第8話、ダンジョン配信者
――冒険者とは戦う才能に秀でた者達。
魔法を扱い、剣で大岩を両断し、傷を治癒させる加護を使える者でなければ、ダンジョンに足を踏み入れる事はかなわない。
そうして力のある者達は冒険者として成り上がり、彼等はダンジョンと共に富と名声を手にしてきた。
ここまでは誰もが知っている常識であり、カルもその理解で頷いたが、スノウの話はそこからが本題だった。
「人類の生誕から長い月日を経て積み重ねられたダンジョン攻略の歴史は、この世界の人々にとって一般常識に他なりません。しかしつい最近になってダンジョン攻略にとある革命が起きました。それがダンジョン配信です」
スノウは金属製の板――スマホを取り出して言う。
「人類が科学の力で生み出した”スマートフォン”。これにはライブ配信機能というものが備わっていて、このカメラでダンジョンの中で起きている事を、地上にいる人々へ“リアルタイム”で見せる事が出来るのです。冒険者達は自らの戦いを、ダンジョンでの探索を、発見した財宝や未知の景色を、そのまま世界中の人々へ届けられるようになりました」
「……見せてどうする」
「多くの者はそれで人気を得ます。人気が出れば、視聴者から寄付金――“スーパーチャット”や企業からの“案件”、他にも”スポンサー契約”が舞い込み、莫大な収入を得られる。今や冒険者の多くは、ギルドからの依頼や入手したアイテムの売買よりも配信活動の方で収入を得ている程です」
スノウは画面を操作し、カルに向けて突き出す。
「これがダンジョン配信。VouTubeという動画サイトで行われている実際の映像です」
スマホには見知らぬ男が魔獣相手に巨大な剣を振るっており、その様子に対して視聴者達がコメントを打ち込んでいるのが表示されていた。
「……賑やかだな」
「これが今の時代の冒険者のもう一つの戦場です。剣や魔法だけでなく、視聴者の心を掴む話術、魅せる戦い方、時には無謀とも言える挑戦を演じて人気を維持します」
カルは鼻を鳴らし、ソファの背にもたれた。
「見世物小屋の芸人と変わらんじゃないか」
「……そうかもしれません。ですが、このダンジョン配信の登場は王都メテオポリスにとって歓迎すべき発展でもありました」
「どういう事だ?」
「近年の冒険者稼業って儲からない、割の合わない仕事になっていたんですよ」
「な……冒険者が儲からない? 一攫千金の代名詞の、冒険者稼業が?」
思わずカルはテーブルから乗り出し、声を大きくしてしまった。
「冗談だろ? 命を賭けてダンジョンを探索し、アイテムを持ち帰っても儲からないだと?」
その声には本気の驚愕が滲んでいた。
彼の中では冒険者とは危険と隣り合わせだが、夢のような大金を掴める職業――そんな古き時代の輝かしいイメージしかなかったからだ。
そんなカルの驚きの反応に対して、スノウはただ静かに頷いた。
「はい、儲かりません。カル様が買い取ってもらったヒーリングハーブも、昔はあの量で二週間は寝食に困らない金額を稼げたはずです。ですが今では数日の食費にもならないかと。かつてダンジョンのアイテムはその希少性から高値で取引されました。しかし今は……攻略技術の進歩と冒険者人口の増加で、供給が過剰になってしまったのです」
「……安売りされる財宝、か」
カルは苦い顔をした。
金貨の山が小銭に化けていく光景を思い浮かべてしまったのだ。
それからスノウはコーヒーを一口含んで続けた。
――人類が発展を遂げた今の時代。
ダンジョンから持ち帰られた奇跡のアイテムの多くは、長い歴史の中で人々にとってありふれたものになり、その希少性は薄れてしまった。
王都の市場に行けば多少の傷なら瞬時に治すポーションがいくらでも並んでいて、鉄よりも頑強な魔獣の骨や牙は安売りの札が貼られて木箱の中にしまわれている。
ダンジョン攻略の方法が確立し、冒険者を支援する為の組織『ギルド』が生まれ、深層にさえ踏み込まなければ冒険者が命を落とす危険性は限りなく低くなっていた。ダンジョンの浅層に潜り、鞄いっぱいのアイテムを持ち帰ってくる冒険者の姿も珍しくない。
――つまり需要に対して供給が上回るようになったのだ。
それによりダンジョンで発見される奇跡のアイテムを売って生活する冒険者稼業は儲からなくなった。王都の経済活動は冒険者によって支えられていたが、冒険者稼業が儲からなくなった事で経済が停滞し始めたのだ。
「隕石の迷宮が見つかってから長い年月が経ち、冒険者の戦闘技術が上がり、安全なルートが確立し、各層の魔獣の傾向、出現する宝箱の位置や中身まで予測できる。浅い階層での未知の発見は殆どなくなっていきました」
――それならばより良いアイテムや珍しい魔獣を求めて、ダンジョンの奥深くへと挑めば――と誰もが一度は考える。
しかし深層の攻略は数多の危険が待ち構えている。凶悪なトラップが何層にも渡って張り巡らせるようになり、神話時代から生き残る怪物が冒険者を襲うようになる。
未知の魔獣、予測不能の罠、帰還すら困難な環境。ほんの一歩の判断ミスが即、命取りになる世界だ。
一方で攻略され尽くした浅い層はアイテムの入手も容易だが儲けは少ない。
安全だがろくに稼げない浅層での攻略か、とても危険で命の保証は全くないが稼げる深層での攻略かの二択。
最近はその傾向がより一層顕著になっていた。
「でもダンジョン配信が流行った事で稼ぎ口が増えました。やる気を失っていた冒険者には良い刺激になったわけです」
ダンジョン配信で活気付いた冒険者は再びダンジョンへ潜るようになった。浅い層で行われるアイデア重視のダンジョン配信や、英雄と呼ばれ人々から慕われたいが為に深層でのダンジョン配信に挑戦する冒険者も増えた。
「ダンジョンで手に入るアイテムは日常生活に欠かせないものばかりです。配信を目的に潜ってもらって、ついでにアイテム収集してもらえれば王都の民衆も助かるわけですから。深層への挑戦者が増えれば、見た事もないような希少品が出回るようになる。良い事尽くしです」
それにダンジョン配信者をマネジメントする新たな組織も誕生し、雇用が生まれて王都は新たな活況を迎えた。王都の経済はダンジョン配信によって回っているといっても過言ではない状況だ。
そして下降気味だった王都の経済はここ数年で持ち直す。ダンジョン配信の流行は王都にとって長年待ち望んでいた出来事だったのだ。
つまりダンジョン配信はこの国の新たな要。
――しかし、そのはずのダンジョン配信が、今や新たな危機の火種になっているのだと言う。
「……皮肉なものです。民衆は配信に熱狂し、ダンジョン攻略は盛況を取り戻した。けれど、その陰で何かが確実に変わってしまった」
小さな溜息がスノウの桜色の唇からこぼれた。
「最近の視聴者達は、そんなダンジョン配信にさえ飽き始めています」
スノウの声は微かな疲れを帯びていた。
「ダンジョン配信が始まってから数年の歳月を経た今。安全な浅層での採取や、決まりきった魔獣との戦闘では――もう、視聴者の心を掴めない。派手な戦い、命懸けの挑戦、想定外の展開……そういう“刺激”を求める声ばかりが増えているのです」
カルは無言でパンを口に運び、その言葉の裏を探るように視線を向けた。
「……つまり“予想外の魔獣出現”は、視聴者が求める刺激そのものだと」
「はい。そして問題はそこです」
スノウはコーヒーを飲み干すと真っ直ぐにカルを見た。
「……本来、階層外の魔獣出現は偶発的なもの。けれど最近は……偶然で済ませられない事例が、あまりにも多いのです。浅層に現れるはずのない魔獣が、突如として現れ、人気の配信者を襲う。しかもその瞬間は、まるで計算されたかのように……何万人もの視聴者が見ている真っ最中」
カルは無言で耳を傾ける。
「強大な魔獣に襲われて逃げ惑う人気配信者。危機的状況、多くの人々が配信に熱中し、コメント欄は悲鳴や興奮に満ちた声で埋め尽くされます。配信者は必死に逃げ、仲間は次々と倒れ、血飛沫と破壊音が視聴者の耳を打つ。……そういう瞬間が、一番“盛り上がる”のです」
スノウは静かに言った。
その声音には怒りでも憎しみでもなく、ただ冷ややかな現実への認識があった。
「そしてその一番の盛り上がりの瞬間――そこへ更なる乱入者が現れます。彼らは決まって高ランクの冒険者で、大抵が無名のダンジョン配信者です。そして彼らは危機に陥った人気の配信者を救い出し、鮮やかな戦闘を披露して魔獣を討ち倒します」
カルは眉をひそめる。
「……まるでヒーローだな」
「そう見えますよね。視聴者は歓声を上げ、乱入した配信者のチャンネル登録数も、スポンサー契約も増えて、その知名度は爆発的に高まります。けれど……偶然にしては出来すぎていると思いませんか?」
スノウは淡々と、しかし一つひとつの言葉を噛み締めるように続けた。
「現れる魔獣の強さ、出現するタイミング、そして乱入する配信者の到着まで――全てが視聴者の興奮を最高潮に持っていくよう計算されているように見えるのです」
「……つまり、演出だと?」
「はい。浅層に現れるはずのない魔獣は、誰かが意図的に放っている。逃げ惑う人気配信者は、“仕掛けられた舞台”で踊らされている可能性が高い。そして最後に颯爽と現れる高ランク冒険者こそ、その仕掛けを操っている……わたし達はそう推測しています」
カルは残っていたパンを噛みしめながら、ゆっくりと皿に置いた。
「もしその話が本当なら……俺がお前をミノタウロスから救ったのも、茶番だと思われていそうだな。むしろ今回の事件の黒幕、そう思われていても不思議じゃなさそうだ。お前をミノタウロスから救って人気取りを狙った、と」
スノウの長いまつ毛が静かに揺れた。
ほんの一瞬だけ視線を伏せ、それからカルを真っ直ぐ見つめ返す。
「……その可能性も初めは考慮していました。でも違うと結論付けたのです。何故ならカル様は“配信に全く興味を持っていなかった”。それがわたし達にとって決定的でした」
スノウは言葉を切り、カルの表情を確かめるように視線を送る。
カルは腕を組み、ただ静かに続きを待っていた。
「配信で稼ごうとする者は、例外なく“画”を意識します。自分がどう見られるか、どう映るかを常に計算して行動する。ですがあなたは――あの混乱の中で、誰の目も気にせず、ただ敵を倒す事だけに集中していた」
「……見ていたんだな」
「はい。見栄えを意識するなら、もっと派手な攻撃でミノタウロスを倒していたはずです。大きく叫び、炎や雷で爆発的な演出を加える者も多い。最高のシチュエーションを、最高の演技で飾り立てる――そうすれば、視聴者は熱狂し、数字は跳ね上がるでしょう。しかし、カル様は――ただ静かに、最短で仕留めた」
スノウの青い瞳には、あの時の光景が鮮明に映っているようだった。
血の臭いと鉄の響きだけが支配する、淡々とした殺陣。
舞台も照明もない、純粋な死闘。
「……お前はそれをどう評価している?」
「冒険者としては理想的。配信者としては致命的」
皮肉とも取れる言葉にカルは鼻を鳴らした。
「つまり俺はハイシンシャは向いてないと」
「今の時代、視聴者はダンジョン攻略に“物語”を求めます。そこに派手な演出や感動的な救出劇があれば、数字は跳ね上がる。でも……あなたはそういう目先の利益に興味がなかった」
スノウは息を吸い、そして静かに告げた。
「だからこそ――カル様は、この事件の“外側”にいるとわたしは判断したのです」
カルは短く「ふん」とだけ返した。
よく見ているなと感心したように口元を僅かに緩めて。
「配信文化にも疎く、戦い方は古風で無駄がない。……今の冒険者にとって、それは“異質”です。だからこそ、カル様はこの騒動の中心ではなく、むしろ――外部から突然、放り込まれた存在だと判断出来た。そしてその答え合わせが、あなたがダンジョンの1000層を突破し、時間の捻れを抜け出して、ようやく現代に戻ってきたという発言。最初は信じがたい話だと感じましたが……わたしの推測と答えが完全に一致したのです」
スノウはソファの背にゆっくりと寄りかかり、指先でカップの縁をなぞった。
その仕草は緊張の糸をほんの僅かに緩めたようにも見える。
「あなたは……時代そのものを飛び越えてきた、規格外の冒険者だった」
カルは肩をすくめ、淡々と答える。
「あんまり大げさに言うな」
「大げさではありません」
カルはスノウの真っ直ぐな視線を受け止めながら静かに息を吐いた。
「……それで? 今までの話が事実だとするなら、あのミノタウロスの出現も偶然の産物ではなく意図的なものみたいだな」
「はい。あのミノタウロスは本来、30層より深くでしか目撃されないはずです。それが……たった3層の浅い階層に現れた。偶発的な転移や、魔獣同士の小競り合いによる流れ込み……そうした自然現象では説明できません」
「だから誰かが意図的にやった」
「はい。そしてその“誰か”は、視聴者が最も多く集まるタイミングを狙い澄まして行動しています。それを今回の配信で確かめる事が出来ました」
「そういえば異変の調査の為にダンジョンへ潜ったと言っていたな。さっきからの話をまとめると……お前のやり方はまるで、初めから囮として動いていたように思える」
カルの声は何気ない調子を装いながら奥底に鋭い刃を潜ませていた。
その刃先がスノウの胸の奥に触れたようだ。
僅かに彼女の息が詰まる。
――言うべきか。否かを悩んでいる。
ほんの一瞬、スノウのまつ毛が震えたのが見えた。
しかしその影はすぐに静まり、氷のような瞳がカルを真っ直ぐに見つめ返す。
「……流石はカル様。今のやり取りで、そこまで辿り着かれますか」
カルはスノウを見据えたまま、背もたれに体を預けた。
向かいの席で座る彼女は、依然として端正な微笑も浮かべず、ただ冷ややかな静謐を保っている。
だが――さっき、確かに息が詰まった。
呼吸が浅くなる一瞬の沈黙。
それは戦場で、槍先が鎧の隙間に触れた時の感覚に似ていた。
何層にも張り巡らされた理性の鎧、その奥に隠された“何か”を、今確かに突きつけたのだ。
「つまり――お前は自分を餌にして、犯人を炙り出そうとしたわけだ」
問いではない。確認の一手。
その言葉にスノウは目を閉じた。長い睫毛が頬に影を落とし、薄い唇が微かに開く。
沈黙が落ちた。
外の喧騒も、カフェのざわめきも、まるで遠くへ消えたかのようだ。
「……はい」
やがて返ってきた声は、ひどく静かだった。
自らの決断を肯定しつつも、胸の奥で何かを切り捨てるような響きを帯びている。
「危険なのは承知の上でした。けれど――」
スノウはゆっくりと視線を伏せた。
その表情は恐怖よりも強い覚悟を映し出していた。
そして、言葉を紡ぐまでの短い間が、何より雄弁に彼女の決意を物語っている。
「それがわたしの役目。わたしの所属する組織――」
その瞬間、スノウは一度だけカルを見つめ、言葉を選ぶように息を飲んだ。
「……“シャノワール”からの指令、なのです」