第24話、眠り姫
夜更けの街道を、カルはゆっくりと歩いていた。
彼の背には、すっかり酔いつぶれて眠り込んだスノウの軽い体。規則正しい寝息が、静かな住宅街に溶けていく。
大盛り上がりだったカルの歓迎会&初任務の成功を祝う会は、最後まで笑いと拍手に包まれて幕を閉じた。仲間達のジョッキが何度も打ち鳴らされ、スノウが意外にも酒に挑戦した事は、皆にとって忘れられない一幕となった。
今、その余韻は静かな夜道に変わっている。街灯の下を歩くたび、背中でスノウが微かに身じろぎし、カルはその度に支える腕を強めた。
「……まったく、無理しやがって」
そう呟きながらも口調は何処か優しい。スノウが自分の隣で乾杯したいと願ってくれた事は、カルにとっても嬉しい出来事だった。
普段は冷静で毅然としている彼女が、今は安心しきった顔で眠っている。その姿を見ていると、思わず背負う腕に力がこもる。
街灯の光が銀色の髪を淡く照らす。夜風にさらわれる度、ひどく儚げで、同時に守りたくなるような存在に見えた。
カルは夜風を受けながら住宅街の舗道をゆっくり進む。遠くで犬の吠える声が一度だけ響き、また静けさが戻る。
「本当に困った相棒だ」
小さく呟いた言葉は、背中で眠るスノウには届かない。けれどカルの声には、叱責よりもむしろ愛おしさに近い響きが宿っていた。
シャノワールとして影の世界で戦うカル。そんな彼と共に戦ったスノウ。
出会ってまだ日は浅く、絆と言うにはまだ脆いが、仲間と呼ぶには足りうる関係。スノウはこの時代を生き抜く為のカルの大切な相棒なのだ。
カルは静かな夜道を歩きながら、背中の温もりを意識する。スノウの小さな寝息は、不思議と心を落ち着けてくれた。
「明日からまた忙しくなるぞ、スノウ」
背中の眠り姫に優しく声をかける。
――酒の席で聞いた話だが、ズゴットは既にシャノワールが管理する施設で厳重に拘束されているらしい。
”専門家”達による厳しい尋問が行われている最中で、一連の事件の全容を掴む為に動いているのだという。
それとズゴットが使っていたスマホもロック機能が働いていたが、組織の解析班は既にセキュリティを突破して中にあったデータを調査しているとの事。
通話履歴やメッセージの断片を解析し、背後に存在する存在を追っている。カル達が追っている事件は、まだ序章に過ぎなかった。
そして特にカルが気にしていたのは――魔獣が封じられた召喚石だ。
ダンジョンで頻発している階層外の魔獣の暴走事件。今まで散発的に起きていた異常現象が、今回の召喚石の存在によって一本の線で結びつきつつあった。
あの召喚石の全容を掴む為にシャノワールは更なる調査体制を整えている。いまだ詳細は不明だが、人為的に魔獣を操り、混乱を広げる事が出来る――そんな危険な代物が流通しているとしたら。事件は単なる偶発ではなく、誰かの意図によって仕組まれた「計画」だ。
ズゴットが起こした事件は、あくまで氷山の一角にすぎない。
彼の背後には、召喚石を流通させ、意図的にダンジョンへ魔獣を放とうとする存在がいる。誰が、何の為にそんな危険な事を仕掛けているのか――今の時点ではまだ霧の中だ。
カルは背中のスノウを支え直しながら小さく息を吐いた。
「……厄介そうだな」
肩口にかかるスノウの白銀の髪が、夜風にふわりと揺れる。重さを感じさせないその寝息は、これから待ち受ける困難をほんの一瞬忘れさせるように穏やかだった。
カルはふっと息を吐き、夜空を仰いだ。
街は一見、いつもと変わらない平穏を保っている。だがその裏で確実に、大きな渦が音もなく広がり始めているのだ。ズゴットの事件など、ほんの前触れにすぎない。次に何が起こるかは誰にも分からない――だが、必ず待ち受けている。
それでも、カルは歩みを止めなかった。
背中に感じる温もりが、今は仲間の寝息でしかなくても、不思議とその一歩一歩を支えてくれる。
「……行くか」
小さく呟き、カルは住宅街の奥へと歩を進めた。並ぶ街灯が道を照らし、一定の間隔で足元に影を落とす。背中の温もりが微かに揺れる。スノウが寝返りを打つように身を動かし、安心したように小さな吐息をもらした。
その仕草にカルは思わず微笑む。
「おやすみ、スノウ」
囁くように言って再び歩き出した。
厳しい現実が待ち構えていようとも、仲間の寝息が傍にあるだけで心が安らぐ。
舗道を踏みしめる靴音が、夜の住宅街に一定のリズムを刻んだ。




