第二話
姫坂さんの告白から一週間が経とうとしていた。
しかし不思議なことにあれから一度も姫坂さんは僕に話しかけてこない。
友達……なんだよね?
今日も、朝から一言も口をきかないまま席について授業を受けている。
「じゃあ、この和訳を……姫坂。答えてみろ」
強面の英語の先生が、隣に座る姫坂さんを指名する。
身長180㎝の姫坂さんは「はい」と言ってスッと立ち上がった。
相変わらず、誰もが圧倒されるような存在感を放っている。
スポーツをしているだけあってスタイルも抜群だ。
隣からそっと眺めるだけで、制服越しからも彼女の肉体美は綺麗に映った。
姫坂さんは、そのスポーティーな身体から発せられる低い声で問いに答えた。
「『彼は五時過ぎに雷門へと向かう約束をした』」
「うむ、正解」
先生は満足そうにうなずくと、その文章を黒板に書き写して文法の説明を始めた。
姫坂さんは何事もなかったかのようにゆっくり席に着く。
そう、何事もなかったかのように。
僕への告白なんてなかったかのように落ち着いていた。
あの告白は、本当だったんだろうか。
夢だったんじゃなかろうか。
僕はそんな彼女を眺めながらそう思い始めていた。
あれから、こっそりバレーの練習に励んでる姫坂さんを見に行ったが必死にスパイクを打ち込んでる彼女の姿しか見られなかった。
その顔はイキイキとしていた。
楽しそうだった。
バレーが恋人。
よく聞くセリフだが、まさにそう思えるほどに彼女の顔は光り輝いていた。
そもそもだ。
姫坂さんは高校女子バレーのエースとして県内外から注目されている選手だ。
実際、雑誌の取材を受けたこともある。
そんなスター選手が、誰からも見向きもされないしがない文芸部員に告白するだなんてあり得るだろうか。
いや、あり得ない。
「カッコいいから」
彼女はそう言っていたけど、僕には信じられなかった。
ひたすらスパイクを打ち続ける彼女の方が数倍もカッコいい。
「……もと」
僕なんて誰もいない文芸部室でひたすら本を読んで、整理して、読んでの繰り返し。
カッコいい要素なんてかけらも……。
「……松本!」
ふいに、先生の声が耳に飛び込んできた。
「は、はい!?」
慌てて立ち上がる。
ヤバい、全然聞いてなかった。
先生は僕が授業を聞いてなかったのを察しながら質問してきた。
「ボーっとしてるな。続きを和訳してみろ」
「つ、続き?」
あわあわと教科書をめくる。
こういう時、この強面の先生は「どこ」とは教えてくれない。
慌てふためく僕の姿を見てニヤついてるだけだ。
ほんと、性格が悪い。
まあ、授業を真面目に聞いてなかった僕が悪いんだけど。
どこだ、どこだ? と探してると、隣の姫坂さんがポツリと教えてくれた。
「36ページ。エリーのところ」
まともに見るのが恥ずかしいのか、目線は別のところに向かっている。
ほんのり目じりが赤くなっているところが、あの時とまったく一緒だった。
「あ、ありがと」
僕はコッソリとお礼を言って36ページを開く。
姫坂さんは満足したのか、サッと顔を前に戻して教科書に顔をうずめた。
その照れ具合が可愛らしい。
あとでお礼を言わなきゃな、と思いながら36ページに目を向けて……ピキッとかたまった。
「………」
「どうした、松本。答えてみろ」
「………う、わ、わかりません」
そうだったー!
僕、英語苦手だったんだー!
「それは授業を聞いてなくてわからないのか、難しくてわからないのか、どっちだ」
「り、両方です……」
クスクスと周りから笑い声が聞こえる。
ああ、穴があったら入りたい……。
せっかく姫坂さんが教えてくれたのに。その好意を無駄にしてしまった。
「ちゃんと授業、聞いとけよ」
「はい」
僕はしょんぼりしながら席に着いた。
※
授業が終わり昼休みに入ると、僕はすぐに姫坂さんに声をかけた。
「姫坂さん、さっきはありがとう」
姫坂さんはバッグからお弁当を取り出した直後だった。
かわいらしいピンクの弁当袋。
お弁当自体が大きいのか、パッツンパッツンに膨らんでいる。
やっぱり体育会系ってたくさん食べるんだなーと感心していると、姫坂さんはバッとお弁当を隠して首を振った。
「い、いや、別に……。だって、と、友達……だから」
「そ、そう?」
改めて、あの告白が夢でなかったと意識する。
でも、友達なのに会話らしい会話をしていないのはなぜだ。
挨拶すらしてないし。
そういえば、姫坂さんは毎日自分の席でご飯を食べていた。
今も、こうして一人で食べようとしている。
僕は意を決して言ってみた。
「姫坂さん、よかったら一緒に食べない?」
「ふえ?」
ふえってなんだ、ふえって。
「お昼ご飯。僕もいつも一人で食べてるから……」
「ごごごごご飯ッスか!? でででででも……!!!!」
急にあたふたし始めた。
お弁当を出したり引っ込めたりせわしない。
「だって僕ら……友達じゃん」
僕の言葉が決め手になったようで、姫坂さんは「う、うん」と言って大きな弁当箱を机に置いた。
改めて見ると、やっぱりめちゃでかい。
超高校生級のエースアタッカーのお弁当。
どんなおかずが入ってるのか俄然気になる。
でも教室の中で二人でご飯を食べてると何を言われるかわからない。
「あのさ、せっかくだから文芸部の部室で食べない?」
「文芸部の部室?」
「うん。部員、僕だけだから誰も来ないし。二人っきりでゆっくり食べられるよ」
「ふふふふ二人っきりッスか……!!??」
とたんに顔を真っ赤に染める姫坂さん。
いや、そこに反応する!?
「まあ、嫌なら中庭とか……」
「文芸部室でいい! 文芸部室がいい!」
そそくさと立ち上がる彼女を見上げながら、僕は自分のバッグを持って姫坂さんを連れて教室を出たのだった。