第16話、初任務
カルとスノウは黒猫亭を出た後、地上とダンジョンを繋ぐゲートへ向けて移動を始めていた。
――二人の目的はアンゴーラから受け取った任務を遂行する為。
『悪質なダンジョン配信者を”BAN”する』
それがシャノワールに加入したばかりのカルに与えられた初任務。
周囲には高層ビルが立ち並び、繁忙な通りを行き交う人々の喧騒が耳に届く。
その中を歩くカルとスノウの二人は、今から影の世界で仕事を始めるとは思えない程に一般人の中に溶け込んでいた。
ダンジョン配信者としての地位を確立し、王都でも人気ダンジョン配信者として知られるスノウが街中を歩いていても、行き交う人々から視線が向けられる事はない。
それはシャノワールから支給された制服にあった。
見た目はただのフード付きの黒衣だが、特殊な魔法の糸で織られており、着用者が誰なのか分からなくなる”認識阻害“の幻影魔法が施されている。
カルは黒衣の布地を確かめて、感心しながらスノウに話しかけた。
「顔や姿形を変化させるのではなく、周囲の人々の認識に直接作用するとは。大した魔法だ」
「はい。魔法の効果で今のわたし達は誰が見ても『知らない人』に見えるでしょうね」
「しかも効果の対象を指定する事で、俺からはいつも通りのスノウに見える。これなら仕事に一切支障をきたす事なく行動出来るな」
「影の世界で任務を遂行するのに、これほど最適な装備は他にありませんよ」
この黒衣の開発には自分も携わっているのだとスノウは得意げに言った。
シャノワールとして影の世界に身を置いているスノウだが、彼女は表の世界では超のつく有名人だ。ダンジョン配信者として確固たる地位を確立しており、その顔は広く知られている。
しかし、影の世界で任務を実行するには『顔が広く知られている』というのは不都合だった。目立ってしまう事が問題で、任務の隠密性を保てないからだ。
ミノタウロスに襲撃されたあの時のように、”わざと囮になって敵を引き付ける”ような手法を取る場合もあるが、今回与えられた任務は目立つ事なく慎重に動かなければならない内容。
そんな時に役立つのが、黒衣に施された”認識阻害“の幻影魔法だった。
今のスノウは魔法の効果で”全く知らない誰か”として周囲に認識されている。
そのおかげでスノウはいとも容易く周囲に溶け込む事が出来ていた。
「秘密の組織っぽくていいな。こういう格好は嫌いじゃない」
「見た目も派手じゃなくて、控えめで実用的なのがポイントです」
シャノワールが支給する女性向けの制服は、黒い薔薇を思わせるように洗練されており、裾や袖口にはごく控えめなレースの装飾があしらわれている。フードを下ろした時も全体が沈んで見えないよう、光の加減で柔らかく艶めく黒糸が織り込まれていて、無骨さよりも優雅さを引き立てていた。
そんな黒衣を着るスノウは、カルの前でくるりと回って黒いスカートの裾をひらりと広げてみせる。
ふわりと舞う裾は影の中に咲いた一輪の花のようで、スノウの凛とした美しさが際立って見えた。普段の華やかな配信スタイルとは違い、今の彼女はまるで影の世界に馴染むような、神秘的で落ち着いた佇まいをしている。
そうしてどんな服装でも凛とした可憐さを纏わせるスノウの後ろを、カルは見守るようにゆっくりと歩いていった。
「さて、ゲートが見えてきました」
「ようやく仕事場に到着か」
隕石の迷宮に続く入口『ゲート』は今日も冒険者達で賑わっている。
冒険者ギルドによって建てられた石造の建造物。
王都に立ち並ぶ巨大なビル群からでも確認出来る巨大なそれは、人間の住む平和な世界と魔獣が蔓延るダンジョンを分ける境界線だ。
冒険者ではない一般市民がダンジョンの内部に立ち入り出来ないよう管理されており、ダンジョンへと続くゲートは常に冒険者ギルドの職員によって監視されている。
そして建物中央にある広いエントランスにはダンジョン配信を行う冒険者達が溢れていた。
魔法で宙に浮かぶスマホへ向けて笑顔を浮かべ、画面の向こうの視聴者へ手を振る冒険者達。
ゲートにいるほぼ全ての冒険者が、ダンジョン配信で次世代の英雄になるべく戦っていた。
そんな新しい時代の冒険者を眺めながら、カルはスノウと共にゲートの受付の方へ向かう。
「このままダンジョンまで一直線か?」
「はい。ターゲットは現在ダンジョン内部に潜伏しています」
「ダンジョンの何層に潜んでいるのか、特定は出来ているのか?」
「出来ています。って……あれ、カル様、もしかしてボスからのメッセージ読んでいませんか?」
「スマホに届いているメッセージだろ。ああ、まだ読んでない。スマホの操作、まだ全然慣れなくてな」
「もうカル様。あれだけ丁寧に教えたのに……っ」
スノウは呆れた様子でカルをじとっと睨んだ。
スマホの操作を覚えられずカルは叱られてばかりだが、それでもちゃんと説明してくれるのだから彼女は優しい。
「移動中にまた教えます。その時にしっかりと内容に目を通しておいてくださいね」
「分かった。その時はよろしく頼むよ」
「これも新人教育の一環ですから。先輩としてしっかり説明しないと」
「お、ドヤ顔かわいい」
「か、からかわれるのは、苦手ですっ」
「ちょっとだけだろ。そう怒るなって」
エルフ耳の先を赤くしたスノウはぷいと顔を背け、ダンジョンの受付に向かって足早に歩いていってしまう。カルは少し笑いながら彼女の後ろを追いかけた。
二人で受付の前に立つと、そこに座っていた女性がスノウの顔を見て歓迎するように微笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ。スノウ様、今日も元気そうですね」
認識を阻害する魔法の効果の外にいる彼女は、カル達と同じくシャノワールに所属する一人。ギルドの表側と裏側の両方に繋がりを持ち、受付嬢という立場からダンジョンの動向を把握し、ボスであるアンゴーラに情報を提供しているのだ。
スノウは受付嬢に冒険者のライセンスカードを提示しながら言う。
「3日で帰ってこなかったら死んだと思ってください。その時はボスに報告を」
「はい、分かりました。黒猫のお二方、ネズミは10層に巣を作っております。くれぐれもお気をつけて」
「報告通りですね。ありがとう、助かります」
受付嬢は微笑みながらお辞儀をすると、ダンジョンへの入場時間を記録してライセンスカードをスノウへと返却した。
それからカルとスノウはダンジョンに向かって歩き始める。
「黒猫にネズミ、巣を作ってる。こういうやり取りはわくわくするな」
「カル様って意外と子供っぽいところがありますよね」
「こういうわくわく感は嫌いじゃないんだ」
「向いてますよ、今の仕事」
「そうだといいな」
「はい、わたしが保証します」
スノウはくすりと小さく笑って、カルもそれに釣られるように笑みを浮かべた。
そうして軽口を言い合いながら、二人はダンジョンの中へ足を踏み入れるのだった。




