第19話、初めての共闘
ダンジョン10層に広がる大森林の中、生い茂る木々の隙間をカルとスノウは駆け抜けながら言葉を交わす。
「スノウ、先に確認しておきたい。ズゴットが起こした前回の事件は、今回のスタンピードと同じような規模だったのか?」
「いえ、前回とは魔獣の強さも規模も段違いです。前回のズゴットが起こしたのは、あくまでもモンスタートレイン。確かに危険なものではありましたが、対処出来る範囲内でした。しかし今回は……」
スノウは眉をひそめながら説明を続ける。
「階層の理すら無視して、別領域の凶悪な魔獣を引きずり込んでいます。そしてそれらがまるで同調するかのように統制されている点。明らかに異常です」
前回のモンスタートレインはズゴットが偶然を装って魔獣の巣を刺激した事が発端だ。
怒り狂った魔獣の群れから追われたふりをして、最後は他の冒険者パーティーに魔獣の群れを擦り付けた。
そして冒険者パーティーが襲撃される様子を視聴者達と共に嘲笑う。
だが今目の前で進行している惨状は、その延長線上にあるとは到底思えなかった。明らかに“外部からの力”が介在している。カルはそう感じていた。
「ズゴット一人の手口にしては……規模が異常過ぎる。裏で何かが動いているみたいだな」
「はい。わたしもそう考えます。ズゴットは確かに危険人物ですが、階層外の魔獣を大量に呼び寄せるなんて、個人の力で出来る事ではありません」
スノウの声音には珍しく苛立ちが混じっていた。
「現在、ダンジョン10層では複数の冒険者パーティーが配信を行っています。あの規模のスタンピードに巻き込まれてしまったら……壊滅的な被害を受けるでしょう」
「わかってる」
カルは腰の剣を抜き放ち、刃に鈍い光を宿らせた。
スノウもカルの隣で剣を抜き放つ。澄んだ銀の刃が森の薄闇を裂き、光を跳ね返した。
「……いい剣だ」
カルは一歩距離を置いたまま、その剣を見て悟る。
スノウの持つそれはただの業物ではない。刃全体に微細な文様が走り、銀白の刀身は月光のように澄み切った光を放つ。柄にはエルフの紋章――古き王家の紋が刻まれ、鍔には流麗な蔦の意匠が絡み合う。その造形は美術品のように繊細だが、同時に確かな実戦の重みを備えていた。
ただ飾られる為の剣ではない。
幾世代もの戦いと祈りを背負い、受け継がれてきた気配が刃の根に宿っている。
スノウはその月光の輝きを宿す剣を手に、ちらとカルへ視線を送った。
その青い瞳に、ほんの僅かな笑みが浮かぶ。
「カル様、こうして並んで戦うのは初めてですね」
「そうだな。けど、やりにくそうには見えない」
カルは軽く肩を竦めながらも、手の剣を小さく振って構えを整える。
スノウは静かに息を吐き、前方に揺れる木の影を見据えた。
「むしろ……安心します。背中を任せられると思うと」
「俺もだ。今までずっと一人で戦ってきたからな」
「隣に誰かが立っているのは、悪くないものですね」
「ああ、俺も嫌いじゃない」
カルが静かに返したその直後、茂みの奥から魔獣の唸り声が響いた。
群れをなして飛び出してきたのは、牙を剥いた黒狼の魔獣達だ。赤い眼光が一斉に光り、森の空気がピリッと張り詰める。
「奴らもスタンピードの参加者か」
「彼らも縄張りを追われて群れごと流れてきたのでしょう」
「目に入るもの全てが敵だって面をしてやがる。ここで止めるしかないな」
「はい。数は多いですが、カル様と一緒なら怖くはありません」
スノウは剣を構え、背筋を伸ばす。
青い瞳に宿るのは恐怖ではなく、強い信頼の光だった。
「――来るぞ!」
「はい!」
二人は地を蹴った。
カルの剣が唸りを上げ、先頭の一体の首を正確に刎ね飛ばす。骨を断つ鈍い音とともに鮮血が噴き上がり、魔獣は地に崩れ落ちた。
続けざまに迫る二体目を、スノウの銀の刃が鮮やかに裂く。月光を思わせる光の残滓が尾を引き、黒狼は断末魔の遠吠えをあげる間もなく地に崩れた。
「お互い一匹ずつ、ですね」
スノウが唇に淡い笑みを浮かべ、横目でカルを見やる。
「競争でもしてみるか?」
カルの口元に影のような笑みが忍び、普段は見せぬ遊び心が覗いた。
「競争なら負けませんよ!」
スノウは挑むように声を張り、月光を宿す剣を胸元で水平に掲げた。刃の文様に沿って魔力が走り、銀白の輝きが夜明けのように広がっていく。
「魔法剣か。スノウ、器用だな」
「カル様にそう言われると、少し誇らしく思えますね」
スノウは胸の前で剣を掲げ、その刃に宿る光を確かめるように視線を落とした。
その揺らめく銀光は、彼女の決意そのものを映し出していた。
――魔法剣。
本来なら魔法とは詠唱によって自らの掌や杖の先端から放って攻撃するもの。それが最も安定し、広く用いられる方法だ。だが魔法剣は魔法を放つのではなく剣へと纏わせる事で、剣撃そのものを魔法と融合させる技術である。
斬撃の瞬間に魔法の威力が重なる事で、ただの斬撃を必殺の一撃へと変える事が可能。ただし魔力の流れを精密に制御しなければ、逆流や暴発によって自らの肉体を傷つける危険すら伴う。ゆえに魔法剣を使いこなせる者はごく一握りに限られていた。
つまり魔法剣を使いこなすスノウは、ただの剣士でも、ただの魔術師でもない。二つの領域を高い次元で両立させた、稀有な存在だという事。
そして彼女の剣は白銀の焔をまとい、森の影を一掃するように煌めいた。刃先からあふれ出す魔力は、まるで夜空を払う流星の尾のようで、迫りくる黒狼達を次々と斬り伏せていく。
だが目の前の黒狼に意識が向いている一方で、背後から別の影がスノウに忍び寄っていた。
「見事な魔法剣だ。……ただ少し、危なっかしさが目につくな」
カルの声が冷ややかに落ちたと同時に、鋼の閃光が背後を薙いだ。振り返る間もなく、スノウに迫っていた黒狼の巨体は血を撒き散らしながら地に崩れる。
スノウは刹那の遅れに息を飲みながらも、振り返らずに前を見据えた。背後を守られた感触が胸に確かな熱を宿す。
「……助かりました」
「気にするな。それより競争は俺の勝ちでいいか?」
カルが軽く剣を振り払いながら、冗談めかして声を投げる。
「え……?」
スノウが一瞬だけ振り返ると、視界の端に広がったのは、既に血溜まりの中に折り重なって倒れる魔獣の屍ばかりだった。
先程まで四方から迫っていたはずの黒狼達は、一体残らず切り伏せられている。地面には無数の斬撃の痕が刻まれ、木々の枝には赤い滴がまだ落ちていた。
「そんな……。わたしが魔法剣で相手をしていたほんの数瞬で、全部……?」
驚愕の吐息が漏れる。
彼女が眩い光のような剣舞を繰り広げていた間に、カルは闇に溶ける影のごとく静かに剣を振るい、残りの群れの全てを一瞬で屠っていたのだ。
スノウは思わず目を見開いた。自分が魔法剣で必死に押し返していた群れを、カルは呼吸一つ乱さず片付けてしまったのだ。
「……すごい」
言葉は自然に零れ落ちた。胸の奥に湧き上がるのは畏怖ではなく、隣に立つ者への深い敬意と憧れに似た感情だった。
カルは血糊を払うように剣を振り、何事もなかったかのように鞘へ収める。その仕草は日常の延長にすぎないとでも言うような落ち着きを帯びている。
「魔獣の群れはさっさと片付ける、それだけの事だ」
その声音には誇らしさも得意気もなく、ただ当たり前の事を告げる素朴さしかない。
圧倒的な剣技を見せつけてなお誇る事のないその背中を見て、スノウの胸に広がる感情はより一層強まった。彼にとっては些細な一振りでも、スノウにとっては到底届かぬ境地――その差が眩しくて、けれど不思議と心強かった。
スノウは深く息を吸い込み、胸の奥に溢れる熱を押しとどめるように剣を握り直した。
「お見事です、カル様」
「スノウもよくやった。だが、このままだとお互いに埒が明かないみたいだな」
カルは剣を収めると同時に、森の奥へと鋭い視線を走らせた。
風に紛れて聞こえてくるのは、恐怖に満ちた人間の悲鳴と、獣の咆哮。
二人の目に映ったのは大きな黒狼の群れ。
その群れはダンジョンにいる他の冒険者達を標的にしているようだ。
「暴れている魔獣の数が多すぎる。ここで切り伏せても、次から次へと湧いて出るだろう」
カルの声音には焦燥の色はなく、ただ事実を確認する冷静さだけがあった。
剣士としての直感が告げている――この異常な現象の根を断たなければ、いくらでも新たな群れが湧き出す、と。
スノウも息を詰め奥へと視線をやる。確かに今は、群れに構うより元凶を絶つのが最善だと理解出来た。だが同時に、恐怖に満ちた冒険者達の悲鳴が耳を刺す。
二人は互いに視線を交わした。
剣を携える者同士、言葉にせずとも伝わるものがある。カルは奥で蠢く元凶を、スノウは恐怖に駆られた冒険者達を、それぞれ思い描いていた。
最初に口を開いたのはカルだった。
「……俺は奥へ行く。あの元凶を断たねば終わりはない」
短くも揺るぎない声。スノウはその響きに迷いを感じなかった。
「では、わたしは人々を守ります。あの方々を見捨てる事はできません」
彼女の瞳にも、強い決意の光が宿っていた。
カルはその青い瞳を正面から受け止め、ひとつ頷く。
「任せた。お前なら必ず導ける」
「カル様こそ……どうかご無事で」
二人はそこで別れ、異なる方角へと走り出す。
森を覆う元凶の渦へと身を投じたカルに向けて、更なる黒狼の群れが飛びかかった。
鋭い牙が、刃のような爪が、一斉にカルへと襲いかかる。
カルはその殺気を正面から浴びながらも、自らの剣閃で道を斬り拓いていく。
「――そこをどけ、雑魚ども」
振るわれた剣が漆黒の弧を描き、黒狼の群れを一閃で薙ぎ払う。
カルは魔獣の群れを一瞬で切り伏せると、その黒い瞳で――森の中心で高笑いを上げる男を真っ直ぐに射抜いた。
「ズゴット、貴様はここで終わりだ」
その呟きは雷鳴のように響き、森を駆ける黒い影が地獄の舞台へと突き進む。
一方でスノウは恐慌状態の冒険者達を見つけて声を張った。
「こちらです! 最短の避難路を案内します、ついてきてください!」
その声は冷静でありながら、確かな強さを含んでいた。冒険者達は一瞬で彼女に縋るように動き出し、混乱の中に一本の道筋が示されていく。
氷と炎、雷と毒が渦巻く地獄の狂乱。
その只中でカルとスノウ――二人の影が別々に駆け抜けて行った。




