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第1話、地上への帰還

 地下深くに口を開く巨大ダンジョン――隕石の迷宮。


 その最深部とされる100層を踏破した英雄、カル・ディアスは四人の仲間達と共に伝説を打ち立てた――はずだった。


 だが真の迷宮は、その先に広がっていた。


 四人の仲間達は地上へ帰る事を決断するが、カルはただ一人だけ、100層の更に先――真に暗く深い奈落へ足を踏み入れる事を決意する。


 ──200層、300層、400層……。


 やがて人の領域を超え、神々の座する階へ。


 神話として語り継がれる存在達に、カルは人でありながら挑み、斬り伏せ、時にその力を奪い取って進む。


 その旅は、戦いであると同時に、終わりなき試練だった。


 ──そして1000層。

 そこに待ち受けていたのは、世界の理を司ると謳われる迷宮の主、真なる神の一柱。


 時の流れを歪め、万物の輪廻すら弄ぶ、永劫の監視者だった。


 死闘の果て、カルはそれを討ち倒し、迷宮の真の最深部に立つ唯一の冒険者となった。


 そして彼が新たに踏み出した一歩――それは地上への帰還を意味していた。



 長い、長い階段だった。


 足元にはひび割れた黒曜石。


 壁には淡く光る鉱石が点々と埋まり、無音の闇を微かに照らす。


 カル・ディアスは重い息を吐き出した。


 それは疲労によるものではない。深く吸い込み、肺に馴染まぬ空気を確かめたのだ。


 900層分の孤独を超え、真の最深部──1000層を踏破したその足で、彼は今帰還の階段を上ってきた。


「地上が近くなってきたな」


 今まで孤独に剣を振るい続けてきたカルの声は少し掠れていた。


 そろそろ誰かと会って話がしたいものだ。


 仲間の笑い声も、敵の咆哮も、既に彼にとっては過去のもの。


 ここに来るまで他の冒険者と顔を合わせるような事はなかった。道は荒れて天井からは鍾乳石が伸び、崩れた瓦礫が足場を不安定にしている。


 まるで長い年月、誰も通らなかったかのようだ。


 ――いや、実際にそうなのだろう。


 1000層での戦いを終えそこから戻るまでの間に、もっと安全なルートが確立されたに違いない。


 冒険者達は、罠も少なく資源も豊富な新しい道を選び続ける。彼が命懸けで切り拓いたこの階層の通路は、既に忘れられた遺跡のように扱われていた。


 ――今はダンジョンの10層付近。


 ここからは広い森林エリアが続いているはずだ。


 地上へ近付くにつれ、地下迷宮の景色は変わっていく。足元は苔むし、遠くには水音が響く。湿った風が頬を撫で、土と草の匂いが鼻をくすぐった。


 風に混じる、湿った土と若葉の匂い。

 遠くで鳴く鳥の声。


 そして自分と同じように魔獣が蔓延る空間を進む冒険者達の気配が微かに漂ってくる。


 耳に届くのは、金属が擦れる鎧の音、魔法の詠唱、そして微かな笑い声。


 カルはあまりに懐かしく思わず足を止める。


 だが同時に聞き慣れない言葉にカルは眉をひそめた。


「おおっ!? すげぇぞ、見ろよ! 今の炎魔法、ド派手じゃね!? うわ、コメント欄も大盛り上がりじゃん!」

「視聴者さん、今の突きどうですか! クリティカル決まったっしょ!」

「おお! 視聴者さん、スパチャあざっす!!」


 ……コメント欄? 視聴者? スパチャ?


 カルは気配を消して声のする方へ歩いていく。


 ここから少し先、木々の開けた空間で三人の冒険者が武器を構え、彼らの周囲には金属製の小さな長方形の板が宙を浮いていた。


 それは目のようなものを光らせ、冒険者達の一挙手一投足を追っている。


 その金属板は音もなく空中を滑り、時にぐるりと回り込み、時には近付いていく。


 カルは思わず息を飲む。


(……魔道具か? 宙に浮いている原理は魔法だろうが、あの金属製の板は一体何をしている?)


 三人の冒険者は魔獣の死骸を背に、何やら楽しげに会話を続けている。


「おっけー、討伐完了! えーっと、今日の配信はここまでか?」

「もうちょっとやろうぜ。今、同接2000超えてんだぞ? チャンネル登録者稼ぐなら今だって!」

「お、あっちにまた魔獣の群れがいるぜ。視聴者もやっちまおうってコメントで盛り上がってるし」


 カルは眉間に皺を寄せる。

 聞き慣れぬ単語が次々と飛び交い、意味を推し量る事すら難しい。


(……戦いを、見せ物にしているのか?)


 だが周りに他の人の気配は一切ないのだ。


 一体何をしているのかと、その答えを知る為にカルは三人の冒険者に声をかけた。


「おい、少し聞きたい事がある」


 カルの鋭い声が、湿った空気を震わせた。

 突然の呼びかけに、三人の冒険者はびくりと肩を揺らし、カルの方を振り向く。


 男達は見栄えだけを重視したような派手な意匠の鎧で輝いていた。


 その装備は実戦よりも舞台衣装を思わせる。


「お前達、その浮かんでいる金属の板は何だ?」


 男達は顔を見合わせた後、怪訝な表情でカルを睨みつけた。


「何だって、お前こそ何だよ急に」

「邪魔だぞ! 配信に映るだろうが!」

「あっちいけ! しっし!」


 カルは眉をひそめた。

 自分に向かって手を払うような仕草など、久しく受けた事がない。


「……ハイシン?」


 その言葉を繰り返してみても意味は霧の中だ。


「ちっ。放っとけ、冷やかしだろ」

「いるんだよな、自分が人気出ないからって他の人の配信邪魔するやつ」

「おい、視聴者減ってる。早く続きするぞ」


 男達はカルを放ってそのまま狩りを続けようと、その場を離れようとするのだが――。


「グルゥオオオ!!!」


 周囲の茂みが突然揺れ、低い唸り声と共に黒毛の獣が飛び出した。


 分厚い毛皮に覆われ、鋭い爪を伸ばした熊のような巨獣。その双眸は赤黒く輝き、殺意を剥き出しにしていた。


 巨獣の咆哮が空気を震わせる。瞬間、湿った土の匂いと血の予感が漂った。


「お、おい……あれ、ドレッドベアじゃねえか!?」

「マジかよ! 大物が釣れたな!」

「うわ、視聴者めっちゃ盛り上がってる! “逃げろw”“死ぬぞw”ってコメントで溢れてる!」


 巨獣を前に慌てる男達を眺めながら、カルが静かに腰の剣に抜いた――その瞬間。


「グルァァァッ!?」


 熊のような巨獣の首にカルの鋭い斬撃が走った。


 音すら追いつけぬ速さで、巨獣の首は半ばまで断ち切られ、赤黒い血が弧を描く。次の瞬間には巨獣が地面に崩れ落ちていた。


「な、なんだ今の……」

「え、死んだ?」

「どういう事……?」


 男達は呆然としながらカルを見つめ、背後で浮遊する板も静かに旋回しながらカルに焦点を合わせている。


 “視聴者”とやらも騒ぎ立てているのだろう。

 三人の表情は驚愕と困惑が入り混じっていた。


「あれほど騒いでいた割に、随分と隙だらけな戦い方だな」


 カルは剣を軽く払って血を落として静かに納刀する。


「お、お前……今の、どうやったんだよ」

「そんなスキル、見た事ねえぞ」

「ちょっと待て、視聴者からコメントが――“映せ! もっと寄れ!”って――」


 浮遊する金属の板が音もなく接近し、カルの冷ややかな双眸がそれを見返す。


「……それ以上、近づけるな」


 鋭く、そして重く響く声に、空気が一瞬凍り付く。


「お前らと話しても埒が明かないようだな」


 カルは背を向け、歩き出そうとした。


 しかし――


「ちょ、待てって! 今の絶対バズるから!」

「そうそう! あんた名前なんて言った? 配信のタイトルに入れるからよ!」

「視聴者も“もっと戦わせろ”ってコメントで溢れてるぞ!」


 軽薄な声が背中に刺さる。

 カルは足を止め、ゆっくりと振り返った。


「俺の戦いは見世物ではない」


 冷えた声音。

 その眼光には、死線を越えてきた者の圧が宿っている。


 三人の顔から笑みが引き攣り、思わず一歩退いた。


「な、なんだよ……脅す気か?」

「こ、こっちは人気配信者なんだぞ! お前みたいな無名が――」


 言葉が途中で途切れる。

 カルの足元から、目に見えぬ重圧な殺気が放たれたのだ。


 男達の肌が粟立ち、喉が勝手に鳴る。


「……無名、か」


 静かに呟き、カルは再び背を向けて歩き出す。


 以前はカルの事を、その名を知らぬ者は王都には一人もいなかった。


 その名は、かつて人々の憧れであり、畏怖であり――そして伝説そのものだった。


 だが、彼らはその重みを知らない。

 きっと長い年月が経ったのだ。


 時は流れ、記録は風化し、名誉もまた忘れられる。


(……随分と、世界は変わったものだ)


 苔むした道を踏みしめ、カルは森の奥へと走り出す。


 まるで風のように木々の間をすり抜け、影のように消えていく。


 背後からまだ騒ぐ声や金属板の飛ぶ音が追いかけてきたが、もう振り返る事はなかった。

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