第13話、再び黒猫亭へ
ホテルのチェックアウトを済ませた後、カルとスノウは並んで大通りへと歩き出した。
朝の街は既に活気を帯び始めており、通勤する人々が足早に行き交い、キッチンカーからは焼きたてのパンやコーヒーの香りが漂ってくる。
車道を行き交う車の列は、信号の色に合わせて流れを変え、その合間に自転車や配達ドローンがすり抜けていく。
スノウは歩きながらも、周囲をさりげなく観察していた。だが昨夜まで漂っていた張り詰めた雰囲気はなく、視線の動きも柔らかい。
「……今日も朝から賑やかですね」
「人も情報も絶えず動いている。止まっている奴の方が目立つくらいだ」
「昨日の今日で随分と慣れましたね。カル様の適応力の高さに感心します」
「朝食を食べている時に、お前が現代の常識を教えてくれたおかげだ。スマホの使い方はいまいちだが……あのドローンとかいう金属の鳥には、もう驚かなくなった」
「金属の鳥、ですか……。ふふ、そう聞くと少し可愛らしいですね」
「形はどうあれ、便利な道具だ。空から荷物を運ぶなんて、俺の時代じゃ魔術師くらいしか出来なかった」
小さな段ボール箱を積んだドローンが、軽やかな羽音を立てながらビルの間を抜けていく。小型の機体は風を切り、まるで小鳥のように身を翻すと、指定の建物の前でふわりと降下した。
「便利な時代だ。何もかも、俺の時代じゃ想像すらしなかった」
「でもカル様の時代からその根幹は変わっていませんよ。あのドローンを動かす動力の源は、ダンジョンで採れた魔石ですから」
「文明が進んでも、人類を支えるのはダンジョンからの恩恵……ってわけか」
「はい。形や仕組みは変わっても、結局は同じです」
スノウは横を歩くカルに視線を向け、少しだけ口元を緩めた。
「カル様がいた時代も、今の時代も……根っこはそう変わらない。違うのは、その力をどう使っているかだけです」
「使い方次第で繁栄にも破滅にもなる。それもまた、昔と変わらん」
通りの先にそびえる高層ビル群が朝の光を反射して輝いていた。
その頂上付近には、ガラス張りの巨大なスクリーンがあり、最新のニュース映像や広告が流れている。
ダンジョンのアイテムを駆使した最新の家電製品の紹介や、魔法で強化された都市インフラの広告が次々と映し出される。それからニュース映像に切り替わり、報道キャスターの厳しい表情が映し出された。
ダンジョンの恩恵を悪用した強盗事件。
冒険者崩れの強盗が銀行に押し入る映像が流れると、周囲の人々は一瞬立ち止まって視線をスクリーンに向けた。
強盗の纏う外套が青白い光を放ち、警備員の銃から放たれた弾丸をあっさりと弾き返す。別の男は魔力を込めた短剣で分厚い金庫扉を切り裂き、中にあった札束の山を剥き出しにした。そして次の瞬間には強盗達が『転移石』を発動させる場面が映し出される。
光の柱に包まれた彼らの姿と札束の山は、一呼吸の間に掻き消えるように消失し、現場には崩れ落ちた警備員達だけが残された。
――強盗が使っていた外套や短剣、転移石は、どれもダンジョンの中で手に入るアイテムだ。
カルの言う通り、ダンジョンのもたらす恵みは人々に繁栄をもたらすが、同時にその力は人々を破滅させる力も有している。
それは今も昔も変わらない。
どれだけ時代が流れても、ダンジョンの恵みというのは、使い手次第で天使にも悪魔にもなり得るのだ。
カルはスクリーンから視線を外すと、スノウにこれからの行き先を尋ねた。
「ところで、ボスとやらは何処で待ってる?」
「昨日、交渉の場に使った喫茶店です」
「黒猫亭か。朝からコーヒーってのも悪くない」
「ボスのお気に入りなんです。人混みを避けつつ、情報が自然と集まる場所ですから」
スノウは足取りを緩めずに答えたが、声には微かな緊張が混じっていた。
カルは横目で彼女の様子を窺う。
寝起きの時の柔らかな表情はもう影を潜め、代わりに任務に臨む者の顔になっている。
「仕事モード、だな」
「当然です」
スノウの声には張り詰めた糸のような緊張感が走っていた。
街の喧騒や行き交う人波を縫うように進むその歩みは、まるで戦場へ向かう時と同じ、迷いのない速さだった。
それから大通りを抜けて、二人は緩やかに続く商業地区の並木道へと足を踏み入れた。
街路樹の葉が朝の光を受けて揺れ、頭上からこぼれる木漏れ日が歩道にまだら模様を描いている。通勤する人々の波はやや薄れ、代わりにカフェやパン屋の前には、テイクアウトを待つ客が小さな列を作っていた。
その先に見える喫茶店。
黒猫のシルエットが描かれた木製の看板が、朝の光を受けて柔らかく輝いていた。古びたレンガ造りの外壁に絡まる蔦は、街の賑わいから切り離された小さな時間の流れを感じさせる。
「こうして見ても組織の秘密基地には見えないな」
「木を隠すなら森の中……組織を隠すなら街の中、です」
「それにコーヒーが美味いときた」
「パンケーキもおすすめですよ」
穏やかなやりとりで笑みを交わした後、二人は喫茶店の前に立った。
ガラス扉越しに見える店内は、朝の柔らかな光に包まれ、奥のカウンターでは金髪の女性が静かにコーヒーを淹れている。香ばしい匂いが外まで漂い、鼻腔をくすぐった。
「じゃあ、行くか」
「はい」
カルが扉を押すと鈴の音が静かに鳴り、店内の空気が外界とは異なる柔らかさで包み込んだ。
外の喧騒が嘘のように消え、磨き込まれた木の床が足音を心地よく吸い取る。カウンター席に並ぶ椅子は、常連の形に馴染んだ革の光沢を帯び、テーブルの上には季節の花を生けた小さな瓶が置かれていた。
奥の席で新聞を広げる一人の男にカルの視線が向いた。
喫茶店に似つかわしくない禿頭の大男がテーブル席に座っていた。分厚い腕は椅子の背にゆったりと掛けられている。仕立ての良いスーツの下には、長年鍛え上げられた筋肉の厚みが隠しようもなく浮かび上がっていた。
その存在感は座っているだけで周囲の空気を一段重くするようだった。
新聞の紙面をめくる仕草は穏やかだが、指の節々に刻まれた硬い皺が、過去に積み上げた戦いの歴史を物語っている。
(強いな。かなりの実力者だ。それに幾度となく死線を越えている)
カルは新聞の活字を追う男の目線から、呼吸の間隔、姿勢の崩れ具合に至るまで観察していた。
静かに椅子へ腰を落ち着けているだけだというのに、全身から立ちのぼる圧迫感は武器を抜かぬまま戦場にいる兵士のようだ。
スノウは禿頭の大男に向けて真っ直ぐに歩み寄った。
その足取りには街中を歩いていた時の柔らかさはなく、影の組織の一員としての鋭さが戻っている。
「おはようございます、ボス」
静かな声が店内に落ちる。
男は新聞から視線を上げてスノウを一瞥し、それからカルへと視線を移した。
「……スノウ、連れてきてくれたか」
その低い声は喫茶店の奥にまで届くような深みを持っていた。
彼がシャノワールのボス――アンゴーラ。
レベル44の元Aランク冒険者であり、冷徹な判断力と、百戦錬磨の経験を併せ持つ男。
影の世界では、獲物を逃さぬ闇夜の狩人としてその名を知られていた。




