転生の根源
「……ただいま」
先生を亡くしたショックと、真登香に迫られた選択とを考え続け、とぼとぼと家に帰ってきた奈緒。彼女は、まっすぐ寝室に戻ってベッドに倒れこんだ。真っ白な天井を見上げて、自分の物ではない白い腕で目を覆って、心の中でクリアに呼びかける。
教えてくれるんだったよね。あなたのこと、魔法のこと、全部
『教える。けど、真登香のことは考えなくてもいいの?』
あとで。……嫌だよ。なんであんなことをしなきゃいけないの? あんなに痛くて苦しいことを、ほかの人にしないといけないの?
『……そう』
クリアは悲しそうにつぶやいた。まるで自分が体験してきたように言う奈緒に、転生した原因があることを悟ったからだった。
『……私は、生まれついての天才だった』
自慢話?
『そうとられることを覚悟して、私は話す。あなたがなぜ私の体に転生することになったのか』
……。
奈緒は黙った。早く続きを話して、という無言の催促だった。クリアはそれを感じ、あわてて続きを話し始める。
『最初に魔法を使ったのは、三歳のころ。物心ついたのも、その時。私はそれだけでなく、生まれた時から世界に流れる魔力と人に宿る魔力を視ることができる特殊能力を持っていた。そして、その力を使って、ほとんどの魔法を使うことができた。なんの苦労もせずに』
普通の人が聞いたなら、それは自慢話に聞こえただろう。しかし、奈緒にはなぜかクリアの気持ちが伝わってきた。詳しく言葉にできないほど細やかな感情の動き。それは、クリアの話が自慢話でないことを物語っていた。その気持ちをあえて言葉にするなら……もう帰ってこないとわかっている両親を、渇望するときのような、寂しさに似た感情。
『だから、四歳の時にはもう、魔法の勉強なんてするまでもなく、すべての魔法を使えるようになっていた。……だから私は……』
知りたいことは魔法で知れる。どんな魔法が使えるかは目で見える。だれがどんな魔法を使うかも、目で見える。魔力を見通す目と、魔力を操る才能。その二つを同時に持って生まれたことが、彼女の絶望の根源だった。
『私は、他人の寿命をほぼ正確に知ることができた。このことは、奈緒以外に話したことはない。……話すまでもないことだから。話しても仕方のないことだから』
自分の寿命を教えてくれ。そういわれるのが怖くて、クリアは自身の特殊能力を話すことをしなかった。そして、彼女の絶望の始まりは、ふとした興味だった。
『ある日、私はふと、自分の身体を見まわした。この体はどれくらいのことができて、どれくらい生きていけるのか。それを知りたくなった。そして、見てしまった。私の、弱さを』
自分は二十歳まで生きることができない。それが、彼女の目が彼女にもたらした真実だった。二十歳までは生きることができるだろう。たとえ、何があっても。敵は魔法で倒せる。病気は魔法で治せる。けれど。
『私は二十歳を超える前に死ぬ。それを知ってしまった。私は膨大な魔力を有している。けれど、私には世界から魔力を供給する方法がなかったの』
そ、そんな。
『魔力は世界に無限に満ちている。人にも魔力が潤沢にある。……けど』
けれど魔力が尽きれば、人は死ぬ。本来人は、食事や呼吸、その他外的要因によって魔力を世界から供給する。しかし、クリアは例外的に、それらの手段を講じても魔力の供給ができない。それは、魔力に関して言えばほぼ完ぺきと言える彼女の、唯一にして致命的な欠点。
『私はその事実を知った時は、何も思わなかった。二十歳までなら、十分だと、そう思っていた。でも八歳になり、十歳になったとき、本当に恐怖した。あと十年。あと十年しか、生きることができない。魔力がなくなって、自分は死ぬ。そう思った』
あと十年。それはクリアにとって果てしなく少ない年月だった。ほかの人はあと数十年生きることができるのに、自分だけは二十歳になることすらできない。そう彼女は思った。死なないためにたくさん努力して、遊ぶ時間のすべてを魔力供給手段を入手するために費やした。けれど、クリアはその手段を手に入れることができなかった。だから、彼女は。
『だから私は、生きることをあきらめた。死ぬことに腐心するようになった』
もう二十歳まで生きることができないなら、自分の手で自分の人生に幕を下ろす。そう決めてからのクリアは、常に自分をどう死なせるかを考えていた。
『でも、私は自分を殺すことができなかった。……痛いのも苦しいのも嫌だったし、怖かった。だから、自分の意識だけを、死なせることにした』
どういうこと?
『私は、自分以外の人間に私の体の権利を譲りたかった。しばらくそれを考えていたら、異世界があって、そこには神様がいることを知った』
まったく知らないほかの世界を知ったのは、ほんの些細なことだった。ふと、暇だったから見ていたテレビ。そこで、異世界がある可能性について、論じていたのだ。それはただのきっかけに過ぎない。けれど彼女はすぐに行動に移した。
『二年分くらいの魔力を使って、私は異世界の神様と交渉して、転生するための器になることに成功した』
せ、成功って……。
奈緒にとって、にわかには信じがたい話だった。いくら自分の死が決まっているからと言って、自ら進んで他人の器になるなんて。
『私はその契約が済んだ時から、準備を始めた』
準備?
『つまり、ある日突然私が私じゃなくなっても大丈夫なように、周囲と私を変えていった』
それからの彼女が行った努力は、並大抵ではなかった。
『異世界に来て一人きりではさびしいだろうと、最初に理解のある友達を一人』
言わずもがな、真登香のことである。
『異世界に来てなんの知識もなしじゃつらいだろうから、自分の心を写し取ったインテリジェンスロッドを、頭の中に仕込んだ。杖召喚の魔法を使えば、現れるようにプログラムした』
その成果は、すでに奈緒の手の中にある。
『次に、周り。私はその日から定期的に全く別の人格を演じ、急に転生してきたとしても周囲が適応できるようにした』
十歳の時から、今まで五年。クリアが演じた人格はおよそ二百五十。そのおかげなのか、クリアの周囲はクリアのことを『時々性格が変わる人間』と認識していた。
『そして、昨日。五年前に契約した神様から、連絡があった。……連絡があったのは、正直言って嬉しかった。しっかり前準備できたから』
前準備?
『この世界についての簡単な注意事項をまとめた冊子と、朝ご飯。それから、新品の服と、鏡。かなり散財したけど、まだお金は残ってる。安心して』
……そんな。
自分の心が明日消えるとわかっているのに、恐れるでもなく、淡々と転生してくる者のために準備をするクリアを想像して、奈緒はショックを受けた。
『私は昨日までの私。もう成長することはなく、もう死に怯えることもない』
でも、そんなのあんまりだよ。あなたはあと五年は生きれたんだよ?
『あと三年』
え?
奈緒は呆けたように聞き返した。
『契約の時に二年分の魔力を使ったから、あと三年。この寿命はもう、私のではない。あなたの寿命』
……そう。
奈緒は自身の寿命があと三年だと聞かされても、特に悲観はしなかった。奈緒にとって自分はすでに亡くなった命。三年命が増えただけでも、御の字だったからだ。
『あと三年しか生きることができない体で、ごめん』
いいよ。私、本来ならもうあの世にいるんだから。
奈緒はそう思った。そう思っているはずだった。
『……今はそう思っているかもしれない。でも、最後の一年できっと、奈緒はもっと生きたいと思うようになる。……その時、奈緒はどうする?』
わからない。わからないよ、クリア。
自分が生きるために何をするか? そんなこと、奈緒は考えたこともなかった。
『……そう。魔法のことは、もう少しだけ待って。時間をかけて、ゆっくり話していく。……それじゃ嫌?』
まさか。それでいいよ。……というかさ、その、魔力が見えるんだよね、クリアは。私は見えるのかな?
『見えない。それは私の能力。奈緒の力じゃない。特殊な力を持っていたのは私の魂で、その体じゃなかった。それだけの話』
そう。
きっぱりと言われて、さびしいような、嬉しいような。
奈緒はふと思いついたようにむくりと起き上った。
『奈緒、どうしたの?』
お風呂、それと、着替えしないと。
『洗浄なら、魔法で何とかなる』
気分の問題なの。
『そう』
それだけ言うと、クリアは黙った。部屋を出て、クリアの案内のもと風呂場へ向かうと、奈緒はタンクトップとジーパンを脱ぎ、下着を脱いで全裸になった。洗面台の自身の体を見て、彼女はため息をついた。
『どうしたの?』
……なんでもない。
言えるわけがなかった。鏡を見るたびに死んだことを自覚させられる、などということは。風呂場に入ると、奈緒ははたと気づいた。
「あ」
自分は何も湯を沸かしていない。それなのに、湯船に湯が入っているわけがない。いろいろなことが起こりすぎて、判断力が鈍ったのだろうか。
「……」
今からもう一度服を着て風呂が沸くのを待つのが億劫になった奈緒は、今日はシャワーだけで済ますことを決めた。
『気分の問題じゃなかったの?』
これでも気分は晴れるよ。
負け惜しみをクリアに言い、シャワーを浴びながら、奈緒は考える。先生のこと、集団のこと。
なんで武装した人たちはあんなことをしたんだろう。奈緒はだんだん深みにはまっていく。
彼らは殺された家族の仇とかなんとか言っていたけど、それなら、自分は先生の仇を討っていいのかな。実際に、真登香は仇を討とうとしているんだし。
でも、と奈緒は思う。
たとえ仇を討つにしても、苦しめるのは嫌だ。きっと、痛いことをすればあの人たちだって叫ぶ。その声を自分は聞かなきゃいけない。そんなのは嫌だ。
そうは思っても、奈緒には彼らを殺すこと自体に忌避は抱かなかった。
なぜなら、奈緒にだって真登香の気持ちがわかるからだ。殺されたなら、殺し返したいと思うのは当然のこと。彼女はそう思っていた。そして彼女自身、そう思ったことがないわけではない。幼いころ、彼女の両親は交通事故で亡くなった。奈緒はその原因となった加害者を、殺してやりたいと思ったことが幾度かあった。
その感情が醜いものだと奈緒自身は考えていた。しかし、それでも、切り離せずにはいられない感情だった。ただ、それを実行に移すとなれば、話は別。
実行すれば、それは闇に身を堕すということ。憎む側から憎まれる側になるということ。
「どうしよう……」
自身の胸に手を当て、もっともっと考える。
明日までに答えを真登香に伝えなきゃいけない。たった一人の友達を失わないために、どんな風に伝えればいいだろうか。それがわからなかった。友達とケンカをしたことは数あれど、それが人の生き死にに関わってくるということは、今までなかった。だからこそ、奈緒は慎重になる。
……明日、どうしよう。
シャワーを浴び終わり、パジャマに着替え、床に就いても答えは一向に見えてこなかった。




