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宇宙人に足し算を教えたら「なぜそれが足せるのですか」と返された  作者: みんとす


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第一話 足し算が通じない

短編として投稿したものの改稿です。

 丸が二つ。

 少し間を置いて、丸が三つ。

 次に、それらを合わせて丸が五つ。


 二足す三は五。


 木星軌道共同解析局の教育班が、異星文明への最初の算術メッセージとして送った図は、これ以上なく親切なはずだった。


 教育班の責任者、須崎が満足そうに腕を組んだ。


「これなら通じるでしょう」


 局内の全員がそう思っていた。なにしろ、相手は素数列を送ってきた知性体だ。二、三、五、七、十一、十三、十七。あの美しい数列を生み出せる存在に、足し算が通じないはずがない。


 送信して七十二時間。解析局は静かに沸いていた。夜勤の交替でも端末を離れる者はおらず、仮眠室はがらがらで、コーヒーの消費量だけが三倍になった。次に届くメッセージで、本当の対話が始まる。誰もがそう信じていた。


 主任翻訳官の志村伊織は、ひとり端末の前でコーヒーを冷ましていた。

 周囲の興奮が少し遠い。

 すでに三日、彼女はあるものを考え続けていた。


 返答が来る前から、嫌な予感があった。

 素数列が届いたとき、全員が「知性だ」と叫んだ。志村も興奮した。だが同時に、引っかかるものがあった。

 あまりにも、人類が「知性の証拠」と信じたい形をしている。まるで、こちらの教科書を読んだ上で置かれた答えのようだった。


 返答が届いた。


 解析室の全員がスクリーンに目を向けた。表示された文を読み、誰もが黙った。


「理解できません。質問があります。合流前後で、なぜそれらは同種の対象として追跡されるのですか」


 室内がしんとした。


「……何を言ってるんだ?」と誰かが呟いた。


 志村は応答を見つめたまま動かなかった。質問の意味は分かる。だが、自分の理解がその意味に追いつくまでに、長い数秒がかかった。


 周囲では何人かがすでに翻訳エラーを疑い始めていた。「変換ミスじゃないか」「文法解析をやり直そう」。だが志村にはそうは見えなかった。この文は正確だ。正確すぎるほどに。相手はこちらの図をきちんと受け取った上で、こちらが考えもしなかった角度から問い返している。


 人類側は追加の説明を送った。二つの石がある。三つの石がある。合わせれば五つの石がある。石は石のままだ。どこの小学校でも通じる話だった。地球の上でなら。


 その返答は、さらに混乱を深めた。


「"石のまま"とは、合流のあとにも区別可能な局所境界が保存される、という意味ですか。それとも、区別の方法に依らず同一性が保存される、という意味ですか」


 教育班の須崎が机を叩いた。


「どっちでもいいだろ、五つなんだから!」


 別の一人が食い下がった。「もっと単純にしよう。数字だけ送ればいい」


 志村は首を振った。


「記号で送っても同じです。相手が訊いてるのは記号の読み方じゃない。記号の裏にある前提の方です」


 室内が静まった。まだ誰もその意味を本当には分かっていなかった。志村自身も含めて。


 石を左から数えても右から数えても同じ石だ、というのと、石を粉々にしても「かつて石だったもの」と呼べる、というのは、まるで別の話だ。相手は意地悪で言っているのではない。本当にそこが分からないのだ。


 足し算とは、ただ記号を並べることではない。二つのものと三つのものが、合わさった後も、なお個別のものとして数えられるという前提の上に立っている。


 それは、人類には空気のように当たり前でも、宇宙全体で当たり前とは限らない。


 その日の会議は、ひどい空気で終わった。


「知性の相手が足し算を分からないわけがない」

「分からないんじゃなくて、こっちをからかってるんだ」

「数学的に未熟なんじゃないか?」


 須崎は腕を組み直して言った。「もう一度、別の例で送り直しましょう。今度は図を三パターン用意します」


 それが結論だった。問題は説明の仕方にある。もっと上手にやれば通じるはずだ。局内の空気はそういう方向でまとまっていった。


 志村は黙っていた。


 たぶんそうじゃない。図を何パターン変えても、同じ質問が返ってくるだろう。相手が足し算を理解できないのではなく、こちらが足し算の前提を説明できていないのだ。


 そのことを、局内の多くはまだ認めたがらなかった。認めたくなかった、というべきかもしれない。それを認めるということは、人類の数学が自明ではないと認めることだからだ。


 その夜、端末に向かって個人記録を残した。


「二足す三は五。これほど単純なことが通じない。

 通じないのは相手のせいではない。

 たぶん、私たちは自分の数学の土台がどんな形をしているのか、一度も確かめたことがなかったのだ」


 相手のことは、まだほとんど分かっていなかった。木星外縁の暗黒分子雲から信号を送ってくる知性体。局内では「環海体」と仮に呼ばれている。名前の由来は、彼らの母星が海に覆われた世界らしいという、わずかな手がかりからだった。


 その海の世界で、彼らがどんなふうに数学を育てたのか。

 それを知るのは、もっと先のことになる。


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