第42話、ダンジョン配信者、BANします
スノウを背に庇って一歩前へ出たカルが、そのまま闇を断つ声を放った。
「不死の王……随分と大袈裟なものを用意したな。今まで配信の裏で目立たないよう動いていた奴が、急にこんな派手な真似をし始めてよかったのか?」
ジンカはくつくつと嗤い、虚喰晶を掲げる。
瘴気が脈打ち、蒼白い炎が夜を焦がした。
「必要な舞台装置だ。なにしろ――今この瞬間は、世界中に配信されているのだからな」
「……何?」
「表向きのダンジョン配信とは違う。もっと深い場所で流れる“裏”だ。裏ダンジョン配信……聞いた事ぐらいあるだろう?」
「なるほど。お前も裏世界の配信者だったわけか」
カルとスノウは視線を合わせて頷いた。
――裏ダンジョン配信、その名を聞くのはズゴット・ヴァンスのスタンピード事件以来だ。奴の悪事を阻止し、そしてイクス・オルナットの繋がりから虚喰晶の手掛かりを追ってきたわけだが、今回も事件の真相は裏ダンジョン配信に繋がっているらしい。
ジンカは堪えきれぬ嗤いを洩らした。
「今、裏ダンジョン配信は世界中から大人気でね。表側の配信では見れない”刺激的な映像”が視聴者達の欲望を満たしているのさ。元々は裏社会の住人達が嗜むちょっとした娯楽に過ぎなかったが……今は違う。裏ダンジョン配信は国境も文化も越えて広まり、世界中の視聴者が群がる巨大市場となった」
ジンカは愉悦に満ちた目でカルとスノウを見やった。
「裏の視聴者達が求めているのは、英雄譚ではない。冒険者が恐怖に泣き叫び、肉を裂かれ、骨を折られ、血を撒き散らす“本物の断末魔”だ。喉が潰れて絶叫すら出なくなるまで嬲られ、内臓を引き摺り出される……そういう“惨劇”こそが最大の娯楽なのだよ」
彼の言葉と同時に、不死の王の蒼白い炎が周囲を揺らし、腐臭が夜を満たす。
「私はその頂点にいる配信者でね。今回は護衛を名目にイクス・オルナットの背後に立たせてもらった。私は他にも色々な裏ダンジョン配信を行っているが、基本のスタンスはいつも変わらない」
「なるほどな。どうしてお前程の実力者が表舞台に立たず、護衛という名の裏方に徹しているのか、その意味がようやく理解出来たよ」
カルの言葉にジンカは唇を吊り上げる。
「舞台裏で暗躍し、そして冒険者が血と絶叫で壊れていく姿を世界に届ける……それこそが私の本当の役割」
ジンカの嗤いが夜の空気に滲んでいく。
「今回の私の裏ダンジョン配信は前例がない程に大盛り上がりさ。あの英雄イクスと氷姫スノウのコラボ配信に潜り込む事が出来たのだからね。世界規模の熱狂は裏でも渦巻いている。本当に私はツイているようだ」
ジンカは淡々と告げた。
「当初の予定では、ターゲットはイクス・オルナットだけだった。奴の浅ましい嫉妬心と承認欲求は、裏の観客にとって格好の餌だったからな。腕を折られ、顔を叩き潰され、血を吐き散らしながら泣き喚く……その映像だけで十分に盛り上がっただろう」
その言葉の直後、ジンカの表情に微かな怒りが浮かび上がる。
「だが最近……ズゴットという愚か者がやらかしてくれたせいでね。ギルドは虚喰晶の存在に気付き、その流通ルートについて調査を始めた。虚喰晶は便利な道具だ。裏ダンジョン配信には欠かせない配信機材。失うにはあまりにも惜しい。だからイクスを黒幕に仕立て上げ、虚喰晶に関する全ての罪を背負わせた上で死んでもらう事にしたのさ。――それが私の台本だった」
それを聞いたスノウは瞳を細め、ジンカを真っ直ぐに見据えた。
青の瞳に怒りと冷えた理性が宿る。
「……そういう事だったのですね。イクスとズゴットに繋がりがあるように見せかけたのも、あなたの仕業。全てはイクスを事件の首謀者に仕立て上げ、虚喰晶に繋がる真実を闇に葬る為……」
その声音には、悔しさと怒りが滲んでいた。
ジンカは彼女の言葉を愉快そうに反芻し、嗤う。
「正解だ、氷姫スノウ。よく出来たと褒めてやろう。裏配信の視聴者達は“英雄イクスが墜ちる姿”に歓喜し、虚喰晶に繋がる真相は黒幕の死で闇の中へ。ギルドは手掛かりさえ掴めず、事件はそのまま未解決。……完璧な脚本だったのだよ」
愉悦を含んだ声が闇に響く。
「だがクロマくんの推理で、イクスが囮だと気付かれた。真相を闇に葬るつもりが難しくなった。脚本が台無しだ。予定も狂った、狂ったが……いい方向にも転んだよ。ギルドが送り込んだ密偵のひとりが、よりによって“氷姫”スノウ・デイライトだったのだから」
腐臭を帯びた蒼白の炎が周囲を焦がす中、スノウだけはその穢れに呑まれなかった。
月光を受けて揺れる白銀の髪は清らかに輝き、青い瞳は凍りつくような鋭さでジンカを射抜く。
戦場にあってなお気高さを纏い、ただ立つだけで人々の目を奪う――まさしく“氷姫”と呼ぶにふさわしい存在感だった。
「世界を魅了する絶世の美少女。表の世界で憧れと羨望を集める氷の姫君が、今こうして裏配信の舞台にやってきた。これは想定外の最高のキャスティングだ」
ジンカは恍惚とした吐息を漏らし、酔いしれるように両腕を広げる。
「そう、今回の配信のメインディッシュは――スノウ・デイライト! 超一級の美少女がカメラの前で四肢を引き裂かれ、血と内臓を撒き散らして地を這う! 絶叫は喉を潰されて掠れ、涙と涎で顔をぐちゃぐちゃに歪める……誰もが渇望する瞬間を届けよう!」
ジンカは両腕を大きく広げ、嗤い声を夜に轟かせた。
「最高の舞台だろう? これ以上に盛り上がる配信があるか!?」
虚喰晶の瘴気が更に膨れ上がり、蒼白の炎が夜空を覆う。
ジンカは両腕を天へ突き上げ、咆哮した。
「今宵――私の裏ダンジョン配信が、伝説となる!!」
ジンカの咆哮が森を震わせる。
スノウの喉がひきつり、思わず息を呑んだ。
目の前の異常さ――スノウを『メインディッシュ』と呼び、彼女が惨殺される姿を“演出”として世界に晒す狂人。
その想像が脳裏に焼きつき、背筋を氷の刃でなぞられるような悪寒が走る。
呼吸は浅く乱れ、胸が締め付けられる。膝が震え、足裏から感覚が失われていく。
悲鳴を上げたいのに声は出ず、喉は乾ききって張り付いた。
逃げたい。でも逃げられない。
次の瞬間には自分がその“舞台”に引きずり出される未来が見え、血の気が一気に引いていく。
――けれど、そんな彼女を支える温かな力があった。
カルだ。
彼の存在が、全ての恐怖を押し返してくれる。
「大丈夫だ、スノウ。お前は俺が守る。絶対にな」
短い言葉なのに、胸を焼くほど強い。
恐怖で震え、手から滑り落ちかけていた剣の柄が、再び彼女の掌に力強く収まる。
青い瞳に光が戻り、揺らいでいた心に芯が通った。
「ありがとうございます……カル様」
「ああ」
カルはスノウを守りながら、恍惚の表情を浮かべるジンカの様子を観察した。
曇りも迷いもなく、敵の本質を抉り出すような鋭さがカルの眼差しにはある。
(何故、奴は真相を語り始めたのか――)
自分が裏ダンジョン配信者だった事、ズゴットとの繋がり、イクスを黒幕に仕立てあげた事、裏配信の仕組み。
――奴は自ら闇の全貌を明らかにした。
それは自分の首を差し出すような行為。
だがカルには分かった。
あれは愚かさではない。
(裏配信の演出……か。奴は自分の視聴者達に向けて語っているんだ)
配信に使うスマホは見えないが、確かにその気配は感じる。おそらく幻影魔法を使って隠しているのだ。
そして全貌を明らかにしたのは、裏ダンジョン配信を見ている無数の視聴者へ――惨劇に“物語”を与える為の行為。
ただ誰かを殺すだけでは、裏の視聴者達は満足しない。
そこに物語を与える事で、殺戮は悲劇となり、舞台は劇的に盛り上がる。
自ら全てを語る事で、ジンカはただの殺戮を“完成された物語”へと格上げしているのだ。
そして同時にそれは、カルとスノウを必ずここで殺すという自信と殺意の表れだ。
この場から二人を生かして帰すなど、絶対にあり得ない。
もし逃がせばジンカは全てを暴かれ、裏配信者として築き上げた地位を失う。
そして同時に氷姫殺害という裏配信における最高の見せ場を失う事にもなる。
ジンカの饒舌は、その決意を裏付けるものだ。
(どちらにしろ、俺もここで退くつもりはないけどな)
ジンカは狡猾で、冷徹な計算を怠らない。
今は狂人めいた饒舌に酔いしれているように見えるが、彼は激情に呑まれた怪物ではない。狂気と理性を同居させ、獲物を確実に追い詰める――それがジンカという男だ。
常軌を逸した嗜虐を衝動のままに撒き散らすのではなく、冷酷に段取りを整え、綿密に仕組んだ上で惨劇を“演出”する。だからこそ彼の狂気は、ただの暴走よりも遥かに質が悪い。
理性に裏打ちされた狂気は、決して揺らがず、狙った獲物を逃さない。
その異常さと冷徹さの両立こそが、ジンカを最も危険な存在たらしめていた。
奴を放置すれば、惨劇は広がる。
次に蹂躙されるのは、まだ見ぬ冒険者達。
裏配信のキャストに囃し立てられ、命を弄ばれる犠牲者が増えていく。
狂気を止められるのは、自分しかいない。
カルの胸に燃える決意は、迷いを削ぎ落とし、鋭い刃のように研ぎ澄まされていった。
――残された道はひとつ。
戦い、必ず勝つ。
そしてスノウというかけがえのない存在を守り抜くのだ。
カルは深く息を吸い込み、静かに吐き出した。
そして視線を上げる。
Sランク冒険者に匹敵する実力を持ちながら、狂気に染まりきった男――ジンカ。
そして歴史に刻まれた最悪の厄災――不死の王。
二つの脅威が並び立つこの絶望的な戦場で、カルは一歩も退かず、光を宿す黒曜の瞳で敵を見据えた。
この場で必ず、決着をつける。
――この狂気のダンジョン配信者を必ずBANしてみせるのだ。




