第六話 圏論の先へ
大学で圏論に出会ったとき、志村は世界が一段高いところから見えた気がした。
ふつうの数学は、まず「物」を立てる。数、図形、集合。そしてその性質を調べる。
圏論は少し違う。「物そのもの」より、物と物のあいだの矢印を大事にする。AからBへの変換。BからCへの変換。ならAからCへまとめて行けるはずだ。そういうつながり方そのものを見る。
高校生向けに雑に言えば、ふつうの数学は「何があるか」を見る。圏論は「どう移れるか」を見る。さらに「移り方どうしの対応」まで見る。そんな感じだ。
志村がこれに惹かれたのは、環海体との対話と無関係ではなかった。足し算が通じなかったのは「物」の定義がずれていたからだ。でも、もし「物」を直接比べるのではなく、「物と物のあいだの変換」だけを比べたなら、りんごの世界での変換と、渦の世界での変換のあいだに、何か共通の構造が見えるかもしれない。
その予感が現実になったのは、《NQ-417》の観測が本格化してからだった。
◇
《NQ-417》は、木星外縁よりさらに深い暗黒分子雲にある異常帯だった。そこでは、人類の数学も環海体の数学も、少しずつうまく働かなくなる。
人類記法では区別できるはずのものが途中で滑って重なる。環海体記法では追跡できるはずの不消節が、別の段で交換される。
しかも厄介なことに、この領域では観測の前後関係すらときどき曖昧になった。原因と結果が、どちらが先か分からないような揺れ方をする。物理班は「局所的な因果の非整列」と呼んでいたが、誰もうまく説明できなかった。
まるで、どちらの言葉でも最後までは届かない場所だ。
解析チームは三週間、交替で張りついていた。人類側と環海体側のデータを突き合わせるたびに、どちらかの記法が途中で破綻する。まるで、二つの言語で同時に書こうとすると、どちらの文法も最後まで持たないような感覚だった。眠れない夜が続いた。志村のコーヒーの消費量は十二年前の記録に並んだ。
志村は言った。「対象の名前を決めるのをやめよう。変換の方を見る」
「圏論ですか」
「そう。何が"物"かを先に決めるから崩れる」
簡易圏論モードへ切り替えた。ものを固定しない。ある状態から別の状態へどう移れるかを書く。矢印どうしのつながりを見る。解析像が少しだけ安定した。
だが《残響17》が共同チャネルに割り込んできた。
「近づいています。しかし、まだです」
「どこが足りない」
長い沈黙。
「あなたがたは、まだ"何を矢印の始点と終点にするか"を決めている。ここでは、その決め方自体が揺れています」
志村は息を呑んだ。圏論は高い。だがそれでもなお「何を対象と呼ぶか」は決めている。《残響17》は、そのさらに下を見ている。
「では、どう見るの」
返答はこれまででいちばん長かった。
「どの書き方に落としても、最後まで割れないものを見るのです」
その瞬間、解析像が再構成された。整数ではない。図形でもない。不消節そのものでもない。圏論の図式より、さらに一段深い何か。
スクリーンの像が、ゆっくりと回転している。人類記法で見れば、素数の列が影のように走る。環海体記法で見れば、不消節の分類が薄く重なる。どちらの見方でも完全には捉えきれない。だが、どちらの見方でも消えない何かが、確かにそこにある。
素数は、その影だ。不消節も、その影だ。人類の離散数学も、環海体の節分類も、局所的にはそこから生えている。
宇宙のより深い層にあるのは、「数」や「傷」より先に、これ以上ほかへ崩れないことそのものなのかもしれない。
そのとき彼女は、子どものころの積み木を思い出した。あれは嘘ではなかった。ただ、宇宙のすべてでもなかったのだ。
その夜、志村は《残響17》に個人チャネルを開いた。
「あなたは今、何を失いましたか」
返答は遅かった。
「不消節を基礎だと思う安心です」
志村は目を閉じた。
「私も。素数を基礎だと思う安心を失いました」
今度はすぐ返ってきた。
「では、同じ場所にいます」
それだけだった。だがその一文に、彼女は救われた。
向こうは最初から高みにいたわけではない。向こうもまた、自分の最初の数学を失って痛んでいる。
そこで初めて、二人は本当に同じ高さに立った。
その夜、志村は長いあいだ端末の前に座っていた。
十二年前、素数列が届いたとき、自分は興奮した。宇宙に同じ数学があると思った。だがそうではなかった。宇宙には同じ数学はなかった。代わりにあったのは、違う数学を持つ知性が、互いの土台を失いながら、それでも触れ合おうとする過程そのものだった。
それは素数列よりも、ずっと美しいかもしれない。




