第46話、闇を断ちて
場の空気が落ち着いたところで、アンゴーラが再び声を張った。
「よし、じゃあおれからの報告だ」
アンゴーラは背もたれにどっかりと体を預けながら言う。
「まずはジンカ・レイゼイについてだ。結局、単独犯だったみたいでな。護衛班の他の連中は潔白だった。ジンカだけが裏配信と繋がっていたのを確認した」
その言葉を聞いてカルの表情が微かに和らぐ。
「それを聞いて少し安心した。バゼルもエントもドランも、最初こそ俺とは険悪な雰囲気だったが、話してみれば気のいい冒険者だったからな」
夜の野営地で彼らの冒険譚を聞かされた。
富や名声を追い求めてダンジョンに潜る者が多い中で――彼らは家族の為に命を賭けていた。大切な妻の笑顔を守る為に、幼い子供達の未来を繋ぐ為に、剣を振るっていたのだ。
彼らが誇りを持って戦っていた事を知り、気付けばカルも彼らと肩を並べる事を悪く思わなくなっていた。
「ただジンカだけは真っ黒だ。奴は裏ダンジョン配信者の中でもトップ中のトップ。いくつもの名前と顔を持ち、数々の悪行を裏世界に垂れ流してきた正真正銘の大悪党だった。あの野郎を生け捕りにした功績は非常にデカい。既にうちの尋問班が動いてるが、もういくつも成果が出てる。ズゴットへ口封じする為に呪いをかけたのも奴だったようだが、流石に自分に死の呪いをかける勇気はなかったようだな」
アンゴーラは鼻で笑い、禿頭を軽く撫でながら続けた。
「今回の尋問で裏ダンジョン配信で流れる金のルートを把握する事が出来た。ジンカに支援金を払う視聴者の中には、大物の名前がいくつも出てきてる。裏世界の人間だけじゃねえ、政界の重鎮、大企業の社長や幹部の名前まで出てきた。奴はただの配信者じゃなく、裏の世界と表の世界を繋ぐ黒いパイプそのものだったってわけだ」
アンゴーラの声は豪快さを保ちながらも、重苦しい現実を叩きつける響きを持っていた。
「それに加えて、虚喰晶の流通ルートも明らかになった。あの石が出回らなきゃ、ダンジョン配信中に階層外の魔獣が出現するなんて事もなくなる。裏の世界にとっては大打撃だろうよ。ジンカ一人が捕まっただけで、これだけの闇が表に引きずり出せたんだ。まさに快挙だ」
ローズは静かに頷き、そっとカップを置いた。
「ジンカは何枚も仮面を被っていたわ。でもね、どれだけ取り繕っても腹の底は同じなの。欲にまみれ、他人を踏み台にする事しか考えていない。ズゴットに呪いを押し付けて、配信者のイクスに罪を被せて、自分だけは助かろうとした。裏世界じゃ頂点の一人に数えられていたけれど、彼の器の小ささが、最後の最後に全部露見したのよ」
カルは黙ってコーヒーを口に含み、苦味を噛み締めるように喉を鳴らした。淡々とした視線の奥に、一瞬だけ冷たい光が宿る。
「……どんなに大きく見えようが、切れば倒れる。それだけの事だ」
短く、それだけで全てを言い切るような声音。
ローズはそんなカルを見つめ、柔らかに微笑んだ。
「いいえ、カル。誰にでも切れるものじゃないわ。あの男が張り巡らせていた闇の鎖を切れたのは、あなたが他の誰とも違う、生き方を貫いてきたからよ」
その声音は穏やかだったが、確信に満ちていた。
「冷静に見極めて、一切の迷いなく振るえる剣。あなたにしか断てない鎖だったの」
スノウは大きく頷き、青い眼を潤ませながら口を開いた。
「……はい。わたしもそう思います。カル様だからこそ、あの絶望を斬り伏せられたんです」
彼女の指がそっとテーブルの下でカルの袖を握りしめる。
「他の誰でもない……カル様だから、あの夜を救えたんです」
スノウの青い瞳はきらきらと輝き、頬は熱を帯びて真っ赤に染まっている。今にも笑みが零れそうな程の憧れと敬慕があふれ出し、言葉の一つ一つが幸せに弾んでいた。
そんな彼女をカルは横目でちらりと見た。
彼は感情を大きく表に出す事はないが、無言のまま空いていた手を伸ばす。
袖を掴むスノウの小さな手に、カルは自分の手を重ねて静かに包み込んだ。
「カル様……っ」
その温もりに触れた瞬間、スノウの胸の奥でふわりと甘い熱が広がっていく。
重ねられた手から伝わる体温は、言葉よりも雄弁に彼の想いを告げている気がした。
指先に感じる力強さが、彼が隣にいてくれるという確かな証で――それだけで胸が幸せでいっぱいになった。
重ねられた手の温もりを、二人だけの秘密のように確かめ合う。
テーブルの下に隠れたその繋がりは、甘やかで、しかし誰にも見せない静かな絆だった。
「さて……次はイクスの件だな」
アンゴーラは椅子にずしりと体を預け、鼻を鳴らすと話題を切り替えた。
「例のコラボ配信が中止になったのは知っての通りだ。裏ダンジョン配信者のジンカ・レイゼイが潜り込んでたんだ、そりゃ当然だな。あの状況じゃ続けるのは無理って判断だ」
アンゴーラの声音には確かな重みがあった。
「ただ、悪い話題だけじゃねえ。スノウとのコラボ配信で、イクスは考えを改めたみたいだな。奴は心を入れ替えて、視聴者に全部ぶちまけたそうだ。今まで自分のやってきた配信が、どれも”やらせ”の自作自演で、それで人気を得ていたってよ。ネットじゃ大炎上して袋叩きにあっているが……まあ、あいつにしちゃあ大きな一歩だろうよ」
ローズが静かにカップを拭きながら頷いた。
「見たわ。あの告白配信。賛否はあるけど、嘘を重ねていた自分をさらけ出した姿は……少なくとも、以前の彼とは違って見えたわね。これもスノウが真摯に戦ったからこそ、彼の心に響いたんだと思うの」
スノウは少し俯き、指先に感じる温もりを確かめるように握りを強める。
「イクスさんは……きっと、また立ち上がれます」
その声には信じる強さが宿っていた。
カルは淡々とカップを置き、短く呟く。
「立ち上がるかどうかは本人次第だが……土台は整ったな」
「はい。きっと彼は今度はもう偽りじゃなくて……本当の英雄として戻ってきます」
人は本物に触れたら必ず心を動かされるものだ。
ワイバーンとの戦いで見せたスノウの勇気がイクスの胸に火を点けた。
自分の命を顧みず、仲間を守る為に立ち向かった――それは、どんな演出や虚構よりも雄弁に『真実』を語っていた。
観客を欺く為に作り上げた自作自演の勇気ではなく、紛れもない本物。
イクスはその輝きに触れ、もう目を逸らす事は出来なかった。
虚構だった英雄の自分を、彼は自ら否定した。
その痛みを恐れず、一人の人間として立ち直ろうとしたのだ。
それは転落でも敗北でもなく、ようやく踏み出した本当の一歩。
イクスは今、視聴者からの糾弾を浴びている。だがその荒波こそが、虚構を捨てた彼を『本物の英雄』へと鍛え上げていくのだろう。
ひと呼吸の静けさの後、ローズがふとカルを見つめて柔らかに微笑んだ。
「……でも、今回の件で一番評価されるべきはカル、あなた自身よ」
小さくカップを揺らしながら、彼女は穏やかな声で続ける。
「あなたは荷物持ちのCランク冒険者として潜入した。そしてジンカを前にして真相を語ったあの瞬間も、あなたは”表ギルドの人間”として立ち振る舞ったわ。決して私達、シャノワールの名前を出さなかった。その冷静さは見事よ。おかげで組織の秘匿は守られたし、同時に裏世界には“クロマ・カルダモン”という存在が強烈に刻み込まれた」
アンゴーラは唸るように笑い、腕を組んだ。
「あの裏配信を通じて、お前は表ギルドの最終兵器みたいに映ったはずだ。裏の連中からすりゃあ、どれだけ暗躍しても“クロマ・カルダモン”が現れりゃ一瞬で潰される……そう思い知っただろうよ」
ローズはカップを指でなぞりながら、静かに言葉を紡ぐ。
「でも実際には――“クロマ・カルダモン”なんて冒険者は存在しない。表ギルドをどれだけ探っても、あなたには決して辿り着けない。そういう存在は、尾ひれがついて話がどんどん膨らんでいくものよ。クロマという冒険者の幻影が、伝説として独り歩きするの」
アンゴーラも頷き、白い歯を見せて笑った
「誰も正体を掴めねえのに、確かに存在する力だけは見せつけられた……それが一番怖ぇんだよな。クロマの幻影は裏の連中に対する最高の抑止力だ。これ以上、わざわざ火種を撒こうなんて馬鹿は減るだろうぜ」
ローズはカップをソーサーに戻し、静かに二人へ視線を向けた。
「……今回の件は、まさしく快挙だったわ。シャノワールを設立して以来、私も数々の任務を見てきたけれど――カルとスノウ、あなた達二人が成し遂げた内容は、その中でも群を抜いている。あなた達の働きは、シャノワール史上最高だと断言出来るわ」
それを聞いたアンゴーラは豪快に笑みを浮かべ、拳を打ち鳴らす。
「――となりゃあ、やる事は一つだな。今夜はお前らの活躍を盛大に祝うとしよう。黒猫亭で祝賀会だ! 腹いっぱい食って飲んで、夜が明けるまで騒ぐぞ!」
「もう、アンゴーラったら。結局あなたが飲みたいだけじゃないの」
店内に響いた笑い声を聞きながら、カルはコーヒーを飲み干す。
胸に残る苦味と香りを吐息に溶かし、淡々と口を開いた。
「……すまないが今回はパスだ。別の約束がある」
隣に座るスノウが小さく瞬きをする。
その視線を受けながら、カルは言葉を継いだ。
「前に約束しただろ、スノウ。お前が推してるケーキ屋に、今度二人で行ってみようって」
いつもなら抑揚のない声も、この時ばかりは柔らかかった。
スノウの肩がぴくりと揺れ、頬にたちまち朱が差した。
「……っ、そ、それは……!」
言葉を詰まらせるスノウに、カルは真っ直ぐな声音を重ねる。
「任務が立て込んでずっと後回しになってたが……ようやく行けるな。待たせた分、二人で一緒に楽しもう」
スノウは青い眼を大きく見開き、次の瞬間に潤んだようにきらきらと輝かせた。
「……っ! い、いいんですか、本当に!? カル様と……あのケーキ屋さんに!」
胸の奥に溢れる想いを抑えきれず、思わず身を乗り出してしまう。
「ずっと……ずっと一緒に行きたいって! わたし、夢みたいです……!」
頬は桃色に染まり、瞳は熱を帯び、零れ落ちそうな程の笑みが浮かぶ。その姿は、まるで愛を囁く代わりに全身で歓びを伝えているかのようだった。
スノウの頬に浮かんだ満開の笑顔を見て、アンゴーラは思わず鼻を鳴らした。
「ははっ、こりゃもう止められねえな。いいじゃねえか、二人で行ってこいよ。今夜の祝賀会はおれ達で仕切っとく。気にするな」
ローズも柔らかく目を細め、茶化すでもなく穏やかに言葉を添える。
「そうね。今のあなた達は、何よりもまず一緒の時間を楽しむべきだわ。遠慮はいらないから、存分に」
その言葉に、スノウは胸に抱えきれない喜びを爆発させるように立ち上がった。
「はいっ!」
青い瞳を煌めかせながら、彼女は勢いよくカルの手を取る。
「カル様、早く! 今すぐ行きましょう!」
「お、おいっ……待てって! 急に引っ張ったら……」
「えへへ、カル様! はやくーっ!」
待ちきれないとばかりに、温もりを逃さぬよう小さな手が彼をぐいと引っ張る。カルは少し呆れたように息を吐きつつも、その力を振りほどく事はせず、しっかりと繋ぎ返した。
黒猫亭の扉を押し開ければ、爽やかな風と共に街のざわめきが流れ込む。
――任務を終えた二人を迎えるのは、戦いとはまるで別世界の、穏やかで甘やかな時間だった。




