飯を食ってばかりいるこの可愛い生き物はなんだ!?
「感情の起伏が乏しい」
俺、ブリザード・クロムに対する世間一般の評価だ。
騎士団長の地位に就いて以来、その堅物っぷりから『氷の騎士団長』などと呼ばれている。
……ありがたくはない。
自分でもどうにかならないかと思うが、生まれついての性分なので仕方がない。
そんな俺が旧友であるテオに呼び出され、久しぶりに教会を訪れていた。
テオは俺と違い柔和な物腰と人当たりの良さで、若くして司祭の地位にいる男だ。
「それにしても、お前が教会にいるなんて面白い光景だな」
「お前が呼んだんだろうが」
軽口を叩き合いながらも、旧交を温める時間はあっという間に過ぎていく。
俺が騎士団の詰所に戻ろうと腰を上げた、その時だった。
「ああ、そうだ。ブリザード」
テオが、何かを思い出したように声をかけてくる。
「最近、聖女候補が一人入ったんだ。まだ若い娘なんだが、どうも集中力がないらしくてな。お祈りの最中にだらけていないか、見てきてくれないか? もしだらけていたら、お前からガツンと一発、喝を入れてやってくれ」
「……なぜ俺が」
「お前ほど適任な男はいないだろう? 国で最も堅物な騎士団長様から叱られれば、どんな人間でも背筋が伸びる」
悪役か、俺は。
そう思いつつも、友人の頼みを無下にもできず、俺はしぶしぶ祈祷室へと向かう。
重厚な扉を、音を立てないように、そっと開ける。
静謐な空間。
ステンドグラスから差し込む光が、床に幻想的な模様を描き出していた。
その中央に、彼女はいた。
小さな背中をまっすぐに伸ばし、敬虔に祈りを捧げている。
亜麻色の髪が、光を浴びてきらきらと輝いていた。
なぜだろう。
その姿から、目が離せない。
顔が、特別に好みだというわけではない。
もちろん、性格など知る由もない。
だというのに。
ドクン、ドクン、と心臓がうるさく脈打っている。
まるで全力で走った後のように、呼吸が浅くなる。
――なんだ、これは。
なぜ俺は、この娘を見ているだけで、こんなにも胸が高鳴るんだ……!
経験したことのない感情の奔流に、俺は完全に飲み込まれていた。
自分でも理解できないほどの動揺に、声をかけることなど到底できない。
俺は逃げるようにその場を後にすることしかできなかった。
あの日以来、俺の日常は一変した。
頭の中は、祈祷室で見たあの不思議な娘のことでいっぱいだった。
なぜ、あれほどまでに心をかき乱されたのか。
その理由が知りたくて、俺は何かと理由をつけては教会に通うようになった。
「騎士団の巡回ルートに教会を追加する」
「神への感謝を思い出した」
などと適当なことを言って。
周囲の人間からは「あの氷の騎士団長が信仰に目覚めたのか」などと噂されている。
だが、そんなことはどうでもよかった。
俺の目的はただ一つ。
あの娘を、この目で観察することだ。
そうして数日間、彼女の様子を遠くから窺っていて、俺はある事実に気がついた。
(……なんか、あの娘、食ってばっかいるな)
どんな場面に遭遇しても、彼女は必ず何かを口に運んでいる。
三日前は、教会の厨房から貰ってきたふわふわパンを頬張り、目をきらきらと輝かせていた。
一昨日は、中庭のベンチで干した果物を小さな口でちびちびと齧っていた。
昨日は、牛乳を煮詰めて作ったという白いデザートを、顔を蕩けさせながら食べていた。
あれだけ食べているというのに、彼女の体型は至って普通だ。
むしろ、少し細いくらいかもしれない。
あの食べ物は、一体彼女の体のどこに消えていくのだろうか。
そんな素朴な疑問と同時に、俺の心の中には、新たな感情が芽生え始めていた。
彼女の姿を見るたびに、胸がどきどきと高鳴る。
そして、その高鳴りと共に、こう思うのだ。
(なぜだ……なぜだか無性に、餌付けしたい……!)
――そうだ、餌付けだ。
美味しいものを、俺の手で彼女に与えてみたい。
そして、それを幸せそうに食べる彼女の顔を、すぐ側で見てみたい。
そんな衝動が、日増しに俺の中で大きくなっていくのだった。
その日も、俺は騎士団の昼休憩を利用して教会を訪れていた。
もちろん、目的は彼女の観察だ。
もはやストーカーと言われても否定できないかもしれない。
そんな俺の姿を見つけたのか、友人のテオが呆れたような顔で近づいてきた。
「ブリザード。なんだか最近、ひっきりなしに通い詰めているじゃないか。何か気になることでもあったのか?」
「……いや、そんなことはない」
図星を突かれ、俺は思わず目を逸らす。
そんな俺の様子を見て、テオはにやりと笑った。
「そうか? まあいい。そういえば、お前があの時見て帰った聖女候補だが、最近とても楽しく過ごしているようだぞ。さっき中庭で見かけたかな。この間は見回り、ありがとうな!」
そう言って、テオは自分の仕事に戻っていった。
中庭。
その言葉に、俺の足は自然とそちらへ向いていた。
やることはいつもと同じ。
物陰からこっそりと、彼女の様子を窺うだけだ。
中庭に着くと、すぐに彼女の姿を見つけることができた。
しかし、その日の彼女の行動は俺の予想を遥かに超えていた。
なんと、嬉々とした表情でセミを捕まえているではないか。
しかも、その手に持ったセミを、おもむろに口元へと運んでいく。
(まて、まてまてまて! さすがにそれは駄目だ!)
「それを食べるのは止めろ!」
俺は、思わず物陰から飛び出し、叫んでいた。
突然現れた俺に、彼女は目を丸くしてきょとんとしている。
その手には、まだ羽を震わせるセミが握られていた。
「あ、えっと……でも、これ、美味しいのに……」
もごもごと何かを言い訳する彼女に、俺は懐から包みを取り出す。
ここ数日、彼女に渡そうとしては渡せず、毎日持ち帰るクッキーだ。
「これをやるから、虫を食べるのは止めなさい」
俺がそう言ってクッキーを差し出すと、彼女の顔がぱあっと輝いた。
「わあ、くれるんですか! ありがとうございます!」
彼女は満面の笑みでそう言うと、俺が手に持つクッキーに小さな口でかじりついた。
その瞬間。
俺の中で、何かが爆発した。
――愛おしい。
――ただひたすらに、愛おしい。
気づいた時には、俺は彼女の前に跪き、その小さな手を取っていた。
「君のためなら、この命さえ捧げよう。俺と、結婚してくれ」
「え……? わ、私、クッキーを食べただけなのに……!?」
あまりに突然の出来事に、彼女は目を白黒させている。
◇◇◇◇
俺はもう止まらなかった。
彼女をその場に残し、すぐさまテオの元へと向かった。
事情を説明すると、テオは腹を抱えて笑い転げていた。
しかし、最終的には「お前がそこまで言うなら」と、なぜか協力的だった。
話が早くて助かる。
――問題は、彼女の説得だ。
俺は後日、彼女を正式に俺の屋敷での夕食に招待した。
国一番の料理人を呼び、考えうる限りのご馳走を用意して、彼女を熱烈に歓待した。
「ま、毎日、こんなに美味しいご飯が食べられるんですか……!?」
最高級の料理を前に、目をうるうると輝かせながら、彼女は言った。
「ああ、もちろんだ。君が望むなら、何でも用意しよう」
俺のその言葉が、決め手だったらしい。
彼女は、こくこくと何度も頷き、俺との結婚を了承したのだった。
こうして、『氷の騎士団長』の電撃結婚は、瞬く間に王都中の噂となった。
俺は晴れて彼女――メリーを妻として迎え入れ、至福の日々を手に入れたのだ。
「ほら、メリー。口を開けろ」
「あーん」
俺が公務の合間に屋敷へ戻ると、おやつを待ちわびる愛しい妻がいる。
今日のおやつは、王都で一番の菓子職人に作らせた、季節の果物ケーキだ。
小さなフォークで切り分けたそれを、彼女の小さな口元へと運ぶ。
「んっ……! おいしいです、ブリザード様!」
ぱあっと効果音がつきそうなほどに目を輝かせ、幸せそうに頬を緩ませるメリー。
その愛らしい表情を見るたび、俺の心は言いようのない愛おしさで満たされていく。
クリームで少し汚れた口元を指で拭ってやる。
彼女はこてんと首を傾げ、子猫のように俺の手にすり寄ってくるのだ。
ああ、なんと愛おしい生き物だろうか。
俺は彼女をこの腕で抱きしめる。
暇さえあればその口に美味しいものを運び、その幸せそうな顔を眺める。
そんな甘美な日々に溺れていくのだった。
うっとりとその顔を眺めていると、今度はメリーがフォークでケーキをすくう。
「ブリザード様がくれるケーキが、一番おいしいです。でも、たまにはブリザード様も、どうぞ?」
宝石よりも輝くその笑顔に、俺の心臓は再び大きく跳ねる。
――『氷の騎士団長』と呼ばれた俺の日常は、今や溶けるほどに甘く、満たされている。
◇◇◇◇友人の司祭、テオの視点
まったく、世話の焼ける親友だ。
僕は、僕のただ一人の親友であるブリザードが大好きだ。
彼には、誰よりも幸せになってほしいし、何よりも長生きしてほしい。
騎士団長という職業は、常に危険と隣り合わせだ。
彼が万が一、深手を負った時、その傍に治癒能力を持つ者がいれば、生存率は格段に上がる。
聖女候補であるメリー嬢は、神に愛された特別な存在。
その力は、触れたものの傷を癒し、命を繋ぎとめるという、奇跡そのものだ。
だから、僕は二人をくっつけることにした。
幸い、この教会には古くからの言い伝えがある。
『聖女候補が祈りを捧げる姿を見た者は、その敬虔さに心を奪われ、魅了されてしまう』
教会関係者しか知らない、一種の特殊な祝福だ。
朴念仁で、女っ気のかけらもなかったあのブリザードを落とすには、これくらいの荒療治が必要だろう。
結果は、大成功。
今では、屋敷で溺愛する妻に手ずから餌付けをしているらしい。実に彼らしい不器用な愛情表現だ。
神に愛された聖女、メリー嬢。
その彼女と愛し合うことを選んだ、ブリザード。
「……てことは、だ」
僕は一人、ステンドグラスを見上げながら、誰に言うでもなく呟いた。
「神に愛された聖女と結ばれたブリザードは、もはや神……だな!」
我ながら意味の分からない結論に辿り着きつつも、親友の幸せを願い、僕は今日も神に祈りを捧げるのだった。
人物紹介
ブリザード・クロム
国で最も堅物と恐れられる『氷の騎士団長』
聖女候補の祈る姿に一目惚れするも、コミュ障をこじらせた結果、数日間ストーキングを敢行。クッキーを押し付けて求婚するという、意味不明なムーブをかます。
結婚後は、騎士団長の給料のほとんどを妻の食費に注ぎ込む、プロの餌付け師へと転職した。
メリー
奇跡の治癒能力を持つ、いたいけな聖女候補ということになっている。しかし、その本質は、食べ物への探求心が異常に強いグルメハンター。視界に入ったものは大体食べ物だと思っており、セミですらご馳走認定する。
ある意味最も純粋なヒロイン。
テオ
主人公の親友というポジションを悪用し、己の欲望と親友の幸せのために暗躍する恐るべき司祭。
聖女の特殊能力を悪用して主人公をマインドコントロールし、無理やり恋の落とし穴に突き落とした張本人。全ての計画が上手くいきすぎて、「親友と、神の寵愛を受けし者が結ばれたってことは……親友はもう、神では?」などと、思考が明後日の方向にぶっ飛んでしまった。
一番ヤバい奴。