第四話
「松本くん。今日の放課後、あいてるか?」
姫坂さんがそう言ってきたのは、翌日の昼すぎだった。
昨日と同じく文芸部室で昼食をとっていると、姫坂さんが唐突にそう言ってきたのだ。
「ほ、放課後ですか?」
ご飯を口に入れながら尋ねる。
「実は買い物に付き合ってほしいんだ」
「は? か、買い物?」
「突然で悪いが……」
「何を買うんです?」
「試合で使うリストバンドだ」
「リストバンド?」
リストバンドって、汗をぬぐうアレだよね?
スポーツ選手がよく使ってるアレだよね?
「実は明日からインターハイ予選でな。試合用のリストバンドが欲しいんだ」
「はあ」
「で、そのリストバンドを松本くんに選んでもらいたくて……」
「んぐっ」
思わず咽せてしまった。
予選で使うリストバンドを、僕なんかが選んでもいいのだろうか。
「あ、あの姫坂さん。リストバンドっていっても、僕よくわからないんですけど。姫坂さんが使いやすいのがいいと思う」
「大丈夫。リストバンドなんてどれも一緒だから」
わあー。
身もフタもないこと言ってるう。
「でも松本くんに選んでもらったリストバンドなら、特別な意味を持つから……」
「え?」
「ああいや! なんでもない! なんでもない!」
ブンブンと首と手を振りまくる姫坂さん。
「い、嫌か?」
「嫌じゃないけど……。僕が選んでいいのなら一緒に行くよ」
「本当か!? 本当にいいのか!?」
パアッと顔を輝かせる姫坂さん。
いや、その笑顔は反則でしょ。
不覚にもドキッとしてしまった。
「絶対だぞ!? 約束な?」
「う、うん」
「よしっ! よしっ!」
ガッツポーズをとる姫坂さんが、なんだか試合でスパイクを決めて喜ぶ姿と重なった。
※
学校が終わり、僕らは校門前で合流した。
27型のスポーティーなシティ車にまたがる姫坂さん。
対する僕は26型のママチャリだ。
「お待たせ」
「ああ」
すでに待機していた姫坂さんの横に自転車を転がしていく。
シティ車にまたがる姫坂さんの姿はすらっとしていて綺麗だった。
「えっと……どこまで行くの?」
「すぐそこだから、ついてきてくれ」
そう言って姫坂さんは颯爽と自転車を走らせた。
慌てて付き従う僕。
スイスイと軽快にペダルをこぐ彼女についていくのは至難の業だった。
「ちょ、ま、速……!」
なにこれ、超速ええ!
いつもゆったり自転車をこいでる自分では絶対に出さないスピードでびゅんびゅん突き進んでいく姫坂さん。
僕も必死に漕いでいるものの、その差は徐々に引き離されていく。
これは運動量うんぬんよりも、単純に身長の差が関係しているかもしれない。
姫坂さんのひとこぎに対して僕のひとこぎで進む距離は圧倒的に短い。
結果、たくさんこがなければ彼女に追いつけないのだ。
そんな僕の必死さに気づきもしないのか、姫坂さんは颯爽と自転車をこいでいた。
気づけば、もうだいぶ引き離されてしまった。
途中で姫坂さんが僕を置いてきぼりにしていたことに気づいて慌てて戻ってきたものの、気づかなければ僕は見失っていただろう。
途中で気づいてくれてよかった。
「ごごごご、ごめん! 速く走りすぎてた!」
「い、いや……いいんだ……」
ゼエゼエと肩で息をしながら呼吸を整える。
悪気があってやったわけじゃないんだから、怒る気にもなれない。
「これでもかなり抑えて走ってたんだが」
あのスピードで抑えて走ってたんなら、全力を出したらどうなるんだろう。
化け物すぎる。
「それで、お店はもうすぐなの?」
「ああ、あと5分くらい」
それは姫坂さんにとっての5分なのか、僕にとっての5分なのか。
「あの坂道を越えた先」
果てしなく続く坂道を見て、僕は「あと20分はかかるな」と思った。
目的地のスポーツ用品店はけっこう大きめの建物でいろんなスポーツグッズがたくさん売られているチェーン店だった。
駐輪場に自転車を置いて、姫坂さんと店内に入る。
店内には多種多様のスポーツ用品が売られていて、目移りしてしまった。
そういえば、僕にはあまり縁のない店だ。
スポーツと一口に言ってもメジャーなものからマイナーなものまでたくさんある。
こうやって見ていると面白い。
姫坂さんはそんな僕には構わずスタスタとバレーボールコーナーへと進んだ。
「さあ松本くん、選んでくれ!」
目をキラキラと輝かせて両手を広げる姫坂さん。
そう言って指し示された場所には、大小様々なリストバンドが陳列されていた。
素材も色も形もバラバラで何がベストなのか見てもわからない。
「どれも一緒」という姫坂さんの言葉を疑うわけじゃないけど、これはどれでもいいというわけにはいかなそうだった。
「あ、あの、姫坂さん? この中から選ぶんですか?」
「ああ。値段は気にしないでくれ」
「ていうか、予想の範疇を超えた豊富なラインナップなんですけど……」
「だろう? ここ、品ぞろえはいいんだ」
いや、そういう意味じゃなくて……。
僕は「んー」と目を細めながら適当に黒いリストバンドを引き抜いた。
値段も手ごろだし、一流メーカーのごくごく一般的なやつだ。
まあ、一流メーカーのものならまず間違いはあるまい。
「お、さすが松本くんだ。それを選んだか」
なぜか姫坂さんに感心されてしまった。
本心で言ってるのか疑わしい。
でも、姫坂さんはとびきりの笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。
「これで明日の試合、頑張れる」
「そ、そう? 頑張ってね」
僕のような運動部には無縁の者から「頑張ってね」なんて言われても嬉しくないだろうが、姫坂さんは「頑張る」と言ってくれた。