転生の因果、記憶の煌めき
「……」
奈緒は後ろから聞こえる滴のしたたる音を聞きながら、目を閉じた。
私は人を殺した。
『殺したのは、真登香』
止めなかったのは、私。
奈緒は静かにそう思った。今はもう息だえているであろう光。彼に向けた怒りは正当なものではなかった。死んで、生き返ってからの時間、そのすべての鬱憤と溜まった怒りを彼にぶつけた。そんなことをしてはいけないと、普段は思っているはずなのに。
私はこんなにも醜い人間だったんだ。殺されても、仕方ないか。
『違う。あなたは醜くなんかない』
ありがとう。
奈緒はクリアにお礼を言った。しかし、奈緒の気持ちは沈み込む。
八つ当たり、かな。さっき私がしたの。最低だね、私。
『でも、先に攻撃してきたのは彼ら』
でも、あの人は私の先生を撃ったわけじゃない。……ホント、なんであんなことを……。
奈緒の中では、さっきのことは割り切れているつもりだった。しかし、一番近い隣人は、後悔する奈緒の心を見抜いていた。
「……ねえ、真登香。町はずれの森ってどこにあるの?」
真登香の方を振り向くことなく、奈緒は聞いた。
「うん? 奈緒って行ったことなかったっけ。こっちだよ、ついてきて」
真登香は奈緒の前に出た。その右手は真っ赤に染まっている。彼女が手を力強く振ると、未だ固まり切っていない血液が地に撒かれる。その血液や倉庫にある死体を気にもかけない様子で、真登香は歩き出す。
血のにおいが漂う倉庫を後にした二人は、真登香の案内で件の襲撃者たちの本拠地に向かう。
「真登香、本拠地にいる人たちも……その」
「殺すよ。敵は殺す。私は私の身を護っているだけなの。悪いこと? いいえ、違うわ。そうでしょ?」
いくら護身という大義名分があるとはいえ、真登香に罪悪感がないわけではないようだ。そうでなければ、こんな後ろめたい表情をするわけがない。
「……うん。悪くなんかないよ」
奈緒は心の底からそう思った。殺されて、殺し返すのは当たり前のことで、正しいことだと本気で信じていた。だが……罪悪感がないとは、彼女には言えなかった。
「本当にそう思ってる?」
「嘘じゃないよ」
学校から出てしばらく歩くと、近代的な街並みから切り離されたようにして森があった。手入れが完璧に行き届いていて、この土地が私有地または公有地であることは初めてここにきた奈緒にも簡単に理解できた。
「ここの奥の三連コテージ、だったよね、奈緒」
真登香に聞かれて、奈緒はうなずいた。踏み鳴らされた地面に、綺麗に管理された木々。人工的な雰囲気を奈緒は感じたが、同時に美しいとも感じていた。もしこの道のりが他人と殺し合いをするための道中でなければ、ここでランチバスケットでも開いただろう。
『奈緒。奴らと戦う前に、一つだけ言っておきたい』
なあに。
『今、あなたが使える魔法は攻撃魔法が一種類、防御魔法が一種類、今日一回しか使えない大魔法が一種類』
それだけあれば、十分だよ。
『違う。私が言いたいのは、それらを使えば、奈緒の寿命がどんどん短くなるということ』
……
奈緒はクリアになにもいうことができなかった。
『あなたの魔法はとても協力。ともすれば魔力だけで世界の時空を裂いて、異世界へと旅立てるほどに。でも、その力は寿命と引き換え』
どれくらい使ったら、どれくらい減るの?
『強力な魔法……一日に一回しか使えない大魔法レベルだと、一か月分の寿命が減る』
私は、三年生きれるんだったよね。
『そう。だから、もしその魔法を使えば、二年と十一か月になる』
そっか。ありがと、クリア。
奈緒は頭の中でお礼を言うと、目の前を歩く真登香に声をかける。
「真登香」
「どうしたの? どこにあるのかわかんないけど、もう少し歩けば見えるかも」
「私、ちょっとくらいなら戦うから。だから、真登香だけが背負わなくてもいいんだよ」
「……」
奈緒の『戦う』の意味は、奈緒のクラスメイトの大半が思っているような軽いものではない。彼らの戦いとは魔法を使った決闘のようなものを指す。しかし、奈緒の戦いとは、人を殺して、殺されることだった。戦いに勝つということは殺すということ。戦いに負けるとは死ぬということ。だから奈緒は争い事は嫌いだったし、今まで積極的に戦おうとしなかった。
「……ありがと、奈緒」
けれど、これから先は違う。自分の命を守るため、他人の命を奪うのだ。嫌で嫌で仕方がなかったが、しなければならないことだと、奈緒は割り切った。
『奈緒。前方に人影』
クリアに言われて、奈緒は前方を注視する。確かに、銃火器で武装した一人の男が暇そうに歩いていた。距離は大体五十メートルほどだろうか。奈緒が走れば八秒はかかるが、真登香が本気を出せば二秒とかからない。
「真登香、前に人が」
「大丈夫、見えてる」
敵であることはその手に持つ武器を見れば明らかである。
「捕まえて、本拠地を吐かせよう。奈緒、お願いできる?」
「え……」
真登香は奈緒のあっけにとられた声を聞くと、そう、とだけ言った。
「私が聞くから、その間奈緒は耳をふさいであたりを見回して。お願いね」
「え、真登香……?」
「嫌だけど、しなきゃいけないこと。奈緒も覚悟したんだから、私もする」
ひゅ、と真登香は一気にその男に近づいてお腹を殴った。彼は苦しそうに銃を落としてお腹を押さえる。真登香は苦しそうにうめく彼の首根っこをつかみ、近くの草陰に消えた。二秒ほどして、男の絹を裂くような悲鳴が奈緒の耳に届いた。
「……!」
あわてて奈緒は耳をふさいで目を閉じた。耳が痛くなるくらい強く掌で押さえつけているのに、男の悲鳴は耳に届いてしまう。また奈緒の記憶は煌めく。次から次へと生前の自分の悲鳴と苦痛とが瞬いて、心がはじけそうになる。
「はあ、はあ……」
お願い、はやく終わって……。
自分が苦痛を受けているわけでもないのに、奈緒は切実にそう思った。
数十秒が経った頃、ひときわ大きな悲鳴が聞こえ、それきり声は途絶えた。草むらの茂みから、真登香が出てくる。
「終わったよ、奈緒……って、大丈夫!?」
真登香は地面にうずくまってカタカタと震えている奈緒に駆け寄った。
「だ、誰か来たの!? 何をされたの!? 大丈夫!? 奈緒!?」
「あ、ああ……」
奈緒は恐る恐る、顔を上げた。うつろな目からはたくさんの涙が流れ、怯えたような表情。真登香はますます、あたりを警戒した。
「何があったの、教えて? つらいだろうけど……」
「も、もう、大丈夫……」
奈緒は真登香にすがりつくように服の裾をつかみ、立ち上がる。
「だ、大丈夫って……」
「大丈夫。昔のことを思い出しただけだから。大丈夫なの」
奈緒は自分の胸を押さえてそう言った。もう悲鳴は聞こえない。だから、大丈夫。無理やりにでも、奈緒はそう思った。
「大丈夫に見えないけど……」
「大丈夫じゃなくても、今は前に進んで戦わなきゃ。真登香、案内してね」
奈緒のほほえみに、真登香は悲しくなった。何が真登香をこんなにしたのか彼女には想像もつかない。だから、何も言えず、何もしてやれない。友達なのに。
「……わかった。ついてきて」
せめて奈緒が夜安心して眠れるよう、戦おう。真登香は静かに決意する。




