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最初の話~転生について~

 夕暮れ、ごく普通の街並みを少女は歩く。

 

 「……♪」

 

 お気に入りの鼻歌を歌いながら、少女は今日学校であったことを思い返していた。

 朝登校した時に友達とあいさつしたこと。昼休みに大好きな人と少しだけおしゃべりできたこと。陸上部の練習でいい結果が出せたこと。クラブのみんなでおしゃべりしたこと。

 そのどれもがありふれていて……そのどれもが、幸せに満ち溢れていた。幸せそうな表情で街を歩く彼女に、不幸という文字は似合わない。


 「……♪ ……あれ?」


 少女はふと立ち止まる。銀行の前だ。大きくも小さくもない銀行で、この時間帯だと言うのにシャッターがしまっている。少女が立ち止まったのは銀行の中から音が――それも、破裂したような勢いのある音がした気がしたからだった。


 「……誰?」


 少女は見た。銀行のすぐ隣にある路地、銀行の裏口から出る一人の男の姿を。

 男は覆面をしていた。男はかばんを持っていた。男は拳銃も持っていた。


 「誰だお前?」


 男も、少女と同じ質問をする。……意味はかなり違うが。


 「私は神埼 奈緒」


 バカ正直に、少女――神埼 奈緒は答えた。男はにやりと笑うと路地から外れない程度に奈緒に近づき、手招きをした。つられて、奈緒は一歩、近づいてしまう。

 その瞬間、男は手に持った拳銃を、奈緒のほうへと向けた。


 「!」

 「黙って。こっちにこい」

 

 奈緒と男との距離は距離にして約三十。よほど慣れた人間でないと、致命傷は与えにくい。にも関わらず、奈緒は黒光りする銃口が絶対致死の物だと錯覚してしまった。当たれば死ぬ。その恐怖が、奈緒を支配した。


 「……ちょっとついてきてくれねえか、奈緒さん」

 「ど、どうしてですか?」

 「黙ってついてきてくれよ、何もしねえから。俺を助けると思って、な?」

 「……そうですか」


 少女は正直だった。そしてやさしかった。今までの人生、およそ嘘というものをついたことがなかった。ゆえに嘘をつくという発想は彼女にはなく、そして他人が自分に嘘をつくかもしれないという発想も、彼女にはなかった。

 彼女はただ正直に、正直にと生きてきただけだった。嘘をつくなかれ、人には優しくあれという死んだ両親の教えを守って生きてきただけだった。

 ――もし、彼女が嘘をついていたら。正直でなかったら。他人が自分に嘘をつくかもしれないという懸念が彼女のなかにあったら。


 「ついてこい」

 「……はい」


 『何もしない』なんて嘘に、奈緒が騙されるはずがなかっただろう。撃たれるのを承知で、逃げ出す勇気ぐらいはわいたかもしれない。しかし、そうはならなかった。……ならなかった。

 彼女は愚かにも、銀行強盗をしたばかりの男に近づいてしまい、そしてその結果。



 彼女は――。











 

 「……」

 

 奈緒の意識が戻ると、彼女は見知らぬところにいた。

 彼女は自分がどこに立っているのかを確認して、驚く。雲の上? どうして私が? 自分の姿を確認する。何も変わらない。さっきと何も変わらず、普通の自分に、かばんに、学生服。変なところは一つもない。

 

 「ここは……」


 どうしてこんなところに私はいるのだろう? そんな簡単な疑問にも、彼女は答えを見つけ出せない。

 雲の上。わかっているのはそれだけだ。他にあるものと言えば遥か高い青空と、煌々と照る太陽だけだ。


 「……私、死んだのかな?」


 ふと、思い出す。そう言えば男の人についていって、椅子に座らされてからの記憶がない。確かあの人、棍棒みたいなのを私の頭にぶつけてきた。だから私は死んだのだろう。

 彼女はロジックを組み立てていくように、自身の死を理解した。痛みや苦しみは、今の彼女には思いだせない。思い出したせないままでいいと彼女は思った。まだ彼女には、死んでしまったということに対してのショックは感じない。まだ、半ば夢うつつ。


 「……てことは、ここ、天国?」


 こんなきれいなところが地獄なわけがない。彼女は簡単に結論付けた。


 「死んだ、死んだのかぁ……私が……死んだ」


 死ぬ、ではなく『死んだ』。自分がそう言える状況と言うのが、ひどく滑稽に思えた。そうだ、私は死んだ。のに、考えることができる。自分はまだ、ここにいる。……生きている時は、あれほど死ぬことが、自分がいなくなることが怖かったのに、実際に訪れてみれば案外、怖くもなんともない。そう奈緒は思った。

 

 「結構意外ね。私って、こんなに武感情だったかしら。……というかお迎えまだなの?」


 少しいらついたように彼女は呟いた。なんでこんなだだっ広いだけの空間に一人置き去りにされねばならないのだ。せめてお迎えの一人や二人、来てくれてもいいじゃないか。

 彼女はあたりを見回しながらそう思った。


 「……ま~だ誰も来ない。……ホントにここ、私だけなの? ……気が変になっちゃいそう」


 それとも、気が触れるまでここにいろということなのだろうか。……そんなのはまっぴらごめんだ。

 奈緒はあたりを歩き始めた。もしかしたら人がいるかもしれないと思ったからだ。歩くというよりはすべるような感覚がしたが、奈緒は気にならなかった。


 「……誰もいない。……死後は一人っきりってこと? 嫌よ、そんなの」

 「大丈夫ですよ」

 「ひゃっ!?」


 後ろからいきなり声をかけられて、奈緒は飛び上がった。後ろを振り向いて、さらに驚く。


 「あ、あ、あなた……!?」

 「こんにちは、神埼 奈緒さん。はじめまして、私の名前はアークと申します」

 

 アークと名乗った青年は、恐ろしいほど神々しかった。そして、凄まじく整った顔立ちをしていた。人間の顔を完璧な形にすれば、こうなるのではないだろうか。完璧な容貌には、満面の笑みが浮かんでいる。頭の上には天使の輪っか、背中には大きな翼が六対十二枚。着ているものは布一枚だが、それがまた神々しい。天使の布とでも言うのだろうか? こころなしか後光もさしている気がする。


 「あ、アーク……さま?」

 「様はいりませんよ。アークとでもおよびください」

 「……アーク?」

 「はい」


 アーク? ……どこかで聞いた名前。奈緒はそれ以上考えなかった。天使の名前よりも、今は聞きたいことがたくさんあったからだ。


 「私、死んだの? どうして?」

 「覚えていないのですか?」

 「……うん」

 「……」


 アークは笑顔から一転、気の毒そうに顔を伏せた。奈緒はその表情を見てさらに不安になる。


 「あなたは殺されました。……銀行強盗に」

 「……そう」

 

 殺されたと聞いても恨みや怒りは湧いてこなかった。なんだかもうそんな感情はどこか遠いことのようで、いまいち実感がない。……どうしてだろう? 奈緒は疑問に思ったが、それだけだった。


 「私の死体、見せてくれる?」

 「……あなたの遺体は、その、激しく損傷されています。見ない方が精神衛生上よろしいかと」

 「……口頭でいいから、教えて」


 自分の身体の死に様ぐらい、知りたい。そう思ってのことだったが、すぐに後悔することになる。こほん、とアークは咳払いを一つすると、気の毒そうに言葉を発した。


 「そうですね。あなたは……」


 アークは嫌々、奈緒がどうやって殺されたかを懇切丁寧に教えていく。最初こそなんでもない風に聞いていた奈緒だったが、次第に顔色が悪くなっていく。


 「……と、いう感じですね」

 「そこまで詳しく言わないでよっ!」


 涙目になって奈緒は叫んだ。

 

 「……これは失礼」

 「もう過去のことだからいいけどさ! というか、なんでそんなに私、壊されてるの?」

 「……壊されてる、ですか」


 アークは心中で驚く。ほんのさっきまでただの高校生だった少女が、自身の遺体を『壊されている』と形容するなんて、珍しいことだからだった。むちゃくちゃにされたことが、彼女の心に変容を与えたのだろうと彼は推測した。


 「そうよ! その男、なんかの性的嗜好が……って、私、その、生娘のままよね?」

 「え、ええ、一応は」

 「……嫌な言い方ね」

 「大丈夫です。あの男はあなたに手を出しませんでしたから」

 

 ふう、と奈緒は胸をなでおろした。大好きな人がいたのに、銀行強盗なんかに純潔を散らされていたのではたまったものではない。

 

 「話戻るけど、なんで私あんなに壊されてるの?」

 「さあ?」

 「はい?」


 二人して疑問符を浮かべる。


 「私には異常者のことはわからないので」

 「あなた、天使よね? 人間のことはすべからく理解しているんじゃないの?」

 「善人なら、理解できますよ。あなたのような」

 「……! ほ、誉めてもなんにも出ないんだからね!」


 顔を真っ赤にして奈緒は顔をそらす。かわいらしいな、とアークは微笑んだ。


 「ほめてなんかいませんよ。天使や神は善人しか理解しません。だから、悪人を『地獄』に放りこみ、隔離するのです。あなたは理解できる人種です。……だから、ここにいるのですよ」

 「……」

 「まあ、こんなところで話していても埒があきません。本題に入りましょうか」

 「……天国に行くの? それとも、生まれ変わり?」


 アークは首を振った。


 「あなたは今までずっと正直に生きてきました」

 「……うん」


 奈緒はそれが原因で殺されたのにも関わらず、後悔はしていなかった。確かに、皆が皆嘘をつかないわけじゃない。親からも、友達からも言われていたのに、とっさには思いつかなかったのだ。まさか、男の言うことが嘘だったなんて。しかし、奈緒はそう思う一方で今まで嘘を吐かないでよかったとも、思っている。嘘をつかなかったからこそ親しい人間からは信用されていたし、親交も厚くなっていった。友達も多く、両親の教えを守っていたから、自分の人生に誇りも持てた。


 「しかし、その結果、あなたは無残に殺されてしまいました。このことを神は大変悔やまれております」

 「……そうなんだ」


 神様でも後悔したりするんだ。と奈緒は感心する。信仰に疎い彼女はギリシャ神話や日本神話を読んだことがなかった。


 「ええ。まあ、ですので、転生して二度目の人生を、と」

 「ホントに!?」


 思いがけない生還のチャンスに、奈緒は目を輝かせた。また、生きれる。また、再び人生を歩める。彼女は希望に胸をふくらませた。


 「はい。転生先はすでに決まっています。けれど、転生先はいろいろともんだ……ややこしいので、いくつかの恩恵が付くこととなっております」

 「……恩恵? 特殊能力とか?」

 「いえ、それは……。なんでもありません」


 一度口ごもったが、アークは気を取り直して咳払いをした。


 「では、特典の内容を。

 その一、転生先ではあなたの意識をそのまま入れますので、記憶は引き継がれます。

 その二、転生先はすでに成長した人間なので、成長を待つ必要はありません。

 ……以上です」

 「へえ~。すごい!」


 奈緒は目をキラキラさせながら言った。そのままの心、特殊な人生。とても魅力的な提案だった。


 「転生しますか?」


 さながらゲームに出てくるキャラクターのように、アークは訊いた。


 「はい!」


 間髪いれず、即答。


 「……わかりました。あなたの名前はクリア。クリムネア・スターライト」

 「……クリア?」


 外国人だろうか? というか、スターライトって……『星の光のクリムネア』? 変な名前。

 奈緒は不安になる。言葉を覚えなくても大丈夫だろうか? とか、文化違っても大丈夫かな? そういえば、またみんなに会えるかな、とか。よく考えれば考えるほど、不安になってくる。


 「では、転生後の人生、どうかお楽しみください」


 不安になったところで、もう取り消しはできない。


 「う、うん」


 ぽう、と奈緒の周りに光がともる。


 「それと、一つ警告を」

 「え?」

 「転生にはいくつかの特典があります。が、転生後の人生は、頑張ったあなたへのご褒美というわけでも、正直なあなたへのプレゼントというわけでもありません。あなたへのご褒美は人生をそのままやり直す、ただそれだけです。苦痛も快楽も、苦労も安楽も、不幸も幸せもそっくりそのままありますので、どうか、お忘れなきよう」


 転生し、新たな人生を歩もうとしている奈緒……クリアへなりつつある少女に、アークが深々と恭しく、一礼。


 「では、次の人生こそ、長く生きていけるといいですね」

 「……どうも、ありがとうございます」


 ある意味残酷な見送りの言葉だったが、奈緒はお礼を返した。


 「いえいえ。あなたほど正直な人間、久しぶりに見たものですから。つい、敬意を払ってしまいました。……それと、これは忠告ですが、次の人生で正直に生きることはあまりお勧めしません」

 「はい?」


 なんで天使が嘘を奨励するの? 奈緒は疑問に思った。


 「一度学習したはずです。正直に生きても損をすると。……嘘をつくなど、下界ではもはや日常茶飯事で、当たり前のことです。……おっと、下界ではありませんね」

 「はい!?」


 また、疑問が増える。下界ではない? ではどこへ? 光が強くなって、奈緒の視界全てが光に隠れる。


 「言ってませんでしたか? あなたの転生先は、異世界ですよ」

 「……聞いてませんけど」

 「そうですか。まあ、転生先なんてめったに聞けるもんじゃありませんし、ここは我慢してください。では、よい人生を。……行ってらっしゃい」

 「ちょ、まだ聞きたいことが……!」


 異世界とはどういうことか。またみんなに会えるのではないのか。またみんなと一緒に学校に通えるのではないのか。そんな疑問を、一つ一つ答えてほしかった。しかし、アークを止める間もなく、奈緒の全てが光に包まれ、そして――






 奈緒の魂は、転生した。

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