第27話、熱狂
その日、王都は朝から落ち着きを失っていた。
通勤ラッシュの改札頭上のスクリーンが同じ告知を繰り返す。
『今夜20:00~特別コラボ配信――氷姫スノウ・デイライト×英雄イクス・オルナット』
コンビニの小さな端末でも、駅ナカのデジタルサイネージでも、スクランブル交差点の巨大ビジョンでも、同じサムネがループしてSNSではハッシュタグ『#氷姫と英雄』がトレンドの一位に躍り出た。
コンビニのレジ横には『氷姫×英雄のコラボ配信記念セット』なるポップが立ち、即席の缶バッジやアクリルスタンドが並ぶ。
オフィス街を歩く会社員達はアイスコーヒーを片手に「復帰後初の氷姫様の配信とか絶対見なきゃ」「予約通知、した?」「リマインダー二重にかけといた」と笑い合う。
通学途中の高校生達の話題もスノウとイクスのコラボ配信一色だった。
「やば。今夜20時って、部活終わるの間に合う?」
「顧問には家庭の都合で上がるって言う。アーカイブで見ろって言われたら部活辞めるから」
「じゃあ家くる? 家のテレビでミラーするから」
「おっけ。じゃあ唐揚げ買ってく」
街中の至る所からスノウとイクスのコラボ配信を待ちわびる声が聞こえてくる。
――カルはその光景を4人乗りのセダンの車窓から眺めていた。
「凄いな、スノウ。街中が今日の配信の話題で持ち切りだ。お前って本当に人気者なんだな」
「ダンジョン配信者としてはそれなりに。……でも、こうして街全体が盛り上がるのを見ると、少し不思議な気分です」
スノウは窓の外を眺めながら小さく微笑んだ。
ビル群の隙間を抜けていく車窓には、至る所にスノウとイクスの顔が映し出されている。
運転席のローズがルームミラー越しに目を細める。
「カルは知らなかったでしょうけど、スノウは本当に凄いのよ。一流の冒険者にして一流のダンジョン配信者、王都で彼女を知らない人間はいないわ」
スノウは少しだけ視線を落とし、照れ隠しのように髪を耳にかけた。
「……過大評価です。わたしはただ、配信を通してダンジョンの魅力を伝えているだけですから」
「謙遜するな。それでこれだけ街を沸かせてるんだ。大したもんだよ」
「カル様にそういう風に仰っていただけるのは、なんだか胸が落ち着かなくて……不思議な気分になります」
ほんのりと頬を染めたスノウは、窓の外へ視線を逸らした。けれど映り込むガラス越しには、ふにゃりと緩んだ表情がはっきりと映ってしまっている。
それに気付いたカルは小さく笑った。
「確かに人気が出るのも分かる。スノウは反応の一つ一つが可愛いからな」
「カル様は、そうやって簡単に人を褒めるから、困ります」
「俺は事実を言ってるだけだ」
「もう……カル様は、本当に意地悪です」
スノウは頬をぷくっと膨らませ、窓に向かってぷいと顔を逸らした。すねたように視線を合わせまいとする仕草が、かえって可愛らしさを際立たせていた。
運転席のローズがくすりと笑う。
「はいはい、二人とも。いつまでもイチャイチャしない。もう少しで到着するわよ。イクスの屋敷はこの先の高台にあるから」
車は緩やかにカーブを抜け、視界の先に現れるのは白亜の洋館を思わせる大きな屋敷。王都でも一等地に建つその建物が、今日の舞台――コラボ配信前の最終調整が行われる場所だった。
スノウは深呼吸をして表情を引き締める。
「……さて。ここからが本番ですね」
彼女の小さな呟きに、カルは力強く頷いた。
「ああ。準備に少しばかり時間がかかったが、これでようやく前に進める」
彼らはこの日の為に準備を重ねてきた。
スノウとイクスのコラボ配信。
――それは虚喰晶に繋がる手掛かりを見つけ出す為のもの。
作戦の内容を知るローズは感心した様子で呟いた。
「コラボ配信という名目でイクス・オルナットに近づくだなんて。よく考えたわね、スノウ。普通の人間じゃ近づく事すら難しい相手よ。相手は“英雄”の名で呼ばれる冒険者で、同時に王都を代表するトップ配信者。そんなイクスと肩を並べられるのは、同じ舞台に立てる実力と人気を兼ね備えたあなただけ」
「わたしのダンジョン配信者という表側の顔が、シャノワールの仕事で役立って良かったです。コラボ配信という形でイクスに接近し、虚喰晶の手掛かりを掴んでみせます」
カルは腕を組み、スノウの横顔を眺めた。
「準備を始めてから一ヶ月か。コラボ配信の打診を向こうにしてから、ようやくここまで漕ぎ着けたな。日程の調整から、配信するダンジョンの確認、スポンサーや運営への根回しまで。一つ一つが重い作業だった」
「カル様もありがとうございました。本当なら時間をかけて慎重に整えたいところでしたが、イクスさんからの誘い自体は前からありましたので、日程を引き延ばすわけにもいかず……結果として少し急ぎ足になってしまいました」
スノウは窓に映る自分の姿を見つめながら淡々と語る。
そう、スノウは以前からずっとイクスに「ぜひ一緒に配信しよう」と何度も誘われていた。ダンジョンですれ違った時から始まり、それ以降はスポンサーや冒険者ギルドを通じて、彼の打診は繰り返されてきたのだ。
「わたしがシャノワールの任務で動いていた事もあって、イクスさんからの誘いを長らくお断りしていたのです。けれど、その度に彼は“いつまでも待っている”と言っていて」
ローズはハンドルを握りながら、ルームミラー越しに口元を緩めた。
「何度断られても諦めないあたり、英雄様は案外しぶといわね。まあスノウみたいに可愛い子が相手だもの。仕方ないわ。イクスにとって今回のコラボはただの配信以上の意味を持っているのかもしれないわね」
スノウは言葉を飲み込み、改めて背筋を伸ばした。
「――だからこそ、利用させてもらいます。配信の表舞台では氷姫として、そして裏ではシャノワールの一員として。必ず虚喰晶の手掛かりを掴んでみせます」
その声音には一点の曇りもなく、揺るぎない意志が宿っていた。
カルは腕を組んだまま彼女の横顔を見つめて静かに息を吐く。
英雄と呼ばれる男から何度も誘いを受けても、浮き足立つ事なく、ただ使命の為だけに冷静に行動する。目の前の少女は、人気や名声に惑わされる事なく、本当に大事なものを見据えている。その確かさが、カルの胸に良い音を響かせた。
「……お前は本当に頼もしいな」
カルがそう口にした瞬間、毅然とした氷姫の面影がふっと揺らぐ。
青い眼差しが微かに泳ぎ、背筋に宿していた緊張が解けるように肩が落ちた。頬に染まる色を隠そうと窓へ顔を向けるが、ガラス越しに映る表情はどう見ても緩んでしまっている
英雄の誘いでは決して動じなかったスノウが、自分の一言だけでこれほど揺らぐ――その事実が、なんとも愛おしく映ったのだ。
カルはその変化を目にし、思わず喉の奥で笑いを噛み殺した。
するとスノウが、むっと唇を尖らせて振り返る。
「なんでそこで急に笑うんですか」
「いや、良い相棒を持ったと思ってな」
からかいながらも、けれど真心のこもった言葉。
スノウは一瞬きょとんとした顔をして――すぐに頬を染めて視線を逸らす。
「もう……カル様は、すぐそうやってわたしをからかう」
声は拗ねたように尖っていたが、胸の奥で広がる熱は隠しきれない。
氷姫と呼ばれる彼女が、まるで雪解けのように柔らかくなっていく。
カルは肩を竦め、喉の奥で笑いを飲み込みながら視線を前に戻した。その横でスノウは唇を結び直し、落ち着かぬ心を誤魔化すように拳を膝の上で握りしめる。
そんな二人のやり取りに、ローズはハンドルを握りながら微笑ましそうに目を細める。
「本当に、見ていて飽きないわね、あなた達」
車は高台の坂を登りきり、やがて白亜の屋敷が目前に迫ってくる。
青空を背に立つその館は、イクスの栄華を象徴するかのように壮麗で、門前からして人々を圧する威厳を放っていた。
「流石は英雄の屋敷……物々しいわね」
ローズがハンドルを切りながら呟くとカルも窓の外へと視線をやる。
磨き込まれた石畳のアプローチ、整然と刈り込まれた庭園。全てが徹底された管理のもとに置かれ、主の格を誇示するように整えられていた。
――この先にあるのは、ダンジョンを舞台にした氷姫スノウと英雄イクスのコラボ配信。
表向きは王都を熱狂で包む氷姫と英雄の共演――しかし、その裏にあるのは虚喰晶の影を追う者達の静かな戦い。三人はその舞台の入口となる、イクス邸へと足を踏み入れるのだった。




