第17話、栄光の影に潜む者
ダンジョン10層へ続く狭い洞窟で、カルはスマホの操作に悪戦苦闘していた。
冷たい空気が漂う空間。
洞窟の壁は湿り気を帯びており、そこから滴る水滴が静かに音を立てて落ちていく。
「……これ、どう操作するんだ?」
スマホの小さな画面に目を凝らして顔をしかめるカル。画面に表示された文字とアイコンが、彼にとっては異世界のもののように見えて操作に戸惑っている。
「カル様、わたしに見せてください」
スノウが冷静に声をかける。彼女はスマホの操作に慣れているので、カルが持っているスマホの画面を軽く一瞥してから、細い指でさっと操作した。
「ここを……こうして……」
「お、おお、なるほどな」
「ではご自分でやってみてください」
「ええと、こうだろ? あれ、おかしいな……」
スノウはスマホの操作にカルがついていけるよう真剣に見守っていたが、いざ彼が操作を始めるとどうもスムーズに進まない。指の使い方がぎこちなく、画面をタッチしても反応が遅れる事が続いた。
「スマホだけはどうしても上手くいきませんね、カル様」
「……これ、何か押す度に違う画面になるんだが」
「カル様、それはホーム画面に戻ってしまっているんです」
「ほう、つまりダンジョンのボスエリアに突入したはずが、ゲートに戻されるようなものか」
「……そういう理解で合っています」
「でも俺は突入してるつもりなんだ」
「上にスワイプするのが良くないんです。タップです、さっと押す感じです」
「スワイプ……タップ……まるで剣技の型みたいだな」
「……それは全然違います」
スノウは半歩後ろを歩きながら、カルのスマホ操作を見守った。
「えい、えいっ! だめか?」
「カル様、強く押しすぎです。軽くです。軽く触れる程度でいいんです」
「剣を振る時は全力で振り抜くものだ」
「スマホの操作に必要なのは力ではなく、正確さです」
カルは眉をひそめながら、言われた通りにそっと画面を押す。
するとスマホのメッセージアプリがようやく目的の画面を開いた。
その様子にスノウはほっと息をついた。
「良かった。これでボスからのメッセージが読めますね」
「おお、やっとか……この小さな板切れ、扱うのに剣より神経を使うな」
「スマホを”板切れ”と呼ぶ人、初めて見ました……」
カルがずっとやっていたのは、アンゴーラから送られてきた任務についてのメッセージを開く事だった。
シャノワールはスマホを介して任務の詳細をやり取りする。
万が一にも情報が漏洩すれば命取りになる世界だ。
スマホでのやり取りは口頭よりも遥かに確実で、紙よりもずっと痕跡を残しにくい。
彼らの使うスマホは暗号化通信が常時有効になっており、外部からの傍受は不可能。最悪の事態にも対応可能でもし敵の手にスマホが渡ってしまっても、ボスのアンゴーラの遠隔操作で内部のデータは完全に消去され二度と復元出来ない仕様になっている。
シャノワールのメンバーにとってスマホが扱える事は必須――いや、この現代世界においてスマホが扱えないというのは、地図も武器も持たずに戦場へ向かうのと同じ事。
だからカルは悪戦苦闘しながらもスマホを使いこなそうと必死になっている。
そしてようやく任務に関するメッセージを開く事が出来たのだ。
「これで一歩前進ですね、カル様。偉いです。成長を感じます」
「まあ、子供が一人でハイハイ出来たようなものだな」
「……それでも、初めてにしては十分に上出来です」
彼女の表情は相変わらず無愛想だが、どこか温かみのある言葉が彼の耳に届いた。
「さて、任務の内容を確認してみようか」
カルは表示されたメッセージの内容に目を通す。
「ターゲットはCランク冒険者『ズゴット・ヴァンス』。年齢は23歳、冒険者歴は3年。レベル16。ダンジョン配信業も行っており、チャンネル登録者数は68人か」
「経歴としてはごく普通です。冒険者としての実力は平均的。ダンジョン配信者としては無名そのものですね」
「わざわざシャノワールが相手をする必要なんてなさそうに思えるが」
「確かにその情報だけではそう見えますね。ですが続きを読んでください」
カルは画面をスクロールしながらターゲットの情報を読み進める。
「迷惑系ダンジョン配信者……? なんだそれ」
ズゴットの詳細に書かれた内容に首を傾げるカル。
スノウは隣を歩きながらカルの疑問に答えていく。
「カル様、ダンジョン配信者にも色々な種類があるんです」
「色々な種類? 冒険者が自分のダンジョン攻略の様子を映すだけじゃないのか?」
「基本的にはそうです。ですが星の数ほどいるダンジョン配信者の中で目立つ為には、ただ攻略の様子を配信するだけでは埋もれてしまう。いわゆる攻略系と呼ばれるジャンルは競争率が高く、よほどの実力や魅せ方がなければ生き残れません」
スノウは淡々とした口調で続けた。
「だからこそ冒険者の方々は自分が生き残る為に、様々なジャンルのダンジョン配信を確立していきました。王道の攻略系から始まり、ダンジョン内で集めた食材で料理を作るグルメ系、ただ戦うだけでなく歌って踊って視聴者を楽しませるアイドル系、ダンジョンを散歩して魔獣の生態や景色などを紹介する観光系……他にも様々なジャンルで配信が行われています」
そこでスノウは一拍置き、視線を前方の暗がりに向けた。
「ですが――その中で最近台頭してきたのが”迷惑系”と呼ばれるダンジョン配信です」
カルは眉をひそめた。
迷惑系という言葉は、カルの中に嫌な予感を呼び起こした。
「以前に言った事を覚えていますか、カル様。視聴者は今のダンジョン配信に飽き始めていると」
「言ったな。安全な層での採取や、決まりきった魔獣との戦闘じゃ視聴者の心は掴めない。視聴者達は派手な戦闘、命がけの挑戦、想定外の展開、そういう”刺激”を求める傾向にあると」
「はい。いくら多数のジャンルが確立されているとは言っても、視聴者は常に新しい刺激を追い求めます。特に安定した内容の配信は飽きられるのが早い。そんな中で注目を集めようと一部の配信者が踏み込んだのが――常識外れで迷惑な行為です」
スノウは淡々と、しかし確かな嫌悪をにじませて言葉を続けた。
――迷惑系ダンジョン配信者。
他の冒険者が必死に戦っている最中に乱入し、瀕死の魔獣を横取りして討伐した権利を奪い取る。
解除しておくべき罠をわざと放置して、後から来た冒険者が引っかかる様子を配信で晒し、コメント欄で嘲笑を煽る。
時にはダンジョン内で他の冒険者を煽り、冒険者同士での乱闘行為や罵り合いを誘発し、その様子を面白おかしく配信する事で視聴者達が盛り上がっていく。
「ズゴット・ヴァンスはそんな迷惑系配信者の中で特に悪質です。モンスタートレインを意図的に引き起こし、多くの冒険者達に危害を与える様子を配信しているのですから」
――モンスタートレイン。
それはダンジョン内に出現する大量の魔獣を列車のように引き回す行為であり、非常に危険で多くの冒険者が犠牲になっている。
例えば、誤って魔獣の巣に足を踏み入れてしまった冒険者が群れの注意を引いてしまい、その冒険者を追って大量の魔獣が四方から押し寄せる。
そして逃げ惑った冒険者が他の冒険者達に助けを求めようとした結果、被害が拡大して更なる犠牲者が生まれてしまう。
故にモンスタートレインの正しい対処法としては、魔獣から追われている冒険者は周囲に助けを求めるような事はせず、とにかく走って逃げ続けて魔獣が諦めるのを待つしかない。
しかしズゴットはそのモンスタートレインを意図的に起こし、増えすぎて手に負えなくなった魔獣の群れを別の冒険者に擦り付け、その様子を面白おかしく配信するのだという。
「既に死傷者も出ています。証拠不十分で表向きは『偶発的な事故』として処理されていますが、シャノワールの調査では意図的な犯行と見て間違いないと判断しています」
「……迷惑どころの話じゃないな」
カルの声は明らかな怒気を含んでいた。
「彼らにとっては”他人の危険”も”不快なトラブル”も、視聴者を楽しませる為の“演出”に過ぎません。そして視聴者達もコメントで火に油を注ぎ、事態を更に悪化させるのです。視聴者の中にはそういった”迷惑系”の配信にスパチャ――寄付金を送る者までいます。『もっとやれ』『次は誰を困らせる?』とコメントで煽り、配信者はそれに応えるように過激さを増していくのです」
「動画サイトの運営側で対応出来ないのか? スノウが教えてくれた話だと配信に使われているサイトは民間企業が運営していて、利用規約や配信に関するルールもあるって言ってたろ」
「迷惑系の配信が行われているサイトは、通常のダンジョン配信とは異なる別のサイトで行われています。ダークウェブという一般のアクセスでは辿り着けない領域です。匿名性が高く、サイト運営者の特定も困難。それ故に取り締まりが極めて困難なのです」
「つまり、規約違反どころか法律すら気にしていない連中の遊び場ってわけか」
その言葉にスノウは静かに首を縦に振った。
「そしてそのダークウェブの動画サイトで、ズゴットは7万人ものチャンネル登録者を集め、毎月のように多額の支援金が彼の元に寄せられているのだとか」
「それで金が入るって……世も末だな」
――ダンジョン配信者という仕事は夢と希望に溢れているが、冒険者として魔獣と戦う才能だけでなく、人を楽しませる娯楽の才も持ち合わせていなければならない。
多くの冒険者が今もダンジョン配信に挑戦しているが、視聴者の心を掴んだ者は決して多くはない。殆どの配信者が無名のまま溢れては消えていく。
その裏で倫理観も道徳心もかなぐり捨てて、他者を蹴落とし利用して成り上がろうとする者達がいた。
ダンジョン配信者として人気を得る為だけに、人々を騙し出し抜き蹴落とす者達。
そして彼等の多くは強大な魔獣を倒せるだけの力を持ち、国の定めた法の力だけでは解決出来ない巨悪に成り果てる――。
「そんな悪しきダンジョン配信者達を影ながら狩るのも、わたし達”シャノワール”の使命なのです」
「悪質なダンジョン配信者をBANしろ、って言われた時は全く意味も意図も理解出来なかったが、なるほど。やっと何をするべきか明確になった」
「任務内容の理解度が深まれば、それは成功に繋がります。一緒に頑張りましょう、カル様」
「ああ、任せておけ」
二人は湿った空気の中、足音を殺して暗がりへと進み始めた。
その先にいるのは、自分の為に他人を犠牲にするダンジョン配信者――ズゴット・ヴァンス。
静かに影の処刑が始まろうとしていた。




