プロローグ
「はあ……なんでおれの配信、誰も見てくれないのかなあ……」
ダンジョンの10層。
木々に囲まれた広大な森の中、男は孤独に溜息を吐く。
冒険の様子を鮮明に映し出す最新型のスマートフォンを通じて、彼のダンジョン攻略の光景は世界中に配信されているはずだった。
今も森に出現する魔獣を倒したところだったのだが、コメント欄は静寂に包まれている。
「何がいけないんだろうなあ……」
彼のダンジョン配信を視聴している人数は0。
迫力のある映像と音声を届けているはずなのに、それを目にしてコメントを残してくれる人はいなかった。
張り切ってダンジョンの10層にまで潜り、襲いかかってくる魔獣との激闘を繰り広げ、まさに世紀に残る映像を届ける事が出来たと思ったのに。
「映像は迫力あって良いはずなのに、どうして……」
何故誰も見てくれないのだろうか。
……いや見てくれる人はいる。
けれど見続けてくれる人がいない。
彼の配信に訪れた人は興味なさげにすぐ離れていってしまう。その理由が全く思い当たらず彼は頭を悩ました。
冒険者としての実力は決して低くない。
むしろそれなりに腕の立つ冒険者だと思っている。
幾度も凶暴な魔獣を打ち破り、ダンジョンがもたらす奇跡のアイテムの数々を地上に持ち帰った。
ランクはB、もっと名前が売れて人気が出ても良い頃だ。
最強と呼ばれるSランク冒険者。
英雄の領域とされるAランク冒険者
精鋭として知られるBランク冒険者。
平均的な実力のCランク冒険者。
駆け出しのDランク冒険者。
登録したてのEランク冒険者。
既に自分は上位の冒険者としての領域に足を踏み入れている。
だというのに視聴者は全くつかず、配信者としての人気度は地の底。どれだけダンジョン配信を積み重ねても一向に視聴者は増えなかった。
――向いていない。
それは自分でも分かっている。
けれど諦めきれない。
ダンジョン配信者として名を広めて、民衆から称賛される英雄になりたいのだ。
その先にあるのは富と名声、そして美女に囲まれ酒に溺れるような生活。
男ならばそんな誘惑には抗えない。
元々男は冒険者になどなる気は無かった。
王都の様々な仕事につくが雑な性格で失敗ばかり。
そして失敗した言い訳に口汚く罵る悪癖もあり、どの仕事も長続きしなかった。
酒瓶一本買う金も尽きたところで、以前一緒に働いた事のある老人から腕っぷしの強さを買われて冒険者となる事を勧められた。
最初は断るつもりだったが、無料で宿と食事、装備一式を貰えたのは非常に美味かった。
冒険者ギルドの手厚いサポートもあり浅い層の攻略は楽々こなせた。
ダンジョンの中で手に入れたアイテムや魔獣の素材を売って生活し、気が付けばBランク冒険者。
ここまで来ると欲が出てくる。
もっと金を稼ぎたい、名声が欲しい、美女に囲まれたい。
そんな欲望と共に彼が目につけたのがダンジョン配信だった。
とあるAランク冒険者の男が始めたのをきっかけに、多くの民衆を虜にしたダンジョン配信。
彼に続いて多くの者達がダンジョン配信で成り上がり、冒険者稼業だけでは成し得なかった富と名声を手に入れていく。
男も後を追った。
自分が新たな時代の英雄だと信じて。
だがそれは思い上がりだった、彼のダンジョン配信はいつも閑古鳥が鳴いている。
身の丈に合った事をしろと言いたいのだろうか。だが男は自分の描いた夢物語を諦めたくない、この程度で終わるなんて耐えられない。
そんな時、男の配信に視聴者が現れた。
「きた……!」
視聴者は一人。こいつを足がかりに有名になってやる。
男は配信しているスマホに向かって、ぎこちない笑顔で話しかけた。
「み、見に来てくれてありがとうございます! 今、ダンジョンの10層に広がる神域の大森林を攻略中です! 地下なのに太陽みたいなのが浮かんでて凄いんですよね~。ここを突破すればいよいよ次層への階段が……あ! 魔獣が出てきました! 今から倒すんで見ていてください!」
魔獣の出現に男は声を大きくする。
魔獣との戦闘はダンジョン配信の華。
ここでどれだけの活躍を魅せられるかが重要だ。
さあ視聴者よ、おれの活躍に酔いしれろ。
男は茂みの中から飛び出してきた魔獣に大斧を構える。
現れた魔獣は神域の大森林によく出没する魔獣、キラーベア。
鉄よりも硬い爪と分厚い毛皮を持つ厄介な相手だが、今まで幾多の魔獣を打ち破ってきた男ならば問題なく倒せる。
男はキラーベアに向かって飛びかかると、構えていた大斧を横薙ぎに振るう。全力で放った一撃はいとも容易くキラーベアの体を真っ二つにした。
その勇姿を彼のスマートフォンはしっかりと配信しており、これで視聴者も満足しただろうと男は得意げに笑みを浮かべた。
しかしコメント欄に書き込まれた視聴者からのメッセージは――。
<むさいおっさんが斧を持って暴れている姿とかつまんな>
――という無慈悲な一言だった。
そしてそれだけ残して視聴者は彼の配信を離れていく。
「ああああ! どうなってんだよ、ちくしょう!!!」
男の頭に血が上り、怒りに任せもう一度大斧を振り上げる。地面を抉る程の一撃は木を薙ぎ倒し、そしてキラーベアの亡骸も吹き飛ばしてしまった。
息を荒げて男は配信の画面から目を逸し、不思議な”黒い石”を取り出していた。
「やっぱり前みたいにあれをするしかねえのか……。やってやる、やってやるよ!」
男は一度配信を切って周囲を見渡す。
この近くで二人組の冒険者パーティーを見つけた。
黒衣のローブに身を包んだ見るからに弱そうな冒険者だ。
――あいつらを使ってダンジョン配信を成功させる。
奴らに強い魔獣をけしかけて、救助する様子を自作自演するのだ。
他のダンジョン配信者で似たようなシチュエーションがあった。
あれは本当に突発的な事故で、有名な美少女冒険者がダンジョン配信中に強大な魔獣に襲われた。
そこに出くわした無名のダンジョン配信者が助けに入り、その光景が多くの視聴者に絶賛されたのだ。
それからその無名ダンジョン配信者も人気者の仲間入り。助けた美少女も視聴者も魅了して一気にスターダムにのし上がった。
そうだ。おれはアレと同じ事をしてやるんだ。
おれだってやれば出来る。
ただきっかけがないだけなのだ、きっかけさえあれば。
だからこそ自分が成り上がるきっかけを掴む。自作自演でも構わない、英雄になる為ならば悪魔にだって魂を売ろう。
この作戦を成功させる為には配信中の突発的な事故を装う必要があった。
以前も男は同じ事をしたが、途中で他の冒険者パーティーが邪魔に入ってお蔵入りとなっていた。だが今回は違う、周囲に他の冒険者パーティーなどいない。
それにさっき見つけた二人組の冒険者は、手を繋いで呑気な様子で森を歩いていた。まるで冒険ではなく旅行にでも来たような無防備な後ろ姿だった。ケーキを片手に楽しげに談笑までしている。
危険な魔獣が蔓延るダンジョンの中だというのに、彼らには一片の緊張感すらなかった。
「はは、なんだあれ……ピクニック気分か?」
男は鼻で笑った。
あれ程の無防備さ、男にとって格好の獲物だった。
数々の魔獣と戦ってきたBランク冒険者の自分からすれば、あんな二人を演出の材料にするなど造作もない。
魔獣に襲われ、恐怖し、そして守られる――視聴者が好む筋書きは既に頭に出来上がっている。
あとは実際に魔獣をけしかけて、あの呑気な二人組がやられる前に魔獣を斧でぶっ倒してしまえば良いだけだ。
男の中の欲望がじわじわと熱を帯びていく。
今こそ成り上がる時、今度こそ主役になるのは自分だ。
「ふ、はは……次は、おれの番だ!」
そして男は取り出していた黒い石に魔力を込める。
光を食らう黒い石の中には魔獣が封じ込められていた。
それなりに強い部類の魔獣が入っていると闇商人が言っていた。Bランクの冒険者なら討伐は容易だとも。
しかし、あの冒険者達では倒せまい。
ここはダンジョンの10層、Cランク冒険者の狩り場だ。
ランクが一つ違うだけでも冒険者の強さに大きな隔たりが生まれる。
Bランク以上の冒険者でさえ、ほんのひと握りしかいないのだから。
そしてあの二人組は魔獣から助け出したおれを賞賛するはず。
その様子を配信すれば、おれもきっと人気配信者の仲間入り。
男は歪な笑顔を浮かべながら石に封じられた魔獣を解き放つ。だが男はその直後、現れた魔獣を目にして恐怖で顔を歪めた。
何故ならどす黒い魔力の渦から現れたのは、ダンジョンの50層より深い層に出現するとされる――最強格の魔獣『ベヒーモス』だったのだから。
以前男が自作自演を試みようとした時はダンジョンの14層に出現する『コカトリス』だったはずで。
魔獣をけしかけた冒険者パーティーの何人かは犠牲になったが、男にとって大した魔獣ではなかった。
だが目の前に現れたのは確かにベヒーモスで――。
「――む、無理だ。手に負えない」
男の実力ではダンジョンの23層までが限界だった。下層に行けば行くほど出現する魔獣は力を増して、やがて神話時代の魔獣に匹敵する程の化け物が跋扈するようになる。
50層と言えば現人類の最強戦力、Sランク冒険者だけが足を踏み入れる事が許された領域だ。以前にSランク冒険者達によるダンジョン配信を目にした事があったが、そんな彼等でもベヒーモスとの戦いは命がけだった。
そんな魔獣を相手にしてBランク冒険者が勝てるわけがない。
しかし幸か不幸か、封じ込められていた魔獣は男に手出しをしなかった。
男に一切の興味を示さず、ベヒーモスは赤黒い双眸で黒衣のローブを纏った二人組の冒険者を捉える。
そして悠然と地面を踏みしめ二人組の冒険者に迫った。
男は助かったと胸を撫で下ろし、何も見なかったふりをして立ち去ろうとする。
「いや待てよ……」
ダンジョンの10層に突如として現れた神話級の怪物、ベヒーモス。
それがまだ経験の浅い冒険者を蹂躙する様子は配信のネタとして申し分なかった。
このイレギュラーな現象を映像として届ける事が出来れば、多くの視聴者達が自分のチャンネルに殺到するだろう。
男の立ち回り方によっては、そこから膨大な数のチャンネル登録者を獲得出来るかもしれない。
それが男の望みだっただろう、ダンジョン配信者として名を馳せる夢だ。
男の中の黒い欲望が膨れ上がる。
だからベヒーモスが二人組の冒険者を襲う瞬間を録画しようとして、まるで偶然を装うように配信を再開させようとして。
けれど。
「……なんで? え?」
配信に使うスマートフォンを構えた向こう。
そこには最強の魔獣であるはずのベヒーモスが――時が止まったかのように立ち尽くしていた。
次の瞬間、巨体がぶるりと震え、呻き声をあげる暇すらなく崩れ落ちる。
皮膚は裂け、筋肉は断たれ、骨までもが砕け散り、森の大地に肉片となって散乱した。
気付けばベヒーモスの威容は影も形もなく、残っているのは無惨に刻まれた肉と血だけ。
その赤は湿った土に吸い込まれ、森の緑を静かに汚していく。
一体何が起こったのか――。
崩れたベヒーモスのすぐ傍に立っていた、黒衣の冒険者を見て理解する。
ベヒーモスの血で濡れた剣を携え、ただ静かに佇む黒衣の冒険者。
――奴が斬ったのだ。
あの最強のベヒーモスを、誰も知覚出来ない速さで。
目が追いつくより早く、耳が音を拾うより早く、既に斬撃はベヒーモスの命の灯火を断ち切っていた。ただ遅れて、風を裂く残響が森を震わせ、木々がざわめき、枝葉が雨のように降り注ぐだけだった。
その過程は誰の感覚にも届かず、配信にさえ残らなかった。結果だけが残酷なまでに刻まれている。
黒衣の冒険者は血に濡れた剣を軽く振り払い、何事もなかったかのように剣先を下ろす。
その静けさが、凄惨な光景と対照的に際立ち、見る者の背筋を冷たく撫でた。
異様な光景に呑まれる男に向けて、黒衣の二人組は近づいてくる。
「前回は証拠不十分で難しかったが、これでようやく現行犯でBAN出来るな」
「はい。証拠もばっちり。今回は言い逃れも出来ません」
冷酷な瞳で黒衣の男女が言葉を交わした直後だった。
「一体何が――っ」
男が驚愕に声音を染めたと同時に、こめかみを殴られ、ぷつりと意識が途絶える。
同時に視聴者数は0のまま配信も途絶えて、黒い画面と静寂だけがそこにあった。
-★★★あとがき★★★-
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