第40話、答え合わせ
「それじゃあジンカさん――いや、ジンカ・レイゼイ。そろそろ本当の答え合わせといこうじゃないか」
突きつけられた剣先が月を映し、冷ややかな光を散らす。
二人の間に張り詰めた沈黙が落ち、森のざわめきすら遠のいていくようだった。
「……答え合わせ、だと?」
ジンカは声を整えて返す。落ち着いた響きの裏で、その眼差しに鋭い色が宿った。
「何を言っている。私に何の疑いがあるというんだ、クロマくん」
護衛班のリーダーとしての顔を崩さぬまま。
だがカルは一歩も退かず、剣を揺らさずに告げた。
「とぼけても無駄だ。俺は既に――本当の影に辿り着いている」
その言葉は刃そのもののように鋭く響き、張り詰めた空気をさらに重くした。
「……興味深いな」
ジンカの口角が僅かに動く。
笑みとも皮肉ともつかぬ表情を浮かべ、挑むようにカルを見据えた。
「ならば聞かせてもらおう。その答えとやらを」
カルは呼吸をひとつ整え、静かに告げた。
「俺が最初に違和感を覚えたのは昨日の夜の事だ」
ジンカの眉がぴくりと動く。カルは視線を外さずに言葉を続けた。
「野営地で俺がカレーを作った時。そこにイクスが駆け込んできて、カレーの強い匂いが周囲の魔獣を引き寄せると怒鳴り散らし、俺を責め立てたんだ」
焚き火の赤、立ち昇る香辛料の香り――その場の光景までも鮮やかに蘇るような語り口だった。
「知らんね。私が周囲の見回りで野営地を離れていた時の事か?」
「ああ、そうだ。だからこそお前にとって盲点になったみたいだな」
ジンカは肩をすくめ、首を傾げてみせる。
それは本当に知らないと言わんばかりの仕草だった。
「奴はカレーの匂いを理由に俺を糾弾しようとしたが、実際はスノウと親しげに話す俺の事が気に入らなかっただけ。その嫉妬心に駆られたせいで、野営地の周囲に張られた、聖水の結界という当たり前の備えを確認しなかった。5層に出るような魔獣じゃ絶対に近づけない。いくら強い匂いが生じても、あの夜に危険など有り得なかった」
ジンカの瞳が細められる。カルは淡々と続けた。
「そして俺に綺麗な論破を食らって恥をかいたんだ。つまりイクスは当たり前の確認を怠ったせいで、大勢の前で醜態を晒した。顔を真っ赤にして、かなり悔しかったに違いない。Cランク冒険者クロマのせいで奴は屈辱を味わったわけだ」
「だがそれは自業自得だろう。嫉妬心を抑えきれず、奴が浅はかに振る舞っただけの話だ」
ジンカは冷静に返す。
だがカルは首を振り、視線を逸らさぬまま言葉を重ねた。
「だからこそ違和感が生じた」
剣先を向けたまま、カルの声音が更に冷ややかになる。
「イクスの配信外の振る舞いを見ていれば分かる事だが……奴は嫉妬深く、プライドが高い。常に他者を見下し、自己を飾り立てるような男だ。そんな性格の人間が、大勢の前で赤っ恥をかかされたまま黙っていると思うか?」
カルの声音には確信が滲んでいた。
「もしイクスが本当にワイバーンのような階層外の魔獣を召喚出来る立場にあったなら、あの夜、強力な魔獣を呼び寄せていたはずだ。聖水の効果の及ばない、より強大な魔獣に野営地を襲わせて俺を窮地へ追い込む。そして『見ろ、僕の言った通りになったじゃないか』と示しただろう。カレーの強い匂いに魔獣が引き寄せられて野営地が襲われたと、全て荷物持ちのお前が引き起こした。その責任をどう取るつもりなのだと、俺を糾弾したはずだ」
その光景はジンカも容易に想像する事が出来た。
イクスという男は視聴者の前では『理想の英雄の姿』を演じているが、裏では虚栄と承認欲求にまみれた人間だ。
Cランク冒険者という格下に恥をかかされ、黙っているような人間ではない。
「あそこで階層外の魔獣を召喚し野営地を襲わせれば、奴の言っていた事が全て正しかったという証明にもなる。そうすれば醜態も帳消しになり、面子も取り戻せる。それどころか――護衛班の仲間達からは的確な判断を下していた事を評価されただろうし、スノウからも“頼れる英雄”だと認めてもらえたかもしれない。つまり、マイナスをゼロにするどころか、むしろプラスに転じる絶好の機会だったわけだ。だが――」
カルが言葉を継ぐ刹那、ジンカの眼差しが月明かりから逃げるように揺れた。
すぐに落ち着きを取り戻したが、その一瞬の揺らぎをカルは見逃さなかった。
「――だが、奴は何もしなかった」
カルの言葉は冷たい刃のように突き刺さる。
「翌日の配信でも引きずっていて、まともに剣も振れない程の屈辱を味わっているにも関わらずだ。醜態を晒し、悔しさに震えていたはずなのに、反撃の機会を逃したままだった」
ジンカの瞼が静かに伏せられる。
表情は冷静を装っていたが、その沈黙には確かな重みが混じっていた。
「おかしいと思わないか?」
カルは淡々と問いかける。
「奴の性格を考えれば、当然“仕返し”に動いていたはずだ。だが現実には何も起きなかった。野営地を襲った魔獣など一体もいなかった」
虫の声すら遠のき、空気が重く沈む。
カルはそこで言葉を区切り、静かな声で結論を告げた。
「……つまり、答えはひとつ。奴は何もしなかったんじゃない。出来なかったんだ。奴は階層外の魔獣を召喚出来る立場になかった、俺はそう結論づけた」
ジンカは一呼吸置き、静かに唇を開いた。
「……なるほど。イクスが階層外の魔獣を操れる立場になかったという結論には、一理あるだろう。だが、そうなると話は別だ」
その淡々とした響きが森に沈み、闇がさらに濃くなる。ジンカの瞼が伏せられ、深い底なしの静けさが漂った。
「つまり君は――他に真犯人がいると見ているわけだな。だが考えてもみろ、クロマくん。君はその証拠を持っていないはずだ。ただ状況の積み重ねから推測しているに過ぎない。そんな段階で、私に剣を突き付けるとは……いささか早計なのではないか?」
挑むような眼差しが返される。
「――証拠がない? いいや、あるね」
夜風が木々を揺らし、葉擦れの音が緊張を際立たせる。カルはその緊張の中で一音ごとに鋭さを込めるように告げた。
「今日の戦いを思い出せ。3体のワイバーンが襲ってきたあの瞬間、真っ先に前に出たのはお前だ。護衛班のリーダーとして仲間を守る為、敵の攻撃を一身に引き受ける為に、お前はワイバーンに向けて挑発を放った」
その名が出た瞬間、ジンカの目が細くなる。
カルは迷わぬ調子で続けた。
「挑発は魔獣の意識を強制的に操作し、発動者に敵意を集中させるスキルだ。囮となり、仲間を守る為の手段。その効果は絶大で、魔獣がスキル使用者以外を狙う事はあり得ない。……だが実際はどうなった?」
闇の奥で風がざわめく。
カルの言葉は、その風よりも鋭く突き刺さる。
「イクスが一人で突っ込んで戦況が乱れた直後、急旋回したワイバーンに襲われたのはお前ではなかった。護衛のバゼルだ。彼は爪で裂かれ重傷を負った。挑発は間違いなく正しく発動していた。最初に狙われるべきはお前だった。それなのに」
森の空気が凍りついたかのように静まり返る。
その静寂を突き抜けて、カルの言葉が響いた。
「……なぜそうならなかったのか。その答えは一つだ。――召喚された魔獣は、決して召喚の主たる人間を攻撃しない。それは挑発の効果よりも強く働く、絶対の法則がそこにある。つまり、ワイバーンが攻撃しなかったのは“お前が召喚者だったから”だ」
言葉は冷たい刃のように鋭く突き刺さる。
「そしてバゼルが犠牲になったのは、スキルの効果が切れたわけでも、偶然の軌道でもない。ただ一つ――術者である召喚の主たるお前を避け、代わりに近くにいた者を狙った」
言葉を放つカルの眼差しは揺るぎなく、逃げ道を与えぬ程に鋭さを増していた。
その瞳には、もはや迷いも遠慮も一片たりとも残っていなかった。
「ジンカ・レイゼイ。お前もイクスが突然飛び出した事に動揺したんだろ? 本当は挑発を使いながら囮役として前に出たようなふりをして、お前はずっとワイバーン達を操っていた。召喚の主は攻撃されないという絶対のルールを隠れ蓑にし、それでもワイバーンを操って自身が攻撃される『ふり』をする事で召喚者の候補から外れるように動いた。だが不覚を取った。イクスが飛び出した瞬間に、ワイバーンの操作を乱してしまった」
刃は止まったまま、光だけが冷たく揺れる。
風が梢を渡り、乾いた葉が擦れる音が長く伸びた。
ジンカの視線が剣先に吸い寄せられ、空気が固く沈む。
カルは一拍置き、言葉を置くように続けた。
「あの時、手綱を緩めたのが決定的だったな。指示が切れた一拍で、本能へ戻った個体が最寄りを叩く動きに切り替わった。だから翼をひとひねりして角度を落とし、盾を構え直す途中のバゼルの脇腹を裂いた。もしお前が本当にシロだったのなら、最初の一撃は必ずお前へ来ている。だが戦場で絶対に起こりえない矛盾が生じた」
カルの瞳が細く光を宿す。
言葉は刃より鋭く、結論を告げる為に放たれた。
「――つまり今日の戦いが示したのはただ一つ。お前こそが階層外の魔獣の召喚者。ワイバーンをあの場に呼び寄せた張本人だ」
その声が落ちた瞬間、周囲の空気がさらに冷え込む。月光の下でカルの視線は凍てつく刃のように突き刺さり、逃げ場を奪っていく。
息づかいすら張り詰める静寂の中。
ジンカはその冷徹な眼差しを受け止め、しばし硬直したままカルを見返した。
やがて――ジンカの口元がゆるやかに吊り上がる。
「……ははっ」
それは小さな笑いから始まり、やがて抑えきれぬ愉悦へと変わっていく。
森の静寂を破るように、ジンカの笑声が高く響いた。
「はははははっ――! まさかあの小さなミスから、ここまで辿り着くとは!」
仮面のように被っていた冷静な表情が剥がれ落ちる。
瞳に宿った光は人々の命を守る護衛班のリーダーのものではなく、狡猾さと傲慢さを隠そうともしない狂気の輝きだった。
「素晴らしいぞ、クロマくん。荷物持ちとして紛れた小さな駒の正体が、これ程の切れ味を持っているとは思いもしなかった」
追及の言葉で追い詰められながらも、ジンカはなお笑みを浮かべる。
その笑い声は夜の森に反響し、冷たい空気を不気味に震わせていった。




