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宇宙人に足し算を教えたら「なぜそれが足せるのですか」と返された  作者: みんとす


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第三話 数えられない世界

 案の定、掛け算と割り算で事態はさらに悪化した。


 人類側は、掛け算を「同じものを繰り返し足す」として説明した。二つの丸が三組ある。だから六個だ。二掛ける三は六。


 返ってきた質問は、長い沈黙のあとだった。


「"三組"とは何ですか。その組どうしは交換可能ですか。交換可能でないなら、合成はなぜ一意ですか。交換可能なら、なぜ組という局所構造を途中で保存する必要があるのですか」


 局の若手が頭を抱えた。「いやいや、二つずつ三つあるだけだろ」


「その"だけ"が通じてないんだよ」と志村は言った。


 新人オペレータの安西が、後からログを見返しながら言った。この若い男は、もともと言語学の院生で、異星通信に使えるかもしれないと引き抜かれてきた。数学は苦手だと本人は言うが、相手の言い回しの癖を拾うのが異様に速かった。


「先生、割り算はもっとだめでした」


 実際その通りだった。六割る二は三、を送ると、環海体側はまず「六」というまとまりがどうやって安定しているのかを問題にした。六割る三は二、を送ると、今度は「二つずつに切る」と「三つに分ける」が同じ対象上で両立する意味を尋ねてきた。


 加減算と乗除算は、小学校で順番に習う。だが、よく考えればその順番自体、かなり人類の世界に依存している。


 まず物が安定している。それを数えられる。数えたものは足したり引いたりできる。同じまとまりを繰り返せば掛け算になる。等分したり何個ぶんかを問えば割り算になる。


 この流れは、机の上の石やりんごにはよく合う。だが、境界が揺れ、個体の同一性が保たれにくい世界では、足し算と掛け算の間にも、引き算と割り算の間にも、深い谷があるのかもしれない。


 ◇


 環海体の世界の姿が少しずつ分かってきたのは、接触五年目以降だった。


 志村が初めてその説明を受けたとき、うまく想像できなかった。巨大な浅海。濃い大気。星の表面を覆う、粘り気のある膜のような生態系。そこでは生き物も構造物も、硬い固まりではなく、膜、渦、振動のまとまりとして存在しているのだという。


 石がない世界。志村は積み木を思い出した。あの赤や青の固まりが、最初から存在しない世界。


 たとえるなら、こんな世界だ。


 大きな水たまりの表面に、三つの渦ができている。「三つ」と数えたくなる。だが五分後には、二つが合流して一つの大渦になり、残った一つから枝分かれして二つの小渦が生まれる。今度は「三つ」なのか「二つ」なのか「一つと二つ」なのか、もう分からない。


 しかも、遠くから見れば大渦一つ。近づけば小渦が無数。どの距離で見るかによって「いくつあるか」が変わる。


 環海体の世界では、こういうことが生態の基本として、つねに起きていた。


 そんな世界では、「一つ」「二つ」「三つ」を基礎に置きにくい。数えるには、まず境界が安定していないといけない。どこからどこまでが一つかが、ある程度は固定されていないといけない。環海体の世界は、長いあいだそれを許さなかった。


 だから彼らには、離散数学――一つ、二つ、と分けて考える数学――が、人類ほど自然には芽生えなかったのだ。


 その代わりに彼らが最初に見たのは、どんな見方をしても消えない違いだった。


 ある膜のねじれは、広げれば消える。ある渦の傷は、流れの中でほどける。だが中には、どう変形しても、どう混ざっても、最後まで消えない歪みがある。


 人類にも似た経験がある。紐を結んだとき、ただ絡まっただけなら引っ張ればほどける。だが本結びにしてしまうと、端を通さない限り絶対に解けない。あの「どうしても消えない結び目」が、宇宙のあらゆるところに存在すると思えばいい。


 彼らはそれを不消節と呼んだ。物ではない。むしろ傷や結び目に近い。何かが「ある」というより、そこだけどうしても元に戻らないという印だ。


 人類が石を数えたように、彼らは傷を見分けた。人類が足し算を覚えたように、彼らは傷が合わさったときにどうほどけるかを調べた。人類が素数を見つけたように、彼らは、これ以上ほかの傷へほどけない不消節を見つけた。


 数学の始まりが、まるで違ったのだ。


 志村はこの対応関係に気づいたとき、めまいに似た感覚を覚えた。


 人類の素数と、環海体の不消節。どちらも「これ以上分けられないもの」だ。だが、その「分けられなさ」の意味がまるで違う。人類の素数は、安定した個物の世界で、割り切れない数として立つ。環海体の不消節は、流動する連続体の世界で、どうしてもほどけない傷として残る。


 同じ役割を、まるで違う姿で担っている。


 志村は報告書を閉じて、窓の外を見た。


 見えている世界が、根の部分から違う。

 それでも、「これ以上分けられない」という感覚だけは、宇宙のどこかで共鳴している。


 その共鳴の正体を掴むには、もっと深い場所へ降りなければならない。

 そのとき何を失うことになるのか、志村にはまだ分からなかった。


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