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ダンジョン配信者、BANします  作者: そらちあき
第一章

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第9話、シャノワール

 スノウの口から静かに落ちたその名に、カルは僅かに眉を動かした。


「……シャノワール?」


「王都の諜報部門のひとつです。冒険者ギルドの影の存在として秘密裏に活動しています」


 淡々と告げるスノウの表情は、今まで以上に感情の影を落としていた。


 その名を出す事自体が、本来ならば許されないのだろう。


「表向きは存在しない組織です。記録にも残りません。王家直属の、裏の諜報組織」


「王家直属、ね……」


 カルはコーヒーカップを持ち上げ、ひと口飲んだ。


 ぬるくなった液体が喉を通る間、頭の中でいくつもの可能性が組み合わされていく。


「そんな秘密組織の話を、他にも客のいる喫茶店で口にしていいのか?」


 カルの低い声には警戒と皮肉が混ざっていた。


 カーテンの向こうに感じる気配。


 夕方の店内、窓際で書類をめくる音や、黙々と菓子をつつく老婦人、カウンター席で新聞を広げる男。平和そのものに感じる空間で、今の会話の内容はあまりにも物騒だ。


 スノウも当然それを承知しているのだろう。ちらりと周囲に視線を流したが、その動きはあまりに自然で、まるで単に窓の外を見やっただけのようにしか見えなかった。


「……ここは“安全”です」

「なるほど。そう来たか」


「はい。店主も、店員も、そして数人の客も――ここにいる全員がわたし達の仲間です。外に漏れる心配はありません。部外者は店内へ入れない、そういう仕組みになっていますから」


「一見すると普通の喫茶店だが、実際はシャノワールの拠点ってわけか」


「黒猫亭、ここはシャノワールが活動する為に用意された連絡拠点のひとつです。任務に関わる情報のやり取りや、調査員同士の合流、場合によっては一時的な避難所にもなります」


 スノウは淡々と説明しながらも、その声色には微かな緊張が混じっていた。


 それは今カルに明かしている情報が、本来なら限られた者にしか知らされないものだからだろう。


「……なるほど。つまり、俺はとっくに“組織の腹の中”に座らされているわけだ」

「その通りです」


 スノウの肯定はあまりにあっさりしていて、逆にカルの口元に苦笑が浮かんだ。


「だが気になるな。そんな極秘の情報を俺に説明したのは、どういう意図だ?」


 ――カルはしばしスノウを見つめた。


 その瞳は笑ってもいなければ、怒ってもいない。けれど測ろうとしている。


「極秘情報ってやつはな、本来なら信頼関係が出来てから小出しにするもんだ。まして相手が素性の知れない外の人間なら尚更だろう?」


 彼の声は探るような鋭さを帯びていた。


 その視線はスノウの表情だけでなく、微かな肩の動きや瞬きの間隔すら観察している。


「国の裏側、しかも王家直属の諜報組織……こんな機密を見ず知らずの男に渡すだなんて。本来ならあり得ない事だ。いくら俺がお前達をミノタウロスから救ったとしても、短時間で築ける信頼なんて所詮は砂上の楼閣。諜報員なら感情で動くはずもない」


 カルは一拍置き、コーヒーの残り香を吸い込む。

 静かな店内の空気が、少しだけ重くなったように感じられた。


 スノウは一瞬だけ視線を落とし、空になったカップの縁を指でなぞった。


 そして、まるで自分の中で何かを決意したように、静かに口を開く。


「ボスの指示です。ミノタウロスを瞬殺出来る程の実力者、放って置くにはあまりにも惜しいと」

「惜しい?」


「はい。カル様の存在は、組織にとって莫大な利益になります。常軌を逸した戦闘力、それに加えてあの状況判断力、行動の柔軟さ……いずれも超一級の資質です。これ程の人材はわたし達の世界でも殆ど存在しません」


 スノウは淡々と告げるが、その瞳は期待の光が宿っていた。


「要するに……スカウトってわけか?」

「はい、カル様をシャノワールに勧誘するのが、わたしの今回の任務です。単刀直入に申し上げます。――わたしはあなたに、この一連の“仕組まれた事件”の調査を手伝ってほしいのです」


 スノウの言葉は一切の躊躇がなかった。

 カルは溜息を一つついた後、ソファの背に体重を預ける。


「調査? 俺は探偵じゃないぞ」

「はい。わたしも探偵ではありません」


「それじゃあどうして、そんな調査をお前がやっている」

「それがボスの命令だからです」


「……随分と危ない役回りを引き受けたな」

「危険である程、価値があります」


「報酬がいいわけか?」

「当然です」


 スノウはさっきまでの硬い表情を和らげ、ほんの少しだけ唇の端を上げた。


「もちろんカル様にも相応の報酬をご用意します」

「まあ、結局はそこに行き着く、か」


 カルが鼻で笑うと、ちょうどその頃に金髪の女性が温かなコーヒーのおかわりをテーブルに置いた。


 湯気がふわりと立ち上り、香ばしい匂いが二人の間に漂う。


「ごゆっくりどうぞ」


 店員はそれだけを柔らかく告げ、何事もなかったかのように去っていった。


 カルはその後ろ姿を視線で追いながら、静かに呟く。


「コーヒーのおかわりを飲みながらゆっくり考えろ、とでも……言いたいのか」


 カルは小さく鼻で笑い、湯気越しにスノウを見やった。


 スノウは微かに首を傾げるだけで、否定も肯定もしない。


 その間に、店内の時計の針がひとつ進む音がやけに大きく響いた気がした。


「満足のいく報酬をお約束します。それに王都での生活でも寝食に困る事はありません」


 スノウの声音は穏やかだったが、その奥に揺らぎはなかった。


 それは軽い勧誘のつもりなどではなく、既に決定事項を提示している者の口調だった。


「至れり尽くせりってわけか……」


 カルはゆっくりとカップを傾け、熱い液体を喉に流し込む。


 香ばしさと苦味が舌に残る。だが頭の中では別の苦味が広がっていた。


 ――この誘いに乗れば、確かに得られるものは多い。

 だが、代わりに背負うものもまた、大きくなる。


「……ひとつ、聞いておきたい」

「どうぞ」

「もし俺が断ったら、どうなる?」


 スノウは即答しなかった。

 ただ、その視線が僅かに鋭くなる。

 沈黙が数秒続き、やがて彼女は微笑にも似た形で唇を動かした。


「それは……わたし達の手札の中で、あまり使いたくない答えです」


 沈黙。

 窓の外で、鳥が小さく鳴いた。

 カルは薄く笑い、コーヒーをひと口。舌に残る苦味が妙に心地よい。


「つまり、穏やかじゃないって事だな」

「はい。ですが――」


 スノウは静かに身を乗り出した。


「わたしは出来れば、カル様にはこの席で“仲間”になって欲しいと願っています」


 湯気の向こう、夕日が彼女の横顔を淡く縁取る。

 彼女の青い瞳には、嘘や演技ではない熱が宿っていた。


 諜報員の顔ではなく、ひとりの人間としての願いが見え隠れする。


 カルはその視線を受け止めながら、温かなコーヒーを一気に飲み干した。


「……このコーヒー、悪くないな」

「え?」


「俺の住んでいた時代じゃ考えられない美味さだ。香りも深くて雑味がない。口に残る苦味も妙に落ち着く」

「……確かにそうですね。ボスがコーヒーにこだわりを持つ方なので、組織を隠す為の喫茶店としては、あまりにも贅沢な豆を使っています」


「そうか。シャノワールに入ると、こいつが毎日飲めるわけだ」


 カルの口元にほんの小さな笑みが浮かぶ。


「はい。仕事の合間でも、任務帰りでも。……もっとも、その時のカル様が無事であれば、の話ですが」

「……随分と物騒な条件付きだな」


 カルは肩を竦めながらも、唇の端を僅かに上げる。


 ――退屈だった。

 この時代に来てから、ずっと。


「……それに、ちょうど協力者が欲しいと思っていたところなんだ」


 カルのその言葉に、スノウの瞳が僅かに揺れた。

 その青い瞳を見つめてカルは言葉を続ける。


「はっきり言って俺はこの時代の何もかもが分からない。俺はダンジョンと一緒に遥か昔の時代に取り残されて、地上に戻ってきたら世界の全てが変わっていた。ダンジョンで手に入るアイテムの価値は下がって、おまけにダンジョン配信なんて娯楽が流行っている。持っている銀貨や銅貨じゃ道端の露店で串焼き一本買う事さえ出来やしない」


 自分の持つ常識の何もかもが通じなかった。

 人々はスマホという道具を手に、指先ひとつで情報も金もやり取りする。


 ダンジョンで手に入るアイテムの価値も、カルの知っていた頃とはまるで違う。


 当時は宝物だった魔獣の牙も、今じゃ観光地の土産物屋でキーホルダーに加工されて売られている始末だ。


「そんな世界で、ひとりで立ち回れるほど俺は器用じゃない」


 カルはわざと肩を竦めて、淡々とした口調で続けた。


「この世界で生き残る為の術をずっと探していた。この時代はダンジョンに潜るだけじゃだめだ。もっと別の生き方を手に入れないといけない」


 カルの声は低く、しかし迷いはなかった。

 スノウは静かに耳を傾け、その青い瞳を静かに細める。


「シャノワールは……その“別の生き方”になり得る。つまり俺の力を金に変えられる稼ぎ口が見つかったってわけだ」

「そうですね。あなた程の実力者なら、シャノワールの任務をこなす事で莫大な報酬と、確固たる地位を手に入れられるでしょう」


 カルはしばし黙り込み、指先でコーヒーカップの縁を軽く叩いた。


 その音が、静かな店内で妙に耳に残る。


「それに、仲間にエルフがいるのは俺にとって好都合な展開でもある」

「エルフ……わたしの事でしょうか?」


 スノウはその尖った耳を僅かに揺らす。


 エルフ特有の宝石のような青い瞳が、静かに彼の意図を探ろうとしていた。


「ああ。エルフみたいな長命種は、俺がダンジョンに潜っていた間に起こった様々な出来事を記憶しているはずだ。それに諜報員って事はただの記憶じゃなく、確かな情報を選んで残している。俺にとってお前は、地図のない土地を歩く為の羅針盤みたいなもんだ」


 淡々とした口調だったが、その言葉の奥には明確な計算があった。


 エルフの有する知識量は膨大で人間の比ではない。


 歴史に名を残す賢人や学者の多くはエルフであり、その長い寿命の中で培われた知識と経験は、時に大国ひとつを変える力となった。


 医学の発展や、新たな魔法技術の発明、自然科学の探求や工学技術の革新――人類の進歩の陰には、常に彼らの叡智があった。


 カルはその事実をよく知っている。


 スマホを始めとしたこの時代の先進的な技術も、エルフ達によってもたらされたに違いない。


(長命の種族であり、なおかつ諜報員……。その記憶は生きた図書館に等しいはずだ)


 カルにとってスノウという存在は、この混沌とした新たな時代を生き抜く為の――暗闇を照らす灯火になり得る。


 ――その意図を察したのか、スノウの表情が引き締まった。


「なるほど……カル様は利用価値を見ているのですね。わたしの存在に」

「利用価値って言葉は聞こえが悪いな。お互い様だろ。俺はこの時代の生き方を教わり、お前は俺の力を借りる。互いに利益になる“取引”だ」


 スノウは軽く息を吐き、カップを持ち上げてコーヒーをひと口。


 その動作は交渉の区切りをつけるようでもあった。


「……分かりました。では、カル様を“仲間”として迎える前提で話を進めます」

「前提か。もう決定じゃないんだな?」


「条件があります。今回の調査、途中で投げ出さない事。そして組織内で知り得た情報を、許可なく外部に漏らさない事。そしてボスからの指示は絶対です。この3つは必ず守っていただきます」

「破ったら?」


 スノウの表情は微笑のままだったが、目だけが冷たく光った。


「その時は――シャノワールのやり方で対処します」


 その一言で、カルの口元に再び苦笑が浮かぶ。

 脅しではなく事実として告げられたその響きが、妙に心地よくさえ感じられた。


「分かった。条件は飲もう」


 カルは椅子から身を乗り出し、手を差し出した。


 スノウは一瞬だけその手を見つめ――次の瞬間、ぱちりと瞬きをして潤んだ瞳が細く和らいだ。


 きゅっと引き結んでいた口元が緩み、ほんの一瞬だけ柔らかな笑みが咲く。


「では、これよりあなたはシャノワールです。カル様」


 それは確かな握手。

 握ったその手は任務で鍛えた冷たさではなく、少し汗ばんで温かかった。


 緊張の糸が切れたのか、彼女はふっと肩を落として息をつく。その瞬間に見えたあどけない少女のような笑みにカルは口元を緩めた。


「今、笑ったな」


 からかうような声で囁かれ、スノウは小さく瞬きをして視線を逸らした。


「……っ、気のせいです」

「ふうん? じゃあ、その耳の赤さも気のせいか」


 長いエルフ耳の先がほんのり赤く染まっているのを、カルは見逃さなかった。


「へぇ、お前もそんな顔するんだな」

「……任務とは関係のない話です」


 淡々とした声色に戻そうとしているが、その口調は何処かぎこちない。


 カルがにやりと笑うとスノウは僅かに頬を膨らませたようにも見えた。


「……からかわないでください」


 小声でそう呟くと、スノウはするりと手を引いて再び任務の顔へと戻る。


 その切り替えの速さに、カルは内心で苦笑するのだった。


 それから気を取り直したスノウは、腰の小さなポーチから黒色のスマートフォンを取り出した。


「これは連絡用のスマートフォンです。組織からの任務や指示がある場合、この端末に通知が届きます。通話やメッセージの内容は暗号化されていて、外部からの傍受は不可能です」

「スマホ……これ、俺にくれるのか?」

「貸与という形になります。破損した際は速やかに報告してくださいね」


 スノウはそう言って黒いスマホをカルの手に置いた。

 その表面は艶やかで触れると僅かに温もりが感じられる。


「使い方が分からないんだが?」

「操作方法は追って説明します。今はただ受け取ってください」


 カルは短く頷き、スマホを掌の中で転がすように眺めた。

 黒曜石のような光沢が、店内の柔らかな照明を反射している。


「……妙なもんだな。宝石よりも高そうに見える」

「物の価値は時代で変わります。宝石は今の時代も高価なものに変わりはしませんが、より価値のあるものは情報です。この時代において最も高価で、最も危険な“資源”です」


 スノウの声は、まるで刃物のように冷たく澄んでいた。


「一枚の金貨よりも、たった一行の情報がより高い価値を持つ事もあります。……わたし達が動く理由の殆どは、そこに集約されます」

「難しい話だ。使いこなせるかは俺次第か」


 スノウはカップを静かに置き、姿勢を正した。

 その青い瞳が真っ直ぐにカルを射抜く。


「……では、最後に一言だけ」


 揺らぎのない響きが届く。

 カーテン越しに差し込む夕暮れの光が、彼女の白い横顔を淡く縁取った。


「――ようこそ、影の世界へ」

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