクリ、と奈緒は喉を鳴らした。想像できない光景ではない。その時の痛みさえ、奈緒にはリアルに想像できた。
『落ち着いて、奈緒! こいつらは言ってるだけだから!』
そんなのわかんないよ! も、もし、万が一にでも本気で私を苦しめようとしたのなら……。
奈緒は自分が再び肉塊になる姿を想像して、吐き気がした。
「……なんだい、この子は? 何もしていないのに、涙を流してがたがた震えて。まるで雛鳥のようじゃないか」
「だ、黙って……ください」
奈緒は恐怖のあまり、少しずつ壊れていくのが自分でもわかった。少しずつ普段の自分と違う自分が入り交じり、変わっていく。過去の記憶と今の状況と想像とが溶け合って、混沌としていく。
「ふふふ、偉そうに。おい、そっちを撃て」
少年は真登香のほうを指さすと、指示した。二つの銃口が火を噴いて、真登香の体にいくつか穴が空く。足と、腕。お腹。致命傷ではないが、彼女はもはや動ける状態ではなくなった。
「ぐ……!」
「これで、キミたちは籠の鳥。ボクたちに逆らうことは、できない」
少年が下卑た笑いを浮かべた。何をするつもりなのだろう。真登香は痛みで霞んでいく頭で一瞬考えて、首を振った。そんなこと……
「キミらって、馬鹿だね。女の子なのに、こんな前線に出てくるなんて。捕まったらどうなるかなんて、わかるだろう?」
真登香の不安を恐怖に変えたのは、少年の冷たい笑いだった。真登香は怯えて少し後ずさる。流れた血が小さな川のようになっている。
「……真登香……」
奈緒は混乱している頭の中で、真登香に危機が迫っていることを認識した。これから彼女はどうなるのだろう。友達が殺されそうになっているのに、奈緒はその場から一歩も動かず、思考をぐるぐると螺旋させる。
まどか……。
『奈緒、お、落ち着いて。お願い、私まで……ッ!』
クリアは今まで感じたこともないような強い感情にさらされ、奈緒が今感じている壊れてしまいそうなほど強い感情全てを感じてしまうような気がした。必死で語りかけ、普段の奈緒に戻そうとするが、奈緒は混沌とした思考のままクリアに話を続ける。
もう、おしまい。お薬とか、道具とか、器具とか、身体とかで……。いっぱいいっぱい酷いことされて……最後には私のことを私だって思いたいくなくなるくらい苦しんで、最後には……。
奈緒の絶望を、クリアは痛いほど共感していた。同調しすぎて、クリアもその気持ちに引っ張られそうになる。真登香の周りを男たちが取り囲むと、奈緒の視界から真登香がいなくなった。
『奈緒、落ち着いて!』
落ち着いているよ。また、私は肉の塊になるんだな、って思ってるだけ。
『……嫌なのはわかった! わかったから、落ち着いて!』
クリアは必死の思いで奈緒に叫ぶ。奈緒の心が少しずつ、黒くなっていく。清い泉に垂らした泥がすべてを侵食していくように。寂しさと記憶が、彼女の心を蝕む。
落ち着いてるよ。むしろ嬉しんだよ。きっと真登香も、私の苦しみを分かってくれる。私の痛みを理解してくれる。だから……。
『奈緒ッ!』
クリアは叫ぶ。奈緒が間違った方向にいかないために。邪悪の坩堝にとらわれる前に。
『もうこの際落ち着かなくてもいい、戦って! あなたの力で、彼らを打ち倒して!』
できないよ。
『できる! 私が手伝う!』
でも。
奈緒はためらっていた。死ぬのが怖いのではない。殺されるのが怖いのではない。痛みが、苦しみが怖いのだ。
……もっと怖いものが、あったはずなのにな。
奈緒はちらりと思った。死んでからこっちというもの、死ぬ瞬間の記憶が強すぎて、それ以前の記憶はかなり薄れてしまった。その中に、けして忘れてはならない気持ちがあったはずなのに。
私が一番怖かったもの。なんだったっけ?
そう思った時、真登香が奈緒の名前を叫んだ。
『奈緒! 見捨てないで! お願い、真登香を助けて!』
……!
奈緒はハッと、真登香のほうを注視した。男たちに取り囲まれ、小銃を突きつけられてはいる。今まで何を呆けていたのだろう。奈緒は少しだけ大事なことを思い出せた。自分の恐怖にばかりとらわれて、友達が今、ここで助けを求めているのに。自分は何をしていたのだ。奈緒は後悔と同時に走り出した。急に動いた奈緒に驚いた男が引き金を引くが、銃弾は奈緒の腹をかすめるだけで、大したダメージはない。痛みは際限なく襲ってくる。けれど、奈緒はそれを無視できた。
「……やれ」
「待って!」
少年の号令と同時に、男たちは引き金に指をかける。真登香が殺されてしまう。止めないと!
伸ばした手は、銃弾には届かない。男の服にもかすらない。感じるのは無力。想像するのは赤き友。奈緒は、その想像を振り払おうと、必死の思いで手を突き出す。少しずつ、しかし着実に。引き金が引かれるその瞬間まで、奈緒は走る。奈緒は、先生が殺された時と同じような感覚を味わっていた。絶望と共に訪れる、時間の遅滞。ゆっくりと、ゆっくりと。けれど、今は先生の時とは違い、奈緒は普段と同じように走ることができた。ゆっくりと流れる時の中を、普段通りに。
真登香を、助けないと!
最初の友達。最初に話しかけてくれた不思議な少女。最初に命を救ってくれた強い娘。死なせはしない、絶対に!
奈緒は自分の意識では普段通りに走っているつもりだった。奈緒以外の人間が見ればそれは、弾丸のように速かった。




