第21話、氷と炎の狂宴
やがて焦げた枝が足元で崩れ、乾いた音を立てる。進むごとに森はもはや森ではなくなっていた。氷塊に覆われた地面と、炎に焼かれた焦土がまだらに入り交じり、温度差で生じた蒸気が辺りを白く包んでいる。
――そこで、影がゆらりと揺れた。
「お前がズゴット・ヴァンス、か」
「なんだ、お前!? どうやってここに来た!?」
煙と蒸気の向こうから、綺羅びやかな光沢が滲む。
姿を現した男――ズゴットは豪華な衣装に身を包んでいた。
漆黒のロングコートには金糸の刺繍が施され、肩口には誇張されたような大きな羽飾り。腰には宝石を散りばめた装飾剣、首にはこれ見よがしに輝く宝飾の数々。まるで戦場ではなく舞台に立っているかのような、華美で悪趣味な装い。
背後に立つ炎と氷の光を照明のように利用して、自らを最も目立つ存在に演出していた。
その姿を眺めながらカルは小さく溜息をつく。
「全く。見た目重視で機能性は皆無な装備だな」
「おい無視するな! 今こっちは配信中なんだぞ!!」
ズゴットの叫び声は、耳障りなほど甲高く森に響いた。
彼の周囲に浮かんでいるスマホのカメラが、ぐるりと半円を描くように舞っていた。自動的にズゴットを中心に捉え、ズームや角度を自在に切り替えている。
「視聴者が増え始めたタイミングで邪魔者かよ~! これから本格的な見せ場だったのに!」
ズゴットはスマホに向かってわざとらしく肩をすくめてみせた。
「まあいいや。この雑魚そうな奴をさっさとサンダーバードとブラッドスコルピオに始末させて、氷と炎と雷と毒の四重奏で他の冒険者パーティを蹂躙する、楽しい楽しいスタンピードはまだ始まったばかり! 衝撃的な映像をお届けするんで、視聴者のみんなスパチャプリ~ズ!!」
ズゴットは大仰に両腕を広げ、舞台役者のように頭を下げた。
そして指笛を鳴らし、周囲に合図を送る。
「それじゃあ出てこい、サンダーバード、ブラッドドスコルピオ! ――オレ様の配信を彩る魔獣達よ!」
――しかし、待てども待てども森の奥からは何も現れない。
サンダーバードも、ブラッドスコルピオも、もう既にカルの剣に沈んでいるのだから。
「……は?」
ズゴットの顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。
空を仰ぎ、地を見渡し、必死にカメラに取り繕うように笑みを浮かべる。
「あ、あれ? 呼んだタイミングが悪かった? ほ、ほら、生放送ってのはこういうハプニングも醍醐味だよな? なあ、視聴者のみんな?」
空回りの笑みが虚しく響く。
そして再び指笛を鳴らすのだが、森の中から魔獣が現れる様子はない。
返ってきたのは沈黙だけだった。
「……は?」
ズゴットの笑顔が凍りつく。
彼の視線が周囲を泳ぎ、焦りが色濃く浮かんでいった。
「サンダーバードとブラッドスコルピオは――どうしたってんだよ!? おい、出番だぞ! オレ様の舞台を盛り上げろって!」
何度も指笛を吹き鳴らすズゴット。
カルはそんな男を冷たい眼差しで見下ろした。
「残念だったな。あのうるさい鳥も、バカでかい蠍も、俺がどちらも始末した。お前の安っぽい演出もここで終わりだ」
カルの声が冷ややかに響いた。
ズゴットの顔が引きつる。カメラに映る自分の顔が、徐々に虚勢を剥がされていくのを自覚しながら、それでも必死に笑みを作ろうとする。
「ば、馬鹿な……! ありえねえ! サンダーバードもブラッドスコルピオも、Aランク冒険者がパーティ組んでも手こずる化け物なんだぞ!? それを一人で……!?」
震える声は次第に裏返り、視聴者に向けた余裕の演技すら保てなくなっていった。
カルは剣を肩から滑らせ、切っ先をズゴットに向ける。
「お前の配信に付き合う気はない。さっさと終わらせるぞ」
「ば、バカが! 調子に乗るんじゃねえぞ! こっちにはまだ切り札のフロストドラゴンとフレイムバジリスクが残ってるんだ!」
ズゴットは必死に声を張り上げ、周囲に呼びかけた。
「出ろ! 氷の竜に炎の蛇! 視聴者を熱狂させる真打ち登場だ!!」
森が轟き、氷の爆音と炎の咆哮が交じり合った。
霧と煙を吹き飛ばしながら姿を現したのは、鱗を凍てつかせる蒼白の竜――フロストドラゴンと、全身を燃え盛る業火に包んだ巨蛇――フレイムバジリスクだった。
白と紅、二つの巨影がカルを挟み込むように森を踏み荒らし、牙と爪を剥き出しにする。
その光景にズゴットは一転して得意げな笑みを取り戻した。
「ははは! 見たか、これが真打ちの登場だ! 氷と炎の共演――これぞオレ様の最高傑作ステージだ! AランクどころかSランク冒険者だって無傷じゃ帰れねえ代物なんだぜぇ!」
フレイムバジリスクは28層の火山の主。
その巨体は30メートルを優に超え、吐き出すブレスは一瞬で岩盤を溶かし、広範囲を灼熱の地獄に変える。討伐例は少なく、Sランク冒険者『極光』が単独での討伐に挑戦する様子を配信し、死闘の末に勝利を収めたのが記録に残っている。
そしてダンジョン36層の雪山の主、フロストドラゴン。
氷結のブレスひとつで山を凍てつかせ、爪の一振りで山脈の輪郭すら変えてしまう氷雪の暴君。Sランク冒険者でさえ未だに単独で討伐した報告はなく、冒険者ギルドからは“特定危険指定種”として最上級の警戒対象に分類されている。
そんな二体の強大な魔獣をスマホが派手に映し出し、ズゴットは両腕を広げて喝采を求めるように叫んだ。
「見ろよ視聴者! 炎の王と氷の覇者が、同じ舞台に揃っちまった! この瞬間を生配信で見られるなんて、奇跡以外の何だってんだ!? チャット欄はもう大炎上だ! コメントの勢いが止まらねえ! これが伝説級モンスター同士の夢の共演――いや、悪夢のダブルヘッドライナーだ!! そしてオレ様の配信を邪魔する愚か者め! 氷漬けにされて炭になって、せいぜい視聴者の笑い者になれ!」
その声に応えるようにフロストドラゴンとフレイムバジリスクが容赦なくカルに向けて襲いかかった。凍てつく氷の吐息と灼熱の咆哮が同時に放たれ渦を巻く。
森は一瞬にして白と紅に染まり、氷結と炎熱の境界が激しくせめぎ合った。空気は悲鳴を上げるように爆ぜ、轟音が天地を揺らす。
しかし――その只中に立つカルの瞳は一切揺るがない。
「氷と炎の共演、ね。派手だが……所詮は魔獣の遠吠えだ」
カルは息を吐き、静かに剣を構えた。
鍛え抜かれた刃が鈍い光を宿すが、ズコットはその剣を目にして笑い始める。
「ぎゃははは! なんだよ、そのボロ剣は! こいつ、ダンジョンのゴミ箱から拾ってきたんじゃねえのか!?」
ズゴットは下品な声で笑い、わざとカメラにカルの剣を映し出した。
「視聴者のお前らも見てみろよ! ボロ雑巾みてえな剣一本で、フロストドラゴンとフレイムバジリスクに勝てると思ってやがる! はははっ、笑わせんな!」
コメント欄がざわめき、画面には嘲笑が流れた。
<ボロ剣ww>
<コンビニの傘のほうがまだ戦えそうw>
<鉄クズ未満のクソ剣で草>
視聴者達の声がスマホのスピーカーを通して森に響き渡る。
しかしカルは、鼻で軽く笑っただけだった。
「見栄えはどうでもいい。斬れりゃ十分だ」
彼の声音は淡々と、氷と炎をも切り裂く確信に満ちていた。
この剣は隕石の迷宮1000層へ至るまで、共に戦い続けたカルの相棒とも言える剣。
元は武器屋で売っていた――ただの鉄の剣だった。
それを担ぎ、カルは数多の敵を斬り伏せていく。長く使えば刃はこぼれ、ヒビが入り、切れ味が落ちていく。その度に彼はダンジョンで手に入れた鉱物を使って、刃を鍛え直してきた。
ただの鉄であったその剣は、無数の戦いと鍛え直しを繰り返すうちに変貌を遂げていく。
鉄を土台に、竜鋼が混じり、聖銀を流し、霊金を打ち込み、他にも数多の鉱物が重なった。
更に深層に潜む強大な魔獣達の血の吸い上げ、斬り伏せてきた古代の神々の魔力さえも喰らい、重なり合った鉱物と複雑に絡み合う事で、カルの剣は生まれ変わった。
より強固に、より鋭く――やがてそれは、伝説の”オリハルコンの剣”すら容易く断ち切る究極の剣へと辿り着く。
だが。
その姿は決して華やかではない。
立派な装飾もなければ、鞘もただの木と革で、柄もまた粗末な布を巻き付けたに過ぎない。
刃は鈍い光を放つだけで、伝説の武具どころか、路地裏の安物にしか見えなかった。
それでもカルは構わない。
見栄を張る為ではない、飾る為でもない――これは敵を断ち切る為の剣。
そしてカルは、静かにその究極の剣を振り下ろした。
それは、ただの一振り。
しかしそれは氷も炎も、区別なく切り裂く絶対の軌跡。
カルの剣閃は、迫り来る凍てつく吹雪と灼熱の火炎を一瞬にして断ち割った。
天地を揺るがす氷炎の奔流は、まるで幻のように霧散し、ただ真空めいた衝撃だけが森を駆け抜ける。
ズゴットの顔から血の気が引いた。
視聴者達も騒然とし始める。
「な、なにィ……!?」
驚愕に染まるズゴットの声を聞いても、カルの眼差しは冷ややかに揺るぎない。
彼は一歩踏み込み、地面を踏み砕きながら、二体の魔獣の狭間へと飛び込んだ。
フロストドラゴンが咆哮を上げ、鋭い爪が氷塊ごと振り下ろされる。
対するフレイムバジリスクは大蛇の巨体をしならせ、火焔の渦を巻き上げて襲いかかる。
だがその刹那、再び鋭い剣閃が瞬いた――。
「遅いな」
フロストドラゴンの首が宙を舞い、フレイムバジリスクの胴が真っ二つに裂ける。
鮮血と氷片、炎の残滓が爆ぜる。
巨体二つが同時に崩れ落ち、森を激震させた。
氷の竜も炎の蛇も、カルの一閃により絶命したのだ。
「う、うそだろ……!? フロストドラゴンも、フレイムバジリスクも!? 一太刀で、まとめて……!!?」
ズゴットの顔からは完全に余裕が消え失せていた。
先程まで自信満々にスマホへ語りかけていた男は、虚勢の皮を剥がされ、ただの小心者の姿を晒す。
「こ、こんなの……編集で誤魔化せねえ……! 配信の、配信のネタにならねえだろ……!」
わなわなと震えながら、ズゴットは必死に視線を泳がせる。逃げ場を探しているのは明白だった。
「し、視聴者の皆さん! き、今日はこの辺でお開きって事で――」
ズゴットはおどけた調子で笑おうとするが声は裏返っていた。額からは滝のように汗が流れ、豪華な羽飾りが哀れに揺れる。
だが、その言葉を最後まで言い切る事は出来なかった。
――ヒュッ、と風を裂く音。
気付けばカルの剣先がズゴットの喉元に突き付けられていた。
「な、なっ……!? いつの間に……!」
ズゴットの足ががくがくと震える。派手な衣装がますます惨めに見える。
彼の周囲を飛んでいたスマホが、無情にもその様子を克明に映し出していた。虚勢を張る余裕もなく、ただ命乞いするみっともない姿を。
「ひっ……! ま、待ってくれ! オレ様は悪気があったわけじゃねえ! し、視聴者を楽しませる為に配信してただけだ! ほら、冒険者と魔獣の戦いなんて最高のコンテンツだろ!?」
「悪気がなければ、死人が出ても構わないと? お前の配信が原因で死傷者さえ出ている、何も感じないのか?」
「う、うるせえ! オ、オレ様は主役なんだぞ……! 笑うな! 笑うなあああ!!」
必死に叫ぶが、その姿はもはや惨めな道化にしか見えない。
カルは小さく鼻を鳴らした。
「ふん、くだらん見世物だったな」
カルは切っ先を僅かに傾けた。
次の瞬間、剣の柄頭が鋭く閃き――ズゴットのこめかみに叩き込まれる。
「ぐぼっ!?」
目を剥き、肺の空気を吐き出したズゴットは、悲鳴すらあげる余裕もなくその場に崩れ落ちる。膝を折り、白目を剥いたまま、派手な羽飾りを巻き込んで地面に転がった。
――気絶。
ズゴットが倒れたと同時に、魔法の効果で浮いていたスマホが地面へ落下する。
カルは倒れ伏したズゴットを一瞥して、ふうと小さく息を吐いた。
アンゴーラの指示は、ターゲットの生け捕りと証拠の確保、その二つ。
カルは気絶したズゴットを肩に担ぎ、落ちたスマホを拾い上げる。
ズゴットの魔力で動いていたスマホは、主を失った途端に淡い光を失い、今はただの無機質な金属の板と変わっていた。
配信は途切れ、静寂が森を包んだ。
氷と炎と雷と毒の四重奏はもう聞こえない。
こうしてダンジョン10層を騒がせた、ズゴット・ヴァンスの狂宴は終わりを告げたのだった。




