第26話、虚喰晶
アンゴーラは黒紫の結晶を取り出した。
結晶の内部では黒い靄がうごめき、時折、耳鳴りのような鈍い振動が空気を震わせている。まるで生き物のような不穏な脈動を刻んでいた。
禍々しい気配を放つそれは、カルが昨日ズゴットとの戦闘の末に回収した異形の結晶。
アンゴーラはそれを手のひらの上で転がすように眺めた。
「こいつの解析が終わった。予想はしていたが、この結晶は魔獣を封じている召喚石の一種で間違いねえ」
スノウの視線が重々しい気配を放つ黒紫の結晶に吸い寄せられる。
「やはりズゴットはこの召喚石を利用して、階層外の魔獣を操っていたのですね」
「召喚石の魔獣は封印を解いた術者に忠実だからな。ズゴットはその仕組みを利用して、ダンジョン10層でド派手なスタンピードを起こしていたのさ。だが問題はそこじゃねえ。実はこいつは、ただの召喚石じゃなかったのさ」
アンゴーラの声は硬く、結晶を見据える眼差しには緊張が滲む。
「召喚石の一種と言ったが……こいつの正体は”虚喰晶”。ちょいと厄介な代物なのさ」
アンゴーラは指先で石を軽く弾いた。鈍い響きが部屋にこだまする。
――虚喰晶。
その名を聞いた瞬間、スノウの尖った耳が小さく跳ねた。
「……虚喰晶、ですか」
スノウが静かに反芻するように呟くとアンゴーラは頷いた。
「こいつの正体を暴いたのはローズだ。ここから先はお前に任せるぜ」
「ええ、ボス。それじゃあ続きは私の方から説明させてもらうわね」
アンゴーラの言葉に、ローズは静かに頷き前に進み出た。
指先で端末を操作すると、スクリーンに結晶の断面図が映し出される。内部を走る黒い靄の流れが拡大され、複雑に絡み合う模様が幾何学的に浮かび上がった。
「虚喰晶は今から100年前に起こった世界戦争の時に生み出されたアイテムよ。各地に点在するダンジョンの権利を巡る、国同士が血みどろの争奪戦を繰り広げていた時代……そこで用いられた禁忌の兵器のひとつが、これなの」
ローズの声は淡々としていながらも底に冷ややかな緊張を孕んでいる。そして冷たい光に照らされたスクリーンを背に言葉を続けた。
「通常の召喚石は、濃い魔力が宿った魔石に魔獣が偶然取り込まれる事で生成される。だから非常に希少なレアアイテムとして知られているわね。一方で虚喰晶は人が魔石に特殊な術式を施す事で、偶然ではなく人為的にダンジョンの魔獣を封じ込める事が可能なの。そうして虚喰晶に封じられ使役された魔獣は戦争で多大な戦果をもたらし、各国は競い合うように虚喰晶を製造して戦場に配備していったわ」
その説明を聞いていたカルは、ふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「ダンジョンの魔獣を戦争の兵器として活用する。恐ろしい事を考える奴がいたもんだ」
冷ややかに吐き捨てるカルの声にローズは小さく頷いた。
「その通りね。ダンジョンの守護者として神々に生み出された魔獣……本来は人の手に余るもの。その絶大な力に溺れた各国はこぞって虚喰晶を量産し、魔獣達は戦場を蹂躙していった」
スクリーンが切り替わり、当時の様子を撮影したモノクロの写真が映し出される。荒れ果てた大地、崩れ落ちた砦、そして暴走する巨大な魔獣。その光景は100年前の戦火の爪痕を、いまだ鮮烈に伝えていた。
「虚喰晶の魔獣は戦場で更に力を増していったわ。人という餌を喰らい、その力を取り込む事で、やがて術者の意志を超えて暴走し始めた。最初は兵器として勝利をもたらしていたものが、次第に戦場全体を飲み込む災厄へと変わっていった」
カルは眉をひそめ、不快を押し隠すように椅子の背へ深く身を沈めた。
「虚喰晶の魔獣が戦場で成果を上げれば、当然のように次の戦場にも投入される。虚喰晶の魔獣による犠牲者は増え続け、人を喰らった魔獣は更に強くなり、また新たな犠牲を生む……。まるで終わりのない地獄だな」
「ええ、最悪の負のループね。結局、制御出来なくなった虚喰晶の魔獣は戦争そのものを崩壊させた。勝敗すら意味を失い、国家も兵士も区別なく喰らい尽くす災厄に変貌したのよ」
「つまり……扱いきれなくなって自分達の首を絞めたってわけか」
「そう。だから戦争終結と同時に、虚喰晶はその製造方法と共に禁忌として封印され、全て廃棄されたはずだった。少なくとも――表向きはね」
ローズはスクリーンを消し、冷ややかに言葉を区切る。
「けれど現実は違ったみたい。ズゴットの件で証明された通り、虚喰晶は今もなお存在している。ズゴットが使っていたのは、そうした“残滓”のひとつだったわけね」
カルとスノウは視線を交わす。
ダンジョン10層に現れた階層外の魔獣達は、100年前に封じられ、そして現代になって蘇ってきた亡霊のような存在。
冷たい光の中で、彼らの胸に新たな緊張が宿っていくのを確かに感じていた。
アンゴーラが重苦しい空気を一層沈ませるように口を開いた。
「しかもな、解析の結果、ズゴットが持っていた虚喰晶の術式には”改良”された痕跡が見つかった。魔獣の暴走を抑えて、より従順になるように。つまり――誰かが100年前の禁忌を掘り起こし、現代の魔法技術で手を加えているって事さ」
それを聞いたスノウは緊張した面持ちで口を開く。
「……少なくとも、Cランク冒険者のズゴットが独力で編み出せる代物ではないですね」
カルは腕を組んだまま目を細めて結晶を見据えた。
「つまり背後に“供給源”がいるってわけか」
ローズも頷き、冷ややかに言葉を継ぐ。
「虚喰晶を改良するには相当な魔法技術と研究環境が必要よ。偶然に出来るものじゃない。何処かの組織が暗躍していると見るべきね」
「だがまだ尻尾は掴めてねえ」
アンゴーラは苦々しげに頭を振る。
「ダンジョンで頻発している階層外の魔獣の出現に、虚喰晶が関わっていると見て間違いはないだろうよ。だが目的が分からねえ。どうして今になって100年前の亡霊を掘り起こす必要がある? 何故それをズゴットのような小物に渡したのか、その意図が全く読めねえんだ」
スノウは拳を握り、強い眼差しを結晶へと向ける。
「……つまり、わたし達は真相を確かめる為に、虚喰晶を操る“本当の敵”を追わねばならない、という事ですね」
アンゴーラは深く頷き、机に置かれた結晶へと視線を落とす。
「その通りだ。シャノワールはこれから虚喰晶をばら撒く黒幕の正体を突き止める。こんな馬鹿げた事を実行に移すような連中だ。放っておけば王都……いや世界中に再び100年前の災厄が広がりかねん」
「その為には情報を集める必要がありますね。カル様が生け捕りにしたズゴットから、少しでも手掛かりが得られたらいいのですが――」
スノウが言いかけたところで、アンゴーラが首を横に振った。そして短く、だが重みを込めて告げる。
「ズゴットはもう死んだ」
「え……?」
スノウの目が見開かれ、カルも眉をひそめた。
昨日確かに拘束し、生け捕りにしたはずの男の死は、あまりにも唐突だった。
「尋問の最中だった。虚喰晶の入手経路について口を開きかけた、その瞬間だ。胸の奥から黒い炎が噴き出し……言葉を紡ぐ暇もなく絶命した」
アンゴーラの低い声が冷えた空気を更に重苦しくする。
スノウの背筋に冷たいものが走った。
呪詛の炎が肉体を内側から焼いた光景が脳裏に浮かんだのだ。
「……呪いによる口封じ、ですね」
「ああ。特定の言葉を発した瞬間、自動的に発動する仕掛けだったようだ。徹底的に口を塞ぐ為の保険。つまりズゴットはただの駒でしかなかったという事だな」
カルは腕を組み、唇の端を歪めた。
「用意周到だな。そして人の命をなんとも思っていない」
虚喰晶の背後に潜む黒幕は、想像以上に周到で、そして冷酷だ。ズゴットの死は、それを痛烈に突きつけていた。
「……では黒幕に繋がる証拠は一切残されていないという事ですか?」
スノウの問いに場の空気が更に緊張を帯びる。
シャノワールの他のメンバー達も息を潜め、アンゴーラの次の言葉を待っていた。
アンゴーラはしばらく沈黙したのち、鋭い響きを帯びた声で口を開いた。
「――ある」
短く放たれたその一言に、カルとスノウの視線が鋭く向けられる。
「カルが回収したスマートフォンの中身を解析した結果だ。この中に手掛かりが残っていた」
アンゴーラが取り出したのは、最新式のスマートフォン。それは確かにカルがズゴットとの戦闘の末に入手した証拠品だ。
だがスノウはほんの一拍おいて小さく首を振った。
「……失礼ですが、腑に落ちません。証拠を残さない為にズゴットへ呪いを施し、発言一つで命を奪うほど徹底していた相手が……スマートフォンに痕跡を残すなどあり得るのでしょうか?」
その声音には冷静さと同時に鋭い疑念が滲んでいた。
確かに彼女の言う通りだった。
通信履歴や位置情報、個人の癖や嗜好までも筒抜けにするスマートフォン。そんな代物に黒幕となる相手が不用意な情報を残すとは考えにくい。
スノウの疑念を受けて、アンゴーラはゆっくりと首を縦に振った。
「確かにその通りだ。ズゴットと黒幕は、やり取りの痕跡が一切残らない特殊な通信アプリを使っていた。送信された内容は一定時間で自動消去され、端末には記録すら残らない。匿名性も高く、誰と繋がっていたかを後から辿るのは不可能に近い代物だ」
「やはり……。その方法でやり取りをしていたなら、いくらシャノワールの解析班が優秀でも手掛かりは掴めないはずです」
「ああ。だがな、確かに糸口が残っていたんだよ。それが黒幕に繋がる手掛かりになるかもしれねえ」
アンゴーラはスマートフォンを軽く掲げ、どこか愉快そうに喉の奥で笑った
「まあこれを見てもらった方が早いな」
アンゴーラはスマホを操作する。
そして画面に映し出されたのは、ズゴットが使っていた動画サイトのアカウント画面――。
「これはズゴットがダンジョン配信者として扱っていたアカウントだ。ダークウェブに潜る前――まだ表の世界で活動していた時の名残りだな」
「……ズゴットがダンジョン配信者として、まだ真面目に活動していた頃のアカウント、という事ですか?」
「ああ。最後にログインしたのは1年前。チャンネル登録者数は二桁、再生数もほとんど伸びていない。素人の自己満足でしかない、取るに足らないアカウントだ。だが、このくだらねえアカウントをチャンネル登録している変わり者の中に、どうにも気になる奴を見つけたのさ」
アンゴーラは指先で画面を弾き、ズゴットのチャンネルを登録しているリストを表示させた。そこに並ぶのは数えるほどのアカウント名。ほとんどが匿名の落書きのようなアカウント名で活動の痕跡も乏しい。
その中に――たった一つだけ、他とは明らかに異質なアカウントが混じっていた。
スノウは眉をひそめ、食い入るように画面を覗き込む。
「これは……ダンジョン配信者のイクス・オルナット?」
その名を耳にした瞬間、場の空気が揺らいだ。
イクス・オルナット――チャンネル登録数1000万人を超えるダンジョン配信者であり、ギルドにもその実力を認められたAランク冒険者だ。レベルは41、ギルドからの信頼も厚い正真正銘の一流。
彼は“ヒーロー系”というジャンルで配信活動を行っており、ダンジョンの奥地で遭難した冒険者を探し出し、罠にはまり身動き出来なくなった者を救い、時には魔獣に襲われ命の危機に瀕する者の為に駆けつける――まるで英雄譚さながらの行為を、臆せずやってのける。
イクスの配信は常に明るく、どんな困難な状況にも屈しない笑顔と軽快な語り口で彩られる。救われた冒険者が涙ながらに礼を述べる姿と、それに照れたように手を振る彼の映像は、瞬く間に広まり、子供達の憧れとなった。
王都の広場では、彼の決め台詞を真似て遊ぶ子供達の姿が日常となり、繁華街の居酒屋では、彼の最新の配信を肴に冒険者達が熱い議論を交わす。イクス・オルナットという名は、今や正義と希望の象徴そのものだった。
――だからこそ。
その名がここで浮かび上がった事に、スノウは驚きを隠せない。
清廉な英雄の名と、裏社会に蠢いていた不穏な存在――その二つの名前が並び立つ事自体、悪い冗談のようにしか思えなかったのだ。
「……確かにこれは異質に感じます。チャンネル登録という僅かな繋がりとはいえ、この状況では軽視は出来ません。ボスはそうお考えになったのですね」
「ああ。こいつは数少ない手掛かりだとおれは睨んでいる。英雄と讃えられる男と、裏社会に蠢いていた不穏な存在、この二つに僅かでも繋がりがあった事がどうにも不自然だ」
アンゴーラは指を止め、ゆっくりと辺りを見渡した。その表情にはいつもの飄々とした余裕はなく、事の重大さを物語っている。
「おれ達はこれから虚喰晶の出処について調べるが、カルとスノウの二人はイクスの方を調査して欲しい。数少ない手掛かりだ。こういう小さな綻びが事件の真相に繋がる重要な鍵だったりするもんだ。任せたぞ、二人とも」
小さく頷いたスノウはカルの方へ向き直り、真っ直ぐに言葉を紡いだ。
「カル様……二人で、必ず真実を掴みましょう」
その声音には迷いがなく、冷静な表情の奥に強い決意が宿っていた。
カルも彼女の決意に応える。
彼女の青い瞳を見つめながら静かに頷いた。
「……ああ。俺達でやり遂げる」
カルの言葉を受け、スノウの表情に静かな安堵が差す。揺るぎない決意はそのままに、張りつめていた心がひと息ほど緩んでいく。
虚喰晶を操る黒幕の正体は、まだその輪郭さえ見えていない。だから遠回りでもいい。拾い集めた断片は、やがて必ず一本の線になるはずだ。
それを知るカルとスノウは、同じ方向を見据えて動き出すのだった。




