第37話、共鳴加速
風が吹き荒れる度に砂粒が宙を舞った。
その一粒一粒の軌跡までもが、はっきりと視界に映る。
どの粒が何処へ流れ、どの粒が岩に弾かれるのか――まるで未来があらかじめ形を持っているかのように、全てを捉えられる。
――今のスノウには世界が透き通って見えた。
それは景色が美しく映るという事ではない。
極限まで研ぎ澄まされた感覚が、時間の流れさえも遅くしたかのように、戦場の全てを克明に捉えていた。
飛竜の翼が風を切る角度。
爪が振り下ろされる前に空気が生む圧。
吐息の奥で渦を巻く炎の兆し。
ひとつひとつが鮮明に、手を伸ばせば掴めるほど明瞭に迫ってくる。
スノウの青い瞳が大きく見開かれる。
カルの与えた力『共鳴加速』により、彼女の反射神経は常人のそれを遥かに超え、次の瞬間に訪れる全ての未来が手の内にあるように感じられた。
スノウは白銀の剣を構え、青い瞳を静かに細めた。
頭上で赤い影が翻る。炎を孕んだ飛竜――2体のワイバーン。
陽光を遮って輪を描き、ジンカ達を狙って低空へ滑り込もうとしていた。狩りの形を知り尽くした動き。弱いところから削るという理を、血の底まで覚えている魔獣の軌道だ。
「スノウ、今のお前なら勝てる」
「はい……っ、クロマさん!」
囁きのような声が風に溶け、スノウはそれに眩い笑顔で答えた。
常に彼女を見て、信じて、支え続けてくれるカルの言葉。
スノウは胸の奥が熱に震えるのを感じた。
その言葉が、自分の中に残っていた迷いと恐怖を打ち砕いた。
青い瞳が静かに細められ、強い光が希望と共に宿る。
恐怖が勇気へと変わっていく。
スノウは白銀の剣に魔力を宿した。
次の瞬間、剣身を透き通る光が駆け抜け、周囲の空気そのものが凍り付くかのように張り詰めていく。
「――氷結剣!」
その名を告げた瞬間、白銀の刃は青白い輝きを帯び、純結晶のような氷が幾重にも重なって剣身を包み込んだ。
刃先から舞い散る氷の粒子は光を受けて煌めき、冷気の軌跡を描きながら宙に溶けていく。
華奢な少女の手に握られた剣は、今や美と力を兼ね備えた氷の宝剣。
見る者の息を奪う程に神秘的で、同時に確かな殺意を孕んでいた。
スノウは軽やかに一歩を踏み出す。
その足運びはまるで舞台に立つ舞姫のようでありながら、足元の大地を凍てつかせる程の鋭さを孕んでいた。
冷気に包まれた衣の裾がふわりと舞い、青い瞳が獲物を捉える。
彼女の視線の先――赤き炎を孕んだワイバーンが咆哮し、獰猛な眼光を返す。
スノウは剣をすっと構え、胸の奥で静かに息を整えた。
その姿は、戦場に立つ戦士であると同時に、可憐に舞う氷の精霊のようでもあった。
(……わたしは負けない。この剣で、必ず仲間を守り抜く!)
青い瞳が烈しく輝き、氷結剣を手に、スノウは舞った。
その姿をカメラが逃すはずもない。
氷の粒子を纏った剣閃が舞台照明のように煌めき、少女の細い体を光と冷気で縁取っていく。
〈がんばれ!負けるな!〉
〈めっちゃかっこいいのに綺麗すぎてどうしたらいいんだこれ〉
〈やばい鳥肌やばい!〉
〈配信でここまで震えたの初めてだわ〉
〈今この瞬間みんなで応援してるの伝わってほしい〉
〈コメント流れる速さやばwwwみんな熱狂しすぎ!〉
氷の粒子が尾を引いて宙を舞うたび、コメント欄は更に速度を増して流れていった。
言葉にならない叫び、名前を連呼する声、祈るような応援――まるで画面の向こうから押し寄せる熱狂そのものが、戦場の空気を震わせているかのようだった。
スノウとワイバーンの視線が交わる。
次の瞬間、咆哮と共に赤き炎を孕んだワイバーンが急降下した。
翼が空気を裂き、大地を震わせる程の風圧が襲いかかる。
岩棚が鳴り、風が裂けた。
それは間違いなく致命となる一撃。だがスノウは半歩だけ身を捻り、刃の腹で力を外して流す。返す刃で翼の根を斜めに断ち、黒い血が氷の粒となって散った。
直後、ワイバーンの胸が膨らみ、灼熱の咆哮と共に口腔から炎の奔流が迸る。
しかしスノウはその予兆を見逃さなかった。
炎が吐き出されるよりも早く、彼女は疾風のように地を蹴っていた。
灼熱が世界を覆う直前、細い影は赤き巨体の懐へ潜り込む。
青い瞳が喉奥の脈動を捉える。
「――はああっ!」
氷の剣が一閃。
青白い軌跡を描きながら喉元を斬り裂き、迸った血潮すら瞬時に凍らせる。
轟音のような悲鳴が岩棚に反響して炎の奔流は途絶えた。
巨体が仰け反り、崩れる羽ばたきが砂煙を巻き上げる。
氷の斬撃に喉を裂かれたワイバーンは、最後の咆哮を上げる事すら出来ずに絶命した。
配信のコメント欄を視聴者達の熱狂が埋め尽くす。
〈氷姫様つえええええ!!!〉
〈やばい今鳥肌止まらん!〉
〈ワイバーンを正面から落としただと……!?〉
〈本物の英雄を見た気がする〉
〈もう一体いるよ!気をつけて!〉
コメントは一秒ごとに流れを増し、画面を覆い尽くす。
ただの配信の一幕ではない。
まるで世界中の視聴者が、スノウと共に戦っているかのようだった。
ワイバーンの巨体が崩れ落ちた――その直後。
岩棚の上に再び影が差した。
――もう一体。
空を旋回していたワイバーンが、氷剣に倒れた同胞を見て赤い双眸をぎらつかせる。
狡猾な竜は理解していた。
ただ正面から挑めば、自分もまた同じ結末を迎える事を。
――その時、赤い双眸が治療を受ける護衛の冒険者を再び捉えた。
せめて奴らを道ずれに。
布陣を立て直そうと必死に動く彼らに狙いを定め、炎の巨影は翼を大きく翻した。
「……っ! ジンカさん達は絶対にやらせませんっ!」
スノウの声が鋭く響く。
次の瞬間、彼女の体は弾かれるように駆け出していた。
氷の粒子を引き連れ、空を裂くように剣を構える。
間に合わなければ仲間は炎に呑まれる。
迷う時間など、ひと欠片もない。
その光景をカメラが捉えていた。
〈もしかして氷姫様、仲間を守る為にずっと戦ってた?〉
〈え、やば、まじ〉
〈これ配信用のポーズとかじゃないよね?ガチ?〉
〈血が出てる!あの人重傷やん!!〉
コメント欄が沸騰する、視聴者達も気付いたのだ。
彼女が戦う理由が、ただ自分を飾る為ではない事に。守る為に剣を振るっている事に。
ただ一人、命を懸けて仲間を守ろうと駆け出す、その真っ直ぐすぎる姿に視聴者達は胸を打つ。
煌めく氷の剣を手に、青い瞳で飛竜を睨む少女の姿は――もう配信の『演出』などではなかった。
その瞬間、世界中の視聴者は理解した。
彼女は“氷姫”という偶像ではなく、命を懸けて仲間を護る、本物の英雄なのだと。
炎を孕んだ巨影が急降下し、治療を受ける護衛へと迫る。
スノウは駆け込み、白銀の剣でその爪を受け止めた。
金属と鱗が噛み合う甲高い音。
小さな体と巨体の圧力がぶつかり合い、火花と氷粒が散った。
「……くっ……!」
押し潰そうとする膂力に、地面が軋み、スノウの足裏が食い込む。
本来なら到底支えきれる相手ではない。
けれど、カルから託された力がスノウの全身を駆け巡る。
彼が支えてくれる。
すぐ側にいる大切な彼の温もりを確かに感じた。
そして同時にスノウへの声援がコメント欄を埋め尽くす。
〈氷姫様がんばってえええ!!〉
〈完全に仲間達を庇ってる……泣ける〉
〈がんばれ!絶対負けんな!〉
〈いけえええええ!!〉
その熱が、まるで背に届くようだった。
スノウを支えてくれる全てが、彼女の心に宿る輝きを更に強くする。
「はあああああっ!」
気迫と共に剣を押し上げ、ワイバーンの巨体を弾き返す。
ワイバーンが怯んだ刹那、スノウは剣を掲げた。
氷の魔力に加え、光が集束して刃を覆う。
青白い輝きが柱となって空気を裂き、聖なる煌めきが舞い降りる。
それはスノウが使える最強の魔法剣――。
「――穿て! 聖光剣!」
放たれた閃光が大地を貫き、ワイバーンを一閃のもとに両断する。
轟音と共に炎が弾け、巨体は崩れ落ちた。
砂煙の向こうで立ち尽くす少女。
その姿に、仲間の護衛達も、視聴者も、安堵と感謝を込めて叫んだ。
〈勝ったあああああああ!!!!!〉
〈泣いた……ほんとに泣いた……〉
〈これもう伝説の瞬間だろ〉
〈やばい、涙とまらん〉
〈この瞬間に立ち会えた自分を誇りたい〉
コメント欄は熱狂に溶けて流れ続ける。
スノウは背後を振り返り、無事な仲間の姿を見て、ほっと小さく微笑んだ。
そして砂煙が薄れていく中、スノウは剣を下ろして静かに息を整える。
仲間を守り抜いた安堵と、全力を尽くした疲労が押し寄せていた。
それでも彼女は、仲間達を守り続ける為に、倒れる事はしなかった。
――そしてカルはカメラに映らない位置からスノウの活躍を見守っていた。
その先に見える少女の背は、カルの目に焼き付くほど強く輝いている。
(……よくやったな、スノウ)
彼が与えた共鳴加速の力は確かに彼女を押し上げた。
けれど剣を振るい、恐怖に抗い、仲間を護ったのは――スノウ自身だ。
(……本当に良い相棒を持ったよ、俺は)
そう心の中で呟き、カルは誰にも気付かれぬよう静かに目を細める。
歓声に満ちた世界の中で、彼だけはひっそりと、誇らしさを噛みしめていた。




