第35話、イレギュラー
翌朝。
既に朝の支度を済ませ、スノウとイクスはダンジョン配信を始めている。
あれから更にダンジョンの奥へ進み、8層の中盤まで辿り着いていた。
ここは断崖と峰が幾重にも連なる山岳地帯。
風に削られて生まれた広大な岩棚や平原が点在しているエリアだ。
そこで行われているダンジョン配信の画面には、氷姫スノウの爽やかな笑顔が映し出されていた。
昨夜の和やかな食卓で護衛達との距離も縮まり、カルの作ってくれた大好きなカレーで英気を養った彼女は今日も絶好調。
「――はっ!」
純白の刃が閃く度、迫り来る魔獣は音もなく切り伏せられていく。白焔の剣が迸り、倒れた魔獣は瞬く間に黒い炭へと変わった。
ダンジョンという戦場を、美しい氷の姫が舞い踊る姿に視聴者達はコメント欄で熱狂していた。
「流石はスノウさんだな。良い動きだ」
「昨日とは勢いが違うぞ。太刀筋のキレがいい」
護衛の冒険者達は感嘆を漏らす。
彼らの視線にはもはや尊敬と親しみしかなく、素直な気持ちで今はスノウを応援している。
輪の中にいるカルに向ける眼差しも柔らかく、時折「クロマくん、こっち頼む」と自然に声をかける程だ。
その一方で――。
「くっ……」
イクスは笑顔を崩すまいと必死だった。
英雄らしい爽やかなトークを交わそうとするが、言葉の端々にぎこちなさがにじむ。
画面の向こうにいる視聴者へ向ける明るい言葉も、何処か歯切れが悪い。
(くそ……昨日の件で焦っているのか、僕は!)
岩肌の裂け目から、槍を握りしめた人型の爬虫類――リザードマンが次々と姿を現す。
その鱗は硬く、身の丈は2メートルを超える巨躯。だがAランク冒険者にとっては児戯に等しい相手。
リザードマンに対してイクスの剣が煌めく――はずだった。
しかし、その軌跡はいつもより鈍く、リザードマンの急所を掠めるだけで深くは届かない。
「っ……外しただと!?」
普段なら一撃で仕留めるはずの動きが今日はどうにも冴えない。剣先が遅れ、敵の動きに追い付かないのだ。
焦りを押し隠すように彼は叫ぶ。
「――黄金の龍よ、我が刃に宿れ!」
イクスは得意とする剣術スキル――龍剣を発動させる。
黄金に輝く龍の幻影が剣にまとわりつき、イクスは地面を蹴ってリザードマンに突進した。
だが、その龍は普段より歪な形で輝きも弱々しい。
放たれた斬撃は壁を大きく削ったものの、肝心の魔獣の胴を浅く裂いただけで止まってしまった。
「なっ……!?」
視聴者が息を呑み、コメント欄はざわつき始める。
〈あれ? 今の外した?〉
〈黄金の龍、なんか迫力なかったな〉
〈昨日のイクス様と比べると少し変だ……〉
イクスの胸を冷や汗が伝う。
心臓が早鐘のように打ち、剣を握る手が重くなる。
それでも何とかリザードマンの群れを全滅させるが、そのぎこちない動きは明らかだった。視聴者達は困惑の声をコメント欄に並べていく。
(どうしてだ……! いつも通りのはずなのに……!)
必死に笑顔を保とうとするが、その歯はきしむ音を立てていた。
英雄イクス――その仮面が、ほんの僅かに崩れ始めていた。
そんなイクスとは対照的に、もう片方の魔獣の群れを軽やかに倒し終えたスノウ。
彼女は剣を納めてイクスのもとへ駆け寄った。
彼女もイクスの様子に違和感を覚えたのか、少し心配した表情で彼の隣に立った。
「イクスさん……大丈夫ですか? 今日は少し動きが鈍いように見えました」
「……大丈夫だ。問題ない」
短く返した声は硬く、冷たい。
スノウの青い瞳が僅かに揺れた。
「でも……もしイクスさんが怪我でもしたら……」
それはイクスにとって愛する人からの純粋な気遣い。
本来なら笑顔で応えて、彼女を安心させるべきなのに。
「……余計な心配はするな!」
思わず強い口調になった。
スノウの小さな肩が揺れる。
「僕は英雄イクスだ! リザードマン程度に遅れをとるような事はしない!」
冷たく突き放す響きに、護衛達が思わず視線を交わす。
その瞬間、コメント欄で視聴者達もざわつき始めた。
〈今の言い方ちょっとキツくない?〉
〈スノウちゃん心配してただけなのに……〉
〈イクス様、なんか余裕なさそう〉
〈コラボ配信でこの雰囲気はマズいだろ〉
〈この空気で30層目指すとか無理じゃね?〉
スノウは言葉を失い、顔を俯けてしまった。
「……そう、ですか」
彼女はそれ以上何も言わず、小さく息を吐いて微笑もうとした。
だが、その笑みは寂しげで、無理に作ったものだと一目で分かるものだった。
場に漂う重苦しい空気。
視聴者の反応は更に困惑を帯びていく。
〈見てるこっちがハラハラする〉
〈険悪ムードで配信続行はヤバい〉
〈スポンサーとか案件的に大丈夫なのか……?〉
〈このままじゃ放送事故になるぞ〉
イクスはコメント欄から視線を逸らし、奥歯を噛みしめる。
(……くそ。なぜ僕は、こんな言い方しか出来ないんだ……! 折角スノウちゃんが心配してくれたのに……視聴者からも最悪の反応だ)
張り詰めた沈黙が続き、配信画面には居心地の悪い緊張が漂っていた。
――その時。
山脈の空を轟音が揺るがす。
巨大な影が3つ、翼を広げて舞い降りた。
護衛の冒険者達が叫ぶ。
「ワ、ワイバーン……!? 3体も……!」
本来なら25層より下層にしか現れないはずの飛竜――ワイバーンが8層に出現したのだ。しかも3体同時。常識ではあり得ない、完全なイレギュラーな事態。
同時にコメント欄は悲鳴のように荒れ始めた。
〈8層にワイバーン!?〉
〈3体とか完全にイレギュラーだろ!〉
〈やばいやばい、普通に全滅案件!〉
そしてスノウの姿がカメラに映し出される。
青い瞳を大きく見開き、思わず息を呑んでいた。
「……ワイバーンが、こんな場所に……!」
驚きと戸惑いが入り混じった表情。
しかし彼女はすぐに気持ちを立て直して白銀の剣に手を伸ばす。
背後に仲間がいる以上、怯えている暇などないと、表情に決意の色が差していく。
〈スノウちゃん、顔が真剣……!〉
〈凛々しくて美しい!〉
〈剣を構えてるところ、綺麗だよなあ〉
視聴者はその凛々しい横顔に熱狂した。
一方その頃――配信の画角には映らない位置で、カルは冷静に空を見上げていた。
頭上を旋回する3体のワイバーン。
翼の動き、降下の角度、仲間達の布陣……その全てを、落ち着いた様子で観察する。
(……25層クラスが8層に。階層外の魔獣の出現。完全なイレギュラーだ。だがこのメンバーなら討伐は容易だろ)
配信者として活躍するAランク冒険者のスノウとイクス、護衛班のリーダーを務めるジンカ・レイゼイもAランク冒険者で歴戦の猛者だ。
そのサポートとして3人のBランク冒険者が付いている。そして今はCランク冒険者の荷物持ちとして振舞っているが、隕石の迷宮を完全攻略した最強の冒険者であるカルもすぐそばに居るのだ。
万が一にも全滅する事はないだろう。
実際、護衛班のリーダーであるジンカの動きは迅速かつ的確だった。
ワイバーンが翼を広げて威嚇するのを見た瞬間、鋭い声で指示を飛ばす。
「バゼル、ドラン! 前衛を固めろ! エントは回復の準備! 私が囮になる、意識をこちらへ引き付けるぞ! 配信者の二人にワイバーンを決して近付けるな!」
すぐさまジンカは剣と盾を構え、地を踏み鳴らすように力強く声を張り上げる。
彼の体から重々しい威圧が奔り、戦場に響き渡った。
「――挑発!」
それは戦場に轟く『命令』であり、魔獣の本能にまで響きわたる呪的な威圧。
スキル――挑発。
その力は目に見えぬ鎖となって魔獣の心を絡め取り、意識を強制的に術者へと向けさせる。
怒り、殺意、破壊衝動。それら全てを自らへと引き寄せ、仲間から遠ざける為の技。
その瞬間、頭上を旋回していたワイバーン達の鋭い眼光が、一斉にジンカへと注がれる。
炎を孕んだ咆哮が山岳地帯に轟き、巨体が揃って彼へ狙いを定めた。
そしてワイバーンの動きに即座に反応するBランクの護衛達。盾を構えてスノウとイクスの前へ躍り出し、強固な壁を築き上げる。
防御陣形によって配信者であるイクスとスノウを守る事で被害を最小限に抑える狙いだ。
「くそっ、ワイバーン3体まとめてか……だが落ち着け、ジンカさんが指揮してる!」
「エント、後方に回れ! 回復の支援は任せたぞ!」
「任せろ! 何があってもすぐ回復魔法を飛ばす!」
矢継ぎ早に声が飛び交い、布陣は即座に整えられていく。
その連携はカルにとっても目を見張る動きだった。
(素晴らしいな。ほぼ理想の動きだ。彼らは口だけじゃない、護衛としてやるべき事をしっかりと理解している)
歴戦の冒険者らしい統率力により、戦場は一瞬で安定を取り戻しつつある。
――だが、その均衡を壊すようにイクスが前へと躍り出たのだった。




