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第7話、黒猫亭

 エルフの少女、スノウ――。


 純白のドレスの裾が夕陽に染まり、銀の髪がひときわ目立つ。通行人が次々と振り返り、誰もがその姿に目を奪われているようだった。


「氷姫様だ……!」

「さっき配信中に事故があったみたいだけど、大丈夫だったのね!」

「声掛けてもいいかな……? おれずっと前から氷姫様のファンで……」

「ばかやめとけ。護衛の連中が見てるぞ」


 どうやらスノウは冒険者だけではなく、一般市民からもその名を知られているらしい。


 多くの人々から向けられる羨望の眼差しはスノウという存在が、どれほど人々に愛され、憧れられているかの証そのものだった。


 その視線の中をカルは黙ってついていく。


 やがて到着したのは、古びたレンガ造りの喫茶店。


 洒落た木製の扉には『黒猫亭』と彫り込まれた看板が揺れていた。


 小さな黒猫のシルエットが描かれたそれは、何処か温かみのある雰囲気を漂わせている。


「護衛の者達は外で待機してもらいます」

「いいのか、会ったばかりの俺と二人きりになっても」

「カル様は命の恩人です。それに二人で話す方があなたも気が楽でしょう」


 スノウは振り返り、真剣な眼差しを向けてきた。


 その瞳は宝石のように澄んでいるが、奥底には揺らぎのない決意が宿っている。


 カルは小さな息を吐き、頷いた。


「わかった。じゃあ入ろう」


 スノウが軽く扉を押すと、からんからんと澄んだ鈴の音が店内に響いた。


 店内は木の香りと焙煎豆の香りが混ざり合い、外の喧騒が嘘のように静かだった。壁際の棚には古びた本や陶器のカップが並び、奥の暖炉にはまだ火がくすぶっている。


「いらっしゃいませ」


 柔らかな笑みを浮かべた金髪の女性が迎えると、カルとスノウを奥の席へと案内した。


「こちらへどうぞ」


 案内されたのは奥まった場所にある半個室の席。


 木製の仕切りと厚手のカーテンで外からの視線が遮られ、周囲のざわめきも遠く感じられる。


 壁には古い地図や油絵が飾られ、重厚な革張りのソファが並ぶ。


 まるで外の世界と切り離されているようだ。


「……ここなら、誰にも聞かれません」


 スノウは席を勧め、自らも向かいに腰を下ろす。


 少女の目は、先程までの戦闘の時と同じく真剣さを帯びていた。


 カルもソファに座ると、腰の剣を外して横に置き、視線をスノウへ向けた。


「案内されて素直にやってきたが本当に大丈夫なのか。お前は王都でも人気のハイシンシャで、護衛の連中からすれば不用心にも見えるだろう?」


 カルの指摘にスノウは一瞬だけ目を細めた。

 しかし次の瞬間、唇の端に淡い笑みを浮かべる。


「構いません。カル様は命の恩人ですし……それに、無闇に人を害するような方ではないと、わたしの勘が告げています」


「勘か」


 カルは肩を竦めてみせた。


「勘は時に人を死なせるぞ」


「でも、危険を避けてばかりでは得られない情報もありますから」


 スノウはそう言って、テーブルの上に置かれたメニューを閉じた。注文は既に済ませてあるらしい。


 しばらくすると温かな湯気を立てるコーヒーカップと、香ばしく焼き上げられたパンがテーブルに並べられた。


 コーヒーの深い香りが空気に溶け込み、先程までの張り詰めた空気を和らげる。


 スノウは小さく息を吸うと、それからゆっくりと話し始めた。


「まずは――カル様の事を、少し詳しく聞かせていただけますか? 先程の戦い……あなたの剣筋、反応速度、そしてあの判断力。あれは並の冒険者が出来る事ではありません」


「お前にはそう見えたか」


 カルは視線を落として手元のカップを回す。まだ口をつけていないコーヒーからは香ばしい湯気が立ち上っていた。


 スノウは身を乗り出すようにして続けた。


「普通なら、ミノタウロスとはAランク冒険者が十分な装備を整え、一流のメンバーを集めてパーティーを組み、万全を期して戦わなければ勝てないような相手。しかしそれを――あなたはたった一人で、しかもあっさりと倒してしまった」


 スノウの青い瞳が細くなる。

 問い詰めるというより、その奥に潜む“答え”を探ろうとする光だ。


 カルは淡々とパンをちぎり、口に運んだ。

 咀嚼してから一口コーヒーを飲み、ようやく口を開く。


「別に大した事じゃない」

「いいえ、大した事です」


 スノウの声音が僅かに熱を帯びる。


「あなたのような実力者をわたしが知らないはずがありません。少なく見積もってもAランク上位、もしかすると人類最強とされるSランク冒険者にさえ匹敵するかもしれません」


 スノウは言葉を切り、息を整えた。

 テーブルの下で組んだ指が、僅かに力を込めているのがカルの視界の端に映る。


「カル様、あなたのレベルと冒険者ランクをお聞きしたい。わたしの知らない実力者……メテオポリスでの活動記録がなかったとしても、他国のダンジョンで活動していたのなら、その国のギルドに登録情報があるはずです」


 カルはコーヒーをもう一口だけ啜ると、ゆっくりとカップを置いた。


 その仕草は、まるで今の問いを軽く受け流すかのように落ち着き払っていた。


「レベルは自分が到達した事のある最も深い層の事だったか。だが、ランクとやらが分からん。そもそもAだとかなんだとか、俺には全く理解出来ない内容だ」


「ギルドが発行している冒険者ライセンスの事ですよ? 一番上のSランクから最下級のEランク。あなたが受けられるダンジョン内での依頼(クエスト)は、全てそのランクで決まります」


 スノウはカルの反応を測るように首を傾げた。


「まさか……本当にご存じないのですか?」

「聞いた事もないな」


「ギルドへの登録は?」

「ダンジョンへ潜るのに登録するものなんてないだろう」


 カルの答えに、スノウは小さく息を飲む。


「そんな……あれだけの戦いぶりで、登録すらしていないなんて……」


 彼女の視線は驚きと興味が入り混じったものに変わっていった。


「ギルド未所属の冒険者が、ミノタウロスを単独で討伐するだなんて……カル様、あなたは一体何者なのですか? あなた程の実力者がダンジョンで活動していれば、その名は必ず広まるもの。ギルドからも必ず声が掛かり、上位のランク付けがなされるはず。なのに……カル様はまるで――突然現れたかのようです」


「それが不思議か?」


 カルは僅かに片眉を上げる。


「世の中には名を売らずに潜る者もいるだろう?」

「……そんな潜り屋が、あんな化け物を一撃で倒しますか?」


 スノウは静かに反論する。


 確かに名を売らずにダンジョンへ潜る人間だとしても、ミノタウロスを一撃で倒す程の人間が無名で終わるわけがない。その戦いは人づてに必ず広まり、いずれ噂は王都のギルド本部にまで届くはずだ。


 にもかかわらず――カルという名は、スノウの記憶にも、ギルドの記録にも一切存在しなかった。


 スノウは組んだ指を解き、静かにカップへ手を伸ばす。冷めかけたコーヒーを口に含んで小さく目を細めた。


「……カル様は、何処から来られたのですか?」


 その問いには表面上の柔らかさとは別に、明らかな探りの意図が潜んでいた。


 カルは一瞬だけ、カップの表面に映る自分の瞳を見た。


 曇りのない黒――感情を映さぬ鏡のような瞳だ。


「今の時代は俺には理解出来ない事が多すぎるみたいだな」

「どういう意味ですか?」


 カルはゆっくりと椅子の背にもたれ、短く息を吐いた。

その声音は淡々としているが、遠い記憶を辿るような響きがあった。


「――俺は、ずっとダンジョンに潜っていた。体感では4年程だが……ダンジョンは奥深くへ進むと地上との間で時間の捻れが生まれていくらしい。100層程度だと殆ど地上との違いはなかったようだが、俺が到達した1000層にもなると、かなりの時間のズレが地上との間に出来ていたようだ」


 スノウの手が止まった。


「……1000層? つまりあなたは自分のレベルが……1000だと仰っているのですか?」

「お前達の言葉を借りて言うのなら、そういう事になるんだろうな」


 その声は驚愕を必死に抑え込もうとしているようだった。


「そ、そんなはずはありません。遥か昔に四人の英雄達が100層を突破し、神々の遺した奇跡のアイテムを持ち帰った事が伝説になっています。その際に伝えられたのは、隕石の迷宮の最深部は100層である事。その先は存在しない事。だからレベル1000の冒険者だなんてそんなの……あり得ません」


 スノウは微かに息を震わせながら青い瞳を見開いた。

 だがカルは、何も驚いた様子もなく淡々と告げる。


「俺にとっては事実だ。もっとも、信じるかどうかはお前次第だがな」

「……ですが、それが事実だとして。だから突然、今になって現れたと? だからわたし達もあなた程の実力者を知らない、と?」


「ああ。俺が潜っていた間に、地上では長い年月が経っていた。気が付けば、見た事もない街並み、聞いた事もない言葉や道具が当たり前になっていた。王都の人々が必ず持っている“スマホ”やらも、その一つだ」


「……信じがたい話です」

「だろうな」


 カルは静かにパン屑を払った。

 まるでこれ以上説明する気はない――そう言わんばかりの仕草。


 スノウはしばし沈黙し、青い瞳の奥で何かを探るようにカルを見つめ続けた。


 彼の言葉をそのまま信じるにはあまりにも常識外れだ。だが、先程目の前で見せられたミノタウロスとの戦闘――あれは夢でも幻でもない。


「……少なくとも、あなたが規格外の実力者なのは事実です」


 スノウは小さく息を吐き、視線を落とした。


「そして、その力は今後の王都――いえ、世界全体にとって必要になる可能性があります」


 カルは眉をひそめる。


「随分と大事(おおごと)だな」


 スノウは頷き、声を落とした。


「先程のミノタウロスの件……あれは偶発的な現象ではありません。実は複数のダンジョンで似たような報告が相次いでいるのです。通常の階層には出現しないはずの魔獣が、突然現れ、冒険者を襲う。今回わたしが護衛を連れてダンジョンへ向かったのはその調査が目的でした」


「そして返り討ちにあった、と」

「……っ。はい。己の力を過信したあまり……結果、あの有り様です」


 スノウの声には悔しさが滲んでいた。

 それからぽつぽつと経緯を語り始めた。


「……最初は、低層のゴブリンやスライム程度でした。通常より数が多く、少し強い程度だったので、大きな問題とは見なされなかったのです。しかし、1年程前から……Bランク相当の魔獣が、本来の階層を無視して出現するようになりました」


「ミノタウロスもその延長線上か」


「はい。出現場所は不規則で、原因も不明。冒険者ギルドは魔力の乱れか、あるいは地殻変動によるダンジョン構造の変化だと推測していましたが……どれも確証は得られませんでした」


「つまり何も分かってないという事じゃないか」


「……はい。その通りです。ですが今から三ヶ月前、わたしの所属する”組織”が階層外の魔獣が出現するパターンに、ある規則性を見つけました」


 スノウの青い瞳に淡い鋭さが帯びる。


「規則性?」


「――出現した異常個体は、全てのケースで”ダンジョン配信”を行っている冒険者のすぐ近くに現れていたのです」


「……ダンジョンハイシン。またその言葉か。一体何なんだ、そのハイシンっていうのは。今の時代の冒険者は金属製の板――スマホに向かって自己紹介したり、自分が魔獣と戦っている様子を見世物にしたり、俺の時代じゃ考えられない事を平然とやっている」


 カルはやれやれと肩をすくめ、冷めたコーヒーを口に含んだ。


 その苦みが舌に残る内に、ゆっくりと続ける。


「魔獣相手に命を張ってる最中に、わざわざそんな真似をする理由が分からん」

「なるほど。カル様はダンジョン配信について全くご存じないのですね」

「そうなるな」


 カルが短く答えると、スノウは少しだけ表情を和らげた。


 それから丁寧な口調でダンジョン配信について語り始めるのだった。

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