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宇宙人に足し算を教えたら「なぜそれが足せるのですか」と返された  作者: みんとす


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第二話 素数の夜

第二話 素数の夜


 眠れなかった夜が、志村には二つある。


 一つは、足し算が通じなかった夜。

 もう一つは、その十二年前の夜だ。理由は正反対だった。


 当時の木星軌道共同解析局は、まだ仮設局に少しだけ予算がついた程度の組織だった。人員は足りない。設備も足りない。寝袋と紙コップのコーヒーで回っている現場だった。


 それでも全員が興奮していた。木星外縁の受信網が、人工的にしか見えない繰り返し信号を拾ったからだ。


 志村が夜中に呼び出されて駆けつけたとき、スクリーンには数字の列が大きく表示されていた。


 二、三、五、七、十一、十三、十七――


「素数列だ」と誰かが言った。「間違いない。知性だ」と別の誰かが叫んだ。


 局の中は、にわかにお祭りみたいになった。誰もが顔を赤くしていた。普段は無口な機器班の技師が椅子の上に立って両手を挙げた。主任は受話器を握ったまま手が震えて、上層部への報告がなかなか始められなかった。志村の隣では、統計班の若手が泣いていた。「生きてるうちに来ると思わなかった」と繰り返していた。廊下では、夜勤明けで帰宅するはずだった職員たちが、誰一人帰らずにスクリーンの前に立っていた。


 数学は文明を超える。もし宇宙の向こうに知性がいるなら、最初に手を伸ばすのは数だ。そういう物語を、みんな子どものころからどこかで信じていた。


 ニュースは翌朝には世界中を駆けめぐった。宇宙は数を知っていた。最初の会話は素数から始まった。


 ◇


 志村が数学を好きになったのは、それよりずっと前のことだ。


 子どものころ、彼女は積み木を並べるのが好きだった。赤が二つ、青が二つ、黄色が二つ。左右が揃うと安心した。


 父と母が食卓で口をきかない夜でも、積み木は裏切らなかった。一つは一つで、二つは二つだった。三つ並べれば三つ。一つ取れば二つ。そうすると、世界が少しだけ静かになる気がした。


 ある夜、居間で父と母が声を荒らげていた。志村は自分の部屋で積み木を並べた。赤、青、黄。赤、青、黄。完璧な対称。その並びが崩れない限り、世界には秩序がある。そう自分に言い聞かせた。


 翌朝、母はいつも通り朝食を作っていた。何事もなかったように。積み木の秩序は、食卓の秩序とは関係なかった。でも志村は、それでも並べることをやめなかった。


 夕食の皿を数えるのも好きだった。三枚あるべきところに三枚ある。それだけで、何かが整う。たとえ食卓の空気が凍っていても、皿の数だけは正しかった。


 中学で素数に出会ったとき、あの安心感がさらに深まった。二、三、五、七、十一。他の数には割れない。何にも分解できない。それは世界の中にある、壊れない最小の粒みたいだった。


 だから宇宙から素数列が届いた夜、彼女も胸が熱くなった。地球の外にも、この静けさがある。そう思いたかった。


 だが数学を少し知っていた彼女には、美しすぎるものへの警戒もあった。美しいことと、本当に基礎であることは、同じではない。


 その違いを、彼女はまだ言葉にできなかった。


 返信プロトコルが整うまでに半年かかった。世界中の数学者と言語学者が集められ、どう返すべきかの議論が繰り返された。数学で返すべきか、物理法則で返すべきか、それとも音楽か。会議は紛糾し、結局いちばん単純なものが選ばれた。


 最初に送ったのは、単純な列だった。一、二、三。図形の辺の数。周期。和と差。積と商。


 志村は、返信チームの中で最も若い翻訳担当だった。先輩たちが数式の組み方を議論する横で、彼女はずっと考えていた。自分たちは今、相手のことを何も知らないまま、自分たちの言葉で話しかけている。それは対話なのか、それとも独り言なのか。


 相手がどこまで理解しているかも分からない。そもそも、こちらの「理解」が相手にも理解として成り立つのかも怪しい。それでも人類は、まず小学校の算数のようなところから橋を架けようとした。


 だが、その橋は最初からかなりぐらついた。


 ――十二年後の今、志村はベッドの中で天井を見つめていた。


 あの夜の興奮は覚えている。だが今の自分は、あのときとは違う。あのとき感じた「きれいすぎる」という違和感が、今ならもう少しはっきり見える。


 人類は、宇宙に数を送った。

 宇宙は、「なぜそれが足せるのか」と返してきた。


 当たり前だと思っていた地面が、足元から揺れている。


 だがその揺れの中に、不思議と懐かしい感覚もあった。子どものころ、積み木の配置がうまくいかないとき、全部崩して最初からやり直すのが好きだった。壊すのは怖い。でも、壊した後にしか見えない並べ方がある。あのときの自分は、崩すことを「悪いこと」だと思っていなかった。ただ、次の配置を探していただけだ。


 今がそのときなのかもしれない、と志村は思った。


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