転生の夢
夜のとばりが完全に落ちたころ、クリアは奈緒の頭の中で思考していた。奈緒が転生してきた原因を。
『……』
奈緒を起こさないよう、慎重に考えながら、クリアは考える。そもそも、クリアと神が交わした契約は単純だった。神がこれだと思った人間の魂をクリアの体に転生させるというのが、その契約のすべてである。そして、その神は悪人を進んでほかの世界に転生させようとするような神ではなかった。それに加え、奈緒が時々見せる異常を加味して考えたところ、クリアはある過程を組み立てた。
奈緒は何か事件に巻き込まれて、転生する羽目になったのでは?
そう仮定すれば、時々奈緒の思考が霞むのは、その時のことを思い出していたから……。そうとらえるのは難しくない。
『……なら』
ならば、どうして生きようとするのだろう。クリアは不思議に思った。自分は自分自身に悲観して、自分でもできる自殺方法を探し、そして実行した。今自分が思考しているのはクリアの残滓。そう彼女自身は認識している。
けれど、奈緒は違う。奈緒は今、ここに生きている。そして、三年後には死ぬ運命。また死ぬ恐怖と戦わなければいけない。それなのに、なぜ奈緒は生きようとするのだろうか。何か理由があるのだろうか。
クリアはそんなふうに、奈緒のことに興味を持った。
『夢へ』
奈緒の夢を盗み見てみよう。一度死んで、よみがえったこの子は、いったいどんな夢を見るのだろうか。
クリアはすっと、奈緒の深層意識に潜り込んでいった。
奈緒は、今自分が夢見ている光景が夢だと自覚していた。何もない白い空間で、奈緒ともう一人、学生服を着た少女が話している。
「ねえ、奈緒」
「なに、由香里」
死ぬ前の奈緒の友達が、彼女の名前を呼んでいて、ほかの誰でもない、奈緒を見てくれている。そんなことはもうすでに失われたというのに。
「一体いつになったら優に告白するの?」
「え、ええ~? こ、告白? し、したいけど……できないよ」
「どうして?」
にっこりと、友達は微笑んでくれる。奈緒は幸せに満たされる。ああ、相談してよかったな。そう彼女は感じた。
「だ、だって、も、もしかしたら優には彼女いるかもしれないし……」
「いいじゃん、いても。寝取っちゃえば?」
「そ、そんなことできないよっ!」
「あはは、冗談冗談。てか、あいつ彼女いないよ?」
「冗談きついよもう……」
そういいながら、奈緒は笑っている。何も由香里は本気で寝取れと言っているわけではない。冗談だとわかってくれると信じているから、そんな冗談が言えるのだ。
「でも、さ」
「ん?」
少し、由香里の様子が変わった。奈緒の心も、少しだけささくれだった。なぜかは、傍で見ているクリアにもわからない。
「でもさ、本当にそれだけ?」
「え?」
「本当に、彼女がいるかどうかわからないから、告白できないの?」
「え?」
奈緒は戸惑う。それ以外に理由はなかったはずだ。もし彼に彼女がいて、告白してしまったら。もしかしたら彼にとっての幸せをぶち壊してしまうかもしれない。その懸念だけが、告白できない理由だったはず。
「あなた、その指で彼の手を触ろうとするの?」
「?」
ポタリ、と小さく水の音がした。奈緒は、自身の爪が剥がれ落ちていて、そこから血が流れるのを見た。
「な、こ、これは……!」
「ねえ、奈緒。そんな顔で、彼が振り向いてくれるとでも思っているの?」
由香里に言われて、奈緒は自分の顔を触る。何があったのかはわからないが、顔の皮膚がはがれ、血液が染み出すように流れている。
「それにさ、あなた、そんな喉でどうやって声を出すの?」
「え?」
奈緒は自分の喉に手を当てた。そこには、紅く染まった孔が空いていて、そこから奈緒の呼吸はもちろん、出そうとする声も漏れていた。ヒューヒューと、空気が通る音がする本来ならば致命傷。けれど、ここは夢だ。何があっても、死ぬことはない。
「そんな目で、何を見るの?」
「……」
急に親友の姿が見えなくなった。見えなくなったのではなく、自分の目がえぐられたのだということを、奈緒は自覚した。
「そんな耳で、どうやって返事を聞くの?」
それ以降、うっすらと聞こえていた空気の流れる音も聞こえなくなって、親友の声も途絶えた。
『そんな体で、付き合ってなんて言うつもり?』
奈緒の心にその言葉が響いて、奈緒はようやく理解した。
ああ、自分はもうすでにあの世界じゃ肉塊なんだ、と。
そして、クリアは奈緒の夢を覗き見たことを激しく後悔した。
「――――由香里」
奈緒はぱちりと目を開けた。
むくりと体を起こすと、彼女は自分の体を見まわした。白い肌に、細長い指。奈緒はそれを自身と認識するのにずいぶんと時間がかかった。そしてまた再び、自分が死んだことを思い出した。
『大丈夫? うなされていたけど』
そうなの? 覚えてない。
奈緒は自分が目覚めた時に何を言ったかも忘れていた。そもそもどんな夢を見ていたかさえ、覚えていなかった。
……目覚めがいいなぁ。
奈緒は心の中で思った。奈緒は生前、目覚めは悪いほうだった。それなのに、今日はさっぱりとした目覚めだった。
『これがわた、クリアのふつう。これからはあなたの普通になる』
ふふふ、嬉しい。
奈緒はベッドから降りて、服を着替える。裾がレースになっている半袖の服に、少し短いチェック柄のスカート。下着は普通のショーツ。ブラを……つけようとして、やめた。
しなくてもいいか。というかないし。クリアはブラしたことないの?
『ある。けど、ぶかぶかだった』
まあ……この胸じゃね。
奈緒はそう言って視線を落とした。なだらかな曲線を描いた、クリアの体。これではおそらく一番小さいサイズの物でもぶかぶかだろうということは想像に難くない。
「……ふう。朝ご飯朝ご飯、と」
服を着替え終わった奈緒は、朝ご飯を食べに部屋を出て、リビングへ。キッチンの様子は昨日の朝から全く変わっていない。
そういえばクリア、あなたの保護者は?
奈緒自身両親を失った経験があるため、『両親』という表現は避けた。
『いない。自殺した』
……。
いきなり知らされた事実に、奈緒は絶句した。
『大したことじゃない。気にせず、料理を作って』
そんなこと聞かされて動揺しない高校生なんていないよ……。
言われた通り、冷蔵庫を漁って何か食べ物がないか探す奈緒だったが、どこか上の空だった。クリアがどう話を切り出してくるのか、ひやひやしているのだろう。
『そこに肉があるから、全部食べといて』
え? なんで? 結構量あるよ?
『もし今日真登香と会って、あなたが立ち会うことになったら、もしかしたらしばらく肉が食べれなくなるかもしれないから』
あ……。
奈緒は思い出したように真登香のことを考え始めた。
そうか……登校するまでにきめないといけないんだね。
『時間があるとは思えない。八時まであと一時間しかない。料理を作って食べて、歯を磨いて鞄を持って、靴を履きかえて。一連の動作を早くしないと』
ニュースも見たいのに……。今日休むわけにはいかないかな。
『……たぶん、真登香が押し掛けてくると思う。……昨日の首謀者たちを連れて』
つまりそれは、拷問云々をここでするつもりなのだろうか。そんな想像をして、奈緒は青くなった。
『新聞紙を床に敷く? そうすれば血に汚れることもないから』
そもそも私の前でそんなことさせないよ!
奈緒はたまらなくなった。なぜ人を拷問する云々を朝っぱらから考えなくてはいけないのか。頭から真登香や昨日の襲撃者たちのことを追い出すと、気を紛らわせるように料理を作り始めた。と言っても、それでも料理の項目はできるだけ肉を消費するものを考えているのだが。
……ねえ、ニュース見ていい?
『好きにすればいい。ここはもうあなたの家』
「……」
奈緒はいったん料理を切りやめると、テレビをつけて、適当にチャンネルを変える。
『……昨日午前十時ごろ、公立魔法・超能力総合学園に武装集団が押し入り、校庭で授業をしていた生徒、教師、合わせて五十人が死傷する事件が発生しました。武装集団は中にいた生徒に鎮圧されましたが、何名かは依然として逃走している模様で、『魔法警察』は現在も捜査を続けています。続きまして……』
奈緒は少しだけ動きを止めた。名前も知らないのに、死んでしまった先生のことを思い出したのだ。
『奈緒。気にしちゃダメ』
先生は……私のこと、知っていたのかな。
『それは……わからないけど』
クリアはあり得ないとわかっていながら、そう言葉を濁した。
「……あ、もうこんな時間……」
時計にふと目をやると、そろそろ八時になろうかという時間だった。ずいぶんと長い間固まっていたようだ。
「ごはんは……もういいか」
奈緒はそうつぶやくと、部屋まで戻って鞄をひっつかんで玄関を出た。
『奈緒。私の体は体力ある。けど、朝食を抜いてもその力がでるかどうかはわからない』
遅れるよりはまし。
そうクリアに返事をすると、奈緒は昨日と同じように走り出した。
彼女の心情は、昨日と正反対だったが。




